9:残金2万5000
……○……
「…もう朝か…いや、これは…」
窓から差し込む朝日。
いや、これは西日なので夕焼けだ。
カーテンを開けると中央にそびえ立つ大きな建造物が目に入る。
周囲のビルは子供の背丈のように感じる。
かつて首都圏に浮かんでいた湾を埋め立てて、上級国民を始めとするエリート層たちが本拠地を構える人工島を建造した。
『首都圏魔導ネットワークシステム』
次世代の魔法と魔術技術をつぎ込んだ都市。
そして、アカミネを殺そうとしたローデリックサウス学園のある場所だ。
学園はその中心部にある。
コイケ・レンジ…。
アカミネはレンジだけは許すつもりはない。
そして、レンジと殺そうと企んだ学園。
敵が多すぎる。
人生のリセットボタンは一度きりだ。
ゲームの世界の話ではない。
捕まったらその時点でゲームオーバーになるだろう。
だからシオンと共に逃げなければならない。
(僕はシオンを守らないと…彼女は一人では生きていけない存在だ)
アカミネはそう誓う。
そして、学園の連中がそうやすやすと許すとは思えない。
プライドの塊。
権力の亡者。
そんな言葉がお似合いの人間だ。
こればかりは遺伝的にそうなったのだろう。
学園の動きを探ると同時に彼らに対する復讐も忘れてはならない。
(あいつが…レンジの失態と被害を受けていた人間を野放しにしているとは思えない。学園に世話になっている政治家とかに僕を殺すように命令を出しているに違いない)
実質的にこの国のトップにも狙われることになっているだろうとアカミネは予想した。
その予想は正しい。
既に警察庁、魔法省が動き出している。
表向きは首都圏の治安維持という目的だが、その実態はアカミネの確保である。
1000人態勢で臨んでいるが、見つからなければドンドン人員を増やして対応していくだろう。
できれば力を蓄えておきたいものだ。
そう思いながらアカミネは洗面台で顔を洗う。
洗い終わった後に、アカミネはズボンのポケットの中に差し込んでいる財布を取り出す。
「所持金はあと2万5000レトンか…」
シオンの服を購入したり、髪の毛を染めたりした結果、お金の半分があっという間になくなった。
銀行に残してある口座もあるが、あれはもう使えないと思ってもいいだろう。
アカミネの口座は銀行員が見張っている筈だ。
アカミネが別人を使って口座から現金を取り出しても、その時点で警察に捕まるのがオチだ。
口座が使えない以上、今ある現金だけで生活しなくてはならない。
明日にはこのホテルを引き払って別の場所に行くことになりそうだ。
「ここにいられるのも明日までか…それにしても寝すぎたな、殴られた後遺症か?」
「んっー…アカミネ、おはよー」
「おはようシオン」
財布の中身を確認している後ろからシオンが声を掛けた。
昨日の騒ぎでレッドギャングの連中をコテンパンに投げ飛ばし、腕をソフトクリームのように捻じ曲げた女。
常人では考えられない力を持つ。
そんな彼女に優しく接しているアカミネの事がシオンは大好きなのだ。
すでに、起きた時にはシオンの服は乱れている。
寝る前に互いの気持ちを感じ取った跡だ。
シオンも起きたことで、アカミネはこれから食事を取ることにした。
「警察官だけじゃなくて私服警官にも気を付けないとね、シオン。ご飯食べに行く?」
「ごはん!食べたい!」
「よーし、それじゃあご飯食べに行こうか!」
先ずは腹ごしらえをしてからこれから必要なものを買うことにした。
お腹が空いていると上手く頭が回らない。
十分なエネルギーを摂取してから動き出すべきだろう。
貴重品を持ってホテルの外に出た。
ホテルの外では既に人が多くごった返している。
昨日の昼は殆ど人がいなかったが、どうやら夕方から朝まではこの辺りは混雑するようだ。
「すごい人だかりだね…」
「うん、すごい沢山人がいるね!」
「ん?あれは…昨日の女の子か?」
アカミネとシオンが歩いていると、昨日アカミネに髪染めを売っていた獣人の少女が飛び出してきた。
その後ろからガラの悪い赤シャツを着た男が二人がかりで飛びかかり、バランスを崩して転倒する。
そのうちの一人が少女からバッグを奪った。
襲っているのはレッドギャングの連中だ。
「か、返してください!」
「うるせぇ!これは利息分だよ!そのバッグでも貰わないといけないものでね!」
「そんなぁっ!約束した利息とは違うじゃないですか!なんで…なんで…」
「はははっ!獣人の犬なんざ人間様に役立てられることに感謝しろ!」
「そうだ犬畜生が!せいぜい売春でもして利息分の金を持ってくるのだな!」
女性に対して最低な言葉を吐く男たち。
涙目になる少女。
笑ながら男がバッグを奪い立ち去ろうとした時だ。
―ベゴォン!
バッグを持っていた男の腹部に強烈な力と音が加わった。
腹部の骨にヒビが入る感触が脳に伝わると激痛のあまり口から白い泡を吹きだす。
「あばばばば!!!いてぇ!!!いてぇよぉおぉぉ!!!!」
「おい、大丈夫か!てめぇ!何様の…」
何様のつもりだと言いたかったようだ。
だが、その続きを言うことは無かった。
「圧縮空気弾!」
アカミネが圧縮空気弾を発射して男の腹部に命中する。
魔法の中でも空気を操る魔法は珍しい。
アカミネの行っているのはこれまで発見されている魔法の応用である。
そして、昨日世話になった女の子がひどい目に合っているのを見て、思わず手を出してしまった。
後輩の件といい。
やはり黙って見過ごすというのは性に合わないようだ。
「ち、畜生!魔法使いかよ!」
「くそっ、歯が立たねぇ!逃げるぞ!」
「おい、待ってくれ!俺を置いていくな!」
男たちは腹部を抑えながらその場を立ち去った。
昨日に引き続き、レッドギャングを撃退したアカミネ。
シオンにやらせてしまうと過剰に殴ってしまうから、自ら先陣を切って行動したまで。
アカミネは女の子に駆け寄って怪我は無いかと尋ねた。
「君、大丈夫かい?」
「ええ、…あっ!昨日のお客さん!私は大丈夫です…ちょっとかすった程度ですが…助けてもらったみたいで…本当にありがとうございます」
「何かあったの?」
「…えっとですね…ここで言うのもなんですから、とりあえずそこの喫茶店にでも入りませんか?そこで全てをお話します」
女の子はアカミネとシオンを最寄りの喫茶店に案内する。
古ぼけてはいるが、店の中は非常に綺麗であった。
現在ではもう滅多に手に入らないコーヒー豆を飾っている。
喫茶店のドアを開けると、中では女の子によく似た獣人の女性が店番をしていた。
「いらっしゃい…ってリサじゃない!どうしたの?こんな時間に…」
「えっと…レッドギャングに襲われている時に後ろにいる人達が助けてくれたの…」
「本当かい…あっ、すみません…妹のリサを助けて下さってありがとうございます。私はキャシーといいます。お礼といってもお茶ぐらいしか出せませんが…さぁさぁ、座ってください」
キャシーはリサの姉であるようだ。
お礼としてレモンティーを淹れてくれるそうだ。
果実もこの辺りでは流通していないので、まさに高級品といってもいい。
アカミネとシオンは有難くいただくことにする。
カウンター席に座って5分。
レモンティーが出来上がってアカミネとシオンの前に出される。
人工肉と牛肉の合成肉を挽いたサラミをつまみとして振る舞われた。
「どうぞ、大したものは出せませんが…本当にありがとうございます。どうぞ召し上がってください」
「どうも…それじゃあ、いただきます…」
「いただきます!」
アカミネとシオンは両手を合わせてサラミに手を付ける。
ゆっくりと口元に運ぼうとした時であった。
突然、アカミネは口元まで入れようとしたサラミに口を付けずに皿に戻した。
それを見ていたシオンも口の中に入れるのを止める。
一見すれば非礼な行為である。
しかし、アカミネの目はごまかせないようだ。
「キャシーさん。このサラミには軽い神経毒が…そしてレモンティーには睡眠薬を入れていますね?」
「な、何を言っているのですか!そんなもの…」
「入れているわけじゃないでしょう…そう言いたいようですが、残念ですが分かってしまうので無理に嘘をつかなくてもいいんですよ。弱みを握られていたりすれば、誰だってそれに従わなくてはいけないですからね…」
「…!どうしてそれを…!」
「分かるんですよ…何かと常に警戒していないといけない身なのでね。僕は魔法が使える身なので毒とか睡眠薬が入っている飲食物を精査することが出来るんですよ…ほら、さっき僕が手にしていたサラミとレモンティーを見てください」
キャシーとリサはアカミネが手にしていたサラミとレモンティーを見て驚愕する。
二つとも色が変色していたのだ。
確かに神経毒を塗った時には変色すらしていなかった。
だが、アカミネが触れた途端にサラミは緑色に、レモンティーは青色に変わっていたのだ。
アカミネはいつも食事を取る時に挨拶を欠かせない。
『いただきます』
この言葉を言う際に両手に魔法を掛けていたのだ。
用心に用心を重ねて行ったことが功を奏した。
魔法は人体に有毒である物質が飲食物に含まれているかどうか調べるものだ。
無害であれば何も起きないが、有毒であるものが含まれていれば変色が起きる。
食品偽装された質の悪い商品を食して中毒になっては困る。
自身にしか効果がないのと、触れてから有毒がどうか判断するものなので安全面から考えればあまり役に立たないような下級魔法だ。
しかし、ここでは役に立った。
「キャシーさん…何かレッドギャングに弱みを握られているのではありませんか?僕でよければ解決できるかもしれません。良かったら話してくださいませんか?」
本来であればここでアカミネに殴られたり殺されたりしても文句は言えない。
しかし、アカミネはそんなことはせずにキャシーに弱みを握られているのではないか。
よければ解決できるかもしれないと解決の糸口を出してきた。
キャシーはもう隠すことはできないようだ。
ゆっくりと、キャシーはアカミネに全てを打ち明けた。




