【30】紗絵さんに誤解されっぱなしらしい
木曜日。
家事代行サービスの紗絵さんが来る日である。
今回で3回目だ。
初日は川口が泊まっていたせいで誤解をさせてしまい、変なスイッチが入ってしまった紗絵さんだったが、先週の第2回目は特になんの問題もなく仕事をこなしてくれた。
彼女の家事代行の腕は素晴らしいものなので、時間をもう少し延ばしてつくりおき料理も作ってもらえるかどうか相談したところ、2時間追加で6品、作ってもらえるとのことだった。
更に、必要経費を渡しておけば、わが家に来る前の時間に食材の買い出しをしてくれるらしい。
つくりおき料理があれば、朝や夜中など出かけるのが大変な時間に家で食べられるし、やたらと外食ばかりするより体に良い。
3回目からぜひお願いしたいと頼み、5万円を封筒に入れて渡しておいた。
そこから毎度必要分を使ってもらい、使ったぶんはレシートを入れておいてもらい、足りなくなったらお金を追加する。
「これで家庭の味を楽しめそうだな。酒のツマミにもなるだろうし…お菓子ばかり夜食にしてると、太ってしまうもんなあ。」
実際、ほんのちょっと腹がタルんできたような気がする。
コンビニバイトに明け暮れてた頃は、沢山食ってもそんな事なかったのに…
沖縄旅行を前にして、こんなことではいかんと思い、スポーツジム入会も検討中である。
(新型感染症が消滅したニュースが流れてから、各地のスポーツジムやライブハウスも通常営業になってきているもんな。ほんと、母さんの聖女パワーさまさまだよ。)
ソファに寝転がりながらスマホで近場のスポーツジムを検索していたら、インターホンが鳴った。
紗絵さんが到着したのだ。
「お待たせいたしました。スーパーが混んでいたもので…」
「いえいえ、食材選びとか、自分はあまりわからないものですから、助かります。あ、6食分の保存容器、東急ハンズで買っておきましたので…」
「ありがとうございます!熱湯消毒して使わせていただきますね。」
紗絵さんが清掃作業に入ったので、俺は書斎のノートパソコンで翻訳の仕事をする。
書斎の掃除をするときだけ、ベッドルームかリビングに移動してスマホをいじる。
これが、木曜日限定のルーティンになった。
翻訳の仕事は、木曜日のこの時間に済ますことにしている。
実は3回くらい働いたあと、俺の翻訳の速さに驚いたのか、サイトを通さず専属で働かないかとクライアントの方から勧誘のメールが来たのだが、ちょっと面倒くさそうなので保留にさせてもらったのだ。
仕事は週に一回木曜日だけで、いっぺんにこなすつもりなのでまとめてデータを送って欲しいと頼んでおいた。
お金をガッポガッポ稼ぎたいわけではないので、それくらいで十分だ。
「少しよろしいでしょうか」
紗絵さんが、書斎のドア越しに声をかけてきた。
「はい、どうしましたか?」
「お料理の件なのですが、来週はご旅行に行かれるとのことで─」
あ、そうだった。
来週、沖縄に行くから木曜日はお休みだということを、紗絵さんに伝えてあったんだった。
「6品全部保存容器に入れても、旅行までに食べきれないといけないですので……本日この後お召し上がりになりますか?その場合は1品2品をお皿に盛らせていただこうかと思いまして。」
それは名案かもしれない。
時間的にも、作業終了の頃には夕飯の時刻になる。
「あー確かに出来立て、食べてみたいかも…」
「かしこまりました。」
やった!出来立てホカホカの家庭料理が食べれる。
もうどれくらい食べてないだろう、そういうの。
最後の思い出は、正月に実家で母の料理を食べたことだったけど、あれはおせちだったな。
「では今夜の分だけは、お皿に盛り付けさせていただきますが…」
紗絵さんは、ちょっとモジッとした。
「─今夜は、どなたかいらしたりはされないですか?」
「ひとりですひとりです!」
「かっ、かしこまりました!ではおひとりぶんだけ、作らせていただきま──」
─ピンポーン─
そこで、インターホンの音が鳴った。
見に行くと、小さな画面いっぱいに大きな男が映っている。
わずかに見える背景は、マンションの入口前。ロックナンバープレートの上についてるカメラからの画像だ。
男はカメラに近づき過ぎてるせいで、顔があまり見えないが、バサバサと長めに伸ばしてる茶髪が目に入った。
これは川口じゃない─
『ぃよ〜っす!ここ渚の部屋番号で間違いない〜?!』
インターホン越しの男は明るい声で聞いてきた。
福田だ。
「福田!どうしたの急に」
『渋谷に来る用事があったから、ついでにお前の新居見に来た。さっきLINEで入れといたんだけど─』
「あ、ごめん気づかなかった。」
『旅行の打ち合わせしよ〜ぜ〜!』
「とりあえず今開けるね。」
俺はOPENのボタンを押して、一階玄関の自動ドアを開け、画面の中の福田がエントランスホールに入るのを確認した。
振り返ると、紗絵さんがやたらニッコニコして立っている。
「あの──」
「ご旅行、一緒に行かれる方なんですね。」
「はい。あ、じゃあすみませんが、料理の方…」
福田は、夕飯でも食いながら話そうと思って来たのだろう。時間的に。
あいつは人と飯を食うのが好きなやつだ。川口と並んで、大飯食らいだし─
「お二人でお召し上がりになれるよう、盛り付けさせていただきますね♡」
紗絵さんは花のような笑顔でそう言うと、では急いで用意させていただきますと告げてキッチンに向かった。
背中を向けてるけど、もし犬だったら尻尾をフリフリして喜んでるような、そんな気配が出ている。
また誤解させることになってるんじゃないか少し心配だったけど、久しぶりに福田と飯を食いながら話してみたいワクワクの方が大きかったので、気にしないことにしよう。
ほどなくして「ピンポーン」と玄関チャイムがなったので、俺は福田を迎え入れるために廊下をパタパタと歩いていった。




