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サイコパス ~その7~

「た、田島課長……」


「こんな時間に何をしているの?」


「あ、あの、例のシステム入れ替えの対応って、まだ終わっていないですよね?」


「もちろんそうだけど……」


「無断欠勤してしまって、皆さんにご迷惑をかけてしまいました。その罪滅ぼしに、今から現場の手伝いにいきます。ぜひ行かせてください!」


「今から? それに今日はリハーサルが終わったところだから、特に何も作業はないわよ」


「えっ、何もないんですか?」


 美鈴の答えに、どういう訳かハシモトがとてつもなく狼狽えた顔をした。美鈴としては、たとえ作業があったとしても、ハシモトがいた方が作業が遅くなるだけだと思ったが、流石にそれを口にしたりはしない。


「そうよ。後は本番を待つだけ。それに昔と違って、今は深夜残業をするようなスケジュールなんて、組んだりしないわよ」


 そんなことになるとすれば、それは作業者側ではなく、段取りを組む側、つまりは美鈴の無能と言う事になる。


「雑用でも、運搬でもなんでもいいので、何かありませんか!」


 普段のいい加減さや、やる気の無さはどこに置き忘れて来たのだろう。ハシモトの執拗さに美鈴は面食らった。


「ハシモト君。あなたはもともとスケジュールの遅れなんて、気にするような人じゃなかったわよね。それに手に持っているのは何?」


 ハシモトが慌てて後ろに隠そうとしたOA用紙を、美鈴は素早く奪い取った。ハシモトが取り返そうと必死に手を伸ばすが、そんな緩慢な動きに遅れを取るような美鈴ではない。


「仏ヶ浦精神病院御中――」


 紙には病院への連絡票が印刷されている。


「何を勝手に、しかも緊急のロットチェックの依頼なんてかけているのよ!」


 その内容に目を通した美鈴が声を上げた。


「えっ、あ、あの、休む前に納品したやつのロット番号を間違えていた気がしまして――」


「はあ? そもそも仏ヶ浦はハシモト君の担当じゃないでしょう?」


「わ、私の担当の納品物と取り違えた気がするのです」


「何を馬鹿な事を言っているの? 担当が積み込み前にバーコードチェックしているから、そんなのあり得ない」


 そう声を上げた美鈴の前で、ハシモトがいきなり土下座をして見せた。


「ちょっとハシモト君、何をしているの!?」


「田島課長、どうか仏ヶ浦に行かせてください!」


「手伝いやロットチェックが目的じゃないわね。一体何が目的なの?」


「羽田です」


「羽田さんって、ハシモト君のアパートに居た彼?」


 ハシモトの台詞に、美鈴は当惑した。


「そうです。彼が警察に保護されて、仏ヶ浦に入院させられました」


 ハシモトの台詞に、美鈴の頭がさらに混乱する。今日はどうしてこうも、訳が分からない事ばかり起きるのだろう。


「あそこは精神病院よ。それもどちらかと言えば、重度の患者専門で、入院患者が主体のところのはず。どうして彼が、いきなりあそこに入院することになるの?」


「病院の主治医の説明では、彼はもともとそこの患者で、無断離棟して、捜索依頼が出てたという話でした」


「彼が? とてもそうは見えないけど。病名は聞いたの?」


「サイコパスだそうです」


「サイコパス!?」


 ハシモトの告げた病名に、美鈴は思わず声が裏返りそうになった。一体彼のどこが、反社会性精神障害者なのだろう。強いて言えば、あまりに美男子すぎるぐらいしか理由が思いつかない。


「何か話を作っているわけじゃないわよね?」


「はい。課長が駅に戻るときに、警察の車両が走っていたと思います」


 美鈴はハシモトの言葉に頷いた。確かに単なる事故とは思えない数のサイレンが、けたたましく鳴り響いていたのを思い出す。


「あれは羽田を保護するために、出動してきた車両だったんです」


 ハシモトの言葉に美鈴は言葉を失った。あれだけの車両が出てくるというのは、一患者を保護するためだけとは到底思えない。


「残念ながら、私がアパートに戻った時には、彼はすでに病院へ搬送された後でした」


「分かったわ。知り合いの弁護士を紹介するから、その人に相談して――」


「それじゃ間に合いません!」


 ハシモトはそう声を荒げると、普段の何を考えているのかよく分からない表情とは全く違う、何かに取りつかれでもした目で美鈴をじっと見つめた。


「病状が悪化するとか?」


「病状云々の前に、色々と辻褄が合っていないんです。ともかく真実を知りたいのです。それには直接会って、彼に直に聞かないといけないんです」


 そう言葉を続けたハシモトの目は、美鈴に狂気の色さえ感じさせる。


「ハシモト君、本当にどうしたの。そんなことをしたら、会社を首になるだけじゃない。あなたが警察に捕まることになる。この会社だって、信用を失って潰れるかもしれないぐらいのことよ」


 美鈴の言葉に、ハシモトは首を縦に振って見せた。


「ご迷惑をおかけすることは承知しています。それでも行きます」


 そう言うと、ハシモトは美鈴に一枚の封書を差し出した。そこには辞表届と書いてある。


「本気なの? それにこんなものを出したって何も――」


「はい。それもよく分かっています」


「本気なのね」


 美鈴は上着のポケットに入れていた携帯を取り出すと、そのロックを外した。


「あ、あの、課長……」


 警察に電話するとでも思ったのだろうか、美鈴の前でハシモトがうろたえた顔をする。美鈴はハシモトに向かって手で大丈夫と合図をすると、携帯を耳へ当てた。数回の呼び出し音の後に、電話が先方へと繋がる。


「興医材の田島です。遅い時間に申し訳ございません。はい……、その件ではなく、リハーサルで持ち込んだ材料が、納品物と混在した可能性がありまして、いえ、帳簿上はあっているのですが、目視で確認をさせていただければと……、はい……、ハシモトという担当に今すぐ行かせますので、よろしくお願いいたします」


 美鈴は日本人らしく、電話口の向こうの相手にお辞儀をすると電話を切った。そして依頼書を手にFAXの前へ移動すると、短縮番号を押して、一瞬だけ躊躇した後に送信ボタンを押す。


「課長?」


 ハシモトがさっき電話をしようとした時よりも、さらにうろたえた顔をして美鈴を見ている。


「ハシモト()()、ごめんなさい。私はあなたの事を見くびっていたわ。いえ、正直に言えば馬鹿にしていた」


「当たり前のことだと思いますけど」


「私は私自身で、自分というはっきりしたものを持っている訳じゃないの。だからハシモトさん、それだけの覚悟を決めている今日のあなたは、少し羨ましく見えるわ」


 美鈴の台詞に、ハシモトがぽかんとした顔をする。


「それでも自分で自分を騙し切れると思っていた。つまりは過信していたのね。でもそのうち分かったの。流されることに耐えることも出来なければ、打ち破ることもできない。とってもちっぽけで無力な存在だって」


「そ、そんなことはないです。この会社はみんなが課長の事を頼りにしています。私なんかとは違います」


「それは周りの私に対する単なる感想、いわゆる幻想という奴よ」


 そう言うと、美鈴はハシモトに向かって肩をすくめて見せた。


「梅嶋君は明日午前半休よ。だから営業車を使うのなら、三号車を使って。それとさっさとここを出て病院に行って頂戴。間違いなく気の迷いだから、うろうろしていると、すぐに後悔するわ」


 そうハシモトに告げると、美鈴は自分の席に戻って、愛用のトートバックを肩に担いだ。


「ここの鍵も忘れずにお願い!」


 ドア越しにハシモトに声をかけると、美鈴はハシモトの返事を待たずに階段を駆け下りた。間違いなく首に、それどころか会社を潰すようなことをしているのに、言葉に出来ないぐらいに自分の心は高揚している。


「今の私を見たら、あの人はなんて言うかしら?」


 きっと言葉など何も出てこないはずだ。美鈴は思い出せないぐらい久しぶりに、口元に営業用ではない笑みを浮かべた。そうだ、誰かが世界を壊してくれるのを待つ必要などない。自分で壊せばよかったのだ。

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