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8.切り札 その2

 そしてさらなる声を上げ、ボクは哄笑した。



「……クック、フハハハ、ハーッハッハッハ! アーッハッハハッハッ!!」



 ボクの大きな暴君風四段変格高笑いは、和気藹々とした雰囲気の会場を突き崩し、その空気を一変させるに充分な破壊力を持っていた。


 本日の主賓の唐突なる豹変。酒の入ったレゼットもこれには気づいたか、ラッパ飲みしていたロマス・コントラの瓶を下げると、赤ら顔でボクに目をやった。


「おいロバート、お前いきなりどうしたよ? らしくもねぇ笑い声上げてよ……あっ、ひょっとしてさっき出てきたきのこスープに食っちゃいけないモンでも混じってたんじゃねぇか?」

「フフ……違うよレゼット。ボク自身、思い違いをしていたと気づいてね」

「思い違い? あー、なら中ったのは別のモンだな」

「だから中毒じゃないっ……コホン、いやそういう意味じゃなくてだな、考え直したんだよ。たしかにキミたちの言う通りだったとね」


 ボクが王子らしい厳かさを保ったまま言うと、意図が伝わらなかったらしい学園生徒たちがザワザワと騒ぎだす。

 ふむ、これで完全にペースは取り戻したな。ボクは壇上からレゼットを見下ろし、それから隣でなおも楽しそうに飲んでいるエリーゼも見た。


「ああ、今しがたエリーゼの言った通りだ。この唐突にして一方的な婚約破棄。ボク自らが学園生徒を指名し、エリーゼの真の姿について語らせる証人尋問のような運び。そんなもの、いくらボク直々の言とはいえ、この場を盛り上げる座興以外のナニモノでもなかった」


 その言葉を受けて、何事かとザワついていた学園生徒たちの間に漂う空気がふっと弛緩する。

 今までの出来事はすべて茶番だったと、暗にボクが言い切ったからだ。


 だが――本音は、その先にこそある。


「でも、少し考えてみてもらいたい。ここにお集まりの皆さんもご承知の通り、ボクとエリーゼは生まれたときから許嫁の関係に当たる。つまり彼女との婚約は親同士が決めたことだ。それをボクの一存で勝手に破棄しようだなんて、そもそもの前提からしておかしすぎた――そうだよね、エリーゼ?」


 ボクが水を向けると、エリーゼは微笑を収めぬままこっくりと頷いた。


「勿論ですわロバート。此度の婚約は、エイゼンブルグ王デイヴィッドさまとわたくしのお父様の間で取り決められたものですもの。いくら当事者と言え、ロバートの権限だけで破棄することはまかりなりません。ですから、わたくしも座興だと申し上げたのですわ」


 キッパリと言い切るエリーゼの姿に、ウオオオオオオオオオオオッ!!と声を上げて学園生徒が追従する。


 自らの誕生会を盛り上げんがため、エリーゼに婚約破棄をしかけたボク。

 そして、その思惑を見抜き、敢えて受けて立ったエリーゼ。


 ああ、彼らの眼には今、ボクたち二人の姿は、互いに譲らぬ頭脳戦を繰り広げた好敵手として映っていることだろう。


 いずれこの国を負って立つ王と、その妃。

 国の柱たる二人の頼もしい姿を見せられ、会場内に漂う空気は、またしても和気藹々としたものに戻ろうとする。



 ――だが、そうは問屋が卸さない。



 ――いや、このボクこそが許さない。



「だがもし……できるとしたら?」


 空気が瞬間的に凍りつき、絶対零度に陥ったようだった。


 ワイングラスに手を伸ばそうとした者は手を伸ばしたまま、隣の人の肩に手を置いた者は手を置いたまま、また話し始めた者は口を開けたまま、まるで一瞬で氷の彫像と化したように、その場で動きを止める。


 ぎょろりと、その瞳だけが生き物のように動いてボクの姿を捉える。

 口ほどにモノを言うそれらは、一様にこう語っていた。



『そんなこと、できるわけがない!!』



 ――だが、できる!!



 ボクはニヤリと口角を釣り上げる。

 そして壇上から、ここに集まる全員に向かって語りかけた。


「皆さんもご存じの通り、我が父デイヴィッドは今、この国に蔓延る異教徒を殲滅せんがため、南方へと遠征している。父上はいくさ上手だ。あと数日もすればこのエイゼンブルグに凱旋され、必ずや吉報をお知らせになるだろう――だが、それはそれとして、国の中枢たるこのエイゼンブルグの防備もおろそかにすることはできん。父上の不在の間、国を守る守護者の存在が不可欠だ。そしてボクは、父上から内々に、その任を仰せつかっている」


 学園生徒のどよめきが大きくなる。が、それも当然。


 いくら王族、それも王の嫡子とはいえ、ボクの身分は未だ学生。そのボクが、まさか王である父上直々に王都エイゼンブルグの留守居役を仰せつかっていたなど、誰も思いもしなかっただろう。


 ――そら、連中を代表してレゼットが前に出てきたぞ。


「オイ、どういうことだロバート! そんな大役、俺に一言の相談もなしに引き受けてやがったのか!」

「レゼットか……いやなに、気遣いは無用と思ってね。その必要を感じなかったからこそ、キミに声をかけなかった」

「な、なにィ!? お前まさか、俺のことを信用してねぇんじゃねえだろうな!」


 返答によっては目出度きこの席で怒りを爆発させることも辞さない――このとき、レゼットの剣幕はこの場にいる誰しもを震え上がらせるものだった。


 だがボクは、そんなレゼットの威圧を受けてなお、涼やかに告げた。


「ハハ、そんなワケないじゃないか。だが、今のボクには、ボクの手となり足となる友人たちがいる。わざわざキミの手を煩わすことないだろう?」

「ロバートお前……もう王サマ気取りか? 勘違いしてんじゃねぇぞ!」


 ギリ、と歯噛みするレゼットの姿は――喩えるなら、忠犬というより狂犬。

 いずれその飼い主となる身として、ボクからも一言あっていいだろう。


「フフ……勘違いしてるのはキミの方じゃないのか、レゼット。ボクは今、このエイゼンブルグの留守居役なのだよ。父上から直々に与えられしその権力は、王権にも等しい。ならば、今ここで一介の学生でしかないキミがボクに盾突くことこそ得策ではないと、どうしてそう思わない?」


 ボクは手を顔の前に上げ、パチンと指を鳴らす。

 すると、会場隅の暗がりから黒いローブに身を包んだ無数の人影が現れ、あっという間に学園生徒を取り囲む。


 その正体にいの一番に気づいたのはレゼットだ。

 彼は自分が置かれた状況を悟り、額から冷や汗を流した。


「コイツら、影……それに、武装してやがる!」

「ご名答。彼らは、我がエイゼンブルグに代々仕えてきた近衛だ。王に絶対の忠誠を誓う彼らすら、今のボクなら動かすことができる」

「パフォーマンスにしちゃあ悪質すぎっだろ。ハッ、まさか簒奪……?」


 こういうことに関してだけは鼻の利くレゼットは、即座にその可能性へと行き当たった。


 無論、そんなワケがない。ボクはこの国を奪いたいのではなく、守りたいのだ。

 だから――その狙いは明々白々。


 ボクは壇上から、彼女を睥睨した。


「……と、いうわけだよエリーゼ。これでキミにもわかったろう。ボクは本気だ。この誕生会を本来の誕生日から三日遅らせ、わざわざ父上が出立したあとに予定したその理由が、ここにある!!」


 威圧するような声音は、彼女にチェックをかけるため。

 芯から心を折り、二度とボクに反抗する気を起こさせない。


 さしものエリーゼも、これは堪えたのだろうか。

 俯いた姿勢から切れ切れに言葉を紡ぐ。


「……ロバート……どうして……?」

「どうして? 愚問だな。自分の胸に聞いてみたらどうだ? 涼しい顔をして、ずっとボクのことを裏切ってきただろう」

「……だから、わたくしとの婚約を破棄すると……」

「当然。先に裏切ったのはキミの方だからな。その責任を追及するのは、王子たるボクの役目だ。キミが今までボクにしてきた仕打ち、よもや忘れたとは言わせないぞ」


 このとき、エリーゼを責め立てながら、ボクは別のことも考えていた。

 もしこの場でエリーゼが罪を告白し、ボクに許しを乞うのならば、彼女のことを許そうと思っていたのだ。


 無論、婚約破棄は取り消さない。彼女には永遠にボクの傍を離れてもらう。けれど、それ以上のことを彼女にしたくはなかった。

 ルーンリバー家の陰謀も、それに加担した彼女の罪も、できる限り不問にしようとボクは考えていた。


 ボクにとって、エリーゼの存在は恐ろしい。

 けれど、それ以上に――彼女は幼い頃からずっと一緒にいる、姉のような女性でもあったのだ。


 エリーゼのとった行動だけでなく、その根底にある真実を明るみに晒せば、彼女の身はきっと無事では済まない。良くて修道院送り、悪ければ――命を、失うことになるだろう。


 温情をかけているつもりなんてなかった。

 ボクはただ、エリーゼに死んで欲しくなかった。


 だから――ボクは一縷の望みをかけて、彼女に告げた。


「エリーゼ、どうか素直に認めてくれ。キミのした所業を。ボクの身に様々な災厄を降らせ、幾度となく窮地に陥れたと。そして教えてくれ――キミはいったいこのボクに、どうなってもらいたかったんだ」


 今や、会場内はシンと静まり返っている。


 学園生徒たちは既に、この遣り取りが座興ではないことを理解し、また近衛に囲まれているせいもあって、固唾を呑んで事態を見守っている。

 レゼットだけが奥歯を噛み締めて近衛のリーダーと相対し、包囲網のどこかに綻びはないかと獣のような眼を光らせている。


 小石ひとつ落ちる音さえ何秒も響き渡るほどの静寂。

 それを裂いてエリーゼが告げた言葉は、意外なものだった。


「……ちがう……」


 あれほど嬉しそうにボクの誕生日を祝っていたエリーゼ。

 そのときの軽やかな口ぶりと打って変わって、顔を俯けたエリーゼがこぼしたのは、そんなひどく残念そうな響きだった。



 ――違う、か。



 罪の告白、その最後のチャンスに口を衝いて出た一言がそれだった。

 今までボクにした仕打ちを打ち明けるでもなく、それを詫びるでもなく、ただ否定する。


 家族同然に暮らし、姉弟のようにすぐ傍にいた相手にすら、最後の最後まで誠実さを見せない。

 そんな別れが、ボクたちの迎えるべきものなのだとしたら、それはとても残念で、無念なことだった。


 けれど、エリーゼがそう言うのなら、こちらも肚を決めなくては。


 そう、キミという無辜の公爵令嬢を婚約破棄する暴君の役を、ボク自らが演じてやろうじゃないか!


「――わかった。それがキミの結論なんだね、エリーゼ」


 依然として重苦しい空気の中、ボクは被告人に裁定を言い渡す裁判官の心持ちで、口を開いた。


「キミはボクになにもしなかった。裏切りなど存在しなかった。そう言い張るつもりなんだろう。だけどねエリーゼ、やった側に自覚がなくても、やられた側が痛みを覚えれば、それは悪いことなんだ。ボクはいずれ、一国の王となる。そんな難しい立場の夫に対し、それを支えるどころか、配慮に欠ける行為しかできないのなら、ボクはそんな王妃なんていらない」

「……待って、ロバート。わたくしの話を聞いて……!」


 だが、そのつもりはない。

 ボクは――有無を言わさず続ける。


「ああ、安心するといい。別に責めているわけじゃない。ボクと、キミというひとりの女性との性根が合わなかっただけのことだ。たったそれだけ。けど夫婦としては致命的な欠陥だ。だからキミとの婚約を考え直した。結論は出たよ。エリーゼ、ボクはキミとの婚約を――」




「――ねぇ、ほんとうに、わすれちゃったの?」




 長広舌を振るう最中、ふいに割り込んだその言葉に、脳が揺れた。



 ――たしかな衝撃が、あった。



 けど、それはどういった理由で?

 エリーゼの言葉遣いが、昔に戻っていたから?


 その言葉通り、ボクの忘れているなにかがあったから?

 その表情が、とても寂しそうに、悲しそうに見えたから?


 どうあれ、ボクはそこで言葉を止めた。止めてしまった。

 だから今度は、エリーゼが話しだす番だった。


「わたくし、あなたを裏切ってなんていません」

「う……エリーゼ、しかし……」

「それより、本当に覚えてないのですか? あのことも――」



 ――あのこと。



 ――知らない、ブラフのはずだ。



 切実なその声を受け、ボクの頬を冷や汗が伝う。

 まさしく正念場だった。


 もしここでエリーゼを突き放せなければ、我がエイゼンブルグはルーンリバーの支配に屈することになる。

 そうとも。今、口からの出まかせであっても、情に訴えようとも、彼女にはボクを籠絡する必要があった。


 ボクの意識を混線させ、そして決断を迷わせ、この場で下される結論を少しでも引き伸ばす――そのためなら、彼女はきっと手段を選ばないだろう。


 頭の中にある些細な違和感。引っかかり。


 そんな、少しでも利用できそうな突破口が見つかれば、エリーゼはそれを糸口にして押し広げ、ボクという人間の頭の中から、婚約破棄の四文字を消し去ろうとすることは、想像に難くない。



 ――それがわかったからこそ、ボクはこのとき思考をやめた。



 眼前のエリーゼは既に対話のための相手ではない。

 ボクが一方的に命令を突きつけ、果たさせる、その標的でしかない。そう、認識を改める。


「……フフ、フハハハハハハ……」


 笑いながら開いた右掌で顔を覆い、ボクは揺れかけた心を鎮める。

 危うく……危うくだった! もう少しでエリーゼの術中にハマるところだった!


 長い時間――そう、ボクはとても長い時間をエリーゼとすごしてきた。当然、約束を交わしたことも一度や二度じゃない。だからこそ、ああいう風に、さも曰くありげな感じで迫られれば、なにか重大な約束を忘れていると、そう思い込んでしまうことになる。彼女に対し、こちらに落ち度があると、そう錯覚することになってしまうのだ。


 ああ! 間一髪だ! 本当に、あと少しのところで踏みとどまれた!

 そして、落ち着きさえ取り戻せば、あとはもうこちらのものだ!


 先の発言で、エリーゼは最後の告白の機会をふいにした。

 なのでボクは、性格の不一致という理由で、長年寄り添った許嫁に婚約破棄を突きつけるクソ野郎の立場が確定してしまった。


 つまり、ボクが暴君として後世に名を遺すことは既に決定済み。

 今さら体裁を繕ってエリーゼに優しくする理由は、これで完全に消滅した。



 ――ならばもう、暴君として振る舞うのみだ!!



 ボクは再び暴君モードを発動し、顔を上げた!


「ハハ……あのこと、だと? エリーゼ、さっきからキミはなにを言っている? 最初からそんなもの、存在してなかっただろう」

「違います。わたくし、本当にあなたと――」

「くどいなっ!! ボクがないと言えば本当にないんだっ! それに、それがキミの手だって知ってる。言葉は尽くした。必要なのは、決定のみ!」


 エリーゼの言葉を打ち切ったボクは、壇上を歩み、エリーゼのいる円テーブルの正面へと回る。

 そして、高い位置から――やや過剰演技な身振りで――彼女との別れになる最後通牒を突きつける。


 まるで暴君の仮面を付けるよう右掌を顔の前に翳し、それをエリーゼの方にバッと差し伸ばして、今度こそ長年の宿願を口にする。




「今、王代理たるロバート・エイゼンブルグが命ずる!! エイゼンブルグ王国第一王太子ロバート・エイゼンブルグは、ムーンリバー公爵令嬢、エリーゼ・ムーンリバーとの婚約を――」




 だが、ボクの宿願の言葉は、その途中で断絶することになった。

 エリーゼの背後――会場出入り口の扉が、突如として開かれたのだ。



「その婚約破棄ぃ、あいや待ったああああああああああああああああッ!!」



 野太い叫び声が、静まり返った会場内に轟いた。

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