テンプレ ~その3~
ハシモトは自分が意識を取り戻した事に気がついた。正しく言えば、それしか認識出来なかった。それ以外は何もない。自分の体すら感じられない。ただ真っ白な世界があるだけだ。
『死後の世界?』
そんな考えがハシモトの頭をよぎる。確か見ていたのは、麗奈がトラックに轢かれる夢だった。ならばこれは夢の、悪夢の続きと言う事になる。ハシモトが覚えている最後の場面、そこではでかい三本足のカラス達が、ハデスと何やらよく分からない話をしていたはずだ。
そのモノクロの夢から、自分の体を含めて、そこにあった全てのものを取り払ってしまったとしか思えない世界に、ハシモトの意識だけがぽつりと存在している。
それにしても、何もないと言うのは、なんて非現実的な夢なのだろう。そう思った時だった。ハシモトは不意に、夢の中でハデスが自分に告げた言葉を思い出した。
『全ては常識の範疇だよ』
確かにそう言ったはずだ。それにこの真っ白なだけの何もない世界。よく考えれば、これにもなんだか既視感がある。とある小説投稿サイトで、何度も、何度も読んだ設定、いわゆるテンプレだ。この後の展開と言えば……
「ステータス!」
ハシモトは己の意識の中で、お約束の言葉を叫んだ。だが何も起こらない。どうやらこの世界観では、ステータスという便利なものは存在しないらしい。いや、そう決めつけるのは早計だ。そう言えば、その前に何かが必要だった気もする。
「鑑定!」
ハシモトは再び心の中で声を張り上げた。だが何も起こりはしない。体は感じられないが、それでも肩をすくめたい気分になってくる。
だが諦める訳にはいかない。テンプレベースでも、それを完全に踏襲するのを潔しとしない著者は山ほどいる。ハシモトは気を取り直すと、自分が思いつくバリエーションを色々と試してみた。だがそのどれにも反応はない。そしてある結論に達した。
「そうだ、まだ女神様に会っていなかった!」
焦りの為か、段取りというものを忘れていた。まずは女神様に会って、お願いするとか、向こうからのお願いを聞くとかの段取りがあるはずだ。ハシモトは意識を集中すると、女神の声をじっと待った。
待った。待った。
ただひたすらに待った………………
…………そして限界がきた。
「あああああああ!」
ハシモトの魂が悲鳴を上げた。何も、何も起こらない。何も感じない。ただ白い空間に、相変わらず意識だけがぽつりと浮かんでいるだけだ。だがどういう訳か、意識だけは妙にはっきりとしている。
それに目が覚める気配もない。これは夢だ。夢なのだから起きろと、自分に語り掛けても、怒鳴ってみても、何の変化もない。自分の体をつねってやりたいのだが、その体も感じられない。まさに八方塞がりだった。
もしかしたら、これは人類の誰もかつて見たことがない、最悪の悪夢なのではないだろうか? ハシモトの意識にそんな考えが浮かんだ。
「あの、あなたが先導者ですか?」
その時だった。不意に誰かの声が心に響いた。甘く透き通った女性の声。とうとうおかしくなっただけなのかもしれないが、自分以外の声が聞こえたことに、ハシモトの魂は歓喜の涙を流した。
「は、はい!」
「先導者で間違いないですよね?」
再び声が響く。だがハシモトはその声が、こちらを名前ではなく、『先導者』とかいう役割らしきもので呼んだことに気がついた。確かカラスもどき達もそんな言葉を口にしていた気がする。
だがそんなことはどうでもよい。違いますなんて答えて、どこかに行かれてしまったりしたら、もう抜け出す手段などない。
「はい、間違いありません。私が先導者です!」
ハシモトはもし体があったならば、手を額に当てて、敬礼でもしたい気分で声を張り上げた。
「本当にこれでいいの? あっている? 間違いない。そうなのね」
どうやら声の主は、ここからは感じられない、ハシモト以外の誰かとも話をしているらしく、その会話の断片も、ハシモトの意識の中へと流れ込んでくる。
「お待たせしてすいません。ですが本来なら、この様な特殊な手続きは、申し込む側も受ける側も、十分な根回しをした上で、準備万端で進めるべきものなのです。今回は異例中の異例で……。まあ、この辺りについては、あなたに話をしても仕方がない事でしたね……」
「はあ」
女神の言葉に、ハシモトはとりあえず生返事を返した。それでも相手はブツブツと、低い声で文句を言い続けている。それはハシモトの会社の上司、ハシモトより一回り以上年下な、女性課長の口調にそっくりだった。
気のせいだとは思うが、その口ぶりから、中間管理職特有の自虐感までも、彼女と同様に感じてしまう。
「それよりも、なんで実体化しないんですか?」
「実体化ですか?」
「ええ、見かけの年齢は人それぞれですけど、普通は魂で自分の体を形作ります。まあ、稀に自分の想像する理想の姿になる、厨二病がひどい方もいますけど――」
「はあ」
ハシモトは再び生返事を返した。自分の姿、腹が出てきた中年男性の姿を思い浮かべてみるが、特に何の変化もない。
「ちょ、ちょっと、レベル低すぎですよ。先導者としての自覚はあるんですか!?」
「は、はい!」
やばい。見捨てられかかっている。ハシモトは慌てて返事を返した。しかしこのきつい声、間違いなく課長の口調そのものとしか思えない。
「本当にこれでいいの? え、変更不可?」
ハシモトからは感じられぬ誰かと話している女神から、驚きの声が上がった。そして大きなため息も聞こえてくる。
「仕方がありませんね。例外の上に、さらに例外ではありますが、私の方で少し補助をすることにします」
その声と同時に、ハシモトは自分が裸のまま、真っ白な部屋の床にいることに気がついた。まさにお約束の展開だ。だが実際にやってみると、恥ずかしいことこの上ない。
「あ、あの!」
「こちらはあなたの貧相な体に、全く興味などありませんので、気にしないでいいです」
「はい……」
女神の言葉に、ハシモトは少しモジモジしながら辺りを見回した。すると部屋の中に光り輝く姿、どうやら女性らしき輪郭が見える。しかし川面に反射する光の様に、はっきりとは見えない。
どんな美女かと、それを見るのを楽しみにしていたハシモトとしては、少しがっかりした気分になった。それでも、やっと本来のあるべき筋には戻って来れたらしい。
「それで、どの様な力をいただけるのでしょうか?」
できれば赤ん坊からやり直しとか、面倒なことはやめて欲しい。疲れたり、血を見たりするのは苦手だから、魔法職の様な、あまり手が汚れない立ち位置がいい。それになんと言っても、最初に出会うヒロインは、赤毛で癖毛の少女にして……
ハシモトの頭の中で様々な妄想が、これでもかと渦巻く。
「色々とありますが、一般的なものといえば、ヤンデレ賢者に溺愛、失礼、これは女子向けでしたね。幼馴染と一緒に冒険に旅立つとか――」
ハシモトは女神(らしき存在)が自分に告げた台詞に歓喜した。もしかしたら、この一瞬のために、自分は誰にも読んでもらえない投稿小説を書き続けてきたのかもしれない。いや、そうに違いない!
「――少女の危機を救う孤高の剣士、あるいは魔法使い辺りですね。最近はパーティー追放ものも流行りですよ。えっ、選択肢はなし? これって、もうカビが生えた様な――」
だが途中で女神の説明が急に止まった。そして不穏な空気が流れる。
「あの〜、何か問題でも?」
「おほほほ。なんでもありません。では先導者ハシモトよ。あなたが救うべき――」
女神の話の途中にも関わらず、辺りが眩い光に包まれる。そしてまるでトイレに水を流すような音も響いてきた。その音のせいで、肝心なところが何も聞こえない。
「あの! よく聞こえなかったので、もう一度説明を――」
「では、行ってらっしゃい〜〜」
なぜか女神の最後の台詞だけは、はっきりとハシモトの耳に届いた。




