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パイセンへのゴマすりを済ませ、アタシは続きを語った。
「長良川の戦いの後、信長は頻繁に美濃を攻める様になっていく。それを見越して高政は美濃の統治を急いだんだろうね」
「信長相手じゃピンチじゃない」
「1556年、この頃はまだ信長も尾張国内をまとめ上げていなかったんだ。こっちも兄弟同士で争っていた。だからそれほど脅威ではなかったよ」
「どこもそんな話ばかりなのね」
「そして1558年に高政は将軍・足利義輝から一色を名乗ることを許されている。美濃をまとめ上げる為の箔付けだね」
「お母さんの深芳野が一色だっけ?」
「ふーみんも覚えてきたじゃん。そうなんだ。深芳野の子だから足利一門の名門、一色氏を名乗ることが出来た。翌年、1559年には京へ上洛。将軍・足利義輝にも謁見しているよ。この時、諱を高政から義龍へと偏諱している。義龍のよしは足利義輝のよしから一字貰ったものなんだ。これはとても名誉な事なんだよ」
「よし!」
チカ丸が変なポーズをしてくれている。よし、よし、言ってたから反応したな?だいぶこの部活が分かってきたじゃないか。
「ヨシ!」
アタシも同じポーズをして返してあげた。
「将軍様から正式に一色を名乗ることを許され美濃を名実ともに収めることになったんだよ、一色義龍は。おもしろいよね土岐でもなく、ましてや斎藤でもなく、一色を名乗るんだから。どちらの父親も超えてやったんだという現れだったのかもしれない」
「ねえ、義龍のたつは龍じゃないの?」
「いい所に気付いたね。ふーみん、さっすがぁ!」
「バカにしてるでしょ!」
「してないよ。この龍の解釈については判断の分かれるところだね。読みようによっては、義輝の龍とも読める。足利一門に加わった一色の龍という意味だよ。だから道三が息子に付けた龍との決別や皮肉が込められていると言ってもいい。けど、いい話に持っていくなら、義龍も道三から本当は認めて欲しかった、龍の字が欲しかった現れだとも解釈できる。ふーみんはどっちだと思う?」
「んー、私なら決別かな」
「ふーみん意外にドライだな」
「だって父親を討つと決めたんだから、後になってそんな事しても今更って感じがしない?」
「そういう見方か。おもしろい」
パイセンがこちらにふり返って言う。
「義龍は強くて、仕事も出来て、家臣からの信任も厚い。その上、将軍の後ろ盾もある名門の出だぜ?向かう所、敵なしだろ」
「確かに。この頃の義龍は戦国最強を名乗っても過言でも何でもないと思うよ。信長は長良川の戦いで集まった兵の数を見て驚いたんじゃないかな?あの時、明智城を攻める為に別動隊を3千ほど割いていたから、兵の総数は2万を超えていたんだ。単純に兵の数だけで比較してみると、甲斐の虎と呼ばれて恐れられていた武田家は兵士の総数が1万前後だと言われている。越後の龍と呼ばれた上杉謙信も同じくらい。海道一の弓取り、今川義元は2万5千。相模の獅子、北条氏康は彼の治める関東がこの頃、ひどい飢饉に見舞われていたから兵を集めるのも苦労したんじゃないかな?。第六天魔王信長は家督を継いだばかりで織田家は家臣が対立していた。お父さんの信秀と比べれば従う兵の数は格段に少なかったはずだよ。その穴埋めのための鉄砲だったんだろうし」
「兵士の数より、なに?その男子が喜びそうな変な呼び方」
「変だと?二つ名で呼ばれるのは大大名の証だよ?多くはその治める土地と武将のイメージを合わせて呼ばれるんだ。まぁ、信長の場合、第六天というのは仏教の世界の事で、そこを治める魔王なんて中二病感が出ちゃってるのは否めないけど。しかも武田信玄へ送った書状の中で自ら名乗っている点も、痛々しさが入ちゃってる」
チカ丸とはなっちが揃って中二病ポーズをとってくれている。
「今川義元は?そんな呼び方されてたの?その人って信長に負けたんでしょ?」
「今川義元は信長に負けたイメージが強すぎて侮れるけど、当時は天下取りに一番近かった大大名だよ。武芸にも優れていて海道一の弓取はそんな彼を称える二つ名だよ。決して中二病なんかじゃない。決して!」
「プッ!」かいちょが吹き出した。怖い話は終わったから安心したな?もっと笑わせてやろうか。
「道三の二つ名『美濃のマムシ』は創作なんだし、一色義龍にもふーみんが二つ名を考えてあげたら?」
「そうねぇ・・・・・・長良川でお父さんを倒したんだからぁ・・・・・・長良のマングースは?」
「ブフーッ‼」かいちょが思い切り吹き出した。
「マングースは蝮じゃなくて、ハブだよ!それだと沖縄じゃないかッ!」
「略して長良マン」はなっちがすかさず乗って来る。
「もうご当地ヒーローだろッ!それ!」
「クククッ!」かいちょはお腹を抱えて笑いを堪えている。




