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エピローグ ~その1~

ラノベ的カジュアル版。著者の脳内エンドロールは、エド・シーラン兄貴の「Shape of you」です。

「ただいま」


 玄関を開ける際に、そう声を掛けてから、ハシモトは自分に苦笑いをした。まだハデスがここに居候していた時の癖が抜けていない。


 (ハデス)がいなくなり、名残雪の季節はおろか、もう桜が咲く季節すら過ぎてしまっている。そうだ。ハデスがいなくなってから、あの不思議な出来事が起きてから、それだけの月日が過ぎてしまったのだ。


 麗奈は未だに、羽田の居場所を知らないかとしつこく聞いてくるが、ハシモトはもちろん知らないし、あんな非現実的な存在について、何かを知りえる様な立場でもない。ただの医療材料卸に勤める、さえない中年独身男性だ。


 それに小説の投稿も続けてはいるが、未だにPVは全く増える気配すらない。ただ一人、冷酷な批評を送ってくる読者もどきは存在する。


『どこかで、早めの夕飯でも作っているのだろうか?』


 頭に浮かんできたあれやこれやを払いつつ、靴を脱ぎながらハシモトはそんなことを思った。だがすぐに異変に気が付く。その鰹節の香りは、間違いなく自分のアパートの狭い廊下から漂って来ている。ハシモトは慌てて顔を上げた。


「ちょっと、ハデスさん。一体何をやっているんですか?」


「見ればわかるだろう。出汁をとっているんだよ」


「それは見れば分かりますけど、世界を滅ぼすのはやめたんじゃなかったんですか?」


「やめる? それはこの世界線における、私の専任事項だから、やめる訳にはいかないね」


「でも――」


「君は何か勘違いをしていないかい? あくまで保留しているだけだよ。それよりも……」


 そう言うと、ハデスはハシモトに小皿を差し出した。そこにはハデスが仕込んでいたらしい出汁が、うっすらと乗っている。


「あと数粒の塩を入れるべきかどうかについて、君の意見が欲しいんだ」


「あの、もしかして、個人的にやり残したとか言っていたのって?」


「もちろんこれだ。これは世界を滅ぼすなんてより、はるかに難しい、まさに世界線の裁定に匹敵する技だよ」


 ハシモトはハデスから小皿を受け取ると、それを一気に飲み干した。口の中に鰹節に昆布、醤油、それに砂糖、もしかしたらみりんかもしれないものが醸し出す、なんとも言えない味と香りが広がっていく。だが東北出身のハシモトにはちょっとだけ物足りない。


「どうかね?」


「あと一つまみ、塩を入れた方がいいと思います」


 ハデスがその芸術作品みたいな顔に、いつもとは違う、真剣な表情を浮べて頷いて見せる。ハシモトはこれ以上何か言うのを諦めると、棚から茶碗と箸を取り出し始めた。


 今日もまだ、世界は続いている。




「ふう」


 坂本麗奈は、液タブを前に大きくため息を漏らした。依頼の締め切りは明日だというのに、そこには僅かに線が一本描かれているだけだ。


 羽田が自分の前から姿を消してから、一体何日が過ぎただろう。世界の全てが虚ろに思えてくる。本当は永遠に泣き続けたいのだが、泣きすぎたらしく涙が出て来ようとしない。


 もちろん麗奈は羽田が自分から去るなんてのを素直に認めたりはしなかった。アパートの前に陣取り、何があってもその後を追いかける気まんまんでいた。だが一向に外へ出てくる気配がない。


 慌ててモブ(ハシモト)を問い詰めると、一言、彼はもう行きましたよと答えただけだった。首を絞めようが、蹴っ飛ばそうが、それ以上は何も答えない。部屋の中に押し入って、ありとあらゆる隙間を覗きもしたが、やはり彼がいたこと自体の気配が消えてしまっていた。


 その意趣返しに、ハシモトの投稿へ日々欠点を指摘してやるのが、麗奈の日課になっている。


「ふう」


 麗奈は再度ため息をついた。そして生きていさえすれば、もう一度彼に会えるかもしれないと、自分で自分を慰める。その為には、生きていく何かに努力を傾ける必要があるのだ。麗奈はそう心に告げると、ペンを液タブの上へ置いた。


 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン


 その時だ。玄関の方からけたたましく呼び鈴が鳴り響く。麗奈は液タブから顔を上げると、眉間に皴を寄せた。


 羽田さんに会う為の努力の邪魔をする奴は誰だ? いつもなら単に無視するだけだが、文句の一つも言わないと気が済まない。麗奈はペンを放り投げると、足早に玄関へと向かった。


「ちょっと、人の邪魔をしないで――」


 だが思わずそこで言葉を飲み込む。


「お邪魔するわね」


 麗奈の目の前にいる人物は、つかつかと勝手に部屋の中へと入り込んでいく。麗奈は慌ててその背後を追いかけた。


「ここにこたつは無いの?」


「こたつ? 何を言っているの? そんな貧乏くさい物、私が置く訳ないでしょう。それにもうそんな季節は――」


「それは残念ね。あら、これはあなたの作品?」


 侵入者は本棚の隅でほこりを被っていた本を手に取ると、それを麗奈の方へ差し出した。


「ちょっとおばさん! 勝手に人の部屋に入ってきたうえに、勝手に人の物をあさるのはやめてくれない?」


「でも、片付けぐらいはした方がいいと思うわよ。流石に下着をそのまま、床に置いておくのはどうかと思うの」


 そう言うと、瀬須は床に落ちていた麗奈の下着を手に取ろうとする。麗奈は慌てて腕を伸ばすと、今朝着替えてそのままになっていた下着を奪い取った。


「遠慮しなくていいのよ。これからここに厄介になるんだから」


「おばさん、何を寝ぼけているの! どうして私があんたと、ここで一緒に暮らさないといけないのよ!」


 そう叫んだ麗奈に向かって、瀬須は小首を傾げて見せた。


「それが彼にとっても、一番いいと思うのだけど……」


 その言葉に、下着を振り上げて抗議していた麗奈の手がピタリと止まる。


「彼って、羽田さん!?」


「そうよ。彼は未だに世界を終わらせようとしている。それを諦めた訳ではないの」


「ちょっと、相変わらず頭に何か変な物でも沸いているの?」


「それは本当の事よ。でも……」


「でも?」


「あなたが彼を篭絡できれば、考え方を変えるかもしれない」


「篭絡? それって――」


「彼が世界を滅ぼすことなんかより、あなたに興味を持てば、世界は救われる。そうでしょう?」


 瀬須の言葉に、麗奈は大きく頷いて見せた。


「そうです。その通りです!」


「では、麗奈さん。これからよろしくね!」


「はい。お姉さま、こちらこそよろしくお願い致します!」


 今日も世界は私の()に続いている。


《完》

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