【50】異世界から日本に還れるらしい
「ユーリは…聖女、なのか…?」
彼女は俺を見つめたままコクリと頷く。
長い金髪が、フワリと窓からの風に舞って、キラキラと光った。
─日本に還る、ってさっき言ったよな。って事は…
もしかして…
もしかしてユーリは…
「母…さん…?」
彼女は俺から目を離し、窓の外を眺めた。
開いた窓から、さざなみの音が響き渡る。
「そうでもあるし、そうではないとも言えるわ。」
─でも母さんは、異世界の大魔道士の子供に転生して生まれ変わるって─
赤ちゃんからやり直すのかと思ってたけど、違ったってこと…?
「私─15歳の『ユーリ・マルベリーズ』という女の子は、魔道具屋を営む魔道士の娘なんだけど……2ヶ月ちょっと前に起きた魔道具の爆発事故で、本当は死んでるの。」
彼女は窓の方を見たまま、答えた。
「聖女ユーコとしての最後の記憶は、その爆発の瞬間『この身体に入ってくれ!』と神に言われたこと─」
「神様に…?」
2ヶ月ちょっと前といえば、父さんと母さんが光の中に消えた頃だ。
ちょうど時を同じくして、転生予定とされていた魔道士の娘が亡くなったってこと…?
「結果『ユーリ』は無傷で奇跡の生還を果たしたわ。ただ店主である母は、爆発に巻き込まれて亡くなってしまった…お腹の子と共に。」
彼女は悲しそうに水色の瞳を曇らせ、目を伏せた。
「もしかしたら、そっちに転生する予定だったのかもしれないわね、本当なら。」
─転生する予定の胎児が消滅したから、まだ再生可能な姉の身体に、神様は『聖女』の魂を飛ばしたのか…。
「『ユーリ』の母は、魔道具屋を営む一介の魔道士だったんだけど、行方知れずの父親は高名な大魔道士だったらしいので、魔法の潜在能力はとても高いらしいわ。…でも、」
自分の両腕で自分の体をそっと抱きしめるようなポーズをとると、
「…まだ今ひとつ、開花してないみたいなんだけどね。」
と言って、ため息を一つついた。
「戸惑わせてごめんね、渚。」
彼女は俺のそばに近寄ると、いたわるような表情で俺の顔を見上げた。
「でも…あなたの親として生きた記憶はハッキリあるわけじゃないから、お母さん扱いはしなくていいのよ。ただの『ユーリ』でいいの。」
「え?どういうこと…」
「前世であるクワノユーコの魂は私の中に入ってるけど、私…『ユーリ』の記憶もなぜだかしっかり残ってるのよ。体を乗っ取ったのではなく、融合した感じ。」
─咄嗟のことだったから、ユーリの魂の痕跡がまだ残ってる事に、さすがの神様でも気付けなかったのだろうか?
それとも、わざとそうしたのか──
「母さんの記憶、なくなってるんだ…?」
「クワノユーコとしての『記憶』は情報として存在するけど、生きてきた記憶はユーリの方が優先されるの。不思議よね。」
そう言うと、彼女は長い髪を手ですくってポニーテールのように持ち上げた。
「たまに、前世で日本人だった頃の生活様式が現れて、自分でもビックリするけどね。暑いとこうやって、髪をアップにして箸でまとめてみたりとか。」
─ああ、母さん、よく風呂上がりや夏に髪をあげて、箸をかんざしみたいに刺してまとめてたっけな…。
「あとはね、朝起きたらなぜかこういうのしちゃったり!」
そう言って彼女が笑顔でやって見せてくれたのは──
『ラジオ体操・第一』だった。
「これはちょっと、何なのか思い出せないのよね〜。でもしちゃう。」
「アハハ…。」
俺は笑ったつもりだったのに、なんだか涙が滲んできていた。
─母さんも父さんも…勝手に頭の中で、異世界に引っ越したくらいに思ってたけど、もう本当に2度と会えないんだな…。
転生ってのは、もとの存在がこの世からいなくなっちゃうということ。
ラノベや漫画でよく出てくる設定だけど、遺された家族の事はあまり書かれてないことが多い。
─だからあまり想像してなかったけど…。
「…渚…?」
彼女は体操をやめて、俺の肩を撫でた。
「…なんでもないよ。大丈夫。」
俺は、涙が滲んだ目を手で擦って誤魔化した。
『15歳の女の子』の前で、涙を見せるわけにはいけない。
─そう、この子は母の「情報」を受け継いだ、『見知らぬ15歳の女の子』なんだ─
俺は自分に、そう言い聞かせた。
「ユーリは、15歳には見えないね。大人っぽくて、18かそこらかと思った。」
夕食の後。
ルームメイドのアペルが食器を片して、部屋を立ち去った時を見計らい、俺はそう告げた。
アペルが控室にいるうちは、異世界の話はできない。聞かれているかもしれないからだ。
「この世界だとみんなこんなもんよ?それより渚の方こそ24歳だって聞いてびっくりしたわ。」
「ハハ…こっちに来てから、すぐに10代と間違われるよ。」
俺たちは、食後のお茶を楽しんでいた。
今日のデザートは、マンゴーにクリームをかけたものだ。
ユーリは美味しい美味しいと、ものすごい勢いで食事もデザートもたいらげていた。
攫われていた小屋では禄なものを食べさせてもらえず、腹が減っていたんだろう。
「─ところで、日本への転移についてなんだけど…。」
俺は、少しだけ声を潜めて、異世界転移についての話題を切り出した。
「本当にできるもんなのか?」
「できると思うわ。さっき自分のステータス画面、見たでしょ?」
確かに。
俺のステータス欄に、異世界転移(勇者か聖女の協力時のみ発動)って言葉が加わっていたのは事実だ。
「私のステータス画面だと、異世界転移(勇者かその血を引く者の協力時のみ発動)って言葉が表示されてるのよ」
─勇者の血を引く者─俺、か。
「じゃあ、俺か父さんのどちらかと一緒なら、自由に転移できるってこと?」
「おそらくね。」
ユーリは、マンゴーの切れ端を3個いっぺんに箸に刺し、クリームをたっぷりなすりつけて、はむっと口に放り込んだ。
頬がハムスターみたいに膨らんで、もぐもぐしている。
「二人揃うと転移できるって言うけどさ、俺はどうやってこの世界に飛ばされて来たんだろ?」
「モッグ…モッグ…ゴクン。」
一生懸命噛んで飲み込んでくれたようだ。
食べてる最中に聞いてごめんね。
「…コホン。それに関しては、神様がやってくれたんじゃないかしら。私の危機をなんとかするように呼ばれたのかも。」
辺戸岬での突然の転移。
あれは神様が仕掛けた事だったのか?
ユーリが悪漢に拐かされたから、それを救うべく─俺を異世界に強制転移?
「でもなんで、勇者─父さんじゃなくて、ただのなんの力もない俺を?」
「うーん、もしかしたら勇者の方はまだ無力なのかもしれないわね…赤ん坊だとか。」
─うわ、それは困る。
今回みたいなことがあったら、どうやって『聖女』を守っていくんだ?
神様、考えなしな転生は困りますよ!
会えるもんなら会って、なんか言ってやりたいぞ。
「なんの力もないって言ったけど、渚、あなたお金の力で解決してくれたじゃない。」
「お金の力…」
浜辺で金貨を渡して逃した、追手の少年達の顔が頭に浮かんだ。
「それだって立派な力よ。お金も力。」
そうか─
お金が増える袋を持つ事を許可してくれたのも、異世界資産両替のスキルを授けてくれたのも神様の力なわけだから、あまり文句は言えないか…うーむ。
俺は武力も魔力もないけど、お金を湯水のように使える力はあるって訳か。
─なんか、ショップアイテム全部買いチャレンジとかをしてるYouTuberや、SNSで「RTしたら抽選で100万円」企画をしょっちゅうしてる社長なら神様のスキル無しで使えそうな力だな、そう考えると。
「そういう訳でね、私考えたんだけど─」
ユーリは口元についたクリームをナフキンで拭いながら、目をキラリとさせて、言った。
「勇者が見つかるまで、私達、行動をともにした方がいいんじゃないかなって。」
─えっと…
それはつまり、その─?
「日本で私をかくまって!」




