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唄えないマーメイドの挑戦

窓ガラスを拭きながら窓の外を見つめる。

ぱらぱらと、小さな水滴が地面の色を変えていく。


『私も、たくさんの人に支えてもらえたから自信を持てた。だから今ここにいる』


彼女のこの言葉は不可解だった。話の流れから、自信を持てた、という部分はわかる。だが、それがここにいる事とどう繋がるのか。だから尋ねた。


『どういう意味だ?』


彼女は謎めいた微笑みを浮かべた。


『それはまだ言えない』


彼は、その答えに不服を示すように軽く息をついた。


『君は、自分の話をあまりしないな』


よくわからない謎掛けばかり出してくるのに。


『それは……あなたもでしょう。店長さん』

『俺は……』


話したいことなど無いのだ。

いつも通りこの店で客を待ち、外の景色を眺め、店内を整え、飲み物を作る。いつも変わらない日常の景色だ。


彼女が外で見てくる景色を、その目に写したものを聞かせて欲しい、そんな事を思った。


『いつか、あなたの好きなものの話を聞かせてね』


彼が思ったことを伝える前に、彼女はそう言って寂しげに笑って、立ち上がって出ていってしまった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


今日も赤い傘が見えるだろうか、と灰色の外を見ていると、人影が近づいてきた。

彼女だった。傘を差しておらず、片手は小さな紙袋を持って、もう片方の腕で頭を覆いながら走ってくる。


彼女が入りやすいよう、ドアを開ける。外から流れ込んでくる雨の匂いを大きく吸い込む。


予想通り、彼女は走ったまま開いたドアから駆け込んできた。彼女の髪が目の前でふわりと舞い、立ち止まった。

荒い息をして少し髪を濡らした彼女を上から見下ろす。


髪に光る水滴がなぜだか無性に綺麗に見えて、手を伸ばそうとして、はたとその手を止める。


(何をしようとしてるんだ、俺は……)


よく知らない相手から髪に触られたら嫌だろうと手を戻し、ドアを閉めてタオルを取りにカウンターの中に入る。


「今日はどうして傘を差さなかったんだ?」

「この位の雨なら平気かなと思って。雨の中を歩くのも嫌いじゃないの」

「そうか……でも風邪をひかないように気をつけて」


タオルを差し出す。彼女は受け取りながら微笑んだ。


「ありがとう。気遣ってくれて嬉しい」


彼女に感謝を述べられて、自分が彼女を気遣ったということを初めて自覚した。

そして、彼女が風邪をひいてここに来なくなるかもしれない、ということを怖れているのだということにも。


(何も知らない相手なのにな……)


こんな関心を抱いていることを悟られたら気味悪がられてしまうかもしれない。彼女には気取られないようにしよう、と彼は思った。


「今日もロイヤルミルクティーでいいのか?」

「うん、お願いします」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


静かな店内で、こぽこぽと湯の沸く音がする。

カウンターに頬杖をつきながら彼女は窓の外をぼんやり眺めていた。


「外も雨音、中も水と空気の音、まるで水の中にいるみたい」

「静かでいいだろ」

「静かでいい……か……」


頬杖をついたまま、彼女は関心が無いようにぼんやりと呟いた。


「ずっとお店の中にいて、外に出かけたいとは思わない?」


目線だけこちらを見て、尋ねてくる。


「さぁ、あまり思わないな。外にそんな魅力的なものがあるとは思わないし」

「そう……」


視線を戻した彼女は、また悲しげな匂いを漂わせた。


その匂いを嗅ぎたくなくて、紅茶の香りに集中する。


「それで、今日は?」


話題を変えたくて作業を続けながら話しかける。最近彼女といるといつもこんな感じだ。


「うん。

……この前来た時にさ、『何か思いを伝えるのに代償がいるならそれは難しい』って私が言ったことを覚えてる?」

「ああ、覚えているよ」


あれは確か美しさに固執する領主に自信を持たせるために言葉をかけるのは難しい、という話の時だった。


「店長さんはさ、何かを手に入れるために手放したくないものを手放さなければならなかったことはある?」

「……いや、無いな」

「……そう。私はあるよ」

「何を?」

「今……私、迷ってる。あなたにこれを渡していいものか……」


彼女は目を伏せて言う。

一体何のことだろうか、彼は少し緊張した。


彼女は隣の椅子に置いていた小さな紙袋を取り上げてぐいっと彼の前に突き出した。


「店長さん、これを……受け取ってください」

「これは?」


彼女の挙動に驚きながら紙袋を見つめる。


「これは……その……食べ物」


少し頬を赤らめながら、彼女は珍しく歯切れの悪い小さな声で言った。

彼は顔を上げない彼女を不思議な思いで見つめながら、彼女から紙袋を受け取った。


「これは、クッキーか?」


紙袋の中の小さな包みの感触と重さ、そして匂いからそう判断する。

彼女はこくり、と頷く。


「開けてもいいか?」

「今、ここでは開けないでほしい……かな……。もし、もしよければ後で食べてもらえると、すごく嬉しい……」

「君が作ったのか?」

「う、うん……」


ここまでモゴモゴと言って、彼女はぱっと顔を上げた。


「あっ、でも無理しないで! 嫌だったら全然捨ててくれていいから! 気にしないから!」

「いや、いただくよ」


彼女はその言葉を聞いて、なぜか頬をさらに赤らめた。

彼は自分の表情が綻んでいるのに気が付き、顔を引き締めた。


しかし、気になることが一つあった。


「それで、君は俺に何を伝えたくて、一体どんな代償を払ったんだ?」

「そ、それは……日頃の感謝を伝えたくて……」


彼は鼻をスンと鳴らした。

日頃の感謝、という言葉には少し嘘があるようだ。それでは一体どんな意図があるのか、少し不安になった。

彼女からは気恥ずかしさと、何か切実な感情の香りが漂ってきた。


彼女は彼の反応に気づかず話を続ける。


「受け取るのを断られたり、渡したものを目の前で捨てられたらもうここには来れないだろうと思ってたから……そのリスクが代償……かな」

「……君は俺のことをどんな非道な奴だと思っているんだろう……」


少し傷ついた。


「そ、そうじゃないの! 本当に自信はなくて……でも、受け取ってくれて嬉しい」


彼女の周囲の空気がふわりと柔らかくなる。そこだけ明るくなったように感じた。

なぜかそれを見ていることができず、目線をそらして彼女に尋ねる。


「それで? また話したいことがあるんだろ?」

「うん、今日も私の話を聞いて」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


人から聞いた話なんだけどね。



ある女の子が海で板切れに捕まって漂っている青年を助けました。


どうやら最近起こった嵐のせいで近くで船が難破したようで、彼はその乗客の一人だったようです。


女の子は家族とともに献身的な介抱を行い、時間はかかりましたが青年は無事に回復に向かいました。彼女はその回復を喜びながらも複雑な気持ちでした。


青年のことが好きになってしまったのです。


完全に怪我が治れば青年は故郷に帰らなくてはなりません。


女の子は泣きながら青年を見送りました。


しかしその後数日経っても女の子は思い悩んでいました。

彼女は、青年に思いを伝えなかったことをずっと悔やんでいたのです。ひどく思い詰める程に。


そこで街の占い師に、彼がどこにいるのか尋ねました。青年と話している限りでは、青年は遠い所に住んでいるようでした。


占い師は、彼は女の子とは比べ物にならない高位の人物だから、容易に会うことはできない、と答えました。


『彼にはいったいどうしたら会える?』


彼女は尋ねました。


占い師は答えました。


ちょうど彼と家格の釣り合う高位の家系に、女の子と同い年の娘を亡くした家族がある。その家族に取り入り、娘の振りをして過ごすこと。そうしていれば直に青年と再会できるだろう。


ただし、姿は見る影もなく変わることになるし、決して入れ替わったことを誰にも口外してはいけない。もちろん青年にも打ち明けてはならない。口外した途端、牢獄行きになるだろう。



彼女は受け入れました。


家族に強く反対されましたが、それでも彼に会える可能性があるなら、と彼女は押し切りました。


そして女の子は苦労して亡くなった同い年の少女に成り代わり、月日が経ってから見事に青年に再会することができたのです。


しかし、青年は女の子に気づきません。

何より彼の周囲の人の話によると、彼自身が助けてくれた女の子に会いたがり、行方がわからなくなったことを案じて探しているというのです。


彼女は落胆しかけましたが、家族の励ましの手紙で気を持ち直し、なんとか青年に気付いてもらうよう、行動しました。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「さて、女の子は一体どうやって彼に気付いてもらったのでしょうか?」


彼女は話し終えたというのに少し沈んだ表情をしていた。話している最中も、普段は作り話を淀みなく語るのに、今回は途切れ、言葉に詰まる様子が何度かあった。


「あ、匂いでも声でもありません」


少し気を取り直して心なし声を明るくして彼女は言った。


話の途中で渡していたティーカップを持ち上げ、彼女はロイヤルミルクティーを静かに飲んだ。


「耳の形だな」

「え?」


彼の答えに、彼女は聞き間違いかと思ったようだった。


「人は変装する時耳まで変えない。耳の形は人それぞれ違うから、それで見破れる」

「……青年にはそんな常人離れした記憶力はありません」


「成り代わったことを『口外してはいけない』ということは、口外以外の方法で伝えるのはいいのか?」

「文章に記すなど言語を使った伝達はダメです」


彼はふむ、と顎に手を当てた。


「じゃあ、この方法かな……もしかしたら他にも方法があるかもしれないが」

「なあに?」


彼女は目をまん丸くさせて彼に問いかける。


「彼女は料理を作ったんだな」

「料理?」


「見た目も、声も、匂いでも判別できないとしたら、彼女の振る舞いか共通の思い出で彼に気付いてもらうしか無い。思い出を語るにしても言語を使って『口外しない』、というルールがある以上、どこまで話せるのかリスクが高い。

彼女は彼を積極的に看病していた。つまり料理を振る舞っていた可能性が高い。それが長期に渡っていたなら尚更その味をよく覚えていただろう。

家族と手紙でやりとりしていたなら、家族は成り代わりかそれに準ずる事情を知っていて、当初反対したが、最終的には応援していた。食材などの調達にも協力してくれただろう」


そこまで言って、ふう、と軽く息をつく。


「本当に、いつもすぐにわかってしまうんだね……」


彼女は嬉しいのか嬉しくないのか、よくわからない表情をした。

作り話の謎掛けがすぐ解決されて悔しいのだろうか。


「でも、女の子は青年に気付いてもらえたかな……」

「きっと気付いたよ。

青年と少女の住む場所は離れていたし、階級的にも差があったから、味や素材に違いが大きかっただろう。きっと彼女の作る料理は、彼に少なからず衝撃を与えただろう」

「そう……そうだといいな……。家族にも反対されて、見た目も変わってしまって、彼女が失ったものに対して何か報われるといいな……」


彼女は額に手を当てて、言葉の最後は震えていた。

彼女がいよいよ泣き出すのではないかと狼狽える。何か声をかけて、どうにか触れて、彼女の悲しみを軽くできないだろうかと思いはしたが、何の言葉も出てこないし、どう触れて良いかもわからなかった。


彼が逡巡している間に、彼女は不意に顔を上げた。その顔は予想とは違って泣いてはいなかった。


「店長さん……今日はもう一つだけいいかな?」

「何だ?」


彼女はまた謎めいた微笑みを見せた。


「ここに来るために、私が失ったものは何だと思う?」


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