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「あ、私が持ってましょうか?」
「そうか?悪いな」
ポスターを全部受け取ったヒメが言う。
「コレ。大河ドラマをネタにしてるんですよね?」
「そうだろうね。家康が信長に代わってるけど、」
「アンタ、もしかして大河ドラマ見てるの?」
「もちろん。」
「うわぁ、」
歴史を苦手にしているふーみんにとっては、信じらんないといった反応が返ってきた。
「面白いよ?戦国時代だとこの地方が主要な舞台になっているからね。岐阜城が出てきたら見所だよ。お城の向きと見上げる角度で長良川より北側から見ているのか南側から見ているのかが分かるんだ。立っている場所が特定できるから、CGで人物のバックに岐阜城を使っちゃうと注意が必要なんだよ。川は治めている勢力の境界線になっていたりするんで『その場所にその人、立ってて大丈夫?』なんてツッコんだりできる」
「アンタのは細かすぎるのよ」ふーみんが呆れているのに対してヒメが尊敬の眼差しを向けてくる。
「さすが先輩です♪私も見てますよ。母が歴史好きなので一緒に」
「あぁ、お母さんの影響でその名前になったんだったわね」ふーみんが哀れみの視線を送る。ヒメは苦笑いした。
「ふーみんも見たらいいのに。大河ドラマは歴史の勉強にもなるよ?1つ逸話を教えてあげようか。帰蝶が織田家に輿入れした際、信長が聞いたんだ」
アタシはヒメに向かって言った。
『そなた、名を何と申す』
ヒメは一瞬戸惑ったが、意図を察して応えてくれた。
『帰蝶と申します』
『ふむ。我が信長の妻に、蝶などと儚き名はふさわしくない。美濃から来た姫なのだから、これからは濃姫と名乗るがよい』
「はい、、、」
はにかんで照れるヒメ。なんだよッ、その反応!こっちまで照れるじゃないか!はなっちなら照れずに最後まで付き合ってくれるぞ?
「ヒメはまだまだだね。こういうのは照れずに最後までやりきることが重要なんだ」
相棒も頷いてくれている。
「す、すいません。先輩」
ふーみんが呆れつつ言う。
「なんで戦国時代って名前をコロコロ変えるの?そこが意味わかんないし、こんがらがるのよ」
「そうだね。昔は名前に色々と決まりごとが多かったんだよ。例えば生まれた時に付けられる名前を幼名といって、これは元服して成人するまでの仮の名に使われていたんだ。おもに、”なんとか丸”とか”なんとか千代”という名前が多かったみたいだね。有名なところでは徳川家康の幼名は竹千代だよ」
アタシはチカ丸に言った。
「そなたも再来年には元服であるな。その折には新たに諱を与えてしんぜよう」
「委細承知仕った(いさいしょうちつかまつった)」彼女からは変な武士言葉が返ってきた。恥ずかしげもなく言い切るのはエライ。ただ、使い方が微妙にズレている気がするけど、ちゃんと分かって言ってるのかな?
「その、いみな?っていうのは?」
「諱は本名の事だね。織田信長の”信長”部分だよ。元服すると親や君主から一字貰って名乗っていたんだ。昔はね、この本名を軽々しく言ったりしなかったんだよ。忌む名とも言って、言葉にするのを避けていた。その一つの理由に、言葉には力が宿っているという考え方、言霊思想が関係しているそうだよ。本名を知られると鬼に操られる、とかって昔話で聞いた事ない?幼名を付けるのも鬼にさらわれない為だというし、自分の身を自分で守れるようになる元服までは仮の名を付けて隠してるのさ」
「でもドラマなんかだと『信長様』って普通に呼ばれてない?」
「そこは視聴者に分かりやすくしているんでしょ。あくまで創作だから。もし戦国時代に『信長様』なんて言ったら『無礼者ッ!』って、たぶんその場で打ち首になってると思うよ」
「ウチクビ、ゴクモン」チカ丸からまた普段使わない日本語が飛び出す。
「そういうものなの?じゃあ、なんて呼んでたのよ」
「普段は仮名、あだ名で呼んでいたんだ。信長の場合だと三郎だよ」
「三郎って・・・・・・いきなり庶民的になったわね」
「このあだ名も同格の間柄でしか使わないけどね。アタシがみんなをあだ名で呼んでいるのは、古式ゆかしき日本の風習にのっとっているからなのさ」
ふん!と胸を張って見せた。
「ほう、海津。お前はアタシと同格のつもりでいたんだな」
鉄製の防火戸を軽々と戻し終えたパイセンが凄みを聞かせて言う。
「い、いやだなぁ。パイセンは先輩という敬称を使っているじゃないですか。昔で言えば殿ですよ。ははは、」
フッと、彼女は笑った。
「家臣の場合、目上の人をあだ名では呼べないから殿と呼んでいたみたいだね。武田信玄だと殿じゃなく、お屋形様と呼ばれていたようだよ。武田家は甲斐の国の守護大名だから、守護職はそう呼ぶらしい。同じ理由で役職名でも呼んでいたようだね。豊臣秀吉でいうと、筑前守から始まって参議、権大納言、内大臣、太政大臣、関白と出世し、最後は職を譲って太閤殿下と呼ばれていた」
「月光さん。でしたら、私の事はあだ名で呼んでくれていないんですね」
今度はかいちょが突っ込んでくる。
「かいちょは会長だもん。特別扱いしてあげているのさ」
フフッと彼女は笑った。
「後は偏諱と言って君主から名前を一字貰って改名することもあるよ。それはとても名誉なことで、上杉謙信は最初の名前が長尾景虎だったけど、将軍足利義輝から輝の字を貰って諱が輝虎に変わってる。更に上杉家の養子になったから苗字も長尾が上杉に変わった。しかも仏門に入って出家すると、法号である謙信を名乗っていた」
うんうんと、聞いていたふーみんの表情が怪しくなっている。
「更に、氏と姓というものもある。氏は平安時代から続く由緒正しい血族で、源、平、藤原、橘の4つを源平藤橘と言うよ。武士はこのどれかの血筋を引いているという建前らしい。建前というのは農民上がりの武士もいたからだよ」
「う、うーん」ふーみんの眉間にシワが寄る。
「姓は氏を名乗る人たちの序列を表しているんだ。上位から、真人、朝臣、宿禰、忌寸、道師、臣、連、稲置の8つがある」
「うん。」彼女からは簡潔な返事が返ってきた。
(あ、諦めたな?)
「大丈夫だよ。この辺はオタクぐらいしか把握して無いから。テストには出ない」
「アンタ、よくそんなの覚えてるわね」
「まあね。ふーみんも信長の正式名称ぐらいは覚えておきなよ『おぉ!』って一目置かれるから」
アタシは数を数える様に指を折りつつ、区切り区切り言った。
「平 朝臣 織田 上総介 三郎 信長(たいらのあそん おだ かずさのすけ さぶろう のぶなが)ハイ!repeat after me」
「タイラノアソォン オダァ カズサノスケェ サブロォウ ノブナーガ」
反応してくれたのはチカ丸だけだった。妙な英語訛りがあるけど、一度で言えるなんてすばらしい。知ってたのかな?知識に偏りがあるんだな、この娘。
「平が氏で朝臣だから2番目の地位だというのが分かる。織田は苗字だよ。上総介は官職の名前で、三郎があだ名。最後の信長が諱だね」
ふーみんは力なく首を振っていた。
「おーい、だべってないで次行くぞ?こんな調子じゃあ終わんないぞ」
パイセンが歩き出した。




