【1】親が勇者転生するらしい
「父さんは異世界で勇者に転生する事になった。」
「母さんも聖女に転生して異世界へ行ってしまうの。ごめんなさい、渚…」
アパートの壁に立てかけてある鏡の中で、父と母はそう言った。
「…は?」
俺は戸惑いを隠せなかった。
─まず、なぜ両親が鏡に映っているのか。
本来鏡は俺の姿を写すはずのものだ。
バイト帰りの夜8時、誰かのゲーム実況でも見ながらなんか食うかな…と思いつつ、一人暮らしの狭いアパートに帰った。
すると、まだ灯りをつけていない暗い室内で、ぼうっと光ってるものが…
近づいてみると、光っているのは鏡。
1DKの室内が、電気を消した部屋でパソコンのモニターをつけた時のように、謎の光に照らされている。
一人暮らしを始める時に親がくれて、ちょっと大きいなと思いつつもなんとなく壁に立て掛けていた、姿見の鏡。
その中に両親の姿が映っていたのだ──
「な…なんで?どうなってるんだよ、二人とも…」
夢を見ているのかと思い、頬をつねってみるが夢じゃない。
─映写機で実家から映像を送って映し出してる…なんてこと、する意味ないよな─
両親の服装は、いつも通りのありふれたポロシャツ。
別段、なにか特殊な衣装を着ているわけでもなく、実家にいる時のふつうの姿だ。
だが、ふたりの背景は実家の風景などではなく、ただただ真っ白の世界だった。
白い空間に佇んで、空間ごと光ってる感じだ。
なにか物がある気配を感じて下を見ると、鏡の前に使い込まれた革袋が落ちていた。
拾い上げてみる。リュックサックくらいの大きさだろうか?俺のものではない。
素材はレザー風のビニールとかではなく、本物の茶色いなめし皮だ。
紐でキュッと縛ってあるだけの簡単な作り。
「それは入れた金が100倍に増える袋だ。」
鏡の中の父が、そう言った。
「ひゃ…100倍?!」
「父さんが昔、ダンジョンのボスを倒して手に入れた魔法のアイテムなんだ。」
え。
なにその急な世界観の展開。
冗談かと思ったが父はいたって真剣な顔で、とてもふざけてるとは思えなかった。
第一、光る鏡の中だ。
なにがどう展開されても、おかしくないのかもしれない…。
「あの時はいらないかと思ったけど、とっておいてよかったわねえ、父さん。」
「そうだな、宝なんて無限収納ボックスにいくらでも入ってたから、今更金貨が100倍と言われても…って思ったもんなあ。」
なに…なにを言って…いるんだ?!
母さんまでそんなラノベチックなことを…
昨日までは、いわゆる「なろう系」のファンタジー小説に対して興味ゼロの、普通の雑貨屋経営夫婦だったろ?!
大して儲からない、個人経営の!
一体何が起こったんだよ。
「実はな渚、いつか言わなければならないと思っていたが、お前が生まれる前…父さんはバザルモアという国の勇者だったんだ。」
俺はポカーンとした。
ポカーンという言葉以外当てはまらないだろうと思うくらい、典型的なポカーン顔になっていたと思う。
「渚が産まれる5年前、二十歳のときにバザルモアの大神官の魔法で転移召喚されたの。母さんもそうよ。」
てんい…しょうかん…?
「神託だったらしい。そこで母さんと出会ったんだよな。」
「そうね、ふふ…あの頃はもう日本には戻れないかと思ってた、よく泣いてたわ。」
え…と、じゃあもとは日本人ではあるわけだよね。
よかった、異世界人の子ってわけじゃないんだ、俺…。
ん?
いや、違う!そういう問題じゃない。
勇者と聖女って言ってたよな?!さっき。
「手っ取り早く言うと、勇者と聖女として覚醒しきった我々は、その5年間でバザルモアとその周辺国の脅威となる化け物をすべて倒し、ダンジョンも全て攻略して人々に平和をもたらした。」
わあほんとに手っ取り早い…
どんだけ強いんだうちの親。
そっちのバザルなんとかの世界の歴史に残るであろう、偉業を成し遂げてるじゃん。
「お腹に渚が宿った時、神様のはからいで日本に戻してもらえたの。」
「だが今、再びバザルモアに危機が訪れていると神からの啓示があった。」
「え…いなくなっちゃうの?二人とも…」
俺は驚きやらなんやらで喉が詰まったようになっていたが、ようやっと声を絞り出した。
出てきたセリフはあまりにも子供っぽく、寂しさを隠せないような声に自分で驚いた。
「戻ってくる…よね?」
それに対して父は首を振り、母は目頭を指で抑えて少し俯いた。
「今回は戻れないかもしれん。転移するわけではなく、転生するんだ。バザルモアの騎士の息子として」
「母さんもよ…大魔道士の娘として産まれる予定…だから二人とも子供から人生やり直すの」
「その方が前の時よりより強く、強大な敵に立ち向かえる勇者と聖女に育っていくらしい…」
「…ふ、ふえ…?」
悲しいはずなのに、スケールが壮大すぎて間抜けな声しか出なかった。
子供として転生…?
父さん母さん子供になっちゃうの?!
なんちゅうファンタジーな…ラノベかよ…
普通そういうのってアラフィフの親じゃなくて、二十代である若い俺の方にくるもんじゃね…?
「お詫びと言っちゃあなんだが、お前に金が100倍になる革袋をやる」
「多分そっちの世界でも使えると思うわよ、渚」
は、え?
この古めかしい革袋?
「異世界の物は原則的に日本に持っていくことができないんだけど、お前のこれからが心配なので、神様に頼んでこれだけは送らせてもらったんだ。」
神様…意外と融通聞いてくれるんだ…
てか神様とやり取りして条件決めてる両親ってどういう身分なんだ…
「渚…お前は昔から小心者だし、悪用するような子じゃないって母さん信じてるから…ウウッ」
母は我慢できずに涙を流した。
つられて俺もジワッと涙が出てしまう。
だってこっちの世界ではいわば死ぬも同然ってわけじゃん、二人とも…
ふと見ると、鏡の光が強くなっている。
眩しくて二人の姿も見えにくいほどだ。
「母さん、そろそろ転生の時間だ」
「そうね…。グス…」
母は鼻をすすりながら、俺に向かって微笑んだ。
「母さんね、日本では魔力を使うことができなかったんだけど─」
そうか、そうだよな。
使えてたら便利生活間違いなしの現代無双になるもんなきっと。
「─転生の瞬間に異世界の魔力が母さんの体にドッと流れ込むから…それを限界まで使って、聖女の力で渚に最後の贈り物をするわね。」
『渚の人生が幸せで満たされますように─』
二人はそう呟き、激しく光る鏡の向こうへと消えていった。
俺と、革袋を残して─