マッチング ~その1~
「何で毎年飽きもせずに同じことをするのかな?」
ハシモトは街を彩るイルミネーションの数々をじっと眺めた。その視線の先ではクリスマスが近いことを示す赤や青の光の渦が、これでもかというぐらいに光りまくっている。
それだけではない。老若男女のカップルが手を繋ぎながらその下を歩いていくのも見えた。足を止めてそれを眺めている若い高校生カップルの後姿などは、ハシモトにとって、どんなイルミネーションなんかよりも目がつぶれそうなくらいに眩しい。
「今がチャンス。本当かねぇ」
そんなことを呟きながら、ハシモトは手にした携帯の白い光に目を落とした。そこにはクリスマスが近づくと出会いが大増加というアプリの宣伝文句と共に、いくつかのメッセージが並んでいる。
それだけではない。何を血迷ったのか、とあるメッセージに対して、ハシモトが書いた自己紹介文も表示されていた。
「趣味は読書で、料理を作るのも好きです」
まあ、嘘は書いていないが、どう考えてもアピール力0のメッセージだ。仮にも投稿小説を書いている身としては恥ずかしい限りでもある。
だがハシモトとしては何を書こうが、自分の本質的な部分、40過ぎのすでに髪の毛が薄くなりつつあるおっさんで、体重も平均よりは確実に重いを前にすれば、どんな大嘘ツキまくりの文章を書いても無駄だろうという思いもあった。
「はあ」
ハシモトは大きなため息と共に、心の奥底に潜む闇が、こんな世界など終わらせてしまえと自分に語り掛けてくるのを感じた。そうだ。今日この場で世界を終わらせるのなら、どんな終わらせ方がいいだろう?
愛し合う者同士が手をつなぐと爆発する世界――、それでは単なるリア充爆発しろだな。こんな妄想でもハシモトは己の限界を感じてしまう。もっとも自分が人並外れたアイデアの持ち主なら、とっくに世界は滅んでいたのかもしれない。
ピコ!
小さな電子音と共に、携帯の画面に通知が上がった。そこには羽田という名前と共に、もうすぐバイトが終わるというメッセージが見える。羽田とは謎の居候、ハデスの偽名だ。
同居してしばらくになるが、ハシモトにとってハデスの存在は未だに謎のままだ。全てが壮大な嘘としか思えない話だが、ハデスがこの世を終わらせられるのは本当の事の様に思える。
なぜなら、彼からは人としての何かを感じられない。それに気がついたのは同居してすぐだ。彼からは何の匂いもしないのだ。たとえ意図的に風呂を沸かすのを避けたとしてもだ。
それに汗を掻いたのも見たことがない。アツアツのおでんを囲んでも、全く汗を掻かないなんていうのは有りえない話だ。
すべてがよく分からないことだらけだが、容姿を含めて、彼が只者で無いのだけは確かだ。そうだ。こんな事をしている場合ではなかった。帰って夕飯の支度をしないといけない。ハシモトは書きかけの自己紹介の右隅にあるばってんを押そうとした。だが手が滑って横の送信ボタンを押してしまう。
ピロリン!
間の抜けた電子音と、ありがちな便せんに羽根が生えるアニメーションと共に、メッセージは真っ暗な待ち受け画面へと消えて行った。
「あああ!」
ハシモトの口から、先ほどの電子音に負けないぐらいに間の抜けた声が上がる。だがすぐに大きくため息をつくと肩をすくめた。
どうせ自分なんかのメッセージが読まれることなどない。もし何か返信が返って来たとしても、自分の小さなトラウマがまた一つ増えるだけの話だ。
そうだ。それだけの話だ……。
* * *
坂本麗奈は空になった白いコーヒーカップを前に、ぼっと座っていた。前に座っていた人物がいなくなってから既に30分は過ぎている。
だが麗奈は真っ黒なゴスロリの衣装に、赤いリボンを付けたツィンテールの姿で、身じろぎすることなく前を見つめていた。辺りからは近所のおばちゃんたちや、高校生たちのざわめきが聞こえてくるだけだ。
「はあ」
麗奈は小さく頭を振るとため息をついた。そして頬杖をついて外の景色を眺める。窓の外では師走の街を足早に歩く人々と、途切れることのないヘッドライトの流れ。それに男の腕に体を押し付けて歩く、いかにも媚びた表情をした女の姿も目に入る。
「つまんない。本当につまんない」
麗奈の口から独り言が漏れた。一体自分はどうしてこんなところで、冷めたコーヒーを前に座っているんだろう。間違いない。あの男、英二に引っかかって、足を踏み外したからだ。
麗奈は漫画家だった。昔から絵を書くのが、そして妄想の世界に入り込むのが大好きだった。現実の学校なんて、全てが虚ろでつまらない。麗奈は高校に上がってすぐに学校にいかなくなった。その代わりに一心不乱に自分の妄想を描き続けたのだ。
そんな麗奈に対して、若いころ仕事でイラストを描いていた母親は強く学校に行けとは言わなかった。おそらく程度の差はあれ、若い頃は麗奈と同じだったのだろう。べた塗りを手伝って応援してくれたくらいだった。
そして有名な出版社にそれを持ち込んだ。今思えば怖いもの知らずの最たるものだったのかもしれない。だがそれは新人賞をとり、出版社のウェッブサイトに連載を書く機会も得られた。
絵もストーリーもまだまだ粗削りではあったが、麗奈がまだ若かったことと、編集者の一人が麗奈を後押ししてくれたおかげで、いきなりチャンスを得られたのだ。
自分の勉強机を作画用の大きな机に変えて、ベレー帽を被り、いっぱしの漫画家を気取ってみた。そこからはまるで世界が自分を中心に回っているかのように、すべてが順調に思えた。何十万部ものヒットになる訳ではなかったが、着実にサイトや季刊誌に連載を得て、それなりに評価と期待を得られた。
勉強部屋を仕事部屋に改装し、様々な道具を買いそろえては、ずっとあこがれていたゴスロリの衣装をクローゼットに並べた。だがそこから伸び悩んだ。いわゆる壁にぶつかったのだ。自分の妄想をただ自由に書くのと、仕事で誰かの評価や、世間の批評にさらされながら書くのはやはり違う。
それでも始めた頃はそんな事を気にせずにのびのびと描けた。だが編集者の励ましの言葉の裏で、自分に対する客観的な評価の囁きが気になるようになると、麗奈の心の中で、色々なものが次第に重荷に感じられるようにもなっていく。
収入はそれなりにあった。付属の大学を出て働くよりは遥かに多い。それに使う暇などない。そんな時だった。臨時で有名な漫画家のアシスタントを務めないかと紹介されたのだ。その人はとても気さくな人で、明らかに対人関係に問題がある麗奈にも気軽に声をかけてくれる人だった。
だけどその心の内に抱えているプレッシャーは麗奈の比ではなかったらしく、ネタに詰まるとホストクラブに行っては、あえて人気のない首になりかけのホストに大枚を叩くという趣味を持っていた。
ある日、その先生から成人式を過ぎた麗奈に、お祝いを兼ねて一緒に遊びに行かないかと声が掛かった。麗奈の作品の参考にもなるという話に、麗奈は思わず「はい」と答えた。人生が狂ったのはそこからだ。
そして今日はマッチングアプリで知り合って、一度寝た男からあっさりと袖にされてここにいる。もう物語を紡ぐ気力も希望もない。自分を一番に応援してくれた母は病気でこの世の人ではなく、イラストの仕事で糊口をしのぐ日々だけがある。
『男なんて……いや、世界なんてさっさと滅べばいい』
麗奈は心の中でつぶやいた。そして自分ならどうやってこの世を滅ぼしてやろうかと考え始める。この世がある日すべて男だけになるとかどうだろうか? こんな愚かな生き物だけになれば、世界など直ぐに滅びるに決まっている。
だが麗奈は頭を横に振った。妄想もいいが、このむしゃくしゃした気分をぶつける現実の相手こそ必要だ。
麗奈はマッチングアプリを立ち上げると、小一時間前まで前の席に座っていた男の連絡先を消して、新しくメッセージを載せた。そして席を立ちあがって辺りを見渡す。そこでは相変わらずおばちゃんたちや高校生たちがどうでもいい話をしている姿がある。
『無知蒙昧の愚民たちよ。いずれ真の恐怖におののくがいいわ』
こんな世の中など存在する必要はない。麗奈はそこにいる人々が天から降ってきた石に打たれて、肉片へと変わる様子を三回ほど頭の中でリピートさせると、足早に店の外へと歩き出した。