エピローグ ~その2~
ほっこり版。作者の脳内エンドロールは、Pink姐御の「F**kin' Perfect」です。
公募で佳作を取って、WEB刊行雑誌でデビューしたばかりの小金井岬は、マンションの扉の前で体を固くしていた。
佳作をとったことで、初めてついた担当さんから紹介を受けて、この場所に立っている。本当はその担当さんと一緒に来るはずだったのだが、急用が出来たとかで、自分一人だけだ。だが扉の向こうには、岬が敬愛してやまないあの人がいる。
「は~~い!」
扉が開いて、少し年齢が上の地味な、これと言って特徴のない女性が岬の方を見つめた。そしてにっこりとほほ笑んで見せる。
「初めまして。ここのマネージャーの安井よ」
そう言うと、女性は岬を中へと招き入れた。玄関横には大きな靴箱が置いてあり、スタッフの物だろうか? いくつかの靴が無造作に入れられている。廊下の先には左右に部屋の扉があって、何かを相談する声も聞こえてきた。コツコツと一人で書いている自分とは全く違う。
「もしかして緊張している? でも大丈夫よ。すぐになれると思うわ」
安井はそう言うと、岬に靴を脱いで、自分についてくるように合図した。
「まあ、ここも他と何か違うところなんかないわ。締め切り前は修羅場になる。それにたまに誰かが絶叫する。そんなところね。そうそう、少しだけ注意しておいてもらいたい事があるの」
そう告げると、安井は一番奥の部屋の入り口の前で、岬の方を振り返った。
「なんでしょうか?」
「麗奈さんの事を絶対に先生と呼ばないこと」
「は、はい」
予想外の言葉に、岬は慌てて返事を返した。
「なぜかはよく分からないけど、彼女は先生と呼ばれることに、極端な拒否反応を示すのよ。それともう一つはどうでもいいことだけど……」
そう告げると、安井は岬に対して、ちょっと困ったような表情をしてみせた。一体何の事だろう。岬は思わず身構えた。
「とある人に電話をするときには、極端に口が悪くなるのよね」
「もしかして恋人とかですか?」
岬は思わずそう声をあげた。インスタや取材で見る坂本麗奈は掛け値なしの美人だ。彼氏の一人ぐらいいてもおかしくはない。
「うーん。違うと思う。話を聞く限り、どこかの中小企業に勤めている、中年のおじさんみたいだから。それじゃ、紹介するわね」
そう言うと、安井は部屋の扉を開けた。岬の視線の先に、何やらぶつぶつと独り言を言っている女性がいる。そしておもむろに携帯電話を取り上げるのが見えた。
「モブ、今夜飲みに行くわよ。速攻で電話して、席を予約しておいて!」
いきなりそう怒鳴るように話しかけ始める。
「仕事? モブのくせに、なにをいっちょ前の事をいっているのよ。私が誘っているの。今すぐ地面に頭をこすりつけて、ありがとうございますでしょうが?」
そう言うと、フンと鼻を鳴らして電話を切る。岬は何か見てはいけないものを見た気がして、足が震えてきた。だが隣にいる安井は、何も気にすることなく、黒いジャージを着た女性に向かって声を掛ける。
「麗奈さん、柊さんから紹介があった、アシスタント希望の方が来ていますけど?」
「ああ、今日だったわね。はじめまして、坂本麗奈です。最初の投稿で佳作を取ったんですって? 編集の柊さんからは将来有望な新人だって聞いています。どうかよろしくお願いします」
さっきの電話の態度とはうって変わり、年下の岬に対して、丁寧に頭を下げてくる。
「安井さん、今日は早めに上がるから、みんなに仕上げの一部を手伝ってもらってもいいかな? 岬さんにはとりあえず、私が前に使っていたタブとモニターを使ってもらって」
「はい、麗奈さん。了解しました」
「よろしくね」
そう言うなり、麗奈は辺りをきょろきょろと見回し始めた。
「今朝クリーニングから戻ってきたやつが……」
「それなら、資料棚裏のハンガーにかかっていますよ」
「あ、あったあった。ありがとう!」
クリーニングから戻ってきたらしい、部屋の隅にあった黒いゴスロリの衣装を手にした麗奈が、鼻歌を歌いながら、奥の部屋へと歩いていく。
「別人みたいになるでしょう? でもなぜか例の電話の後は、どちらかと言えば機嫌が良くなるのよね」
岬はその後ろ姿を、ただただ呆気に取られて見ていた。
「田島部長、今日は少し早めに上がらせてもらってもいいでしょうか?」
ハシモトの問いかけに、ノートパソコンの画面に向かっていた美鈴は、顔を上げると、首を小さく傾げて見せた。
「また例のお嬢さん?」
美鈴の言葉にハシモトが頷く。
「人気漫画家の愚痴というやつを聞きにいってきます」
「愚痴ねぇ……」
「ハシモト係長、明日の納品分って、これでいいですか?」
そう答えたハシモトの背後から、段ボールを抱えた梅嶋が声を掛けてきた。
「私の方で伝票との突合は終わっているけど、明日の積み込みの時に再度確認をお願いします」
「了解です」
ハシモトの言葉に梅嶋は頷くと、隣にある作業部屋へとそれを運んでいく。その姿に美鈴は思わず苦笑した。
「ちょっとは係長らしくなってきたかしら?」
「部長のおかげですよ」
「別に締め日前ってわけじゃないから、どうぞ。だけど――」
「明日は少し早出で――」
慌てて言いつくろったハシモトに対して、美鈴は首を横に振って見せた。
「そうじゃないわ。たまには私の、上司の愚痴にも付き合いなさい」
美鈴はハシモトにそう答えると、ノートパソコンに映る注文書へ視線を戻した。
今日もまだ、世界は続いている。
《完》