【65】ランジェリーショップで再会したらしい
学生の時みたいに、絵を描いてみたい─
そう思いたち、ポチッと衝動買いをしたのはWacomのシンテックモバイルスタジオプロという、PCの機能もついた液晶タブレットのオールインワンセット。
作画ソフトや専用ペン、画面に貼るフィルムに絵を描くときはめるグローブもついてくるセットだ。
約45万円。もちろん、一括払いだ。
使い方をどうやって覚えるかは、届いてから考えよう。
You TubeにHow to動画を上げてる人もいると思うし…
アートスクールに通うまではできないかもしれないけど、とにかくやってみよう。
1から勉強することにお金を使うのは、なんだかいい気分がする。
─液タブが届くまで絵の予習をしておこう。
ユーリに見られると恥ずかしいから、夜中、一人の時間になってからやろうかな…。
そうこうしている内に、下着を買いに行っていたユーリが戻ってきた。
?な、なんか─
胸の辺りがさっきと違うボリューム…?
「ちゃんと体のサイズを計測して、ぴったりの下着をつけるといいんだって!お店のお姉さんに色々教えてもらったのよ。」
そうか、もう着用してるのか。
お店のお姉さんも、水着を下着替わりにして暮らしてた彼女を見てビックリしただろうなあ。
「あーっ!渚ばかりズルい!」
ユーリは、俺のテーブルの上にある食べかけのシフォンケーキを見てよだれをたらした。
「ユーリのぶんも頼もうね。」
「わーい!なにか飲み物もつけていい?」
「もちろん。あ、コーヒーや紅茶…って、知ってる…?」
「沖縄で泊まったホテルにあったから、ちゃんと『記憶』から思い出せてるわ。」
二人でケーキを食べてから、3階に降りて食料品を買う。
惣菜を売る店で野菜を使った料理をいくつかと、成城石井で乳製品やスープ、ベーカリーで焼き立てのパンなんかを買って、家に帰ることにした。
夜、腹が減ったらこれらをつまんで、買い置きの白ワインでも飲もう。
「あっ!」
いざ、駐車場へ向かおうという時に、ユーリが叫んだ。
「どしたの?ユーリ。」
「脱いだ水着、下着のお店に忘れてきちゃった…。」
「すぐ上の階だから、パッと行って受け取ってきちゃおうよ。」
食料品の荷物もお互い色々持ってるし、俺が全部受け取ってどこかで待つというのも大変だから、一緒に行くことにした。
まあ、店員から受け取るだけだからすぐだろう。
付き添いの彼氏ですって顔をしてさえいれば、そんなに珍しいことでもないだろうし…
ユーリの後についてランジェリーショップへ行く。
下着屋、下着屋と言っていたが、間近で見ると淡いピンクやパープルのレースの海が心臓に迫りくる感じの、「ランジェリーです!」といった様相を呈している。
─これは…早く離脱しないとけっこう恥ずかしいぞ。男子禁制の世界だ…。
ユーリの姿を見ると店員の女性が紙袋を持って駆けつけてきた。
その紙袋の中に脱いだビキニが入ってるんだろう。
俺は意識的に視線を合わせないようにしながら、
「水着、受け取れたか?ユーリ。」
と、慣れたふりをした声色で聞いた。
「うん、ゴメンね渚。あ、せっかくだからパンツも何枚か買っていこうかな?」
ユーリがワゴンに入ってるパンティを見始めたので「おいおい」と思い、いかに彼氏ですといった雰囲気を漂わせながら、
「パンツは今度にしろよ〜!てか上下セットのやつ買ってやるか…ら……」
と言った俺の声は、そこで途切れた。
なぜならそこに、信じられない光景が展開されていたからだ。
「渚…くん…?」
梨亜…。
芦田梨亜が、何故ここに─?
「渚、下着のお姉さんと友達なの?いいなあ〜」
─な、なにが「いいなあ〜」なのかよくわからん!
…が、胸の名札プレートで見る限り、梨亜はこのランジェリーショップの店員…ってことになるのか。
「り、梨亜のバイト先って恵比寿だったんだ…?」
俺は、なんとか声を絞り出した。
「うん…夏の間の臨時バイト…。」
梨亜の声は、小さく掠れていた。
「渚くん恵比寿に住んでるって言ってたからさ、駅ビルで働いてたら顔合わす事もあるかなあ、なんて…」
消え入るような声で、梨亜が言った。
俺に合わせて、バイト先を…?
「渚は下の階の食べ物屋ならよく買いに来てるから、そっちで働くほうが顔を合わせられるかもしれないわ。」
ユーリは悪気ない調子で、明るくアドバイスをする。
梨亜はチラッと、俺とユーリが手に持ってるおそろいの成城石井やベーカリーの袋を見た。
「そうで…すね。下着の店じゃ、会うわけないですもんね…フフ、馬鹿だなあ、私…。」
梨亜はうつむき、ボソボソと話した。
「さっき見た感じだと、渚の着れる下着は売ってないみたいだったわ。」
ユーリは店内をキョロキョロと見渡す。
「でも私は欲しいのがいっぱい!全部かわいい!お姫様みたい。」
天真爛漫なニコニコ顔で、梨亜から紙袋を受取るユーリ。
どうやら日本の華やかなランジェリー文化が気に入ったようだ。
─彼女の言う「お姫様」は決して例えではなく、本当にお姫様を指してるんだろうな、きっと
「私は…夏だけなんでいないかもしれませんが、ぜひお越しくださいね。」
梨亜はユーリにお辞儀をした。
「本日はお買い上げありがとうございました。」
なんとなく、そのまま話をするムードじゃなかったから、俺も
「じゃあまた…」
と言って、ユーリとともにその場を去った。
ユーリは梨亜にぶんぶんと手を振っている。
臆病者の俺は、怖くて始終梨亜と目が合わせられなかった。
別に─別に悪い事をやってる訳じゃないのに…
なんだろうね。
この罪悪感って。




