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サイコパス ~その3~

「何か私に言う事はないの?」


 美鈴は慌てた様子で戸口に立つ、ハシモトに声を掛けた。


「あ、あの、はい。ごめんなさい」


『お前は小学生か!?』


 そう言って頭を下げたハシモトに対して、美鈴は心の中で突っ込んだ。


「それで、この三日間何をやっていたの? 聖蒼会のシステム入れ替えの件で、うちの課がてんやわんやなのは分かっているでしょう?」


「あ、はい。あのですね……」


 本当に小学生の子供でも相手にしている気分だ。同時に忙しい中、ここまで足を運んできた自分が、馬鹿らしくもなってくる。


「いい加減に――」


 美鈴の中で何かが切れて、怒鳴りつけそうになった時だった。


「おや、お客さんかな?」


 不意にハシモトの背後から声が響く。それは裏返って、妙に甲高いハシモトの声とは違い、とても理知的に聞こえた。


 美鈴がハシモトの背後を覗き込むと、そこにはアパートの入り口がとても低く思える、長身ですらりとした男性が立っている。


「入り口で立ち話でもなんですから、中に入ってもらっては?」


 そうハシモトに告げると、男性は美鈴に笑みを浮かべて見せた。


「どなた?」


 美鈴は目の前で体を硬直させているハシモトに問いただした。美鈴が知る限り、ハシモトは一人暮らしをしていたはずだ。


 それがファッション雑誌の表紙を飾りそうな男性、どう考えても、こんな一人暮らし向けの安アパートなど似合いそうにもない男性がいる。しかも三日も無断欠勤をしていた男のアパートに?


 普段は物事の因果が明確に見えているはずの美鈴の頭に、「?」が山ほど湧き上がってくる。


「はじめまして、羽田と申します。ハシモトさんの所に、しばらく前から同居させていただいております」


 男性はそう告げると、美鈴に片手を差し出す。美鈴はその姿に素直に見とれた。けれどもそこから感じるのは、生身の一人の人間と言うより、本当に彫像が動いているのではないか、そう思えるような造形美だ。


「は、はじめまして田島です」


 美鈴は慌てて差し出された手を握ると、挨拶を返した。同時に何か違和感の様なものも感じる。相手がイケメン過ぎる男性だからだろうか?


 だが美鈴はすぐにそうではないことに気が付いた。彼からは男を感じないのだ。男性から見られる時に感じる、性的な視線を彼からは全く感じられない。


『まさか、そういう関係なの?』


 美鈴は思わず目の前のハシモトの顔と、背後に立つ羽田と名乗った男性の顔を相互に見つめた。ハシモトはと言うと、ぽかんとした表情をしながらも、会社にいる時同様に、美鈴の胸元へ視線を向けている。それを見る限り、そのような関係とも思えない。


『訳が分からない……』


 そこで美鈴は先ほど会った謎というか、かなり痛い女の台詞を思い出した。


『間違っても、色目なんて使わないで頂戴……』


 確かそう言っていたはずだ。羽田という人物はあの女性のストーカーにあっていて、ハシモトの所へ身を隠している。そうでも考えないと辻褄が合わない。いずれにせよ、本人から直接事情を聞くのが一番だ。


 美鈴はハシモトの状態だけ確かめられれば、すぐにでも会社に戻るつもりでいたが、予定を変えることにした。こんな訳の分からないものをそのままにしていては、仕事など手につかない。


「お茶のお誘いはうれしいのですが、社用で来ております。近くの喫茶店で彼、ハシモトさんと少しお話をしてから、会社に戻りたいと思います」

 

「そうですか。楽しいお茶会になりそうでしたが、お忙しいのであれば、仕方がありませんね」


 美鈴の答えに、羽田が小さく頷いて見せた。美し過ぎるせいだろうか、美鈴はそう告げた羽田の表情に、何故か狂気の様なものを感じてしまう。


 美鈴は慌てて羽田から視線を外すと、ハシモトに自分についてくるように手で合図をした。同時にアパートの辺りをじっと伺う。どうやら人が、あの女が潜んでいる気配はない。


 あの女といい、羽田と名乗った謎の人物といい、ただの冴えない中年独身男性だったはずのハシモトの周りで、一体何が起こっているのだろう。


「もしかして、ただの中年独身男性ではない?」


 一瞬だけ、そんな考えが美鈴の頭の片隅を過ぎったが、首を横に振ると、その妄想を忘却の彼方へと追い出した。





 駅の側にあるコーヒーチェーン店は、昼過ぎだというのに、近所の主婦や、新聞を片手にした暇そうな老人たちで意外と賑わっている。ハシモトはその一番隅の座席で、美鈴を前に座っていた。正しくは座らされている。


「体調不良で、三日間寝続けていたということ?」


 ハシモトはそう問いかけてきた美鈴から視線を外すと、テーブルにあるチャイナボーンの白いコーヒーカップを見つめた。


「あのね、今どきの小学生の子供でも、もうちょっとまともな理由を言うわよ」


 そう告げた美鈴の大きなため息が聞こえる。ハシモトとしては正直に答えたつもりだったが、美鈴には逆効果だったようだ。


「それよりも、何か変なことに巻き込まれているんじゃないの?」


「えっ?」


 美鈴の言葉に、ハシモトは冷めたコーヒーから顔を上げた。超優秀な美鈴の事だ。もしかしたら、羽田がこの世界の(ことわり)の向こうにいる存在である事に、気が付いたのだろうか?


「羽田さんだっけ? アパートにいた彼もそうだけど――」


 美鈴はそこで言葉を切ると、まるで映画のシーンのように、注意深く店内や入り口の辺りを見回した。その態度に、ハシモトは思わず生つばを飲み込みそうになる。


「変な女に、付きまとわれていたりしない?」


「ええっ!」


 変な女と言われれば、思い当たる人物は一人しかいない。でもどうして課長が麗奈の事を? いや、相手はあの麗奈だ。会社にいきなり押しかけて行くとかでもしたのだろうか? だけど羽田のところなら分かるが、自分のところに押しかけてくる理由などないはずだ。


「やっぱり心当たりがあるのね?」


「な、何もありませんけど」


「ハシモト君、その程度のこと、私に分からないと思っているの?」


 美鈴はそう告げると、必至に首を横に振るハシモトをジロリと睨んだ。その視線の鋭さに、ハシモトの背中を冷たい汗が流れる。それに美鈴が相当にいらだっていることも分かった。


 本人は気が付いていないが、美鈴がハシモトに対して真剣に呆れている時、その呼び方は「さん」ではなく「君」になる。


「あなたのアパートの近くまで行ったときに、ある人に道を尋ねたの。そうしたらね、その人に言われたのよ――」


「は、はい」


 一体なんの事だろう? 急に振られた話に、ハシモトはとりあえず頷いた。


「色目を使ったら、堤防の先に叩き込むってね」


「ええええ!」


 ハシモトの口から上がった、悲鳴とも驚きとも分からぬ声に、辺りでおしゃべりをしていた人々が一斉に振り向く。そして美鈴を前にしたハシモトを見ると、まるで雨に打たれた迷い犬でも見る様な表情をして見せた。


「お、おかしな人ですね。きっと気温もあがってきて――」


「因みにそれを言われたのは、あなたの部屋の番号を聞いた後よ」


 これではっきりした。いや、はっきりするも何もない。麗奈だ。間違いなく麗奈だ。


「あの羽田さんだけど、その女性からストーカー行為を受けていない?」


「あれだけの容姿ですから、女性の一人や二人に言い寄られるぐらいは――」


「ハシモト君、ストーカー行為を舐めていない? ちゃんと警察には相談にいったの?」


「け、警察ですか!?」


「そうよ。あれは間違いなくやばい人よ。すぐに彼と警察に相談に行って、裁判所に保護命令の申し立てを行うべきね」


「はあ……」


「ともかく無事でなによりだったわ。欠勤の件については、私が受け取っていたけど、未確認だったことにしておく。その代わり、必ず警察に相談にいきなさい。いいわね?」


 そう言うと、美鈴はトートバックを手に立ち上がった。それを見てハシモトは、やっと自分が解放された事に、それに麗奈の美鈴への暴言のおかげ(?)で、自分の無断欠勤が、何とかうやむやになりそうな事にも安堵する。


 しかし美鈴はそこで足を止めると、窓の外へと視線を向けた。そこではパトカーと救急車のサイレンがけたたましくなり響いていて、駅前の通りをハシモトのアパートがある方向へ走り去っていくのが見える。


「何か事故でもあったのかしら?」


「さあ。でも私のアパートの方ですね」


「ところであの羽田さんって、本当に人間?」


 振り返った美鈴がハシモトに尋ねた。


「そ、そうですね。古代ギリシャの彫像みたいですが、多分、いや間違いなく人間だと、お、思います」


「確かにハシモト君の言う通りね。彼はまるでどこかの美術館においてある彫像みたいな人。でもそんな人と知り合いだなんて、ハシモト君、あなたも私の知っているハシモト君なの? 別人と入れ替わっていたりしない?」


「あ、あの……」


「冗談よ」


 店から出ていく美鈴の後ろ姿を見ながら、ハシモトはポケットからハンカチを出すと、いつの間にか滝の様に掻いていた汗をぬぐった。だがすぐにハシモトの手が止まる。


 美鈴はどうして羽田がイケメンだと分かったのだろう。男女含めて、麗奈以外は誰もそれに気が付いていなかったのに?


 ハシモトは慌ててコーヒーショップを飛び出した。まだ近くにいるらしいパトカーと救急車のサイレンの音が、けたたましく辺りに響き渡っている。


 美鈴が何を見たのかを確かめるべく、ハシモトはその姿を探した。だが駅の構内に入ってしまったのだろうか? その姿はどこにも見当たらなかった。

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