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10.心変わりは突然に

「うぅ……畜生……え、エリーゼっ!?」


 しかし、敗北を喫したからといって、侵入者を放り置くことはできぬ。

 ボクが、どうにか身体を起こそうと床に手を突いて上体を押し上げていたそのとき、視線の先に甲冑騎士に近づいてゆくエリーゼの姿が見えた。


 相手は怪しげな闖入者。だというのに、彼女はいつも通りニコニコとした満面の笑みを浮かべたままだ。

 スカートの両裾を指先で軽く持ち上げ、こう切り出す。


「わたくし、ルーンリバー公爵家令嬢こと、エリーゼ・ルーンリバー。ご挨拶が遅れ申し訳ありません。ですが、どうかお許しくださいませ。ゆえあって今宵、ロバートさまの誕生会が開かれていることはご存じのはず。皆、お酒を嗜み朦朧としております。かように不躾な態度をとってしまったこと、きっと本懐ではございませんわ。ですから、どうかお慈悲を賜りたく思います、陛下」


 などと謝り、恭しく頭を垂れるエリーゼ。




 ――って、ちょっと待て! 陛下だって!!




 さらりと流れるようにエリーゼの口を衝いて出た言葉に、ボクの頭はウォーハンマーで殴られるよりなお大きな衝撃を受けた!


 目下の甲冑騎士と向き合うエリーゼから、離れること数メートル。

 口をあんぐりと開けて唖然とするボクをヨソに捨て置き、甲冑騎士は得物を捨てたお蔭で空いた右手で兜のバイザーを押し上げた。


 そして、ボクのよく聞き知った厳かな声が、場に響き渡る。


「……よい。息子の誕生日を忘れるほど、ワシも耄碌してはおらぬゥ。宴席にこのような恰好で飛び込めばどうなるか。然るに、武力を以って排除されるは必定。情けなく逃げ惑った連中も、問答言わさず斬りかかってきたそこの二人も、同じく不問に処さねば、我が名折れというものォ」


 そう言い切って、寛大にもこの場にいる全員に許しを与えた甲冑騎士――否、お父上は、一歩前に出てエリーゼの顔をつぶさにたしかめられた。


「ありがとうございます陛下……そして、ご無事にお帰りくださって、わたくしとても嬉しく思いますわ」

「エリーゼ、美しき姫よォ。前に見たそなたは薔薇の蕾だった。しかし今は美しく咲き誇っておる。しばらく見ぬうち、よくぞ真の令嬢となったァ」


 と、挨拶代わりに美貌を誉めそやすお父上である。

 友愛の証か、ポンポンとエリーゼの頭を叩いてなどおられる。


 だがお父上の甲冑は未だ滴る返り血に塗れていた。

 当然、その血がエリーゼの髪の毛にベタベタと引っ付いてしまうワケだが、エリーゼはそれをものともせず――。


「……そんな、もったいのうお言葉ですわ」

「世辞ではない。今のお主は、若き頃のアンネリーゼに瓜二つゥ。なるほど、王国最高と謳われた美女は、今やその娘へと座を譲ったということかァ」

「そのようなこと、あまり大きな声でおっしゃらないでくださいまし。お母さまのお耳に入れば、わたくしが叱られてしまいます」

「ならばもっと大きな声で言わねばなるまいて! 皆が周知するところとなれば、アンネリーゼもお主を叱ることなどできなくなるだろうからなァ!」

「うふふっ。陛下ったら、お上手ですこと」

「フハハ! いくさ場では女日照りだったゆえ、我が舌も軽やかに舞おうて!」


 ……などと仲良く談笑する二人ではあるが、ボクは未だに眼前の光景が信じられないでいる。


 というのも、本来ならば今日、お父上は異教徒どもといくさを交えているはずなのだ。


 ボクが自らの誕生会を三日ずらしたのは、お父上の出立と機を同じくして、ボクにエイゼンブルグ留守居役の任が与えられるため。

 王都の留守居となれば、王令を用いることができる。一時的にでこそあるが、父上と同等の権力を手にできる道理だ。


 つまりはボクとエリーゼ、この二人の父上同士が決めた婚約を、座興でなく強制的に破棄するには、今日このタイミングしかなかった。


 なのに、今ボクの眼の前には亡霊でなく本物のお父上がいる――。


 この突如として突きつけられた謎かけに、我が身よりなお気を取られていると、ボクの様子を気に留めたエリーゼが話を切り替えた。


「ところで陛下。御身が今ここにおられるということはやはり……」

「然り。お主の懸念は当たっておった。我が野営地は合戦を翌朝に控えた昨晩、急襲され、焼かれ、無残にも塵芥と化したのよォ」

「残念ですわ。まさかそんなこと……それで、下手人は」

「これも、お主の申した通り。我が天幕に忍び込んだ賊の持ち物に、ブラックヒュームの紋章が刻まれておったァ」


 ブラックヒューム伯爵!? 父上が王国統一をなした際、最後まで臣下の礼をとらなかったあの不良貴族だって!?


 ボクの驚きにまるで補足を入れるかのように、お父上がお話をお続けになる。


「あやつは密かに異教徒どもと結び、裏から我がエイゼンブルグを陥れようと策を巡らしおった……エリーゼェ、もしもお主が野営地におるワシに使い鳩で知らせねば、この命、既に散っていたかもしれぬ」

「……伯爵さまのこと、最後まで信じとうございました、陛下」


 残念そうに言って、しゅんと殊勝に顔を伏せたエリーゼではあったのだが……いやいやキミよちょっと待て!

 たしかブラックヒューム伯爵の領地には大学があって、キミってばつい最近までそっちに留学していたはずだったよね!


 そしてキミは、キミの美貌に眼が眩んで鼻の下を伸ばしたブラックヒューム伯が、手ずから用意した邸宅に居を構えていたはず……。


 このとき、ボクの脳内で、よからぬ妄想が夏の入道雲のようにムクムクともたげていた。

 でもって、まるでそれを証明するかのように、エリーゼはあっけらかんとこう続けたのである!


「でもまあ……陛下のお身体がご無事で、伯爵さまの陰謀が証明されたのでしたら、あとの始末など容易いことではありません?」


 ……そうだ、我がエイゼンブルグにとって、王国統一の最後まで抵抗し、未だ自治の気風が強いブラックヒューム領は眼の上のたんこぶだった。


 そして、ブラックヒューム伯は老獪でもあった。


 裏では他国と太い繋がりを持ちながら、表にはおくびにも出さない。

 面従腹背を貫き、こちらの与り知らぬところで国益を損ねる。


 そのあまりに見事なコウモリ野郎っぷりに、むしろ家臣としてなぞ招かなければよかったと、あのお父上すら嘆いておられたほどである。


 それがまさかこんなタイミングで、こんなわかりやすい謀反を起こすだなんて……。


 そんなこんなを考えつつ、ボクは怪訝な瞳でチラリとエリーゼを見る。

 その視線には、暗にこう問いかけるものがあった。



 ――ねえエリーゼ、まさかキミが伯爵をそそのかしたんじゃないよね?



 しかし応えたのは、お父上の方だった。


「……エリーゼェ、お主は母親に似て実に美しく、父親に似て実に賢しい。そう、我が王国より異教徒どもとあのブラックヒュームが消えれば、もはやこの世に懸念など一匙もあらずゥ」


 そんな、心から感嘆されたような口ぶりの父上に、エリーゼはすぐさまキリっとした表情となって返答する。


「左様でしたら、微力ながら我がルーンリバー家も力をお貸ししとうございます、陛下」

「無論、そうしてもらおう。我がエイゼンブルグが誇る二大騎士団。エイゼンブルグ騎士団の力にルーンリバー騎士団が加われば、異教徒も、ブラックヒュームも、ふたつ纏めて一網打尽よォッ!! ……だが、その前に、よ」

「……フヒッ!?」


 このとき、場にまるで豚の鳴き声のような音がした。

 なんのことはない、それはボクの鼻から生じていた。


 まるで研ぎ澄まされた剣のように眇められたお父上の視線に射竦められ、ボクの全身がびくりと震えて硬直してしまったのだ。

 そんな風に固まるボクに向かい、お父上は怒りの矛を収められ、哀しみをムリヤリ押し殺したかのようなお声で、こう続けられた。


「……ロバートゥ、我が愛しき長子よォ。つい先刻、父は哀しい知らせを聞いたァ。扉一枚挟んでの向こう側、エイゼンブルグの留守居にして第一王太子でもあるお前が、このエリーゼに婚約破棄を突きつけておるのをなァ」


 朗々と語られるお父上は、寂しげな眼でボクを見て、お話をお続けになる。


「此度、お前に留守居を任せたのは、いずれは王たるお前を信用してのこと。だが、ワシが政を任せた愛息子は、こともあろうに我がエイゼンブルグの盟友たるルーンリバーとの仲を引き裂こうとしおったァ。王令までも用いたことの意味、ロバートゥ、賢しきお前ならばわかっておろうてェ……」

「……あ、あ、あ……」


 このときボクはお父上に抗弁することも、反論することもままならなかった。


 ムーンリバーの陰謀を防ぐ手段としての、エリーゼへの婚約破棄。

 それは、元々が危険な賭けだった。


 ボクの中に確信としてあるムーンリバーの陰謀だが、今現在、それを如実に証明する材料はなく、また事前に探りを入れている余裕もなかった。


 この場でエリーゼとの婚約を破棄し、それとともに彼女に協力を取りつけ、お父上が帰還されるまでの間にその存在を証明しようと、そう画策していたのだ。


 ……だけど、今ここには、本来ならおられないはずのお父上の姿がある。


 ボクの見立てでは、たとえいくさ上手のお父上といえ、南方の異教徒軍を殲滅するには数日以上の時間を要するはず。

 がしかし、臣下であるブラックヒューム伯が反旗を翻し、お父上の野営地を襲ったことで、そのタイムラインは大幅に前倒しされたことになる。


 今、野営地から命からがら舞い戻られたお父上に、ムーンリバーの陰謀を証明できないとあっては、王令までも用いた婚約破棄はまったくの不当。


 のみならず、その事実は、まるで撥ね返された呪いのように、ボク自身の立場をも危うくするものでしかない。すなわち――。


 頬に冷や汗が流れる感覚を覚えていると、お父上がまるでそんなボクの内心を見透かしたかのように、決定的な一言をお告げになる。


「この父、信じたくは、なかったァ。だが、実際それを耳にしたからには、信じたくなくとも信じねばならぬ……我が息子、ロバートが謀反人であるとォ」



 ――そう、今ここにいるボクは謀反人なのだ。



 大した理由もなくエリーゼとの婚約を破棄することで、エイゼンブルグとムーンリバーとの仲を引き裂き、再度エイゼンブルグ王国を安定と程遠い位置へと追いやろうとしている。それこそが、ボクの行動の意味するところになる。


 そして、お父上に面と向かってそう言われて初めて、ボクは、エリーゼの真の狙いに気づいた。



 ――ああ、彼女にとって、ボクはもう邪魔なのだ。



 エリーゼとボクは、幼い頃から互いを知る仲だ。

 長い時間をともにすごし、一緒に成長し、いずれは結婚を約束されていた。


 そんな生涯の伴侶に少しでも疑いを持たれた時点で、彼女にとってのボクの利用価値は完全に失われていた。

 いずれ自らが操作し、王国実行支配のための傀儡とする相手として、失格の烙印を押されてしまっていたというワケだ。


 少し考えればわかることだった。

 なのにどうして、ボクはこんな簡単なことも考えずにいたのか。


 王太子の立場からボクを廃せば、王位継承権は次席に移る。

 そしてお父上には、ボクの他にもうひとり王子と呼べる存在がいるじゃないか。


 ……第二王子ジョンはまだ七つ。

 ボクの、親族の贔屓目を抜きにしても可愛く、素直で、真っ直ぐな王子だ。


 エリーゼにとってこれほど御しやすい相手はいないだろう。なにしろ、常日頃からエリーゼのことをおねえたまと呼んで慕うジョンだ。きっと女性としてもエリーゼのことを好きになる。年上の、物腰柔らかく美貌の婚約者は、こうして王国実効支配の礎となる、よき傀儡を手にすることができるという寸法。


 ああ、そうだ。すべてはエリーゼの掌の上。

 ボクはずっと、彼女の掌で転がされていたにすぎない。



 ……だがこのとき、ボクの頭の中には爽やかな敗北感もあった。



 第一王太子の立場が一転、謀反人。

 こうなってしまえばもう、ボクの廃嫡は免れないだろう。


 ボクはエイゼンブルグ王国の辺境地帯にある寂れた城へと幽閉され、最悪、一生日の目を見ることなくありあまる時間をすごさねばならないかもしれない。


 が、それはそれとしてエリーゼとは完全に縁が切れる。

 それもまた、確実とも呼べる事実だった。


 今ボクは、ボク自身の自由と王の責務とを引き換えに、彼女からの自由を手に入れることができたのである。



 そして――こうやって一度諦めてさえしまえば、この王たる者への立場にも、それほどの執着を感じられないのは何故なのか。



 今日、この日まで、ボクは王となるため生きてきた。

 必死で勉強し、馬を乗りこなし、一流の剣を振るえるようにもなった。


 だが今、この瞬間、それらすべての責務から解放され、ロバート王子はただのロバートに戻ろうとしている。


 そう、ボクは鳥籠の外に出たのだ。

 未だ足に糸を括りつけられ、その先を今度は新たな鳥籠へと結びつけられてこそいるが、飛べる範囲ならば今までよりもずっと多い。


 見果てぬ空。美しい空。翼の羽ばたきでいけない場所にある空は、まだまだ本物とは言えないけれど、それでもエリーゼという鳥籠はもう存在しない。


 ならば、紐の許す範囲の自由を享受して、なにが悪いというのだろうか?


 ……いいや、なにも悪いことなんてない。王子として敗北したボクに、また別の道が生まれた。これからの人生、城に幽閉されて外に出られないかもしれない。でもそれがどうした? ボクは今までだって自由なんかじゃなかった。


 そうだ、ならばせめて信仰に目覚めよう。敬虔な女神信徒として生きよう。城を修道院風に作り替えよう。そこで日がな一日祈ってすごすのだ。我が弟ジョンとエリーゼに幸あれ。いずれはルーンリバーたるエイゼンブルグにも幸あれ。なにより、ボクの第二の人生に幸あれと――。



 とまあ、この間数秒、ボクは内心ニヤニヤしながら、お父上の廃嫡宣言を受けようと顔を上げることにした。



 そしてお父上が、滂沱と涙を流しながら、両手でロングソードを振りかぶって突進してくるのを目撃したのである!!

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