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「良通にはこんな逸話も残っているんだよ。1575年に起こった長篠の戦では赤く塗った槍と鎧を身に着けて味方の軍を鼓舞したと言われている。この時戦っていた相手は武田軍だからね。武田の精鋭部隊は赤い鎧を身に着けるというのが習わしになっていたから、ワザと着てみせたに違いない。もしこんな事、信長の直臣がやれば不評を買っただろうけど、やって見せたのはあの良通だから信長もその姿に喜んだと言われているよ。『じいさん、やるなぁ!』ってね。良通は人の心を読むのが上手かったし、自分がどう見られているのかもちゃんと分かった上で行動している節がある。そこがアタシは気に入っているのさ」
「ハイハイ、良通の事はよく分かったわ」
「これで分かったなんて言わせないよ?良通の事はまだ半分も語り尽せていないんだから」
「これで半分!?まだあるの?」
「当たり前だよ。まだ本能寺の変が実は良通がきっかけで起こったのではないかという説や、信長亡き後の織田か豊臣、どちらに付くのかも見どころだし、更に孫の福はあの徳川三代将軍・家光の乳母だからね?大奥で絶大な権力をふるった春日局その人だよ。いっかいの武士の娘がなぜ乳母に抜擢され、権力を握ることが出来たのか?それは姉川の戦いで見せた徳川に対する良通の配慮、それに浅井対稲葉の因縁が影響しているんだよ。そんな二人が”お局様”と”頑固一徹”という言葉として共に後世に名前が残っているなんて凄くない?」
「ちょっと待って・・・・・・それ、全部話すのにどれだけかかるのよ」
「歴史はずっと続いていくものなんだ。語り尽せないよ」アタシはカッコつけて言った。
はなっちが後ろからアタシの両肩をつかんで言う。
「風香ちゃん、分かった?月光ちゃんと一緒にいると、ずっとこんな話が続くんだよ?戦国時代のゲームをしている時なんて、ずっとうんちくを喋り続けているからね?ずっとだよ?」
「大変なのがよく分かったわ、」
「じゃあ、しょうがないから今日は良通が最後にどうなったのだけ教えてあげよう。1579年、良通は息子に家督を譲って自分が建てた美濃清水城に隠居したんだ。この時64歳、周りと比べればだいぶ遅い隠居だよ。信長だって75年には息子へ家督を譲っているからね。この家督を譲った辺りで良通は仏門に入って法号を一鉄としたようだよ。面白いのが、信長は勝手に一鉄を名乗った事に怒ったと言われているんだ。自分の長の字を貰わなかったことを根に持っていたのかもしれないね。『じいさん!あんなに偏諱しないって言ってただろ!』とか?まあ、すぐに仲直りしたようだけど、」
「案外、信長も可愛いところあるのね」
「それだけおじいちゃんの事がお気に入りだったに違いない。この頃の信長は徹底的に敵を叩いていたから周囲から恐れられていた。そんな信長に意見できる数少ない人物の一人だったんだと思うよ。その証に1582年に信長は武田家を亡ぼす為、甲州征伐を行ったんだけど、そこでなんと!あの土岐頼芸を見つけたんだ。良通は信長に頼んで頼芸を引き取った、」
「土岐頼芸ってだれよ」
「クッ!」アタシは膝から崩れ落ちそうになるのを堪えてふんばった。
「・・・・・・土岐頼芸、良通が一番最初に仕えた主だよ。道三に美濃を追い出され甲斐の武田家にかくまわれていたんだ」
「あーぁ、いたわね。そういえば」
「頼芸は織田を頼って道三を攻めた。信長のお父さんの時代の事だけど。結局その道三もいなくなり、今更美濃の事でどうこう言われだしたら面倒な人物だよ。敵対しそうな相手をとことん潰して回っていた信長には生かしておく理由もない。けど、良通のお願いだったから生かされたんだと思うよ。まあ、頼芸自身もう80を超えたおじいちゃんだったから、何もできないだろうという判断だったのかもしれないけど」
アタシはふーみんに聞いた。
「頼芸の妾といえば?」
「めかけ・・・・・・あ、深芳野」
「そう。ふーみんの説では深芳野は弟の良通によってかくまわれた事になっていたでしょ?だから頼芸は彼女と再会できたのさ。頼芸は後悔して深芳野に謝ったんじゃないかな?コレもたらればの話になるけど、もし彼女を道三に下げ渡さなければ、結末は大きく変わっていたはずだよ」
「おもしろいですね、先輩!ラノベでいうところの”ざまぁ系”ですか?」
「深芳野が『ざまぁ!』と言ったかはさておき、良通によって助けられた人物がもう一人いる。深芳野の孫、龍興さ。彼は信長による稲葉山城攻めの際、木曽川を船で下って伊勢へ落ち延びている。酒に溺れて家臣の信頼もなく、美濃三人衆から見限られた龍興に逃げ道なんてあったと思う?誰かが手引きしてあげたんじゃないかな?それが良通だったんじゃないかと、アタシは思っている。信長もあの良通の近親者であれば、わざわざ打ち取ってしまうと良通の反感を買うと考えたのかもしれない。逃亡する龍興を見逃した可能性もある」
「龍興の方は結局どうなったの?」
「龍興はその後、長島一向一揆に参加したり、機内の三好三人衆と結託したりして信長に抵抗していたらしい。その際、打ち取られたという説もあるけど、生き延びて越中、今の富山県で住職となって80過ぎまで生きたという言い伝えもある」
「だとしたら、しぶといわね」
「稲葉家はしぶといのさ。生きていれば勝ちという考えを地で行く家系なんだよ。実力は誰もが認めるところだけど、敢えての二番手。天下を取るなんて理想は掲げちゃいないんだ。陰の実力者とでもいえばいいのかな?上に立ってくれる人があればそれに従って余計な争いは避けるし、生き残る為であれば君主も変えていくその柔軟さは頑固とはかけ離れたものなのかもしれない。けど、それは家督を継いだ時に親兄弟を一度に失った経験から来るものなんだろうよ。生きることに関しては頑固だったと言える。あのすべてを思い通りにしていく信長ですら、最後はあっけないものだった。本能寺の変で簡単に討たれてしまったんだから。おさらいしてみようか。長良川の戦いでは義龍と道三に分かれて戦ったでしょ?血のつながりが重要なんだ。義龍に付いたのは良通で、道三に付いたのは信長であり、明智だった」
「ああ!」ふーみんも気付いたようだ。
「ね?誰が最後まで生き残ったかという話さ。その良通も1588年、美濃清水城で亡くなった。74歳だよ。常に最前線で戦っていたのに討たれる事なく、畳の上で大往生を果たすなんて、戦国武将として凄いでしょ?稲葉良通・生涯負けなし!」




