テンプレ ~その6~
二人が互いに相手の非難を口にしようとした時だった。
ドドドドドド
まるで誰もいないかのように、ひっそりと静まり返っていた賓館の周囲に、地鳴りのような音が響き渡った。天井にある見事なシャンデリアが揺れ、そこから落ちたほこりが、二人の頭の上へと降って来る。
その音に驚いた麗奈が、ハシモトの体に飛びついた。だが飛びついた相手がハシモトだと気が付くと、すぐに毛虫にでも触った様な表情をして離れる。
「な、なんなの!」
麗奈とハシモトは互いに顔を見合わせた。
ヒヒーーン!
地鳴りの音が少しだけ小さくなると同時に、今度は馬のいななきが聞こえて来る。
「馬、ですね……」
何か気を落ち着かせる台詞でもと思ったのだが、ハシモトの口からは分かりきった事しか出てこない。もうちょっとマシな何かを告げようとする前に、賓館の入口の方から、ガチャガチャという金属同士が触れ合う耳障りな音が聞こえて来た。
間違いない。鎧に身を固めた騎士たちが、この賓館を取り囲んでいるのだ。その音に麗奈は身を固くすると、再びハシモトの腕に手を添えた。
今度は自分の手が掴んでいる先が、ハシモトの腕だという事にも気が付いていないらしい。その顔にはいつもの強がりな表情は微塵もなく、その目は恐怖に震えている。
ハシモトもまさに血の気が引く思いだった。自分の血という血が足元に降りてしまって、二度と昇って来ない気がする。それでいて、耳元では自分の心臓の音が、太鼓の様に鳴り響いてもいた。
少しは登場人物のつもりになって、話を書いてきたつもりだったが、いざ同じ立場になってみると、そこにある恐怖や切実さは、これまで想像していたものとは全く違う。
どんなにその気分になろうとしても、想像の中の自分はやはり無敵だ。なぜなら、自分はその先を知っている。あるいは、何も決まっていないという事を知っているのだ。隣に麗奈が、それも怯えた麗奈が居なければ、間違いなく悲鳴を上げていたことだろう。
相手が麗奈とは言え、若い女性を前にしたら、ちょっとは大人の男らしく振る舞わないといけない。そんな僅かな自尊心だけが、ハシモトの心と体をかろうじて支えていた。
「麗奈さん……」
「な、なによ」
「逃げる時はヒールは脱いでくださいよ。それと改稿するときは、やっぱりヒロインはスニーカー好きにしてください」
「モ、モブのくせに偉そうに」
ハシモトの問い掛けに、麗奈がさも忌々しげに呟いた。
「それにここでは聖女様って呼びなさい。でもまあいいわ。あんた相手だと色々と面倒だから、人のいない場所では、特別に昔の名前で呼ぶことを許してあげます」
「あのですね。モブ、モブと連呼されると、この世界の人たちみんなが、私の名前をモブだと思うからやめてください」
「なら、これからあんたの名前はセバスチャンよ」
「はあ?」
「いかにも下働きらしい名前だと思わない?」
「一体どんな思い込みです。でもサンチョと呼ばれるよりはましですかね」
「あんたね、私は風車に突撃したりしないわよ」
麗奈の答えに、ハシモトは苦笑いを浮かべた。つられて麗奈も口元に笑みを浮かべる。その顔はまだ青白く見えるが、その目はいつもの麗奈らしい、人を見下した感じに戻っていた。
「そんなことより、王子様って強いんですよね」
「私の為に片手以上の盗賊と切り結んで、全員を切り捨てるぐらいには強いわね」
「それがいないっていうのは、かなりやばくないですか?」
「そうね。剣を持った奴らに襲われたら、一巻の終りね」
「でも麗奈さんって聖女ですよね。チートな力を使って、王子様を助けるとかいう展開はないんですか?」
「モブのくせに人を馬鹿にしているの? そんなテンプレど真ん中な訳ないでしょう。実際は力がないのに力があるように思われるのよ。それで逃げだしたいと思っても、王子様のために逃げずに、健気に聖女を演じるというのがこのお話よ!」
「えっ! そんなんで、どうやって落ちをつけるんですか? まさか夢ネタじゃないですよね」
ハシモトの問いかけに、麗奈は今日何度目になるか分からないため息をついて見せた。
「最後の最後で絶体絶命の時に、主人公が自分には力がなくてごめんなさいって謝るのだけど、そこで王子は聖女に分かっていたと告げるの。王子も最初は自分の立場を守るためにやっていたけど、必死にそれを演じる聖女を見て、いつの間にか命を掛けてそれを守ろうとしていたの」
「なんですかそれ。テンプレど真ん中な上に、単なる役立たずじゃ……」
「本当に女心が分かっていないのね! 無償の愛よ。母性そのもの。だからこそ私たち女は、理想の男性にもそれを求めるの。これで100回ぐらい頭を叩いてから、もう一度人生をやり直して来なさい!」
「痛い! ヒールで叩くのは本当に勘弁してください!」
「あ、あの」
「何よ!」「なんだ!」
振り返ったハシモトと麗奈の視線の先、立派なオーク材で出来た扉のところに、一人の若い男性が立っている。
すらりとのびた背に、少し癖のある栗色の髪を持つイケメン、いや、ラファエロの作品を彷彿とさせる、少し女性的な雰囲気すら漂わせた美青年だ。
もちろん顔が良いだけの若者ではない。眩しいくらいに光を放つ銀の甲冑、それも芸術作品としか言えない、繊細な文様が描かれたものを纏っている。
「この部屋で間違いないのだろうな?」
男性は戸口の傍らにいる誰かに向かって声をかけた。
「はい。間違いありません。聖女様です」
開いた戸口の影からはきはきとした声も聞こえてくる。フレデリカの声だ。フレデリカは扉から顔を少し出すと、麗奈に向かってちょこんと頭を下げた。
「お待ちいただくようにお願いしたのですが、火急のご用件と言う事で、こちらまでご案内させて頂きました」
フレデリカの言葉に、麗奈ははっとした顔をした。そしてハシモトに向かって振り上げていたヒールを素早く背後へと隠す。次の瞬間、いつもとは異なる柔らかな笑みを口元に浮かべると、片手でドレスの裾を上げて、扉の男性に向けて頭を下げた。
その変わり身の早さに、ハシモトは唖然とする。同時に麗奈の言う通り、女性と言うものをまだまだ理解できていないとも思った。
「ちょっと、何をぼっとしているのよ!」
麗奈は小声でそう告げると、ハシモトに向かって手を後ろに振る。ハシモトも慌てて麗奈の後ろへと下がると、膝を床について頭を下げた。
「どうか頭を上げていただけませんでしょうか?」
顔立ちと同様に甘い声が部屋に響いた。
「急に押しかけてしまい、大変申し訳ございませんでした。アシュケア王国第三王子、ランドと申します」
男性はそう告げると、跪いて麗奈の前に手を差し出す。麗奈がその手に自分の手を添えると、屈託のない笑顔を麗奈に向けた。麗奈も男性に向かって、つつましくも晴れやかな笑顔を向けている。
なんてことはない。多少の違いはあったものの、王子様は無事に、いや、予定通りに登場してくれたらしい。
「こちらこそ、大変失礼いたしました。レナと申します」
まさに世の乙女が夢見る場面そのものだ。だがハシモトは何故か違和感のようなものを覚えた。中身はさておき、見かけだけについて言えば、麗奈は間違いなく美女である。場面としては申し分ない。
ハシモトは自分が、この場面にあまりにも場違いなためかとも思ったが、どうもそれだけではない気もした。
「お迎えが遅れまして、大変申し訳ございません。何か手違いがあったのか、聖女様の召喚の儀が行われたことについて、私共の方へ伝わるのが遅れたようです」
そう言うと、戸口のところでハシモト同様に床に跪く、フレデリカの方をちらりと見た。どうやら麗奈が言った通り、僧院に聖女に反対する一派がいるという話は本当らしい。
「いえ、ちょうどよい運動になりました。それよりも、火急のご用件とのことでしたが、何か問題でもありましたでしょうか?」
麗奈の言葉に、王子が少し困った様な表情をする。だがすぐに頭を小さく横に振ると、その顔を麗奈の方へ寄せた。
「流石は聖女様ですね。正直にお話させていただきます。あなたのお命を狙うものがいるとの情報が入り、聖女様の身の安全を優先させていただきました。ご無礼の程をお許しください」
「とんでもございません。ランド様にわざわざ足を運んで頂いて、大変恐縮です」
「聖女様の身は、私が命をかけてお守りさせていただきます。ですがどうかご自身でも、身の安全を心がけていただけませんでしょうか?」
「はい、ランド様。承知いたしました」
麗奈の答えに、ランド王子は安心した様に頷いて見せた。だが麗奈の背後に跪くハシモトの方へと視線を向けると、ハシモトの着ているパジャマ代わりのスェットを不思議そうに眺めた。
「僧院のものとは思えないが……」
王子は戸口にいるフレデリカの方を振り返ると、そう問いかけた。
「これは私の下働きです。正しくは、前世で私の下働きをしていた者です」
「下働きですか?」
「はい。元の世界で雑用をやらせておりました。どうやら召喚の際に、何らかの手違いがあったらしく、私と共にこちらの世界に召喚されてしまったようです」
「なるほど、それで先ほどは親し気に話をされていたのですね」
「いえ、あまりに役に立たないので、事細かに色々と指示を与えていただけです」
麗奈があまりにきっぱりと言い切ったのに、ランド王子は少し当惑した表情をしたが、すぐに小さく苦笑いを浮かべて見せた。
ハシモトとしては、この発言には大いに異議を唱えたいところではあるが、王子に無礼者とか言われて切られるのは困るので、口を閉じていることにした。見かけは柔和な感じではあるが、彼が腰につけている細身の剣は本物だ。
「召喚が終わったばかりでお疲れの事とは思いますが、晩さん会の準備はすでに整っております。ご支度が出来次第、王宮までご同行の程をお願いいたします」
「はい。すぐに支度させて頂きます」
麗奈の答えにランド王子は頷くと、手の甲へ小さく口づけをした。彼のようなイケメンがやると、気障としか言えない仕草も様になる。
もし自分がやったら? ハシモトはそんなことを考えてみた。間違いなく幼稚園の学芸会以下だろう。いや、それ以前に「キモ」とか言われて、顔を思いっきり蹴飛ばされるに違いない。
「では、部屋の外でお待ちしております」
ランド王子はそう告げると、背中の純白のマントをなびかせながら、颯爽と部屋を出ていく。戸口にいたフレデリカも慌ててそれに続くと、部屋にはハシモトと麗奈だけが残された。
「ふう」
絶世のイケメンを前にして緊張したのだろうか、麗奈の口から小さなため息が漏れた。
「よかったですね」
「なにが?」
「だって、ちゃんと王子様が、それも正真正銘、イケメンの王子様が来たじゃないですか。これでとりあえずは一安心ですね」
そう言葉にしてから、ハシモトは麗奈がまったくうれしそうな顔をしていないのに気が付いた。やはり王子が現れた時に感じた違和感は、ハシモトの気のせいではなかったらしい。
「あれ? あんまりうれしくなさそうですね。自分が描いた理想の男性が彼なんでしょう?」
「理想に近い男性を描こうとしたのは確かね。でももう遠い過去の話よ」
「過去?」
「そうよ。だって本物に出会ったんですもの」
そう告げると、麗奈は先ほど王子に出会っていた時とは違う、うっとりとした表情になった。
「本物って、もしかして羽田のことですか?」
「モブのくせに、羽田さんの事を呼び捨てにするなんて、今すぐ死罪よ、死罪!」
再びヒールを掲げた麗奈から、ハシモトは慌てて飛びのいた。
「でも、あれは恋愛の相手としては――」
「私じゃ釣り合わないとでも言いたいの!」
「そういう訳じゃないですけどね。でもかなり変わった人ですよ」
「そうよ、正に孤高の人。他の誰も彼の足元にも及ばないわ。私はあの人の前にいると、私の中の色々なものが洗い流されて、生まれたての自分に戻れるような気がするの」
「毒をもって毒を――」
「何か言った!」
「いいえ、何でもありません! でも彼は……」
『もともと人ではないのですよ』
ハシモトはそう漏らしそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。麗奈が彼に憧れるのは、若い女性として当然の事だろう。だけどそれが報われることがあるとは思えない。
それどころか、あれは世界を滅ぼそうとしている存在なのだ。でも麗奈の気持ちは本物だ。だから自分が想像した世界に転生したとしても、羽田がいる世界に戻りたいと――。
「ええ、間違いなくこの世界の何処かで、羽田さんは私を待っている」
「えっ!?」
ハシモトは麗奈の顔をまじまじと見つめた。
「一体どこをどうしたら、そう言う展開になるんです!」
麗奈はそう問いかけたハシモトを、地面に落ちていた蝉の抜け殻でも見ている様な顔をして眺める。
「やっぱりあんたは馬鹿ね。あんたまでがこの世界に来ているのに、羽田さんが来ていない訳がないじゃない。そもそもモブのあんたが私の前に現れたのは、羽田さんが待っている事を私に知らせる為よ」
「はあ?」
「だから、さっさとこんなドロドロな政治劇なんて抜け出して、羽田さんを探しに行くわよ!」
「えっ、どうして私がそれに同行することになっているんです。フレデリカちゃんと、お茶でも飲みながら世間話を……」
「私を除けば、羽田さんの顔と声を知っているのはあんただけでしょう。せめて目と耳ぐらいは人並みに私の為に使いなさい!」
「でもこれって、自分で作ったお話ですよね。世界を救うとか色々ありませんか? そっちはどうするんです?」
「あんたね、一応は自分でも小説を書いているんでしょう。前に書いたものは、今の自分から見れば常に問題作に決まっているじゃない。だから――」
「だから?」
「あるべき姿に改稿するのよ!」