テンプレ ~その8~
「聖女様がお待ちです」
油灯を手に廊下を進む女官が、後ろを振り返ることなく告げた。石造りの建物の中にいるせいか、とても肌寒い。だがハシモトにとっては、女官のつっけんどんな態度の方が、さらに冷たく、真冬の木枯らしの如く感じられた。
『せっかく整った顔をしているのに……』
ハシモトは思わず心の中で呟いた。それに比べて、フレデリカの笑顔の、なんて素晴らしいことだろう。やはり女性は愛嬌だと思いつつ、ハシモトは横にいるフレデリカの方を見た。だがその顔は、まるで別人の様に強張った表情をしている。
そこでハシモトは、女官の態度がフレデリカにも冷たいのに気がついた。いや、ハシモトに対する態度より、さらにおざなりだ。以前は王宮に仕えていたと言っていたが、どういう事だろう。
ハシモトがそんな事を考えているうちに、女官の足が大きな扉の前で止まった。
「こちらです」
ハシモトは恐縮する様に小さく頭を下げると、その扉を押した。隙間から暖かい空気と、黄色い照明が漏れてくる。
女官から逃げるように中に入ると、そこはさほど広くはない、少しこじんまりとした部屋だった。でも王宮の中らしく、派手な家具が置いてあり、大きなシャンデリアがまばゆい光を振りまいている。
麗奈はその真ん中に置かれた、良く詰め物がされた長椅子に腰をおろしていた。だがハシモト達が部屋に入って来たのに気がつくと、立ち上がり、戸口の方へと小走りに駆けてくる。
「お疲れ様です――」
麗奈はそう声を掛けたハシモトを真っ向無視すると、その横を通り過ぎた。そして背後にいるフレデリカの手を両手で握りしめる。
「大丈夫だった?」
麗奈に問いただされたフレデリカが、当惑した顔になる。
「このロリコン中年に、変なところを触られたり、変なものを押し付けられたりしなかった?」
「変な物ですか?」
「そうよ。もしそうなら、私がこの男に今すぐ天罰を与えてやります!」
そう告げると、麗奈はハシモトの方をじろりと睨みつけた。
「何であんたがこの子の後ろに乗っているのよ。走ってついてくれば良かったじゃない」
「そう言われましても、普段から運動などしていないので……」
「それで、やっぱり変な事をされたの?」
麗奈はハシモトの返答を無視すると、フレデリカに再び問いかけた。その目は冗談なんかではなく、間違いなく本気だ。
「いえ、特には……」
麗奈の迫力に圧倒されながらも、フレデリカが首を横に振った。
「本当でしょうね?」
ハシモトも、壊れたファービー人形の如く首を横に振って見せる。それを見た麗奈が、「フン」と小さく鼻を鳴らした。
「まあいいわ。ランド王子に、二人も晩さん会に出られるようお願いしておきました」
「えっ! 私も晩さん会に参加するのですか?」
麗奈の言葉に、フレデリカが驚いた顔をする。
「私の従者ですから当然ですよ。それにフレデリカさんなら、参加しても何の問題もないと思います」
そう言うと、麗奈はハシモトの方を振り向いた。
「問題はこっちよね。どうして異世界まで来て、そんなだっさいスェットを着ている訳?」
「やはり、そう言われましても……」
「私に対する妨害工作のつもり?」
「とんでもございません!」
ハシモトとしては、女神に裸で放り出されなかっただけでも御の字という所だが、確かにこれを着て、王家隣席の晩餐会に出る訳にはいかない。現代日本においても、ファミレスだって無理だろう。
フレデリカさん、この男の体に合う服……、そうね、この城内であなたが着ている僧服の様なものを借りられるかしら?」
「はい。城内の礼拝堂に、僧服の予備があると思います」
「申し訳ないけど、それを借りてきてくれる?」
「はい、聖女様。承知いたしました!」
フレデリカはいつもの元気な声に戻ると、小鳥が飛び立つように部屋を飛び出していく。それを見送った麗奈は、人差し指を小さく曲げると、ハシモトについてくるように合図した。その先には大きな暖炉があり、焚べられた薪がパチパチと音を立てている。
「それで、晩さん会に出た後はどうするんですか?」
暖炉の前で、ハシモトは麗奈に問いかけた。
「もちろんここを抜け出して、羽田さんを探しに行くのよ」
「マジで言っています? でも探すにしても、自分で探しに行くより、王子様に頼んで、国家権力で捜索した方が早くないですか?」
「本当に分かっていないのね。王子に頼むなんて論外よ。私が自分で探しにいくから意味があるんじゃない」
「そうですか? まあ、一途なのもいいですけどね――」
『それが報われるとは限りませんよ』
ハシモトは心の中でそう付け加える。だが麗奈はそんなハシモトの考えなど気にすることなく、少し興奮気味に話し始めた。
「ランド王子と話して分かったの。考え方と言うか、人物像は私が書いたものと同じで、何も変わっていなかった」
「と言うと?」
「これから会う王家の人達が何を考えているのか、ある程度想像がつくと言う事よ」
ハシモトは麗奈に向かって頷いた。確かに、相手の考えが読めているというのはかなり有利だ。
「王家の人間は、僧院の内部争いの暴走で召喚された聖女の事を、基本的には疎ましく思っている」
「それはそうでしょうね。自分たちの権威に対する、ある種の挑戦みたいなものです」
「そうよ。だから私の書いた筋の中では、聖女は辺境にある神殿に送られそうになるのだけど、そこに行ってしまったら、元の世界に戻る手段がなくなると思った聖女は、何とか城に残れるように、ランド王子にお願いするの」
麗奈の話を聞いたハシモトは、超イケメンのランド王子が、性格がいい故に、女の甘言に絆されて、ひたすらに面倒事を背負い込む哀れな存在に思えてきた。
その点に限れば、甘言に絆された訳では無いが、正月早々、麗奈の異世界行に巻き込まれている自分も、大して違いはない気もする。
「だけど、今の私にとっては渡りに船ね」
「渡りに船?」
「そうよ。こんな王宮にいたら、四六時中監視されて、抜け出すなんて無理だけど、旅に行くのであれば、抜け出すチャンスは山ほどある」
「まあそうですね」
ハシモトはそう答えはしたが、内心はかなり怪しいと思った。厄介者である以上、城から離れるや否や、追っ手を掛けられて、暗殺される可能性だってある。
「あんたにも、荷物持ちぐらいには役にたってもらいますからね」
「えっ? 私も一緒ですか?」
「当たり前でしょう! あんたはセバスチャンなんですから」
「ちょっと待ってください。勝手なあだ名も困りますけど、それよりも、もう少しまともに計画を練ってからとか――」
トン、トン
その時だった。ハシモトの耳に扉を小さくノックする音が聞こえた。
「どちら様でしょうか?」
麗奈が、ハシモトに口を開く時とは全く異なる声音でそれに答える。
「フレデリカです。ハシモトさんの服をお持ちしました」
扉が開いて、フレデリカが顔を出した。その手には塔で見た聖職者らしき人々が着ていた、腰回りを紐でしめるだけの、ゆったりした僧服があった。
「裾はちょっと長いかもしれませんが――」
だがフレデリカがその続きを口にする前に、その体が前へと突き飛ばされる。何事かと思っていると、扉の向こうから円錐形の帽子、おそらくはエナンと呼ばれるものを被った女官の一団が姿を現した。
その手には麗奈が今夜の晩さん会で身につけるらしいドレスや下着、それに化粧箱らしきものを持っている。
「聖女様、晩さん会のお召し物の準備をさせて頂きます」
先頭にいた一人がそう告げると、その一団はあっという間に麗奈を取り囲んで、大きな鏡が据え付けられた化粧台へと連れ去った。
「これから聖女様のお召替えをいたします。どうか外でお待ちください」
そのうちの一人が、入口近くで呆気に取られていたハシモトの体を、部屋の外へと押し出した。
「あんたもよ!」
そう告げると、フレデリカの小柄な体も部屋の外へと突き出す。それと同時にバタンという、扉を閉める大きな音が石造りの廊下に響き渡った。
「どうやらここは、私にとって色々な意味で場違いな所ですね」
廊下に置かれたランプの薄明りの元、ハシモトは苦笑いを浮かべながら、フレデリカに対して言葉を掛けた。だがフレデリカはさも済まなさそうな顔をすると、首を横に振って見せた。
「いいえ、違います。これは私のとばっちりだと思います」
「とばっちり?」
「はい。彼女達同様に、私も以前はここで女官を務めていました。でも色々あって、僧院に仕える事になり、今では聖女様のお世話を仰せつかっています。故に彼女達から見たら、私は裏切り者で、そして成り上がり者でもあるんです」
「どうしてそれが成り上がりになるんです?」
「聖女様のお世話をさせていただくというのは、とっても名誉なことなんですよ」
ハシモトからすれば、麗奈の世話役なんて、どう考えても厄災の類、それも相当に酷い呪いの類に思えるのだが、この世界の人々にとっては違うらしい。
「それに少なくとも――。あっ、そんな事より、服に袖を通してみていただけませんか?」
そう言うと、フレデリカは濃紺の僧服をハシモトへと差し出した。
ハシモトはフレデリカから受け取った僧服を、スエットを着たまま頭から被ってみる。本当は下に着ている服は脱ぐべきなのかもしれないが、フレデリカの前でパンツ一丁になる訳にもいかない。
「あれ、やっぱり裾が長かったですかね?」
「いや、大丈夫ですよ。今夜は裾を踏まないよう、慎重に歩くぐらいで、丁度よいかと思います」
「そうですね」
「ヒェーーーーー!」
不意に扉の向こうから、絹を裂くような小さな悲鳴が聞こえてくる。もちろん悲鳴の主は麗奈だ。驚いた顔をしたハシモトの前で、今度はフレデリカが小さく含み笑いを漏らした。
「コルセットを着けているだけですよ」
「でも悲鳴をあげていますけど」
「ハシモトさん、何を言っているんですか? ドレスは女の鎧です。それに晩さん会は女の戦場なんですよ」
そう告げると、フレデリカは最初に会った時と同様、その愛くるしい顔に満面の笑みを浮べて見せた。