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2.エリーゼ・ルーンリバー

◇◇◇



 ――エリーゼ・ムーンリバー。


 彼女はエイゼンブルグ王国最大の公爵家、ムーンリバー家の一粒種だ。

 そして生まれたときからのボクの婚約者で、ご令嬢中のご令嬢でもある。


 見目麗しく、礼儀正しく、頭脳も明晰。

 淑やかで誰にでも優しく、心の底からの慈愛を注ぐことができる、まさに聖女か女神の現身のような女性。


 そんな彼女を慕う人々は男女問わず多く、彼女の周りには常に、彼女をお姉さまと慕う取り巻き令嬢たちの輪が生まれ、男たちは男たちでこぞって彼女の容姿を誉めそやした。


 そしてボクの近しい友人たちといえば、ボクに向かって、ボクがいかに幸せ者であるかを羨ましげに吹聴するのだ。


「ロバート王子は誠に幸運でございます。あなたが王に、エリーゼさまが王妃になられた暁には、この国も百年は安泰でありましょう」


 なんの含みも存在しない、およそ文字通りの手放し大絶賛。

 けれど少し待って欲しい。当事者であるボクにとってのその言葉は、黒魔術の呪いにも等しい。


 だからこそ今、ここでハッキリ言い切ってしまおう――エリーゼの周辺にいる連中は皆、彼女に騙されているのだと。


 華麗な見た目と立派な立ち居振る舞い、そしてその中身との齟齬を知り得たのは恐らく、この世界ではボクただひとりだけに違いない。

 何故って? それはボクが、彼女と姉弟同様に育てられた幼馴染みの間柄だからだ。


 エイゼンブルグ王領とムーンリバー公爵領は程近い。

 かつて互いに覇を競って戦ったこともあるこの両雄は、先の大戦でエイゼンブルグが統一王朝を築いたことにより、懇意となった。


 国の二大勢力が婚姻によって手を結ぶことは、父上が王位に就くずっと前から望まれていたことで、両家の宿願だった。

 エイゼンブルグ家がボクを、ムーンリバー家がエリーゼを、互いに同世代の異性を生んだとき、国中が上へ下への大騒ぎとなって祝福したそうだ。


 そんな、生まれながらにして定められたカップルのボクとエリーゼ。


 許嫁の関係性は生まれたその瞬間に決まっていた。異を挟む存在などこの国のどこにいようか。


 よしんばヨソの諸侯辺りが横槍を入れてきたところで、この国に新たな空白地帯が生まれるのがオチだ。諸侯は消え、その領地はのちに両雄で綺麗に分割統治されるだろう。


 治める領地同士が近く、また許嫁同士ということもあり、ボクたちは互いにどちらかの領地へと身を寄せることになった。


 二人の住まいにムーンリバー公爵領が選ばれたのは、エリーゼが王都に作法を学びにくるより、ボクがムーンリバー公爵領の自然豊かな土地で乗馬や剣を学ぶ方がよいと大人たちが判断した結果にすぎない。


 そしてある意味では、その目論見は上手くいったと言っていい。

 身体が弱く、乗馬も剣も不得手だったにも関わらず、ムーンリバー公爵領でボクはそのどちらをも体得することができたのだから。


 ただし――その方法が大問題だ!!


 当時のエピソードをひとつ紹介し、ここでその証明としよう。


 それはボクがまだ幼き頃、エリーゼと一緒に草原に出ていたときのことだ。

 子ども用の小さな馬から落馬したボクの姿を見て、近くでお花を摘んで遊んでいたエリーゼがとてとてっと歩み寄ってきた。


「うわーん! いたい、いたいよぉっ!」

「まあどうなさったのロバート?」

「エリーゼちゃん? あ、あのねボク……おうまさんからおっこちて、あたまをうっちゃって……いたいよぉ!」

「それはおかわいそうに。ほら、わたくしがいいこいいこしてさしあげますわ」

「ふぇぇ……ありがとう……」


 コブを撫でてくれるエリーゼに、ボクは弱気になってこう呟いた。


「エリーゼちゃん、ボク……もういっしょうおうまさんにのれないかもしれない」

「あらまあ? そんなこというものではありませんわロバート」

「だって、おうまさんからおちるとすっごくいたいんだよ? こんなおもいするくらいなら、ぼくもうにどとおうまさんになんてのりたくないよぉ……」


 痛みがぶり返したせいもあり、当時のボクは泣き言を重ねる。

 そんなボクに、エリーゼは淡々と――。


「そうかもしれませんね。このままじゃロバートは、いっしょうおうまさんにのれませんね」

「ごめんね。キミとけっこんするのに、ボクはちゃんとしたきしにもなれない……」

「よいのですわロバート。だってちょっとおうまさんにのれないくらい、そんなのすぐになおるのですから」

「ふぇ? エリーゼちゃん?」


 ……ああ、きっとそのときだった。

 エリーゼの顔に、途轍もなく素敵な笑顔が浮かんだのは。


「うふふ。わたくしのロバートは、とってもおじょうずにおうまさんにのれますの。だから、ぜーんぜん、だいじょうぶなんです」


 その翌日だった。

 森の狩場まで叔父と一緒に乗っていった馬が、突然暴走した。


 馬は横腹に拍車をかけた叔父を振り捨て、嘶きながら後ろ脚で立ちあがると、背中にボクを乗せたまま何十里の距離を駆け抜けた。

 従者は馬の背を追ったがすぐに見失い、いったん引き返してから捜索隊を結成し、昼夜を問わず周辺地域を捜索した。


 ……結局、彼らがボクの姿を見つけることはなかった。


 ボクは、死にもの狂いで叔父が離した手綱を掴み、暴走した馬をどうにか操縦して、自力で公爵家別邸まで帰り着いていたのだった。

 帰り着いた邸宅で、保護してくれた厩番に真っ青な顔色のボクが馬から降ろされている最中、表に出てきたエリーゼがメイドたち呟いた一言は忘れられない。


「……ほら、わたくしのロバートは、おじょうずにおうまさんにのれたでしょう?」


 のちに使用人が叔父の拍車を調べると、不自然な部位に尖った金属片が挟まっていた。


 数年後、剣についても似たようなことが起こった。


 ムーンリバー騎士団の副騎士団長はスパルタ方式で有名だった。当時身体の弱かったボクは、彼の用意した訓練カリキュラムをこなせず、次第次第に心体ともに追いつめられてゆき、やがて訓練をサボるようになった。


 公爵家別邸近くの池のほとりで時間を潰していると、エリーゼがやってきてボクの隣に腰かけた。


「どうなさったのですかロバート。この時間は、まだ副騎士団長との剣の訓練がおありだったのではないですか?」

「やあエリーゼ……うん、それはそうなんだけど。付いていけなくて」

「あらまあ、まだ訓練を始められて三週間ほどではありませんか。もうお諦めになりますの?」

「ボクは惰弱だよ。生来のものだ。それにね、ボクとキミとが結ばれれば、王は強さではなく善政を求められるようになる。荒事は人に任せても問題はない」


 ……言い訳染みているが、それは本気だった。

 長い混迷期を経て国内は平定され、もう内側に敵はいない。とすれば、王になる者に必要なのは、この平和を維持するための政治的手腕だ。


 その答えにどう思ったのだろう、エリーゼは少し渋い顔をしたあと、急に笑顔になってこう返答した。


「ロバートがそうおっしゃるのでしたら、きっとそれは正しいことなんでしょうね。わかりました。お父様にご相談して、剣の訓練を見直すよう取り計らってみます」

「ああ、助かる! どうもありがとうエリーゼ!」


 ボクは心からの礼を言い、きっとその場で立ち上がりかけたのだと思う。

 その袖を、座ったままのエリーゼが掴んでいた。


「ああ、でも、少しだけ。その前におひとつだけお聞かせ願えませんか?」

「うん、なんだい?」


 問い返すと、エリーゼはそのエメラルドの宝玉のように美しい二つの瞳をたっぷりと潤ませてボクの顔を見つめ、そして――。


「もしも――もしも、です。わたくしの身が誰かに奪われて、あなたしか助けることができなかったら、ロバートはわたくしを助けにきて、くれますか……?」


 今にも泣きそうな表情で、寂しげに語るエリーゼのその一言を無碍にできる人間がいるだろうかいやいない!(断言)


 とまあ、そんなワケで、当時のまだエリーゼの本質を見誤っていたピュアッピュアなボクは、その問いかけに勢い込んで首を縦に振ったのである!


「も、勿論だよエリーゼ! ボクはキミの婚約者だ! キミの身に危険が迫れば、たとえ命に代えたってキミを救ってみせる!」

「……そのお言葉、信じても?」

「ああ、これはボクの心からの本音だ! 女神に誓うよ! 絶対に!」


 その翌日、お使いに出たエリーゼの姿が連れ立った従者ごと消えた。


 公爵家別邸内外は大騒ぎになった。邸宅周辺の地域は隈なく探し回られ、草原も丸ごと刈られ、木は切り倒され、土は掘り返され、まるで強欲修道士が土地を開墾するかの如き勢いで捜索された。


 邸宅内に存在するありとあらゆるものはひっくり返された。壁や床や天井は引っぺがされ、絵画や銅像はくり抜かれ、メイド執事犬その他は外に出されて裸に剥かれて身体検査され、それでもなんの手がかりも出てこなかった。


 状況に変化が生じたのは夜になってからだ。邸宅の裏の壁に矢文が刺さっているのを、この邸宅に長年仕える執事が発見した。

 差出人は、ムーンリバー公爵領付近を根城にしている盗賊団の頭領だ。そいつはエリーゼの身柄の安全を懸け、ボクとの決闘を要求してきた。


 ボクはというと、エリーゼのお父上の執務室に呼び出されることとなった。

 エリーゼのお父上は難しい顔をされ、こう切り出される。


「ロバート、君が何故ここに呼ばれたかわかるかね?」

「はい。賊は、ボクとの決闘を要求しているらしいと。しかし何故そんなことを? 公爵令嬢ともあろう者を攫っておいて、金品の類を要求しないとは」

「恐らくこれは、エイゼンブルグとムーンリバーの昵懇の仲を快く思わない連中のしかけたことだろうな」

「つまり、敵は賊ではないと?」

「ああ、その皮を被っているだけだろう。ヤツらの狙いはロバート、君だよ」


 その回答は、腑に落ちる感じがした。

 そうだ、金目当ての犯行なら、もっと早く要求が届いて然るべきだ。その要求は莫大な量の金品であり、対価はエリーゼ自身の身柄でなくてはおかしい。


 エリーゼ自身の身柄の安全を担保に、ボクを呼び出した時点で、目的はボク自身の命に他ならないだろう。


 ということは――当然、ボクにはこの決闘を受ける必要はない。相手の思うつぼだからだ。

 幸いなことに、ムーンリバーは立派な騎士団を擁する。決闘場には彼らが赴き、周辺に隠れている連中の仲間ごと殲滅すべきだろう。


 上記のことをボクが進言しようとした矢先だった。

 さっきからずっとボクの顔を見ているエリーゼのお父上が、お覚悟を決められたようにこうお話になったのだ。


「やはり私が間違っていたのだろうな……このような事態、招いてしまったのはまったくもって私の責任だ」

「いえ、そのようなことは断じて。賊の到来など、天にまします我らが女神でもなければ、予見できるものではありません」


 きっと愛娘を攫われ、気弱になっておられるのだろう。

 そう思ったボクが励ましの言葉を贈ると、エリーゼのお父上はどういうわけか頭を振られ、こう答えられた。


「ああ、いや、違うのだロバート。今朝使いにやったエリーゼには、君を護衛に付ける手筈になっていたのだよ」

「へ?」


 そんなことは聞いてない。素っ頓狂な声を出してしまったボクに対し、エリーゼのお父上はさらに――。


「まったくもって嘆かわしいことだ。我が愛娘は、私が君を連れていくよう進言したとき、その申し出を断ったのだ。曰く『ロバートは剣は得意ではない』と。『善き王となるため、今は勉学に励むときなのだ』と。納得はした。今はエイゼンブルグによって国中が統治され、平穏が保たれているからな。だが私の判断は間違っていた。王たる者はやはり強くなくてはならん。将来の伴侶すら守れないような男に、一国を守り通すことなど到底できん。だからロバート、君は剣を取れ」


 厳しい眼差しがボクを向く。風向きが明らかにおかしすぎる。

 ボクは慌てて進言することにした。


「まっ、待ってください! それでは相手の思うつぼです! 連中はボクの命を狙っているはずだ! わざわざ決闘を受けてやる必要がどこにあるというんです!」


 ――他に解決手段もあるのってのに、むざむざ娘の婚約相手を危険に晒すつもりか!

 暗にそのようなニュアンスを込めてボクが反論するものの、エリーゼのお父上ときたら。


「無論、バカ正直に決闘に乗ってやるつもりはない。我がムーンリバー騎士団は決闘場周辺に潜伏し、決闘が終了したのち、完膚なきまでに連中を殲滅するとここに約束しよう。君が負けそうになった場合も助力する。だから君は安心して、賊と決闘を果たしてきなさい」

「そっ、そんなムチャクチャな……」

「それに私には、君が負けそうになるとも思えない」

「は?」

「入りなさい」


 瞬間、パチンという音がする。エリーゼのお父上が指を鳴らしたのだ。

 ガチャリとドアを開け、室内に入ってきたのは、見知った顔だった。


 その見慣れた狐目の持ち主に――ボクは一歩退いて、たじろぐ。


「あ、あ、あ……」

「フヒヒ、お呼びでやすか殿下? あ、それに、そちらは姫の婚約者のお坊ちゃんじゃないですか。あっしの訓練をサボりにサボった挙句、剣の道を投げ出したと聞きやしたが、別の方の道は順調でやすか?」

「……あ、いや……」


 ボクが眼前に現れた狐目の男――ムーンリバー騎士団副騎士団長に威圧されていると、傍らからエリーゼのお父上がお声を出された。


「すまんなローゼグ。夜遅くに。実は折り入って頼みがあるのだ」

「別に構いやしませんよ。それで、お頼みというのは?」


 案の定、チラとボクの方を見て、それからエリーゼのお父上は――。


「お前には明日の昼までに、そこにいるロバート王子を一角の剣士へと鍛え上げてもらいたい。エリーゼを巡っての決闘がある」

「知ってやす。姫の大ピンチに颯爽と駆けつけ、敵を打倒する王子――フヒヒ、あっしから見ても今の仲は悪くありやせんが、これで姫とお坊ちゃんとは盤石でやすね」

「できるか? 相手はそれ相応の手練れだとは思うが……」


 とそこで、もう一度不安げな眼差しをボクに送るエリーゼのお父上。

 狐目の男もまた、ボクに向き直ると、ニヤニヤっと口の端を釣り上げた。


「まあ、可能でやすよ? ただし少々手荒なマネをしなければなりやせんが。ちょっとお心が傷ついて、しばらくパンがノドを通らなくなったり、ワインを嗜んでも夜に眠れなくなったり、眠れてもうなされて跳ね起きたりするかもしれやせんが、別に構いやせんかね?」

「構わん。王たる者は強くなくてはならん。連れてゆけ」

「――では、よしなに」


 こうして、二人分の厳しい視線を受け、石像のように固まったボクの首根っこを引っ掴み、ズルズルと訓練場へと連行してゆく狐目の男……。



 ――結論から言えば、翌日の決闘には勝った。



 だがそれと別に、この夜を境に、ボクは大事なものを失ったのである……。

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