寝すぎの怪
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ああ、こーちゃん。どうだった、うちのロクデナシは。まだグースカ眠ってたかしら。
まったく夏休みも終わりなんだから、早く生活リズム戻しなさいって、前々からいっていたのにねえ。宿題は片づけているみたいだけど。
夏休み。考えたら一か月以上ものんべんだらりとできるなんて、大人からしたらとんでもない休みよね。本来、自由研究に使うべき時間らしいんだけど、そこまで熱心な子は一握りでしょう。
お金と時間は、子供にあまり持たせるもんじゃないって聞くけど、あながち間違いじゃないかもね。
――え? そのうち夏休みがものすごく短くなる時もくる?
はは、まさかまさか。私らが小さいころから変わっていないことよ? それが変わるときが来るなんて、超流行り病か天変地異ぐらいでしょ。ははは。
まあ、そのときはそのときで考えるとして。眠らなすぎが体に毒なように、眠りすぎも体に毒っていうのは、こーちゃんも聞いたことがあるでしょ? だからたとえ用事がなかったとしても、あたしの家じゃ一度は早いうちに起きるよう、声をかけているの。
これも友達から聞いた、ある話がきっかけなんだけど、こーちゃん聞いてみない?
それはいまみたいに、友達が寝覚めの悪い弟を起こしにいったときのこと。
低血圧の気があるのか、学校に行く日も自力で起きることの方が珍しかったとか。それが休みの日ともなると、放っておいたら朝から晩まで眠ってしまうらしいの。前の日に夜更かししていようといまいと。
だからすぐに起こせるよう、友達が近くの部屋で寝ている。友達は対照的に、目覚ましに頼らなくても、時間前に起きることが大半だったわ。
いったん早めに起きておいて、彼が自力で起きてくるのを期待して待ち、そうしてたいていが果たされず、友達が起こす。そんな日々を送っていたみたいね。
弟を起こすとき、友達はまず部屋のドアをノックする。それで起きてくれるなら話は早いんだけど、八割がた無理。
弟の部屋には鍵がついていない。ノックを数回して返事がないと、友達は直接押し入って寝ている弟の身体を揺さぶることにしている。そうしたら後は、ちゃんと起きるまでひっついていたらしいのね。
でも、その日は少し状況が違った。
弟は横を向いて眠っており、そばには読みかけて寝てしまったと思しき、文庫本が開いている。けれど、大事なのはそこじゃない。
血が数滴。彼と本の間にある敷布団のシーツの上にこぼれていたわ。
友達が慌てて近寄ると、右の鼻の穴からかすかに固まった血がのぞいている。寝ている間にひっかいたのか、暑さにのぼせてしまったのか。判断がつかなかったの。
でも部屋のティッシュを取って、血を拭こうとしたときに「あれ?」と思ったわ。
血がすっかり固まっている。それだけならおかしくなかったでしょうけど、あまりに生地にしみ込んでいない。
ティッシュ越しにつかみかかると、滴のあとはボロボロと崩れて離れていく。その下から出てくる生地はまったくの無事。ほどなく、布団の上からすべての汚れを取り去ることができてしまったの。
――直接、血が垂れたんじゃない。ビニールか何か、薄い膜の上にこぼすとか、ワンクッション置いてから、ここに垂らした?
手間のかかる細工だったけど、掃除を済ませた友達は少し鳥肌が立ったわ。
弟がこのようなことをする理由がわからないし、もちろん、自分たち家族も関わっていない。
彼は病気なんじゃないか? それも、格別厄介な。
そんな予感がしたんですって。
それからも弟を率先して起こしに行く友達は、そのたびに固まった血を目撃することになったわ。
じょじょにだけど、垂れる量は増え、範囲も少しずつ広がっている。いずれも鼻から出ている感じ。
鼻血はバケツいっぱいに出てしまったとしても、出血多量には至らない。そう誰かから聞いたことがあった。
でも問題は出血量より、この血の性質のほう。布団はおろか、本の表紙や、畳のほつれた「いぐさ」の一本にさえかかりながら、しっかり固まってはがれおちる。いささかも色を残さないこの状態は何なのか、友達には判断がつかなかったの。
液体が固まったものではなく、最初から固体としてそこに存在していた。友達は本能的に、そう感じ取っていたのだとか。
親に相談すべきか、否か。
友達が迷っていたある晩のこと。ふと弟の部屋から、戸を開ける音がしたの。
弟の部屋は階段のすぐ横。友達の部屋はそこのはす向かいにあったわ。すぐには動かず、じっと様子をうかがっていると、確かに階段を降りていく音が続いているの。
少し気にかかったのは、それがいずれの家人よりも、軽めの足音だったこと。友達は階段を上り下りする音を聞けば、家族の誰がそこにいるか判断ができたそうだけど、今回の足音は誰にも当てはまらない。
――ひょっとして、あれが弟の血に細工をした犯人?
ぶるっと背筋が冷えるのを、友達は感じた。
本来なら関わらず、このまま寝ていた方がいいはず。不審者からは逃げるのが正解。けれども、友達は自分が見続けたものの正体を知りたいと思ったの。
そっと置きだして、押し入れの中を確認。武器になりそうなのは、つい最近壊してしまって、まだ処分していない傘。先端以外にも、あちらこちらに骨が曲がって飛び出すさまは、普通のものよりずっと危ないもののはず。
足音は完全に階段を降りたけど、玄関を出た気配はない。いまのうちに、と友達は弟の部屋へ直行した。もちろんノックなしで、中へ入ってみたの。
明かりをつけるわけにはいかない。闇に眼が慣れるのを待ちつつ、友達は弟へ近づいていく。
寝息が聞こえて、まずはひと安心。けれどさっと見回してみると、少しおかしいところがあったの。
それは弟の寝る布団のふくらみ。掛布団に隠された弟の腰より下の部分が、やけにぺしゃんこになっている。普通なら腰から足にかけての、生地が盛り上がっているはずなのに。
ごくり、と友達は固唾を飲んだわ。
きっと見たらまずいことになる。そう感じながらも、自分の手はすでに弟の布団をつかみ、めくりあげようとしていたわ。
その端をつかんだ時だった。
階下の台所あたりで音がしたかと思うと、一気に階段を駆け上ってくる音がしたの。
逃げたり隠れたりする余裕はなかった。足音は階段を何段も飛ばして上がってきたらしく、わずか数歩でドアの前へ来た気配がしたの。
外から強引に開かれるドア。思わず振り返った友達は、ついに悲鳴を上げてしまったわ。
骨格標本の下半身が、そこに立っていた。それも周りに、中途半端に血をこびりつけた状態で。
それがぴょんと跳ねて友達に飛びかかってきたのと、自分の意識が遠のいていくのは、ほぼ同時のことだったらしいの。
次に友達が目を覚ました時には、部屋いっぱいに光があふれていたわ。すでに起き出してきた親たちが、部屋に入ってくるところだったの。
「何時だと思っているの!」という怒鳴り声は、すぐに小さな悲鳴に変わる。
明るくなった家の中で映し出されたのは、この部屋の中から階段に至るまで、あのしみない血が点々と続く姿だったのだから。
弟の布団の中のふくらみも、もとに戻っている。起きてしまった全員で、この血の掃除をしたけれど、あの下半身の骨を見たことは、友達は話さなかったらしいわね。信じてもらえないと思ったから。
弟はいまでも元気らしいけど、その夏が終わってから徒競走のタイムが、目に見えて悪くなったそうよ。つい最近なんか、ちょっとした段差から飛び降りただけで、足の骨にひびが入ってしまったとか。
めっきり弱くなってしまった足の骨。運動やカルシウムが足りないって、周りの人には注意されているらしいけど、本当はどうなのかしらね?