【16】大型家具を買うらしい
車から出て、心を落ち着かせるために深呼吸をした俺は、目の前のニトリを見上げた。
「せっかくニトリの駐車場に車を停めたことだし、ちょっと家具でも見て行こうかな…」
どこかでなにか買いたくなった時のために、財布には常に百万円くらいの札をギュウギュウに詰め込んである。
家の金庫(Amazonで買った)に突っ込んだ札束ブロックから百万円の束をひとつ抜き出して、持ち歩いているのだ。
「家具だと…いくつか買ったら百万円じゃ足りなくなるかもしれないけど、残りはカードで…でも俺のカードじゃ、たいした額は買えないよなあ」
カードはただのTカード。
薄給アルバイターの身ではこれが限界。多くのカードは審査に落とされる。
新しい仕事を見つけるまでは、とりあえずニコニコ現金主義で行くしかない…。
「まあ、何のカテゴリの仕事につくかは、見通し立ってきたもんな…」
俺はそう呟くと、翻訳の指輪をチラリと見た。
ニトリに入ると、まず向かったのはリビングソファの売り場だ。
ズラリと広い面積の店内に並ぶ大型家具に、不思議とテンションが上がる。
(どれ選んでも、余裕で支払えるんだよな。)
渋谷周辺を歩き回ると、お洒落な家具を扱ってる店はたまに見かけた。
正直、そういう店のほうが有名なデザイナーの家具や高級品を扱っているのかもしれないが…
デザイナーズ家具の選び方を、俺は知らない。
なにがどう便利で、普通の家具より勝っているのか全くわからない。
今の俺にはまだ、見た感じ大して変わらないように見える。
むしろモノによっては妙に色気を出した形をしていて、使いにくそうだとすら思えてしまうのだ。
「新生活の始まりはニトリから…!」
俺は広い売り場を歩き回って、買いたい物のあたりをつけることにした。
希望としては…
12帖のリビングにあったソファを置きたい。
あと、飲み物とかが置けるコーヒーテーブルも。
大型テレビ(これはもう渋谷の家電量販店で購入済み)の前に備えて、ソファで飲み物を飲みながらテレビを見たり、ゲームをやったりしたい。
キッチンに備える食器棚もいるな。
その3つがあれば、ガラーンとした我が家のキッチン付きリビングルームも生活感が出て、さまになる。
俺はまず、いくつか大きいサイズのソファに座ってみた。
2〜3人がけだと福田や川口が遊びに来た時、誰かが床に座らなきゃならなくなるから…
(横並びでギュッと詰まって座るのは避けたい。)
「L字っぽくなってる、広めのコーナーソファにしよう。リビングいっぱいになるけど、他に家具を置くわけじゃないから大丈夫だろ。」
ベッドは寝室に、パソコン作業用のデスクは「仕事部屋」ということで別の部屋に、すでに配置済みだ。
まあそれらの家具も新しくしていきたい所なので、今日良いのがあったら買ってしまおう。
もしこの先いつかデザイナーズの高級家具でも欲しくなったら、その時また買い換えればいいのだ。
俺は白いソファに憧れがあったので、ほぼ白に近いベージュ色の、15万円の本革コーナーソファを買うことにした。
それにあわせて、テーブルも買う。
白で薄塗りしてあるような、ホワイトウォッシュタイプの木製のセンターテーブルだ。
サイドに雑誌を入れられる作りになってるやつで、こちらは2万円。
安いが、「お値段以上」が売りの店だけあって、安物っぽくなく、荒く塗ってあるウォッシュ加減が温かみがあるように見える。
白と焦げ茶で配色されていて、扉は半透明のガラスでできている5万円の食器棚も買う。
カウンタータイプだから上に電子レンジとかを乗せられるし、棚には炊飯器を置ける場所がある。
調理は自分ではあまりしないと思うけど、調理家電を揃えておいたら友達を呼ぶとき便利だろう。
近いうちに、家事代行の人を雇おうとも考えてるし…。
保存食なんかも作ってもらえるらしい。
あと、左右に引き出しのついた社長用みたいな立派な仕事机と、パソコン作業もできるワークチェアなども買う。
合わせて15万円。
それと、ヘッドボードが滑らかな黒本革でできてるベッドも買うことにした。
ダブルが展示されていたけど、クイーンサイズもあるとの事だったので、そっちで注文する。
恋人がいるわけじゃないけど、まあそのうちできたらいいし…
(恋人じゃなくても「プロ」の女の子は電話一本で呼ぶ事はできるって聞くよな、やろうと思えば。したことないけど。)
1時間いくらのおつきあいは、まだ俺にはちょっと早い気がする。
ベッドのお値段は約10万円。
以前だったら完全に無理な値段だ。
他にも、白いソファにあわせた夏向けのクッションとか、夏掛けの布団とか、細々としたものを買って、大きいものは配送、乗せられそうなものは車に積んで持って帰ることにした。
本日の合計金額は約50万円。
「色々揃えた割には、百万円の半分にもいかなかったな。」
引越しから1ヶ月たったが…
家電や食器、生活雑貨類を買い揃えるのに奔走していて、大きな家具はまだ手を付けていなかったのだ。
(ベッドやソファ、机や椅子とか、肌で毎日触れるものは、通販じゃなく見て触ってから買いたい主義なので…今の所は)
奔走していて、というと毎日あくせく探し回っていたみたいだけど、実際はノンビリしたもので…
美味しい店でなんか食ったり、洒落た店に立ち寄ってみたり…。
渋谷や代官山、広尾、中目黒をとにかくウロウロして、恵比寿から行ける近所の街歩きに時間を費やしてしまっていた。
仕事がないというのは、本当に時間を自由にできる。
余裕が生まれて、目的もなく歩く事さえ楽しい。
人生でこんなに「なにもアクセクしてない時間」をすごした1ヶ月は、初めての経験だったんじゃなかろうか。
(子供の頃の夏休みは、仕事はないけど宿題やプールはあるしね。)
持ち帰れる荷物をすべて積み込み、俺は車のエンジンをかけた。
スマホをカーオーディオに接続し、音楽を再生する。
英語の歌は自動翻訳されると笑っちゃうから、歌無しの…ジャズかなんかにしよう。
「指輪の効果はわかったから、次は親のノートパソコンだな。」
俺は家に向けて走り出した。




