【61】家風呂はやっぱ最高らしい
隣の部屋の英国紳士は、驚愕するユーリの顔を見ると、フッと笑った。
[おや…試しにと思って話してみたら、そうでしたか、お嬢さん。]
[あ…貴方は…なぜ異世界の言葉を…?]
「ム…?英語でもフランス語でもなさそうだな」
「ね〜ユーリちゃん何語〜?それ。」
二人の会話は、俺には翻訳の指輪によって日本語に聞こえるけど、川口と福田には謎の言語に聞こえるらしい。
[─今日はお友達もいるようなので、また近いうちにでも。]
彼は一礼すると、エレベーターに乗って降りていってしまった。
「あ〜っ、エレベーターせっかく来たのによぉ」
「隣のを呼ぼう。2機ある。」
ユーリは、閉じたエレベーターの前で呆然とした顔をしている。
「あの人…異世界の言葉を話してたわ」
「「「ええっ?!」」」
俺たちは驚きの声を出した。
─あの英国紳士が、異世界人…?!
「わからない。でももしも異世界のことを知って、つきとめようと研究してる人だったら危険…よね。」
─そうか、元世界の人間の全員が、異世界の存在を知らないとは限らないよな。
1日異世界に行ってみただけだけど、生活用品とか、食事のメニューとか、ふしぶしに元世界と共通するものを感じるところもあった。
これは、同じような植物が採れるからというだけじゃないだろう。
うちの両親が召喚される以外にも色んな人が転移して、文化を伝えていたのかもしれない。
だから、転移者の口から異世界の存在を知り、興味を持っている人だっていておかしくない。
─なろうの異世界転移小説だって、全員創作とは限らないだろう。中には本当に体験したことを書いてる人もいるかもしれない…。
俺が、両親の手記を小説という形でアップロードしてるみたいに─
─ウィーン…
ポーン、と小さな音を立て、エレベーターが到着した。
「あ…じゃあオレたちも行こーよ。じゃあね〜!ユーリちゃん。」
「引っ越しが決まったらまた来るぞ。」
ユーリはまだ笑顔の奥に不安が見え隠れしていたが、ひらひらと手を振って挨拶をした。
一階のコンシェルジュカウンターでタクシーを呼んでもらう。
待っている間、エントランスホールの自販機から各自好きな飲み物を買ってきて、ソファに座って飲んだ。
「渚、おれらはまず不動産を当たってみる。」
川口と福田が、このマンションへの引越計画を早急に進めたそうだったから、俺が契約した澁谷不動産を紹介しておいた。
待ってる間にSUUMOでこのマンションの空室状況を調べてみたが、いく部屋があるようだ。
なんとかなるだろう。
「引越、決まったら手伝いに行くよ、二人とも。」
「おう、頼むぞ。」
「あ〜でも、ユーリちゃんは連れてこないでね。見られると恥ずかしいモン一杯あるからさぁ」
福田はアハハと笑った。
そうこうしてるうちにタクシーが来て、二人は帰って行った。
俺はついでに取っていこうと、住民の郵便受けがズラリと並ぶ小部屋に行って、自分のポストを開く。
(もちろん、暗証番号付きだ)
いくつかのダイレクトメールと東京ガスの今月の支払い用紙が来ているだけ…と。
メモが、入っていた─
『空いてる時間にでも連絡してほしい。
080-○5△6-3□○7
エイヴェリー・ノートン』
─さっきの、隣の部屋の人だ…!
そうだ、エイヴェリー…
エイヴって言ってたっけ。
─連絡して欲しい、か。どうしよ…。
まずは、ユーリと相談してからだな。
俺はダイレクトメールの束をゴミ箱に捨てて、最上階の部屋へと戻った。
「どうする?すぐ連絡するの…?」
ユーリは食事のゴミを片付けながら、少し不安な顔をする。
「今日明日は保留かな…ちょっと二人で考えてからにしよう。必要なものの買い出しもしなきゃいけないし。あ、ユーリ、それはプラスチックごみ、そっちは可燃ゴミだから別の袋に…」
…とか急に言われてもわかんないかな?と思って見ていたが、彼女はプラスチックの容器をしげしげと眺めたり触ったりした後、なにか理解したように分別しはじめた。
「これも別よね?」
と、ビールの空缶を持ち上げる。
なんだか彼女なりに、記憶の欠片から引っ張り出して理解できたみたいだな。
「あー疲れた〜…!」
遅めの時間になっていたので、今夜はひとまず風呂に入って眠ろう。
色々動くのは、明日から。
ユーリの部屋は、玄関からリビングにむかう廊下の途中にある、使ってない部屋だ。
前に使ってたベッドが置いてあるから、とりあえずそれを貸そう。
掛け布団と枕は、俺の部屋の新しいものを運んで使わせることにした。
彼女は、いいよ古いので、と言ってはいたが、女の子を使い古しの埃っぽい寝具で寝かせるのはどうかと思ったので、少しでも新品の方で…
枕カバーも、予備で買っておいた新しいものに変えた。
寝る時の服は沖縄のホテルで買わなかったようなので、俺のあまり使ってないTシャツと短パンを貸す。
─彼女がこっちの世界で使う日用品、一通り買いに行かなきゃいけないよな…でも女の子の服屋を案内してと言われても、あまりわからないなあ…
一番必要なのはスマホだ。
携帯ショップへ行き、スマホをもうひとつ契約してユーリに持たせよう。
彼女は何の契約もすることはできないから、全部俺が用意しなきゃいかん。
ユーリ専用のノートパソコンもいるかな?
それともiPadとかの方がわかりやすいかな?
彼女が外出する時も、一人でうろついて万が一警察に職質されたらいけないので、俺が同行しないと危険かなあ…。
やる事を色々と頭の中で並べながら、久しぶりに自宅風呂に入った。
考えることは、とにかく沢山ある。
ユーリはもう風呂から上がって、テレビを見てくつろいでいる。
風呂の使い方は、沖縄のホテルでマスターしきったようだ。
家風呂はまた少しだけ違うが、『記憶』があれば日常生活で触れ合う備品の使い方に関しては、おそらく大丈夫だろう。
─久しぶりの家風呂。ああリラックスする…
風呂に関しては、異世界より圧倒的にこっちのがいいな。
シャワーもシャンプーも洗顔料もある。
異世界は手作り石鹸みたいなの一択だったもんな。
お湯を足すのも、アペルの両手を使った謎の追い焚きシステムに頼らなくていい。
─今度ホテル・タラートに泊まりに行く時は、日本のシャンプーやボディシャンプーを持っていって置かせてもらおう…。
そんなことを考えながら、俺は久しぶりの自宅風呂を楽しんでいた。




