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サイコパス ~その1~

「やっぱり学園ものらしく、恋のライバルは複数いた方が……」


 ハシモトはそう呟くと、ノートパソコンの画面から顔を上げて、壁の薄い家具付きアパートの低い天井を見上げた。投稿小説の続きを考えているのだが、基本的にいきあたりばったりで書いているのもあって、完全に行き詰っている。


 もっとも限りなく0に近いPVを考えれば、書けなかったからと言って、世の誰も困る訳ではない。


 それでもハシモトは彼女、赤毛のヒロインの為にない知恵を必死に絞った。何せ本人から続きを書けと言われたのだ。でも頭がガンガン痛むぐらいに考えても、やっぱり何も浮かんではこない。


 ハシモトは続きを書くのを諦めると、サイトのホーム画面へ飛ぶリンクをクリックした。そこに赤い文字が現れたのを見て驚愕する。いや、驚くなんてもんじゃない。体の血と言う血が、逆流して震えるのを感じた。


「か、感想……!」


 この世に存在すると言われつつも、今まで一度も目にすることがなかった存在。それがハシモトの目の前にある。ハシモトは震える手でマウスのボタンをクリックした。


「つまらないです。テンポも悪すぎ。自分が書きたい事だけを書いていて、読む側のことを考えていません。それにヒロインの行動が単純すぎです。もう少し映画を見るなり、小説を読むなりして勉強してください」


 そこに並ぶ一言一句に、ハシモトは何も反論することができない。なぜならそれは、ハシモトが自分で書いていてうすうす、いやよく分かっていた事実そのものだ。


「うううう~~」


 人生で初めてもらった感想から食らったクリティカルヒットに、ハシモトは手にしたマウスを固く握りしめたまま、泣き声ともうめき声ともつかぬ声をあげた。


 これは小学校の時、初めて好きになった子にラブレターを渡そうと道で待っていたら、クラスメイトの男子と、手を繋いで幸せそうに下校する姿を眺めて以来の衝撃かもしれない。


「どうかしましたか?」


 うめき声を上げ続けていたハシモトに、廊下で料理を作っていたハデスが声を掛けてきた。


「なんでもありません?」


「本当ですか?」


「はい。絶対に間違いなく本当です」


 そう告げたハシモトに対して、ハデスが少し怪訝そうな顔をする。


「まあ、それならいいのですけどね」


 そう告げると、手にした小皿に、作っていたらしい出汁を垂らして、ハシモトへと差し出した。


「ちょっと味をみてもらえませんか? あと一つまみ、塩をいれるかどうかで悩んでいるのです」


「その一つまみで、そんなに味が変わりますかね?」


「味覚と言うのは興味深いもので、投入した量に対して連続して変わる訳ではなく、ある時点で大きく変化するものみたいですね。ある意味、世界を裁定するのにも通じます」


「そう言うものですか?」


「そう言うものです」


 ハシモトは小さくため息を一つつくと、ハデスから小皿を受け取って、それをすすってみた。


「ハデスさん? これって、本当に塩が入っています?」


「どうかしましたか?」


「全く味がしないんですけど……」


「おかしいですね。おや、顔色がよくないようですが?」


「はい。何もストーリーが浮かばない上に、あまりに率直な感想を食らいまして……」


「世界の終わらせ方も、そのぐらい真剣に考えてもらいたいところですが、それで味を感じなくなるとは非合理ですね」


 そう言うと、ハデスは少し目を細めてハシモトの顔をじっと見た。そのあまりにも整った顔にじっと見つめられると、首の後ろが熱くなる気がする。


 男性の自分でもそうなのだから、麗奈が入れ込むのも……。いや、いくらハデスに見つめられたからといっても、流石にこれは暑すぎる。


「どうやら余計なものが侵入したみたいですね。それに対する免疫系の働きが十分でないようです。ですが心配する必要はありません。私の方で、あなたの免疫系と他の機能との間の裁定をすることにしましょう」


「あ、あの裁定って?」


「心配いりません。優先度の変更ですよ」


 そう言うと、ハデスは片手をハシモトの額の方へと伸ばす。


「副作用もありますが、最短で回復するはずです。何よりあなたには、世界の終わらせ方を考えてもらわないといけません」


「ちょ、ちょっと待ってください、副作用って!」


「なあに、ちょっと長めに眠るだけです」


 ハデスの手が額に触れた瞬間、ハシモトの意識はいきなり暗闇の中へと放り込まれた。


 * * *


「ハシモトさんからの連絡は?」


「今日も特に連絡はありません」


 その言葉に、田島美鈴は大きくため息をついた。自分より一回り以上年上の平社員というだけでも、十分に取り扱いが面倒なのに、それが無断欠勤して三日目と言う事になると、いくら忙しくても、ほったらかしにしておく訳にもいかない。


「課長の方からも電話はしたんですよね」


「今朝も電話したけど、音信不通なのよね」


「ハシモトさんは独身ですよね。コロナで倒れていたら、やばいかもしれませんね」


 若手社員の言葉に、『洒落にならないじゃない』と言う言葉を美鈴は飲み込んだ。今日も打ち合わせが詰まっているが、社内のものだから、何とかならないこともない。


「午後からの打ち合わせだけど、リスケをお願いしてもいい?」


「いいですけど、例のシステム入れ替えの件ですから、早めにしないとまずくないですか?」


「でもほっとくわけにはいかないでしょう?」


「そうですね。何せ日にちが立つと匂いますからね」


 そう言うと、コネ入社のやんっちゃ気が抜けていない若い社員は苦笑いをしてみせた。


「ちょっと!」


「下でラベルの張替えの手伝いに行ってきます」


 そう告げると、片手をあげて部屋を出ていく。人気のなくなったオフィスで、美鈴は一人またため息をついた。横文字で言えばMSと呼ばれる職業だが、地場の中小卸にはそんな横文字など似つかわしくもない。完全に顧客上位で、日々病院からのコストカットにさらされ続けている。


 バブルの頃は医者の御用聞きをやりながら、一緒にやりたい放題していたなんて時代もあったらしいが、医療と調剤の分離の流れもあり、遠い昔の話だ。


 大手の卸とかは自前でシステムを作って、病院の物流を一気に引き受けるという事をやっているが、美鈴が働く中小ではそれを行う体力などない。むしろ病院が入れたシステムに合わせて、納品することを要求される。それも全く別々のシステムに合わせてだ。


 さらにこの世界では納品だけで話は終わらない。実際は預かり在庫であり、物が病院に移動したというだけだ。病院側が使って、初めて売り上げが立つ。つまりは富山の薬売りと同じ仕組みになっていた。なのでロット管理から検品まで、美鈴達でやらないといけない。


 今月はとある病院でシステムの入れ替えがあり、それの対応でてんやわんやだ。故に無断欠勤などされると、迷惑以外の何物でもなかった。


 もっとも、ハシモトは美鈴の部下の中では一番仕事が遅く、それにうっかりミスも多い。実際は美鈴がその伝票を全てチェックしていた。


 なので、いないと大ダメージかというと、そう言う訳でもない。むしろ手間が減っているとも言える。だからと言って、ほったらかしにする訳にもいかなかった。部下である以上、管理責任を問われる。

 

 美鈴は何度目かになるか分からないため息をつくと、上司権限で人事名簿にアクセスした。確か彼の家はここからは遠くなかったはずだ。


「本当にめんどくさいやつ」


 美鈴は離婚した元夫に対して、いつも心の中で告げていた台詞を唱えると、薄手のコートに手を通して外へ出た。風は冷たいが、日差しは少しづつ春を運んできているのを感じる。そう言えば、こんな感想を抱くこと自体が、とても久しぶりな気もした。


 春めいてきた日差しを楽しむ散歩だと思えばいい。美鈴はそう自分にいいきかせると、駅に向かって足早に歩き始めた。

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