【92】ルージュなバーで語るらしい
「近所で飲んでくる。」
俺はユーリに一言告げて、マンションを出た。
彼女も来たがっていたが、こっちの世界では未成年なので留守番だ。
それに、今夜は1人で外に出たかった。
歩きでブラブラと、夜道を散歩する。
駒沢通りの方に坂を降りると後で登ってくるのが面倒なので、坂の上で飲めそうなところを探す。
アメリカ橋を越えて、恵比寿ガーデンプレイスへ。
少し気になっていたバーがあったのだ。
ガーデンプレイスの中にはシャトーがある。
フランスの邸宅の形をそのまま持ってきました、って感じの高級フランス料理店だ。
そこの2階に、夜だけ開いてるバーがあると聞き、一度行ってみたいと思っていた。
─大人っぽいところに一人で凸するの、だいぶ慣れてきたけど、まだちょっと緊張するな…。
入り口で、お店の人に
「只今、お席の準備がありませんので…」
と、断られた。
え…混んでるのかな…予約しないとだめだったかな…と、まごまごしていたら、
『なんだ、渚じゃないか』
と声がかかった。
振り向くと、黒い薄手のシャツに黒の薄い生地の、てろんとした光沢のあるサマージャケットを羽織ったエイヴが立っていた。
こちらの世界なんで、部屋の外へ出るときは女性の魔導師・イブの姿ではなく、英国人男性のエイヴとしての姿に变化している。
エイヴの姿なら、なにせ在留カードがある。
『席がないって言われてしまって─』
『ははぁん。君、お腹のポケットからサマージャケット出せる?なるたけいいやつ。』
なんだそれ…と思いながら、俺はシャトーの裏手の人気のないところに行って、お腹から淡いベージュのサマージャケットを出して、Tシャツの上から着た。
店の入口に戻っていくと、エイヴが待ってくれていた。
『さ、入ろう。時間的に、バーのほうだろ?』
そういうと、俺を従えてあっという間にシャトーの中に入っていった。
『こちらでございます、ノートン様』
お店の人も英語で対応してきてる。さすが。、
てかエイヴ、もしかしてここの常連…?
案内された二階のバーの部屋は、壁がすべて真っ赤だが下品な感じはなく、キラキラした調度品が非日常の空間を演出いていた。
部屋全体が、口紅のようで美しい。
黒尽くめのエイヴは、カウンターに座って、カンパリソーダを頼んだ。
俺に何を飲むか聞いてきたので、とりあえず同じのを頼んでおいた。
運ばれてきたカンパリソーダは、俺にとっては初めての味、ほろ苦く少し甘く、さっぱりしている。
そして、真っ赤。
ルージュカラーのお店とあっている。
『ここは男の場合、Tシャツやアロハ一枚とかで入ろうとすると、やんわりと断られるようだ。』
『ドレスコードがあるんですね』
『顔が知られているセレブリティな客の場合は、どうだかわからないけどな。とはいえスーツじゃなくても、ソフトカジュアル程度で大丈夫だ。』
エイヴは場にしっくりとあっている。
どこからどう見ても、このあたりに住んでる外国人のモデルかなんかがフラリと立ち寄った、オフの姿だ。
一般観光客にしては、ルックスが洗練されすぎているというか、ひとかどのものではないオーラが出ている。
─でも、こっちの世界だとお姉さんの姿の「イブ」とは飲めないのか…少し残念。
『渚、1人で飲みに来るとは珍しいな。他のものはどうした?』
『みんなは引越し準備で家に帰ってます。ユーリは未成年なので…』
『ハハ、そうか。では食事のときにでも、ここのメインであるレストランエリアに連れてきてやるといい。美味いぞ。』
エイヴもまだ引っ越してきて少ししか経ってないけど、この辺の格式ある店を食堂代わりにしてるんだろうな。
お金、どうやって増やしてるのか─は、英語で会話してるといえども店員の耳があるから(この店の店員は英語も話せるだろう)…
今日はやめておこう。
『俺、なんだかわからないけど女の子にフラれたみたいなんですよォ…』
俺は、運ばれてきたカンパリソーダのグラスを口に運びながら、エイヴに打ち明けた。
『つきあっていた女性がいたのか?渚には』
『いえ、付き合ってるって程じゃないです。3回くらいご飯を食べて、一緒に買い物に行っただけ。でももう連絡してこないでって言われてしまって、LINEもブロックです。』
エイヴは目を細くしてフフっと笑った。
こういう癖は、イブとしての姿の時と同じだ。
『なんかよほど嫌な事でもしたのか?』
『ユーリを俺の彼女だと思い込んだみたいで…彼女がいるのに会おうとしてくる遊んでる男、って思われちゃったみたいなんです。』
『ははあ、なるほどな。』
カンパリソーダをクイッと飲むと、エイヴは俺の方に少し体を向けた。
『君は好きだったのか?その子が』
うっ…。
そう聞かれると、どうなんだろう。
まだ好きまでいってたかどうか。
なんかいいな、好きになるのかもしれない…みたいな所だった。
『わかりません。』
俺は正直に答えた。
『でも、好きになれるかも?と思ってたんで、突然関係を切られると心が痛いような、そんな感じです。』
『それは、突然切られたからヒリヒリ感じてる程度の傷だ。安心したまえ』
エイヴは、薄く微笑んだ。
『もし彼女からの連絡が自然と少なくなっていって、ある日どうやら彼氏ができたらしい発言を聞いて、メッセージも年末年始と誕生日のスタンプくらいになったら、どう思う?』
俺は少し想像してみた。
『ちょっと寂しいけど、そうなんだなって思って忘れていくと思います。』
ハハハ…と、彼は笑った。
今は男の姿だから「彼」と言ってるが、本当はちょっと間違ってるのかもしれないけど─。
『君は素直だな、渚。そうだ、それくらいの好きの感覚だったっていうことだよ。だから、そのうち忘れる。お互いにね。』
『好きじゃなかった、って事でしょうか…?俺は。』
『「好き」はグラデーションだ。ほのかなくらいでも「好き」だし、殺して奪いたいくらいでも「好き」だよ。』
少し好きだったけど、恋人になりたいと苦しむほどじゃなかった、ってことかな。
梨亜にしたって、もし俺のことが「かなり好き」だったら、本当に彼女なのか、俺の気持ちはどうなのか、真相を聞き出したくなることだろう。
『──なんだか話してたら、さっぱりした気持ちになってきました。ありがとう』
『お役に立てて光栄だ。勇者の子よ』
現世界のお洒落なバーで「勇者の子」とか言われるとちょっと変な気分になるけど、まあ周りにはなにかのジョークとして捉えてもらえるだろう、うん…!
エイヴ─イブは、頼りになる大人だ。
大人になってからも、「もっと大人」の先輩的存在っていると安心するんだな…と再認識。
俺はほろ酔いの勢いで、聞きにくかったことがポロッと口に出てしまった。
『エイヴって、イブが本当の姿なんですか──』
彼はグラスをピタッと止めて、聞き返してきた。
『なんでそう思うんだ?』
質問に質問返しされてしまい、俺は戸惑った。
そもそも、どんな答えをしてほしかったのか、自分でもよくわからない。
『いやその、「エイヴ」が誰かは聞いたんですが、だからってイブのほうが本当の姿だとは限らないよなって、思って──』
なに聞いてるんだ俺。
質問としても支離滅裂な感じで、変だろう。
『──すみません。』
彼が返事をしないので、立ち入ったことを聞いたような気になってしまい、俺は謝った。
エイヴは、フフッと微笑み
『さあ、どうだろうな。』
とだけ答え、グラスの氷をカランと慣らした。




