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サイコパス ~その9~

「今日来るとは聞いていましたけど、こんな遅い時間とは思っていませんでしたよ」


 病院の通用口の若い警備員が、受付簿にサインするハシモトへ、そう声を掛けた。それはそうだろう。緊急の機械の修理でもなければ、こんな夜中にやってくる業者などいない。


「すいません。こちらも急な呼び出しだったもので、色々と準備や確認に手間取ってしまいました。ミスると導入スケジュールに影響がありますから……」


 だが丁度システム入れ替えのタイミングと重なったのと、美鈴が事前に連絡をしてくれたことで、この時間でも作業に入れたのはまさに僥倖だった。


「そちらのお嬢さんは?」


 警備員が少しぼーっとした表情をしながら、背後に立つ麗奈の方を眺めた。


「はい。うちの新人で今日の手伝いです」


「坂本と申します。よろしくお願い致します」


 麗奈が本名を名乗って、警備員に向かって丁寧にあいさつをして見せる。何か偽名を考えたらと言ったハシモトに対して、麗奈は首を横に振って見せた。どうせバレバレなんだから、余計なことはなしと言うことらしい。


「新人とはいえ、こんな夜遅くに作業だなんて、大変ですね」


「いえ、仕事ですから」


 そう笑顔で答えた麗奈に対して、警備員が相好を崩して見せた。同時に中年上司に連れまわされている、かわいそうな娘とでも思ったのか、ハシモトの方を非難めいた眼差しで眺めもする。


 ハシモトとしては完全に騙されているぞと言う気分だが、初めて麗奈に会った時の自分も、彼と同じであったことを思い出した。


「行先は資材倉庫だけでいいですよね?」


 警備員がハシモトの署名の横にハンコを押しながら聞いてきた。もちろん今日の目的はそこではない。


「いえ、病棟側もチェックすることになると思います。お手数ですが、そちらへも連絡をしていただけると助かります」


「それじゃ、こちらのエレベーターカードを使ってください」


 そう言うと、警備員は「来客用:01」とテプラが張られたICカードをハシモトに渡してきた。そして受付簿に、カード:01と書き込む。


 これで病棟まで上がる手段は確保した。だがこれで入れるのは病棟があるフロアまでだ。彼がいる場所に入るには、ナースステーション横の鉄の扉を潜り抜けないといけない。


「作業予定時間は?」


「そうですね。とりあえずは二時間ということでお願いします。遅れるようなら――」


「その時は内線05で連絡をお願いします」


「はい」


 そう答えると、ハシモトはバーコード読み取り機や、ノートPCが入ったカバンを肩に担いで、奥の業務用のエレベータへ向かった。若い警備員が麗奈の後姿を眺めているのが目に入る。


 見かけに関してだけ言えば、麗奈がそうして眺めたくなる対象であることは間違いない。それに何故かスーツを着ている方が若く見える。ハシモトは警備員に軽く会釈すると、カードキーを差し込んで地下のボタンを押した。


 扉が閉まるとすぐに、エレベーター内に設置された案内板へと目を走らせる。そこには「3F:閉鎖病棟」と書かれていた。


「夜の病院って、本当にホラー映画なみね」


 開いたエレベーターの扉の先を見た麗奈が、小さく声を上げた。目の前には、緑の非常灯だけが付いた真っ暗な廊下がある。この病院はハシモトの直接の担当ではないが、職業柄、病院の構造がどうなっているかぐらいは分かっている。


 だいたい病院の地下室にあるのは、定番のボイラー室を除けば、霊安室にサーバールーム、資材置き場と相場が決まっている。もちろん夜中に人気などない。


「夜中のオフィスも大して違いはないですよ。こっちです」


 ハシモトはエレベータ横のフロア案内図を見て、左側にある扉を指さした。入口にあるカードキーへICカードをかざすと、緑色の小さな光が点灯し、カチャという音と共に鍵が開く。ハシモトは部屋の中の一番手前の照明だけをつけると、部屋の奥へと向かった。


 そこには大きなスチール製の棚が並べられており、下の方には段ボールの大きな箱が、その上にはばらされた様々な医療材料入りの箱が並べられている。ハシモトは携帯の電灯をオンにすると、棚に置かれた段ボールを確認していく。そして一番奥の棚に目的のものを見つけた。


「どっちがいいかな?」


 ハシモトはそう呟くと、おもむろにその箱を開けた。箱の中には衣類が収められている。


「勝手に開けても大丈夫なの?」


 麗奈の問いかけにハシモトが頷いて見せた。


「まだうちの会社のものですからね。富山の薬売りと同じですよ」


 病院に侵入している身としては、何をいまさらという感じだが、少なくともこれについては、病院に対する窃盗にはならない。ハシモトは患者用の水色の服を戻すと、箱の中から白い男性用と女性用の看護服を取り出した。


「まさかこれを着て病室へ行くわけ?」


「どちらかと言えば、病室に行った後で使うことになるかもしれません」


「サイズは……、麗奈さんはSでいいですよね。それとサンダルも用意しないとばれるか。彼はやっぱりXLになるかな……」


「そうね。多分これで大丈夫よ」


 ナース服を胸元にあてた麗奈が、ハシモトに頷いて見せた。だがすぐに額に眉間を寄せる。


「ちょっと、何をいやらしい目でみているのよ」


「意外と似合うと思っただけです」


 そう口にはしたが、ハシモトの頭に、ナース服を着た麗奈の謎な妄想が浮かんでくる。だが今はそんなことを考えている場合ではない。


「時間がありません。病棟に上がります。その服は麗奈さんのバックの中にいれておいてください」


「二時間はあるんじゃないの? もっと遅い時間の方がよくない?」


 ハシモトの言葉に、麗奈が不思議そうな顔をした。


「大体の病院は10時から深夜シフトに切り替わります。切り替わった時に、引継ぎも兼ねて病棟の見回りにいくはずです。それに夜勤が帰宅する時間でもありますから、警備室の連中がそれに気を取られて、あまりモニターを見ていない可能性も高くなります」


「でも羽田さんの病室は分かっているの?」


「部屋までは分かりませんが、フロアなら分かります」


「どこなの?」


「間違いなく、閉鎖病棟ですよ」




 荷物用のエレベーターの扉が開くと、先程同様に、非常口の緑の灯りに照らされた薄暗い廊下が現れた。違うのは廊下の先に明るい光が漏れている。そこには普通の病棟と違って、ガラスで囲われたナースステーションがあった。その横には閉鎖病棟らしく、大きな金属製の扉も見える。


 ハシモトはバーコードリーダーを片手に持つと、麗奈へ後に続く様に合図した。中には男性のかなり体格のいい看護師が一人、パソコンに向かって何やら入力をしているのが見える。


 最低でも二人は詰めているはずなので、やはり一人は病棟の見回りにでもいっているのだろう。ハシモトは音が響く呼び鈴ではなく、ガラス戸を小さくノックした。


 その音に看護師が背後を振り向く。そしてちょっと驚いた顔をしたが、ハシモトが手にするバーコードリーダーを見て、すぐに納得したような顔をした。


「こんな遅い時間に大変ですね」


 そう告げると、男性看護師はハシモトとその背後にいる麗奈を眺めた。


「我々もみなさんと同じで、ある種のサービス業ですので……」


 ハシモトの答えに看護師が頷いて見せる。


「お互い面倒な仕事を選んだものですね。そちらは――」


「はい。一人ですと帳簿のチェックが面倒なので、新人のアルバイトを連れてきました」


「よろしくお願いいたします」


 丁寧に頭を下げた麗奈に対して、看護師が顔をほころばせる。どうやら麗奈は彼にとっても気になる存在らしい。


「在庫の棚はどちらでしょうか?」


 ハシモトはそういいながら部屋の中へ視線を向けた。さっき扉を見たときには鍵はカード式だった。もちろん自分が借りたカードキーではその扉が開くとは思えない。だがこの部屋のどこかに、予備のキーが置いてあるはずだ。


「えっと、棚の鍵は――」


 看護師はそういいながら、ポケットから出した鍵で、ナースステーションの机の引き出しを開けると、中から棚の鍵を取り出した。その横に白いカードキーがあったのを、ハシモトは見逃さない。ハシモトは看護師が引き出しに鍵をかける前に声を掛けた。


「そんなに時間はとらないと思います。一通りロットの確認をしますので、棚の鍵をお借りしてもいいですか?」


 看護師は頷くと、鍵をハシモトへと渡した。すぐに終わると思ったのだろう。机の鍵はそのままだ。


 ハシモトは鍵を受け取ると棚の扉を開けた。看護師は看護日誌の確認でもしていたのか、再びパソコンの前へと戻っている。ハシモトは棚からカテーテルの箱を取り出しながら、ノートパソコンの画面を開いた。


『本当にやるのか?』


 心の中で誰かの声が聞こえた。その声に入力しようとしていた手が止まる。


『今ならまだ引き返せる』


 再び声が響く。その通りだ。どう考えても良識ある大人のやることではない。それに本人がなんと言おうが、本当に麗奈まで巻き込む必要などあるのだろうか?


 ハシモトは隣で箱を取り出している麗奈に視線を向けた。その目には迷いなど全く感じられない。そうだ。これは自分の為だけじゃない。


『やるんだ』


 心の中の自分にそう宣言すると、ハシモトはパソコンのキーボードを叩いた。そしてその画面を麗奈の方へ向ける。


「この番号との突合をお願いします」


 そこには「看護師を外に連れ出せ」と表示されている。


「あ、はい」


 画面を見た麗奈が、ハシモトに小さく頷いた。正直なところ、ここを突破できるかどうかは麗奈に掛かっている。


「すいません!」


 麗奈は立ち上がると、パソコンに向かっていた看護師に声をかけた。


「お手洗いはどちらになりますでしょうか?」


 振り向いた看護師に対して、麗奈はタイトスカートの皴を直しながら言葉を続けた。


「そちらの廊下をまっすぐ行くと、途中の左側にあります」


 看護師が麗奈に向かって手を挙げて説明する。麗奈はその指の先へ視線を走らせると、再び看護師の方を振り返った。


「あの、真っ暗でよく分からないのですが……」


 看護師は苦笑しながら席を離れると、扉を開けて左側の方を指さした。


「すいません。やっぱりよく分からないというか、暗い所が苦手でして……」


 看護師に向かって、麗奈が「てへ」というあどけない顔をして見せる。それを見たハシモトは、初めて麗奈に会ったときの事を思い出した。同時にやはり女性はある種の魔物なのだとも思う。


「ではそこまで案内しましょう。それに照明の位置も分かりにくいかもしれませんね」


 ぐずぐずなどしてはいられない。二人がナースステーションを出たのを確認してすぐに、ハシモトは動いた。用意しておいた、下に荷物を取りに行きますと言う紙を机の上に置く。そして引き出しの中からカードキーを取り出した。


 ハシモトはすぐに扉に向かおうとしたが、ナースステーションの天井の隅に、赤いランプとスピーカーがあるのに気づく。間違いない。扉を開けると何らかの警報が出る仕組みになっている。だが夜間の出入りの時などの為に、どこかにそれを切るスイッチがあるはずだ。


『どこだ?』


 ハシモトはさして広くもないナースステーションの中を見回した。先ほどのパソコンの近くに黒いスイッチがあるのを見つける。そこには「警報」という小さなラベルが張ってあり、それを切りの位置へと移動すると、左耳に入れたイヤフォンから、スイッチの切れるバチンという音が響いた。


 パソコンにBluetoothでつないだイヤフォンは、問題なく動作しているらしい。金属の扉の先なので、どこまで使えるかは分からないが、近くに戻れば、こちら側の様子を確認できるはずだ。


 ハシモトは再び廊下を見回すと、足音を立てないよう脱いだ靴を片手に、ナースステーションを飛び出した。

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