【71】転移させる道具があるらしい
エイヴは、部屋の床いっぱいに描かれた魔法陣の真ん中に立ち、ゆっくりと話し始めた。
[このマンションの内見に来た時から、予感はしていたのだ。巡り会える事を。]
[内見って、俺とエイヴさんが初めて出会った日のことですよね?一階のロビーで…]
俺が彼に答えたら、川口と福田が
「お、おま、お前まで何語喋ってんだよ〜?渚〜…」
「ウーム…どういう状況なんだ?これは…」
と、困り顔をして聞いてきた。
─そうだ、二人には異世界語に聞こえるから…
俺までもが、なんだかわからない言語を話すようになっちゃったように思えたわけか…。
[ああ、話が見えないのもあれだろうから、お友達にもわかるようにしようか。]
そう言うとエイヴは、懐から指輪を取り出して、中指にはめた。
「これなら君たちにもわかるだろう?」
「お〜っ、日本語になったあ〜!」
「もしかして、渚の翻訳指輪と同じやつか。」
─そうだ、あの指輪は俺のと同じやつだ。
ちょっと変わった輝き方の金属でできた、どんな言語も翻訳してくれる魔法の指輪…。
「これは、ソルベリーのダンジョンのボスを倒して手に入れたものだ─」
ユーリが、ハッと息をのんだ。
「─勇者と聖女も、同じものを持っているはずなのだが…」
エイヴは、俺の指輪をチラっと見た。
「…その1つは既に、息子に継承されているようだな。」
「待って…あなたは…あなたはもしかして…」
彼女は、少し震えていた。
「私の中の『記憶』にあるあの人は──魔法陣の描かれた研究室で暮らしていて─そう、ちょうどこんな感じの…」
ユーリは目を瞑り、記憶を蘇らせることに集中した。
額から、ツ…と汗が一滴垂れる。
「─あの人はいつも黒いローブを着ていて……魔物討伐の為に一緒に旅をしてきた……」
エイヴは、なにも言わずにユーリの顔を見つめている。
彼女が自分自身の力で思い出しきるのを、見守っているのかもしれない。
「イブ─魔女のイブ…なのね?」
エイヴはコクッと頷いた。
─魔女イブだって?!
勇者と聖女と旅をして、ともに魔物と戦った魔女。
紫の長い髪と金色の瞳を持つ、年齢不詳の女性。
両親の手記には、そう記されている。
だから俺も、手記をなろうに書きうつす際には、スーパー異次元級の美しいお姉さんとして多少加筆していたのだが…
お…
お……
─男じゃん……!
「な、渚、渚、ショックが顔に出すぎてるよぉ〜?」
福田が引きつった笑いを浮かべながら、俺の腕をつついて教えてくれた。
よほど愕然とした顔をして、顔面蒼白になっていたんだろう。
─仕方ないよ…俺は…俺は、魔女イブに女性の理想を詰め込んでいたんだから…
俺の中の、完成形のお姉さん像だったんだよ…
くっ!涙で前が見えないぜっ!
「なんで男性の姿なんでしょうか?私の『記憶』と違うので、最初見た時わかりせんでした。」
ユーリが、疑問に思ったことを聞いてくれた。
よし、いいぞ!
ユーリ、グッジョブ!
「これは、この世界で人間として暮らすことと引き換えに得た姿なのだよ。」
彼は、ポケットから1枚のカードを出した。
─在留カード。
そこには、エイヴェリー・ノートンの名前と顔写真が印刷されてある。
「私はこの英国人を異世界に送る代わりに、彼の存在を貰ったのだ。」
「「えっ…?!」」
俺とユーリは驚きの声を上げた。
「彼は株取引で大きな失敗をし、人生に嫌気がさしていて、異世界で第2の人生を送る事を望んでいたのだよ。私はこの世界での身分証を欲していた。お互い、利害が一致したのだ。」
─神でもない、1個人の力で異世界転移させることなんてできるのか?
…って、よく考えたら、そもそも俺の両親も若い頃…ふつうに日本で暮らしてた所を、王室付きの魔導師から召喚転移魔法で呼び出されて異世界転移したっていう、よくあるアレなんだったっけ。
神じゃなくても、高位な魔導師ならできるって事か。
「ご存知のように、こちらの世界では魔法は封じられて使えない。エイヴを転移したのも、たった一度だけ転移させる事ができる、巻物を使ってのこと。」
そんな物があるのか…。
たった一度の使い捨てアイテム。
自分が異世界へ還る時のために、とっておいたものなのかもしれない。
「こちらの世界で使えるのは、魔力を使わないで発動できる固有スキルのみだ。しかし─」
彼は、自分の顔の前に手を掲げた。
翻訳の指輪と、もう一つ、赤い宝石が入った指輪がキラリと光を放っている。
「身につけていた物くらいなら、持ってこれるようだ。」
彼は、手をギュッと握りしめ、目を瞑った。
「指輪よ、我の外観を本来の姿に戻せ─」
すると──
エイヴの短い金髪は、紫にその色を変えながらシュルシュルと伸び、腰くらいの長さになった。
瞳の色も金色になり、ローブの胸元がムクムクと大きく膨らむ。
顔立ちや体つきも、女性らしいフォルムに变化したのである。
そこには、イメージ通りの「魔女 イブ」の姿があった。
「ああ!これです!この姿、この部屋…記憶の中に記されているイブ、そのものです!」
ユーリが目を大きく見開き、満面の笑みで感動の叫びをあげると、エイヴ─イブは、フフッと微笑んだ。
「聖女よ、あなたが思い出しやすいように、部屋をこの内装にしたのだ。渚に電話番号のメモを渡した時からね。」
そうか…俺たちがやってくる事を前提とした上で、床に魔法陣を描いて待っていてくれたのか。
─って、これ、頑張って一人でペンキで描いたのかな…?
東急ハンズとかホームセンターで買ってきて…?
そう思うと、なんだか和むというか…クスリと来るものがある。
緊張と困惑でいっぱいだった俺の心は、急速にほぐれていった。
決して、お姉さんの姿になったからではない。
──な、ないといったらないのだ!




