テンプレ ~その1~
ブ~、ブ~、ブ~
正月だというのに、ハシモトの携帯が鈍い振動音を立てている。ハシモトは安物の襟巻を首に巻く手を止めると、こたつの上に置いてあった携帯を眺めた。そして小さく首をかしげて見せる。
天涯孤独を絵に描いた様なハシモトに、正月から電話をかけてくる相手はいない。そもそも携帯に登録してある連絡先も、仕事関係を含めて、せいぜいが両手両足でこと足りているぐらいだ。それに連絡先にない電話は着信拒否にしている。
やはり思い当たる人など誰もいない。それが鳴っていた。
「一体どこの誰だ?」
ハシモトは襟巻の右と左の長さを同じにするのを諦めると、こたつの上の携帯を取り上げた。画面には「超重要」という文字が表示されている。
「えっ!」
こんな連絡先など登録した記憶はない。もしかしたら、携帯がウィルスにでも侵されたのかと焦りもする。ハシモトはすぐに赤いボタンを押そうとしたが、指が滑って緑のボタンを押してしまった。
つながってしまったものは仕方がない。ハシモトは半ば諦めた様に、携帯を耳元へと当てた。
「ちょっと!」
ハシモトの耳元で、いきなり若い女性の高飛車な声が響き渡る。
「モブなんだから、私からの電話は3コール以内に出なさいよね!」
「へっ?」
「そこにまだいるんでしょう?」
「はあ?」
「羽田さんに決まっているじゃない。この電話を――」
ハシモトの返事など待たずに、麗奈が話を続ける。その声にハシモトはうろたえた。いや、恐怖を感じたと言ってもいい。
「番号を交換した覚えなんか……」
「何を寝ぼけたことを言っているのよ。私が特別に、電話番号をあんたに教えてあげたからに、決まっているでしょう」
ハシモトは麗奈が何を言っているのか、全く理解できなかった。土下座して頼まれても、番号の登録など絶対にするはずはない。
「教えて頂いた記憶など、全くないのですが?」
「だから、私が自分で登録してあげたの。地面に頭をこすりつけて感謝しなさい!」
「えっ? どうやって勝手に――」
「あんたね、顔認証って言葉知らないの?」
電話からは麗奈の言葉が続いていたが、ハシモトは耳元から携帯を離すと、速攻で通話を切断した。またすぐに携帯が振動音を立てる。今度はボタンの長押しで携帯自体の電源を切った。部屋に静寂と、かりそめの平和が戻る。
「誰かから連絡ですか?」
台所の片づけを終えたらしいハデスが、ハシモトに声を掛けてきた。
「いえ、なんでもありません。それよりも、さっさと行って、さっさと戻って来ましょう」
ハシモトはそう告げると、携帯をポケットに放りこんだ。鏡に自分の姿が、襟巻の左右が全く合っていない姿が映るが、もはや左右の長さなどどうでも良い。そんなことよりも、去年の厄が可及的速やかに去るように、お参りに行くべく玄関へと足を運んだ。
* * *
元朝参りの人達に、神社近くの地下鉄の駅から既に人でごった返していた。ハシモトはその人ごみの中を、まるで熱湯で茹でられているジャガイモの様な気分で、地上へと登って行く。プラットフォームから地上までの僅かな階段の上りですら、年がら年中運動不足の体が音を上げた。
ハシモトの気分を押し下げたのはそれだけではない。辺りには振袖を着た若い女性の姿に、それに合わせたのか、和装姿の男性のカップルもかなりいる。彼らの幸せそうな、そして艶やかな出で立ちに、既に目が潰れそうな思いだった。
「なかなかの人出だね」
隣を進むハデスがそう呟いた。寒さを感じないのか、薄手の詰襟の真っ黒な服に、薄手の黒のコートという、いつもと変わらぬ格好だ。もっともハシモトとは違い、地上までの長く連続した階段を登った後も、普段通りに涼し気な顔をしている。
ハデスの感情を見せぬ顔を見ながら、ハシモトは首をひねった。その外見は、アイドルグループの男性はもちろん、パリコレに出てくるような男性モデルと比べても、優るとも劣らない。いや、そもそも何かが違う。この群衆の中でも、まさに神々しいとしか言えない存在感を放っている。
だがどういう訳か、誰もハデスの方へ視線を向ける者はいない。もしかして、「イケメンに関する自分の基準が歪んでいるのでは?」という考えも心に浮かぶが、麗奈の態度を見る限り、そうとも思えなかった。もっとも麗奈も、そして恐ろしいことだが、自分の両方が歪んでいるという事はあり得る。
ハシモトがそんなことを考えているうちに、二人は参道入り口近くの交差点へと出た。参道に沿って並ぶ木々の間に参拝客の人の波が、その上に雲一つない青空が見える。
そこには参拝客だけでなく、大勢の警察官もおり、プラカードと拡声器を片手に、群がる人々の誘導をしていた。ともかくハシモトの予想をはるかに超えた人出だ。その為、参道へと続く広い交差点を前にして、二人は中々前へ進めないでいる。
『こたつでTVを見ているべきだったか?』
楽し気に話をしているカップルや、寒いと当たり前の事に文句をたれている中年の集団を見ながら、ハシモトは少し後悔した。だがすぐに頭を横に振る。
正月からずっと、ハデスの顔を見て一日を過ごすなんてのは、こちらの精神が持たない。外でこうして二人で立っているだけでも、謎のプレッシャーに押しつぶされそうになる。
ハシモトは無言の重圧を避けるために、ここに来てから気になっていたことを、ハデスに聞いてみることに決めた。
「ハデスさん?」
「なんだい?」
プラカードを片手に、群衆をさばいている警察官達の動きを見ながら、ハデスが答えた。
「ハデスさんは、私達からすれば神様みたいなものですよね?」
「神様とは?」
「だって、世界を滅ぼせるじゃないですか?」
「それを君が神の定義だと思っているのなら、そう言うことになるね」
「だとしたら、他の神様へお参りに行ったりしても、いいものなんですか?」
ハデスはその言葉に、おやっという顔をすると、ハシモトの方へ視線を向けた。
「君は蟻を見たことがあるかな?」
「えっ、昆虫の蟻ですか?」
「そうだよ」
「今は冬なので見かけませんけど、夏ならそこら辺で見ますが?」
「君は蟻を見て、女王蟻に嫉妬したりするかい?」
「しませんね」
「それと同じだよ」
「そう言うものですか?」
「そう言うものさ」
そう告げると、ハデスは口元に笑みらしきものを浮かべて見せた。男とはいえ、この謎の存在に直視されると、正月の寒風吹きまくる中でも、思わず首の後ろが熱くなってしまう。
自分でもそう感じるぐらいだから、麗奈がストーカーまがいの行為まで働いて、アパートに押しかけてきたのは仕方がない事なのかもしれない。
「いや、そんなことは絶対にない……。間違いなくおかしい。気が狂っている」
「おや、他にも何か気になることでもあるのかい?」
「いえ、何でもありません!」
ハデスの声に、ハシモトは我に返った。いつの間にか、心の声が洩れてしまってもいたらしい。今度は恥ずかしさに赤面しているうちに、ハシモトは横断歩道の前まで来ていた。
プラカードを持った警官は笛を鳴らすと、渡ろうとしていたハシモトの体を押し留める。そして再度笛を鳴らして、今度は車を通し始めた。
どうやら次には横断歩道を渡って、参道へと入れるらしい。しかし警官の肩越しには参道を埋め尽くす人の群れがある。どうやらさっさと行って、さっさと戻ってくるなんてのは、相当に甘い見通しだったらしい。
「羽田さ~~ん!」
気のせいだろうか? ハシモトの耳に、とっても広い横断歩道の向こうから、こちらを呼ぶ声が聞こえた気がする。ハシモトは頭を強く振った。年末以来、自分の心の平安はハデスの存在以上に、あのメンヘラ娘によって乱されている。
「は・だ・さ~~ん!」
再びこちらを呼ぶ声が響く。ハデスもそれに気が付いたのか、横断歩道の先を見つめていた。ハシモトがハデスの視線の先を追うと、真っ黒なゴスロリ姿の女が、辺りの目を一切気にすることなく、盛んに手を振っている。
「えっ! あれって!」
「そうだね。彼女だね」
間違いない。交差点の向こうでは麗奈がこちらに、正しくはハデスに向かって手を振っている。そして交差点を無理やり渡ろうとして、それを押しとどめた警官に対し、何かの暴言を吐いた。
警官は慌てて麗奈の前へ立ちはだかろうとしたが、麗奈は警官の制止を振り切ると、横断歩道をこちらへ向けて駆け出す。そこに巨大な何かが突っ込んできた。
キィーーーーーー!
耳をつんざく様な急ブレーキの音。続けて、ドンという鈍い音がハシモトの耳に響き渡った。