テンプレ ~その9~
それは見上げるような大きな入口だった。消失したノートルダム寺院のファサードを思わせるような巨大な扉と、さらに高い天井がハシモトの目の前にある。
ハシモトはそこで、身長の倍はありそうな麗奈のドレスの裾を、フレデリカと共に握りしめていた。その先では、背中が大きく開いたドレスを着た麗奈が、神殿の女神像を思わせる姿で立っている。
ドレスは真珠を思い起こさせる光沢のある白と、淡いベージュを組み合わせた布で出来ており、コルセットで細く締め上げられた腰から、パニエでふんわりと膨らませた下半身へ向けて、優美な線を描いていた。
ドレスについては選択の余地は無かった様だが、化粧については自分でしたらしい。扉の横に立つ女官達の様な、目元や頬の線を強調するきつめのものではなく、僅かに目元をぼかして、口紅を差しただけだ。
だがそれで十分だとハシモトは思った。それが麗奈の美しさをさらに際立たせている。もっとも中身は別物だ。しかし聖女なんてものを演じるのは、麗奈の様な強烈な個性の持ち主でなければ、とても務まらないものなのかもしれない。
「お時間です」
扉の横に立つ女官が麗奈に声をかけた。それを合図に、彫像の様に立っていた二人の騎士が、扉に向かって動く。他の騎士たち同様、彼らも面頬を下ろしており、その表情を伺う事は出来ない。
ギィーーーーー
僅かな軋み音と共に、巨大な扉がゆっくりと開いていく。それに合わせて、麗奈が一歩前へと進んだ。ハシモトもそれに合わせて一歩前へと進む。歩調を合わせていかないと、ドレスの裾を引っ張ってしまい、最悪は麗奈が転倒してしまう事になる。
隣を進むフレデリカは、緊張した面持ちではあったが、慣れているのか、ハシモトと違って足取りは確かだ。ハシモトはフレデリカの歩みに合わせて、慎重に前へと進んだ。そもそも借りた僧服の裾が長すぎるせいで、その様にしか歩けない。
麗奈が進むに連れて、小さなざわめきが上がり、そして消えていく。ハシモトは頭を下げながらも、周囲に視線を向けた。そこは巨大な広間になっていて、ハシモトが予想していたより遥かに大勢の男女が集っている。今宵の晩餐会は立食形式らしく、彼らは丸いテーブルを囲んで立っていた。
男性は金や銀の刺繍で装飾された、少し長めの裾を持つ上着に、足元を絞ったズボンを穿いている。それに付き添う女性たちは、麗奈と同様に裾が長く、腰から下をふんわりと広げたドレスを纏っていた。
だがどんなに綺羅びやかな衣装を着ていても、皆が同じ様な格好をしているせいで、ハシモトの目には、男性はもちろん、女性達までもが皆同じに見えてしまう。
「今日は非公式なお披露目ですので、皆さん礼服ではなく、夜会服での参加です」
隣を進むフレデリカが、ハシモトにそっと告げた。その言葉にハシモトは驚く。これでまだフォーマルではないのなら、フォーマルの場合はどんな会になってしまうのだろう。
異世界なのだから、当たり前と言えば当たり前だが、やはりここは自分が暮らす世界とは大きく違う。ハシモトがそんな事を考えていると、麗奈の足が止まった。誰かがその隣に寄り添うと、そっと腕を差し出している。五月の空を思わせる、爽やかな青色の上着を身に着けたランド王子だ。
麗奈はにこやかに微笑むと、差し出された腕にそっと自分の腕を添えた。その表情と仕草を見たハシモトの心に、今まで感じた事のない、もやっとした何かが湧き上がってくる。ハシモトは自分が感じているものに当惑した。
麗奈とは二倍とは言わないが、ふた回りは年が離れている。その麗奈が若い男性に、それも超絶イケメンの男性に微笑むのに、負の感情を抱くなどあり得ない。
もしかしたら、これが結婚式でバージンロードを娘と一緒に歩む、父親の気分なのかもしれない。ハシモトはそう思い込む事にすると、改めて前を行く二人の後ろ姿を眺めた。
その前方、明らかに他とは違う人々が、麗奈達を見つめているのに気が付く。よく見ると、ランド王子同様に、腰に装飾が施された細身の剣を佩いていて、その顔立ちもどことなくランド王子に似ている。
「兄上、聖女レナ様をお連れしました」
「レナです。お初にお目に掛かります。どうかお見知りおきの程を、よろしくお願い致します」
麗奈もドレスの裾を軽く持ち上げると、居並ぶ人々に向かって頭を下げた。
「レナ殿、お会いできて光栄です。第一王子のアーサーです」
「第二王子のランスと申します」
その中心にいたランドの兄らしい二人が、それぞれ手を差し出すと、麗奈の手の甲に口づけをした。そして広間に集う人々に向かって、軽く手を上げる。それを合図に、広間に集う人々の間から、話声のざわめきが広がっていった。皆で麗奈に対する感想や、意見などを述べているのだろう。
「召還を終えたばかりで、お疲れとは思いましたが、一刻も早く聖女様にお会いしたいと思い、この場を設けさせて頂きました。それに今夜は非公式な場ですので、どうかゆっくりとおくつろぎください」
第一王子と名乗った、ランド王子より明るいオレンジに近い髪を持つ男性が、そう麗奈に声を掛けた。
「はい。アーサー王子様、お心遣い頂きまして、大変ありがとうございます」
アーサー王子の言葉に、麗奈はにこやかに微笑ながら答えた。
「想像した以上にお美しく、そして聡明な方で、大変驚いております」
アーサー王子の横にいた、焦げ茶色の髪を持つランス王子が、発泡酒らしき飲み物が入ったグラスを差し出しつつ、麗奈に告げた。
「ありがとうございます。皆さまが女性に親切で、お優しい方でいらっしゃることが、とてもよく分かりました」
麗奈の言葉に、ランス王子がおやっという顔をしてみせる。
「お世辞ではありませんよ。腰の剣に賭けて、正真正銘本心です。おい、ランド。シモン卿がどれだけ邪魔をしても、レナ様の案内役を譲るのではなかった。心から後悔しているぞ」
そう言うと、ランス王子は傍らにいた中年の男性に向かって、小さく片眼をつぶって見せた。どうやら第二王子のランスは、他の二人より砕けた感じの人物らしい。
その台詞に、ランス王子がシモンと呼んだ中年男性は、ハシモト同様の、かなり余裕のある腹回りを揺らして笑って見せた。
「ランス王子におきましては、政務に関しても、そのぐらい興味を持っていただけると、大変ありがたいのですがね」
年齢はハシモトと同じか、それより少し上ぐらいだろうか? いかにも引き立て役らしい言葉を口にすると、ランス王子に向かって頭を下げた。
「私だけではありません。この部屋に集う者達皆が、同じ思いを抱いています」
ランス王子は背後の方に向かって、グラスを掲げて見せた。その指摘に、ハシモトも背後をふり返ってみると、大勢の者達が、麗奈の方を見つめながら感嘆の声を上げている。
第一王子のアーサー王子は、知的な雰囲気を纏った落ち着いた人物だ。第二王子のランス王子はちょい悪的な感じもするが、何より愛嬌がある。第三王子のランド王子は素直な性格で、揃いも揃って皆イケメンだ。
この三人から選ぶので、何の問題もないんじゃないの? ハシモトは素直にそう思った。あの羽田、もといハデスなんかに懸想するよりよほどにましだ。
だが当の麗奈は、その顔に少し当惑した表情を浮かべただけだった。まあ、これだけあからさまに賞賛されたりすれば、たとえ麗奈でも、少しは恥ずかしい気にもなるのだろう。
「わが国にとっても、実に頼もしい限りですな」
シモンと言う名の中年男性も、ランス王子に同意した。そして差し出された盆からグラスを取りあげると、ランド王子へと差し出す。その時、シモンが麗奈の方を粘ついた視線で眺めたのを、ハシモトは見逃さなかった。
それは男性のハシモトでも悪寒が走る、そんな気にさせる目つきだ。隣に居るフレデリカもそれに気付いたのか、いかにも気持ち悪そうな顔をして立っている。
「本日は非公式な会ですので、皆で歓迎の乾杯は致しませんが、こうして聖女様をお迎えできたことを、私達で乾杯したいと思います」
麗奈はそんなシモン卿の視線には全く気が付かなかったらしい。そう告げたアーサー王子に頷くと、淡いピンク色に染まったグラスを前へと掲げた。
「おや、フレデリカではないか?」
グラスを掲げたシモン卿が、不意に声を上げた。そして麗奈の背後に、隠れる様に立っていたフレデリカの方を覗き込む。その動きに、フレデリカの体がビクリと震えた。
「しばらく姿をみないと思っていたが、僧院に出向いていたのか?」
「あ、はい。僧院で聖女様にお仕えすることになりました」
「それは知らなかった。アガサ女官長には正式に苦情を言っておかないといけないな。今宵は特別だ。お前もグラスを持つとよい。共に聖女様と、この国の未来を祝おうではないか」
そう言うと、シモン卿は居並ぶ王子たちの方をふり返った。
「皆さま、よろしいでしょうか?」
「これから聖女様の世話をする者だし、本日は無礼講な場だ。まあいいだろう」
「ありがとうございます」
シモンはそう答えたアーサー王子に一礼すると、グラスを手に、フレデリカの方へにじり寄った。そして無理やりその手にグラスを押し付ける。それを見たハシモトは、キャバクラで客先の部長が、若い子に無理やり酒を押し付ける姿を思い出した。
「あ、あの……」
フレデリカはまるでナメクジにたかられたかのような表情をしつつ、首を横に振った。だがシモン卿は引き下がったりはしない。
「フレデリカさん」
麗奈がフレデリカに声を掛けた。
「顔色がとても悪いようです。アーサー王子様の御好意ではありますが、フレデリカさんには後で色々とお願いしたいことがあります。先に下がって、休んでいて頂けませんでしょうか?」
驚いた顔をしたフレデリカに対して、麗奈が小さく頷いた。
「は、はい、聖女様。大変申し訳ございません。先に下がらせていただきます」
そう告げるや否や、フレデリカはグラスをハシモトに押し付けると、ツバメが身を翻すが如く、足早に出口へと去っていく。
「余計な事を……」
シモンが小さく呟くのを、ハシモトの耳が捉えた。
「このような場ですので、若い娘が緊張するのも仕方がありませんね」
シモンは一瞬だけ苦虫を噛み潰した表情をしたが、すぐに柔和な表情へと戻る。そしてさも残念そうに肩をすくめて見せた。
「今宵、聖女レナ殿との出会いを祝して――」
アーサー王子がそう告げた時だった。背後で何かが一斉に動くのが聞こえた。振り返ると、広間に集う者全てが、正面に向かって膝を付き、深々と頭を下げている。ハシモトもグラスを袖の中に隠すと、王子や麗奈に続いて跪いた。
「本日は聖女殿の歓迎の宴ではあるが、非公式で無礼講のもの。そうであろう、アーサー?」
凛とした声が広間に響き渡った。ハシモトが上目遣いに声のした方を見上げると、玉座だろうか? 見事な彫刻がされた、金色に輝く大きな背もたれがあるのが見える。
「はい、陛下。おっしゃる通りでございます」
「ならば皆の者、面を上げなさい」
その言葉に合わせて、居並ぶ人々が一斉に立ち上がる。ハシモトも立ち上がると、玉座に座る人物を見上げた。そこには椅子同様に、黄金色に輝く王冠をいだいた妙齢の女性が、少し物憂げな表情をしながら座っている。
「先生……」
その時だ。不意に麗奈の口から呟き、いや、うめき声が漏れた。どういう意味だろう。ハシモトは麗奈に問いただそうとしたが、何も告げられずに、そのまま言葉を飲み込んだ。
ハシモトの視線の先で、麗奈はまさに蒼白としか言えない顔で立ち尽くしている。それは麗奈がこれまでハシモトに見せたことがない、見るとも思ってもいなかった表情だった。