サイコパス ~その8~
「これって、なんか変じゃない?」
麗奈は殺風景な営業車の助手席で体をひねると、自分の衣装を肩越しに覗いた。その顔には怪訝そうな、そして少し恥ずかしそうな表情を浮かべている。
「いや、普通に着れていると思いますけど」
ハシモトはちらりと横目でその姿を見ながら答えた。麗奈はいつものゴスロリ衣装ではなく、急遽買い求めたスーツを身に纏っている。それに髪型も赤いリボンを解いて後ろに下ろしたままだ。ある意味、年相応の普通の格好とも言えた。
「似合っていますよ。でもなんでですかね、コスプレ感が満載なのは」
「はあ? あんた私を馬鹿にしているの?」
思わず本音の一言を加えてしまったハシモトを、麗奈がじろりと睨んだ。ハシモトはとある場所で、麗奈にヒールで打たれたのを思い出し、思わず腕を頭の上に上げそうになる。だが麗奈はそれ以上何も言うことなく、ただ大きくため息をついて見せた。
「でもそうよね。自分でもなんかそんな気がするもの……。それにとっても肩がこる」
そう言うと、シートの上で大きく伸びをして見せた。そしてダッシュボード横の灰皿に目を止める。
「たばこを吸うんだ。意外――」
「いえ、私は吸いませんよ。金がないですからね。この車を普段使っているのは、会社のもっと若手の奴です。本当は禁煙ですが、客が吸うとか理由をつけて、吸っているんでしょうね」
梅嶋が捨て忘れたのか、何本かの吸い殻がそのままになっており、そのうち一本には赤い口紅がついていた。ハシモトは営業車で何をやっているんだと思ったが、一方でそんなことが出来る、梅嶋の若さと度胸を羨ましくも思う。
「モブ?」
「なんです? それにハシモトですよ」
「どうでもいいことに細かい男ね」
麗奈はハシモトの手伝いのアルバイトと言う設定だ。間違っても院内でそんな呼び方をされたりすると、とってもややこしいことになってしまう。
「自分の名前ですからね、どうでもいいことにはならないと思いますけど?」
ハシモトの言葉に、麗奈は唇を尖らせたが、思い直した表情をすると、再び口を開いた。
「モブは恋人とかいたの?」
「はぁ?」
あまりに意外な質問に、ハシモトは助手席の麗奈の顔をまじまじと見つめた。
「さすがにいい年なんだから、女性の一人や二人ぐらいと、付き合ったことぐらいはあるんでしょう?」
そう目を輝かせて聞いてきた麗奈に、ハシモトはうろたえた。作り話の一つでもしてごまかしたいところだが、麗奈相手ではそれが通じるとも思えない。
「どうしていい年をしていると、付き合っていた事になるんですか?」
「もしかして、ないの?」
「いけませんか?」
ハシモトは少し拗ねた声で答えた。このような話しで、麗奈みたいに若い子にいじられるのは、決して気分のいい話ではない。それにハシモトは昔から恋愛ネタや下ネタがきらい、いや、全く出来ない質だった。
「ふーん」
だが麗奈は腹を抱えて笑うことなく、フロントガラスを見ながら、納得した様な声をあげた。
「私と同じなんだ」
「えっ?」
驚きの声を上げたハシモトに対して、今度は麗奈がすねた表情をして見せる。
「男と寝たことがあるのと、恋人がいたかどうかは別の話よ。私にとっては羽田さんが初めて、はじめて本気で好きになった人。だから彼が私の初めての恋人」
そう言うと、今度は少しはにかんだ表情をして見せた。
「まだ付き合っていないだろうとか、突っ込んだりはしないの?」
「しませんよ。うらやましいと思っただけです」
そう答えると、ハシモトは思わず口元を緩めた。態度と言葉遣いにはかなり問題はあるが、この子が一途で純情な事に間違いはない。
「うらやましい?」
「そうですよ。それだけ好きになれる相手が見つかったんですから」
「そうね。本当にそう。だから私は何があろうが羽田さんを救う。その為なら、世界の全てを敵にまわしてもいい」
そう告げた麗奈の横顔に、ハシモトは聖女として振る舞っていた麗奈の姿を思い出した。あれは羽田が自分に催眠で見せた、単なる幻だったと言うのだろうか?
そこで見たフレデリカの雛菊みたいな笑顔も、その全てが夢の出来事だったとは到底思えない。そうだとすればあまりに出来すぎだ。
ハシモトは通り過ぎる車のヘッドライトに照らしだされた麗奈の横顔を見ながら、彼女に言うべきことがあったのを思い出した。
「そう言えば最近、私も人生で初めてのことがありました」
「なに? 馬券でも当たった?」
「違いますよ。投稿小説に、初めて感想をもらったんです」
「へー、それは良かったわね」
麗奈がめんどくさそうに同意して見せる。ハシモトはそのわざとらしい仕草に、思わず苦笑いをしてしまった。
「麗奈さんでしょう? 感想をくれたの」
「えっ? なんで私があんたなんかに――」
「分かりますよ」
ハシモトの言葉に、麗奈は観念したみたいに両の掌を上げて見せた。
「あんたがくだらない話に時間をかけているから、警告してやっただけよ」
「でも最後まで読んではくれたんでしょう?」
「まあ、一応はね。おかげで本当に無駄な時間を使ったわ」
「ありがとうございます」
ハシモトは自分の初めての読者に向かって、深々と頭を下げた。
「そんなことより、本当にいいの?」
その声にハシモトは頭を上げた。
「下手したら首でしょう?」
麗奈の問いかけに、ハシモトは頷く。
「下手しなくても首です。それどころか警察沙汰でしょうね。でもやらなかった方が、もっとひどい目に会う気がするんです。それにですね――」
「それに何なの?」
「今が人生で一番充実している気がします」
気が付くと、いつの間にか麗奈の顔がハシモトの目の前にあった。その黒曜石を思わせる漆黒の瞳が、じっとハシモトを見つめている。
「麗奈さん?」
不意に麗奈の唇がハシモトの頬に触れた。
「ありがとう。私もあなたには感謝している」
「その台詞は無事に彼に会えてからにしてください」
ハシモトは頬に残る麗奈の唇の温かみに戸惑いながら、何とか言葉を絞り出した。同時に、本当につまらない台詞しか言えない男だとも思う。確かにこれでは読者などつかないのは当たり前だ。
『世界があなたを変えれば、あなたは世界を変えられる』
思い出せないぐらいに前、まだ自分に若さがあったかもしれない時に読んだ、チェ・ゲバラの言葉だ。ハシモトの前にハデスが現れたことで、そして麗奈が現れたことで、間違いなく自分は変わった。そして今度は自分がそれを、世界を変える番だ。
その為には何としても彼に会って、何が真実なのかを確かめなければならない。
「深夜シフトの時間になりました。彼を救いに行くとしましょう」
ハシモトは麗奈に向かってそう言葉を掛けると、営業車のドアロックを外した。