テンプレ ~その4~
「ちょ、ちょっと、世界観の説明ぐらい――」
ハシモトの叫びもむなしく、女神からの答えは何もない。それに辺りが急に暗くもなってきた。真っ白な世界も退屈だったが、今度は暗闇の世界へと叩きこまれるのだろうか? そんな恐怖に怯えながら、ハシモトは次に何が起こるのかと身構えた。
「おお、我々の願いは天に通じましたぞ!」
「まさに奇跡です!」
誰かが口々に称賛する声が、闇の向こうからハシモトの耳に飛び込んできた。少なくとも、孤独に精神を蝕まれることはないらしい。だがそれは先ほどの女神の鈴の様な声とは違って、もっと年老いた感じのする、しわがれた声だった。
それに明かりが十分にないだけで、真っ暗闇と言う訳でもないらしい。次第に闇に慣れてきた目に、ハシモトは自分が黒い石が敷かれた床に、片手をついて跪いているのに気がついた。
まさか、まだ裸では!? 慌てて自分の体に目をやると、寝巻きがわりに使っている、ユニクロで買った黒いスェットが目に入った。
「もう一人いるぞ?」
「誰だ?」
「賢者ではなくて――」
「いや、どう見ても普通以下の――」
ハシモトが疑問の声を上げる間もなく、今度は当惑のざわめきが聞こえてきた。どうやらその台詞は、全て自分に向けられているらしい。ハシモトは慌てて辺りを見回した。
ここは塔か何かの中らしく、周囲は床と同じ色、真っ黒な石で囲まれている。唯一の明かりは、天井の小さな窓からうっすらと入り込んでくる、一条の光だけだ。
その光の先で、まるでスポットライトを浴びるかの様に、誰かが一人佇んでいるのが見える。それは真っ白な光沢のある生地に、とても複雑な幾何学模様と、バラを模した意匠が立体的に刺繍された、長いドレスを着た女性だった。
「美しい……」
ハシモトの口からそう言葉が漏れた。残念な事に、その女性はハシモトに背中を向けていて、その顔を見ることは出来ない。しかし顔が見えなくても、その後姿はまさに神がかった美しさに見える。
この女性こそが、白い世界で自分に声を掛けてきた女神なのではないだろうか?
ハシモトが、ともかく彼女に声を掛けようとした時だった。明かりの中にいる女性が、ゆっくりとドレスの裾を持ち上げる。そして菱川師宣の見返り美人の如く、肩越しに背後を振り返ると、ハシモトの方をじっと見つめた。
「ああ――」
その美しさに、今度はハシモトの口から、言葉にすらならない感嘆の声が上がった。
その黒い瞳は、冷ややかな光をたたえている。いや、むしろ何かの憐みを感じさせる目だ。もしかしたら、単に無関心なだけなのかも知れない。女性は見返り美人と言うより、フェルメールの真珠の耳飾りの少女に似た表情を、ハシモトへと向けている。
だがハシモトは目の前にいる人物が、知っている女性によく似ていることに気が付いた。確かに彼女も間違いなく美人なのだが、あまりに強烈な性格に、彼女に対して美しいという感情を抱くことを阻害する、そんな女性だ。
けれども、いつもはツィンテールにしている髪を下ろし、きつめの化粧をナチュラルに変え、眉間にシワを寄せている機嫌の悪そうな顔をやめれば、その人物そのものに見えない事もない。
「麗奈!?」
ハシモトの口から思わずその名が漏れた。それを聞いた女性の口からは小さなため息が漏れる。そして一瞬だけ見覚えがある、あの不機嫌そうな表情を浮かべると、軽く腕を上げてハシモトの方を指差した。
「この者は元の世界で、私が下働きとして使っていた者です。どうやらこちらへと召喚された際に、何かの手違いでついて来てしまったものと思われます」
「下働きですか?」
麗奈の言葉に、長く白い顎髭を持つ、いかにも偉そうな感じのする老人が答えた。
「はい。何の能力もありませんが、かと言って何の害にもならない者ですので、特に気にする必要はありません」
「はい、聖女様」
麗奈の言葉に、周りにいる人影が一斉に床に跪く。やはり聖職者達なのだろうか? よく見ると、みんな黒に近い紺色のローブの様なものを着ている。
「先ほど、女王陛下にも、召喚の儀が無事に終わりましたことを、ご報告させていただきました。すぐにでもお会いしたいと仰られて、今夜の晩餐会にお招きしたいとのことです」
白く長い顎髭を蓄えた老人が、そう麗奈に告げた。
「国王陛下にも、拝謁できることを楽しみにしておりますと、お伝えください」
「はい、間違いなくお伝え致します。そこで女王陛下をはじめ、王家の方々並びに、この国の主だった者達を、聖女様にご紹介させて頂く予定でおります」
偉そうな老人に対して、麗奈が鷹揚に頷いて見せた。その姿に、ハシモトの頭が、白い世界で孤独に耐えていた時以上に混乱する。
言葉遣いといい、態度といい、本当にあの麗奈なのだろうか? いや、麗奈とそっくりな別な誰かと言われた方が、遥かに納得がいく。だがこちらのことを分かっていると言うことは、やはりあの麗奈ということだ。
「儀式を終えられたばかりで、お疲れかと思います。聖女様におかれましては、晩餐会まで、法院の賓館にてご休息の程をお願い致します」
老人はそう告げると、背後を向いて小さく手招きをした。その合図に、小柄な人影が老人の脇へと進み出る。
「大変恐縮ではございますが、私共は晩餐会に向けての準備並びに、聖女様が降臨された告知の準備をさせて頂きます。賓館への案内と、身の回りのお世話につきましては、こちらのフレデリカの方で承らせて頂きます」
「フレデリカと申します。どうかよろしくお願いいたします」
小柄な人影は、麗奈に対してそう挨拶をすると、深々と頭を下げた。その動きに合わせて、少し癖のある赤毛の髪がぴょんと跳ねる。そして麗奈を尊敬に満ちたオレンジ色の瞳で見つめた。
『完璧だ!』
心の中でハシモトは唸った。目の前に、ハシモトの書く誰にも読んでもらえない投稿小説に出てくる、ヒロインそっくりの少女がいる。
これこそ間違いなく異世界転生、いや異世界転送? そんな細かいことはどうでもいい。異世界テンプレものの醍醐味とも言える、いきなりのヒロイン登場に、ハシモトは万歳三唱をしたい気分だった。
そんなハシモトのニヤけた表情に気が付いたのか、麗奈はハシモトだけに聞こえる小さな音で、「フン!」と鼻を鳴らして見せた。そして少女に対して、いかにも慈愛に満ちた表情を向けると、
「レナと申します。こちらこそ、よろしくお願い致します」
と丁寧に挨拶を返した。麗奈の態度に感激したのか、少女の目が潤みそうになる。
「若輩の身ではありますが、お役に立てますよう、精一杯努力させて頂きます。では出口へとご案内致します」
フレデリカの言葉に、麗奈は小さく頷いて見せた。そして白いドレスの裾を引きながら、彼女に続いて出口へと向かう。ハシモトも慌ててその後を追った。
背後ではそこに集う者たちの、頭を下げる衣擦れの音と共に、扉が閉まる音が響く。目の前には小さなランタンを持つフレデリカと、円形の壁に沿って、下へと続く螺旋階段があるのが見えた。
「うわ!」
ハシモトは口から怯えた声を上げた。とても高い建物らしく、ランタンの灯に照らし出された階段の先に終わりは見えない。階段の幅も、二人がかろうじて並べるぐらいしかないうえに、手すりらしき物は何処にも見当たらなかった。
「モブ、お前の肩を貸しなさい」
そう告げると、麗奈はハシモトに向かって顎をしゃくって見せる。どうやら麗奈は、ハシモトの体を手すりの代わりに使うつもりらしい。
「あ、モブさんってお名前なんですね」
それを聞いたフレデリカがハシモトに声を掛けた。
「全く違います。ハシモトです」
「ハシモトさんですか?」
フレデリカが当惑した表情を浮かべる。そして麗奈とハシモトの顔をちらりと見ると、どうやら二人の会話に口をはさむのは危険だと悟ったらしい。
ウサギが跳ねるように階段をいくつか降りると、今までより少し離れた位置で、階段を下りはじめる。それを見た麗奈が、背後からハシモトの耳元へと口を寄せた。
「どうして、あんたが一緒についてくるのよ!」
「どうしてと言われましても、夢というものは中々制御が出来ないもので……」
「夢! 何を寝ぼけた事を言っているの。これは間違いなく、夢なんかじゃないわよ」
「はあ?」
ハシモトは夢の中の、美人度は少しばかり上がっているが、性格の悪さは相変わらずの麗奈に対して、生返事を返した。
「寒い中、耐えに耐えて、やっと羽田さんに声を掛けられたと思ったのに、あんたと一緒に異世界行きだなんて、新年早々やってられないわね!」
「ちょ、ちょっと待ってください。ハデス、羽田に声を掛けたって、神社の参道の入り口ですか?」
「そうよ。まさに一年の始まりにふさわしい場所よ」
「あの、そこでトラックに轢かれた記憶とかありません?」
「モブ役の警官がじゃまをしてくれたのと、耳障りな音が聞こえたぐらいしか覚えていないわ」
「え、ええぇぇ!」
もしかして、あれは夢ではなかったのだろうか? そうだとすれば、麗奈の言うとおりに、これも夢ではないという事になってしまう。
ハシモトは前を行く、紺色の僧服をきたフレデリカの後姿を見つめた。彼女が階段を一歩降りる度に、赤いくせ毛がぴょんと跳ねるのが見える。これが現実とは到底思えない。つまり全ては夢なのだ。
「何をいやらしい目で眺めているの!?」
その言葉と共に、背後からいきなり背中の肉がつままれた。
「いた、痛いですよ!」
「もしかして、あんたロリコン? うわ、キモ!」
麗奈が道端の汚物を見るような目つきでハシモトの事を眺める。
「誰がロリコンなんですか!」
「あんたにきまっているでしょう!」
「あんな素敵な子を見れば、かわいいとか思うのは普通でしょうが! それに多分、高校生か、大学生ぐらいですよ。普通のアイドルと変わらないじゃないですか!?」
「素敵? とてもそんな目つきじゃなかったけど? 羽田様以外の男って、女を体でしかみれないゴミね、ゴミ! モブゴミ!」
「何を世間の半分を敵に回すような発言をしてくれているんです。それよりも、どうして私たちが初詣に行くことを……」
「相変わらず、どうでもいいところで細かい男ね。偶然、いや運命に決まっているでしょう。私と羽田さんはしめ縄並みの赤い糸でつながっているの!」
「ス、ストーカー……」
「誰がストーカーですって!」
麗奈がハシモトの背中の肉を再びつねる。本気でつまんでいるらしく、麗奈の長い爪が食い込んで、悲鳴を上げそうなぐらいに痛い。
「い、痛い。本気で痛い!」
この痛さは間違いなく本物だ。という事はこれはものほんの異世界行き!? あまりの事態に、階段を降りるハシモトの足が止まった。
「何をしているのよ。危ないでしょう!」
背後に続く麗奈が、急に立ち止まったハシモトへ文句の声を上げた。
「あの、何かご心配なことでも?」
その声に、前を行くフレデリカが、慌てた様子で背後を振り返ると、麗奈に声を掛けてきた。
「なんでもありません。こちらへ呼ばれる前に、戸締りをちゃんとしてきたのか、この下働きに確認していただけです」
「戸締りですか?」
「ええ、世の中ぶっそうですから。そうですよね!」
「えっ? は、はい。そうです。いきなりトラックに轢かれるやつがいるぐらいですから、世の中とっても物騒です!」
「モブは黙っていなさい」
その言葉に、ハシモトは心の中で、「お前が聞いて来たんだろう!」と突っ込みを入れたが、これ以上やり合うと、明らかに何かが破綻すると思い口を閉じた。
「ところで、フレデリカさんはおいくつですか?」
「わ、私ですか? 16で、もうすぐ17になりますが?」
「やっぱり、ロリコン――」
「違います!」
フレデリカは二人の会話がさっぱり分からないのか、あ然とした表情をしていたが、思い出した様に愛想笑いを浮かべると、ランタンを壁へ掛けて、その先にある大きな扉を押した。
扉の隙間から流れ込んできた風が、麗奈の下ろした黒髪と、白いドレスの裾を巻き上げる。そして二人の前の視界が開けた。
目の前にはハシモトが予想した様な明るい日差しはなく、厚い雲がかかった暗灰色の空が見えている。そして台風の接近を思わせる強い風に、左から右へと、足早にそれが流れていくのが見えた。そして足元には石で舗装された道があり、急な坂を下りながら先へと続いている。
「ここは――」
隣に立つ、麗奈の口から感嘆の呟きが漏れた。ハシモトも麗奈の気持ちが良く分かる。道の先には大小の塔を備えた、ハシモトが見たことがない、荘厳としか呼べない街があった。
「王都、イシュタルです」
背後で扉を閉めたフレデリカが告げた。振り返ると、そこにはハシモトたちが降りてきた、灯台を思わせる高い塔が目に入る。ただし灯台とは違って、真っ黒な石で出来ており、暗雲の下にそびえ立つその姿は、少し禍々しくも感じられる。
「この塔は?」
「始まりの塔です。一般には祈りの塔とも呼ばれています。王都のどこからでも見えますから――」
ハシモトはフレデリカに頷いた。そして多少げんなりした気分で、王都へと続く急な坂道を眺める。その途中に目立つ建物は何もなかった。
「あの、賓館の場所は?」
そう尋ねたハシモトに対して、フレデリカがとてもすまなさそうな顔をする。
「はい。王都の近くになります。本来なら馬車でお送りすべきところなのですが……」
「この坂では無理ですよね」
「はい。ですので、大変恐縮ではありますが、そちらまでは徒歩での移動になります」
「ですよね……」
「はあ」
麗奈とハシモトの二人の口から、まるで申し合わせたかの様に、大きなため息が漏れた。