第1話 少年の願い
眩しい日差しが白磁の肌を照らす。艶やかな腰まで伸びる黒髪がなびいた。手を翳して太陽光を遮り、眩しさから一度逃れ、近くにあった木の陰に入った。どうやら森の中にいるようだ。
軽い。体が異常に軽く、それでいて草葉にかすった程度では切り口さえできやしない頑丈な皮膚。
僕はいったいどんな世界に来たのだろう。
疑問の浮かぶ頭の中に、もう一つの疑問が浮かぶ。
「なんか、体が小さいような……」
ふと呟いて、その声の高さに驚愕する。
思わず唇に指を這わせると、弾力のある感触が返ってきた。なんだか嫌な予感がして下を見ると、男ではありえないふくらみが二つ。一歩下がろうとする足をなんとかとどめ、右手で胸を包み込んだ。
「や、やわらかい……」
慎ましやかな双丘が、僕の体にできている。そのまま右手を股間にもっていき、とある確認をした。
「な、ない。やっぱり……ここまで来たらバカでもわかる……」
なぜか女の子になっている。
そのことに気付いて、あのわけのわからないことを言っていた男のセリフを思い出した。
『一つの能力をプレゼントした』
あの男はそう言った。
それがつまり、男から女になる能力なのだろうか。それが世界の秩序を取り戻すのにどういう関係があるというのだろう。
だというのに、不思議と嫌な気持ちにはならない。
初めてこの体になったはずなのに、嫌な気持ちにまったくならない。加えて、むしろ心地よさまである。
「死んだ、んだよなぁ。僕」
改めて声に出すと、何とも言えない気持ちになる。空を見上げると、ドラゴンが飛んでいた。
「ふぁっ」
変な声が出た。
いや、仕方ない。だって、なんだよあれ。ドラゴン? 架空の存在じゃないの?
ドラゴンをよく見ると、その背には騎士のような人物が跨っていることに気付いた。おかしいな。僕の視力は眼鏡をかけないギリギリラインだったと思うんだけど。
生前は見えなかった距離でも鮮明な目視ができることに驚きつつ、僕はもう、いろいろと諦めた。
「地球じゃないもの」
そう、ここは地球ではないのだ。地球の常識を持ち込むのはナンセンスだ。
ドラゴンを観察しながら、僕は腕を組む。
これからどうしよう。
「ぎゃぁぁああぁああぁあぁ!!」
そんな時――悲鳴が聞こえた。男の子の声だ。
そう認識した瞬間には、もう足が勝手に動いていた。ありえない速度で駆ける。足が回るように動く。
ものの数秒で現地に到着し、僕は両者を見た。
片や何も持っていないボロボロの少年。
片やドラゴンを後ろに控えさせた騎士。
パット見た感じ、どうやら騎士が悪者のようだ。
「うぉ!? なんだお前……結構な上玉じゃねえか。よし、お前は俺が連れ帰ってしっかり調教してやる」
気持ち悪い笑みを浮かべて、騎士が僕を見る。そんなに美少女に見えるのだろうか。そういえば、まだ容姿を完全に把握しているわけではなかった。緊張状態であるはずの現状で、見当違いなことを思う。
「お、おい! 逃げろ姉ちゃん!」
傷だらけの少年が、ハッとしたように僕に叫んだ。
だけど、こんな10歳そこらの少年をほったらかしにして逃げることなんて、僕にはできない。
それに、なんとかできそう、という謎の自信もある。
僕は何も考えず、少年の前に立った。
「お? お嬢ちゃんからやるのか? しゃーねえな。そんなに調教してほしいんなら先にしてやろう」
手に持った槍を僕にまっすぐ向け、騎士がゆっくりと近づいてきた。
……どうしよう。勝つ自信はあるのに、どうしたらいいのかわからない。
悩んでいる間にも、騎士は近づく。遂に槍の先が僕の肌にちょこんと触れたとき、体が突き動かされた。左手で槍を取り上げ、拳を作った右手をまっすぐに突き出す。
ただそれだけのこと。そのはずなのに、騎士を殴った瞬間に、騎士が弾け飛んだ。騎士の鎧が大きく歪み、後ろにあった木にぶつかって、騎士は崩れ落ちた。
「あー……どうしよう」
「す、すげぇ! 姉ちゃんすげぇ!」
やりすぎた感が否めない。
ドラゴンを見ると、びくっと震えて頭を下げた。恭順を示したのだろう。
「姉ちゃん! 頼む! ……俺たちを助けてくれ!」
少年が僕の手を掴み、まっすぐに目を見て話した。
純粋でまっすぐな瞳だった。
「わかった。僕を連れていってもらえるかな?」
「お、おう!」
助けになりたい。
これだけの怪力があるなら、きっとこの少年の力にもなれるはずだ。このドラゴンに跨る騎士をやっつけるだけなら、できるはずだ。
「姉ちゃん、名前は?」
「……名前は」
名前、名前か。
今の僕は女の子だ。生前の雷斗っていう名前を名乗るわけにもいかないし。どうしたもんかと頭を悩ませ、僕は一つの名前を思い出す。
「ムラサキ。僕はムラサキだよ。君は?」
VRゲームで使っていたメインキャラの名前を言い、少し頬を赤らめた少年に名前を聞いた。この世界で初めての出会いだ。
「俺はドーバだ! よろしくな!」
元気よく手を差し出すドーバの手を握る。握手はこの世界にも存在しているんだ、という不思議な感覚があった。
僕はドーバに連れられて走る。
ドーバのように危険な目にあっている人が、ほかにも大勢いるのだ。みんな、助けられるなら助けたい。こんなのがどこにでもある日常なら、あの存在が言っていた、秩序ということも理解できた。
僕がこの世界の秩序を作り出すのだ。