第一章 迫り来るもの 5
賢者様の小屋に到着したのは夕日が眩しい時間帯でした。
「皆さん、お疲れ様です。一先ずは休んでください。食事も用意してありますから、ロワールでの事やこれからの事について少し話をしましょう。」
賢者様に案内されて大きなテーブルを囲んで座ります。流石に中に入ってしまうと日が届かず暗いですね。そう思っていると賢者様がランプに火を灯してくださいました。彼女はオイルランプを好んで使います。何となく落ち着く感じが私も好きです。
「一つでは暗いですね。あといくつか火を点けて、それから料理も運んで……あら……」
ランプを置いて移動しようとして賢者様がふらつきます。どうも顔色が良くない気がしますが、大丈夫なのでしょうか?
「無理をするな。私も手伝うから。」
「俺も出来ることは手伝いますよ。」
ミューと勇人がすかさず駆け寄って賢者様を助け起こします。それを見て胸の奥が小さく疼くのがとても嫌です。あれはただの彼の優しさで、そこに他意なんてないのに……
「ありがとうございます。では、ミューは私と料理を運んでください。霧原はランプの方をお願いします。」
二人は頷いて、ミューは賢者様と奥の方へ。勇人は何故か私の方へ近付いてきます。
「リリィク、良かったらランプの点け方教えてくれないか?」
「は、はい!」
私を頼ってくれる。それだけでこんなにも嬉しく……嬉しくなるのは普通の事でしょうか?
「ここをこうして……」
「こう、か?……よし、点いた。ありがとう、リリィク。」
「ふふ、どういたしまして」
次のランプへと向かう勇人について行こうとして足が止まります。この気持ちは何処までが私の物なのでしょうか?ロワールでの出来事を通してより一層私の頭を覆い尽くそうとするこの疑問が疑心暗鬼を募らせます。呪いが解けたら私は彼の事なんてどうでもよくなるのではないでしょうか?彼も呪いがあるから気を使ってくれているだけではないのでしょうか?違う、違うと心に言い聞かせようとしても膨れ上がって来る不安に押し潰されてしまいそう……
「リリちゃん、考え事?」
「えっ……あ、はい、そのようですね。」
我ながら妙な答えを返すものですね。もっとしっかりしないと……
「賢者様に話すことを少しまとめておこうと思いまして。」
「うぅん、それならいいんだけど。ねぇ、キリくん一人でランプ点け終わっちゃうよ。」
はっとして勇人の方を見るともうこちらに戻って来るところでした。
「あ、キリくん、ごめんね。リリちゃん引き留めちゃった。」
「ん?ああ、気にしないでいい。こっちは無事に終わったから。」
カスタードの心配りに感謝しつつ、それぞれ席に戻って料理の到着を待ちます。
しかし、私の内心は穏やかではありません。カスタードは心配して声を掛けてくれたというのに、私の心は「なんで声を掛けてくれたのが勇人ではなかったのか」という思いが溢れそうになってしまっていて、本当にこの呪いがいつ外に向かって際限なく漏れ出してしまうのか分からず気が気ではないのです。
「お待たせしました。さあ、食べましょう」
深く塞ぎ込みそうになっているところに賢者様達が料理を持って戻ってきてくださいました。少しだけ、気を逸らすことができそうです。
「それでは、まず改めてロワールでのことから教えてください。ある程度この子から聞いてはいますが、めんどくさくなると省略してしまうので。」
少し困ったような表情でミューを見ています。当の本人はというと我関せずといった感じで料理に手を付けようとしていました。
「ん?なんだ、私はもう話したんだからいいだろう。」
話し方が問題だったのだと思いますが……。ともかくそれは置いておいてロワールでのことを話していきます。それぞれの感じた事を織り交ぜながらも齟齬がないように確認し合いながら。
「こうして話してみると僕だけ記憶が改竄されてるっていうのが痛いほどよく分るね……」
リクシーケルン、でしたか。ロワールでの出来事の元凶とも言える存在、最後の最後でロワール一帯の記憶の改竄をしていったわけですが、ミューの傍に居た私達はなんとか彼女が防いでくれたので無事でした。でも、近くに来れなかったゼオの記憶は……
「完全な書き換えだ。エーテルでもどうしようもない。」
「はい、ミューがいなければ誰も真実を知らずに終わる所でした。それにしても天上の意思、まさか残っているものがあったなんて……」
詳しく聞いたわけではありませんが、この二人には関係が深そうな話のようですね。私達にとってはどうなのでしょうか?
「皆さんにはどうする事も出来ない存在、ですね。私やエーテルでも関わり合いになるのは危険でしょう。そもそも、天上の意思とは簡単に言ってしまえば神です。この世界の基礎を作り上げて、そこに生まれる様々な流れを観測し、記録するのを楽しみにしていた者達。あの時、ストラーという特異点がどんなに世界を改竄しても消えない事に苛立って、そして、私達に全てを丸投げして去っていってしまいました。」
ふぅ、とため息を一つ。確かにそんな存在であるなら私達にはどうする事も出来ないのでしょうね。
「ふん、去っていくならアレを消滅させるまで努力しておいてほしいものだ。」
「ミュー、記憶がなくてもその感覚は残っているようですね。」
「ああ、名前を聞く度に憎悪が湧き上がるほどだ。これで記憶が戻らないのが不思議だな。」
「そ、そうですか。とりあえずロワールの事は分かりました、ありがとうございます。次はラトラに向かう方法ですね。」
ラトラは砂漠の向こう。砂漠の昼は灼熱、夜は凍えるほどの零下。そもそも、ラトラに行く人はほとんどいません。会議の場を設けようとすれば通信だけで済まされてしまいますし、必要な製品を頼めばきっちり届けてくれますし、技術的な事を知りたいと思えば各種メンテナンスに来る技術者に聞いてしまえば済んでしまいますし、行くメリットがないといいますか……
「そう思わせることがラトラの戦略、基本的にあそこは閉鎖的なのです。情報も技術も基礎的なこと以外は外に出すことを嫌います。特に、北天の調査が行われて以降は余計に厳しくなっていますよ。」
「あの、簡単に行けるルートか何かは無いのですか?向こうからはよく来られるのですよね?」
アルトラ様の質問で少し思い出したことがあります。あれは確か機械人形が向こうに招待された時に、無理矢理付いて行った父上が帰って来てから……
『リリ、あれはすごいぞ!なんというかな、男のロマンを刺激するというかな……いい、すごくいい……』
……思い出してみましたが全く参考になりませんね。何か乗り物に乗った様子ではありましたが……
「たとえば乗り物だとか、そういうものがあれば俺達でもすぐに行けそうなんですが。」
きっと皆も同じように考えたのでしょう。一斉に期待を込めた瞳で賢者様を見つめます。
「あるといえばあります。が、今は使えません。バーゼッタから抜け出すことの出来た一部の人達を、偶然帰ろうとしていた技術者が乗せて行ったきりなのです。今は通信も途絶していますし……」
「バーゼッタから脱出した人達がいたのですね!良かった、皆閉じ込められてしまったと思っていました……」
少し安心しました。そして、それと同時に安否の確認もしなければという焦りも生まれてきます。
「うん、だったら何としても砂漠を渡らないと、ってことだよね?」
「ああ、そうだな。賢者様、俺達はどうやってラトラへ向かえばいいんですか?」
賢者様は一度深く頷いてからミューに微笑みかけます。
「……何だ?何故私を見る?」
「ミュー、障壁を張って彼等をラトラまで導いてください。」
心底嫌そうな顔をした後、諦めたようにため息を吐きます。が、彼女は確かずっと私達について来るつもりではなかったでしょうか?
「ふん、確かに私は勇人達について行くつもりだが、障壁の張りっ放しは疲れそうで面倒だ。なんとか他を探せ……と、言いたいところだが、どうせ丁度いいのが私しかいないのだろう?ならば頼まれるしかあるまい。……その分今日はしっかり休むから夜中に起こしたりするなよ。」
少し怒ったようにも見えますが、どうやら頼りにされるのは嫌いではないようです。ほんの少しだけ頬が紅潮して口角が上がっているように見ました。見間違いではないでしょう。
「向こうで何か問題が起こっていれば解決をお願いします。お願いばかりで申し訳ありませんが……」
「気にしないでください。俺達だって覚悟がないわけじゃないですよ。何があっても必ず協力を取り付けて帰ってきます!」
勇人の言う通りですね。そもそも連絡が取れない以上何かしら起こっているのは間違いないでしょう。ロワールもそうでしたから。
「帰りは『ペネトグラウン』を使って帰って来れるでしょう。」
「それがさっき仰っていた乗り物の名前ですか?」
ゼオの質問に賢者様が頷く。父上が興奮の余り何を言っているか分からない状態にまでなる代物、一体どのような物なのでしょう?
「はい、その名の通り地中を貫いて進む楕円球の形をした乗り物です。かなり大きなものですし、様々な機構もあって見ていて飽きないと思いますよ。」
「んぅ、ちょっと気になる……」
「ふふ、大丈夫だとは思いますが念の為、通信が繋がったら乗せてもらえるように伝えておきますね。」
さて、話すべきことはこのぐらいでしょうか?個人的なことではありますが食事にもしっかり手を付けていきたいところですが……かなり減っていますね。
「あのさ、ちょっと言いにくいんだけど聞いてもいいかな……?」
「はい、私で答えられることなら。」
「あぅ、いえ、賢者様にじゃなくてですね!……えっと、君はそんなに食べて大丈夫なのかい?」
ゼオの一言に全員の視線が一人に集まっていきます。
「……ふえっ!わ、私が何か!?」
途中で一度質問した以外は黙々と食べ進めていたアルトラ様の方へ。
「こ、こんなに食べたのか……?」
全体の半分は食べてしまっているのではないでしょうか?……あ、いえ、私もそれなりに取り置きしてあるので半分はないでしょうが、それでもかなり。
「あ、あの、食事がとても美味しくてですね……普段はそんなこと考えもしなかったもので……」
「普段はどんな物を食べてるんだ?」
勇人に聞かれて何とも言いにくそうに俯いてしまいます。
「その、空腹が煩わしくなった時にだけ父様に奉納された物から少量見繕うぐらいでして……」
「んぇ、それって虐た……!?」
「そ、そうではないのです!私も父様もエーテルのおかげで栄養面などに気を配る必要がなくて、それで、あまり食事に関して考えた事もなかったといいますか……」
恥ずかしそうに答えながらも、その手は次の料理へと伸びていきます。確かに賢者様の料理は美味しいです。それに加えて、おそらくこうして人と食卓を囲むのも初めてだったのではないでしょうか?それが彼女にとって良い刺激になったのでしょう。ずっと神殿に籠っていた彼女がこうしてここに居ること自体が奇跡なのかもしれませんが、きっと悪いことではないのだと思います。
「アルトラ様も、少しずつ外の世界について知っていくのですね。」
「は、はい、少し怖いですが。これも勇人様と姫様があの時声を掛けてくれたおかげ、なのかもしれませんね。」
……少し警戒されていますか。森でのことでしょうね、ごめんなさい。私も何とか呪いを少しでも抑えられるように頑張らないといけません。
「まだまだありますから皆さんたくさん食べてくださいね。後でデザートもありますよ。」
「うっ、太りそう……」
「そうかい?僕は気にしないけどね。」
「そ、それはアタシが太ってても関係ないぜ!ってことかな!?」
「いや、僕は気にせず食べるって意味だよ。」
「そ、それはアタシが太っても気にせずに食べてくれムグッ!」
「はいはい、妙なこと口走る前にこれでも食べたまえよ。」
……私、デザートはいらないかもしれません。
「ア、アルトラ、あんまりこの二人の事を観察しない方がいいかもしれないぞ。」
「わ、私観察してなんか!……はい、そうしておきます。」
「ふん、羨ましい事だ。私はさっさと食べて寝るぞ。」
「ミュー、温泉もありますからね。」
思い思いの会話をしながら食事を楽しみます。ただこんな風に楽しい毎日が続くことを願いたいものです。いつかきっと、全てが解決した時には……