8:マジックショック症候群
「はぁ…はぁ…見たか、俺に暴力を振るえばこうなるってわからせてやったぜ!」
「素晴らしいですレンジさん!こいつ鼻や口から血が止まりませんぜ!」
「…身体も痙攣をおこしてビクンビクンとなっていますけど…どうします?」
「そうだな…正当防衛として反撃した際に偶然打ちどころが悪くて痙攣を起こしたことにしよう。すぐに教職員を呼んできてくれ」
「はい、直ちに!」
レンジは実に愉快な気分であった。
指導を邪魔した上に、生意気にも顔を殴ってきた同級生に思う存分反撃をしてやったのだ。
周りの人間もそれに加担しているので、いざアカミネが死亡してしまった場合には最初に殴った奴に責任を擦り付けてしまえばいいのだ。
5分後、取り巻きの一人が教師達を連れてきて事情を説明する。
教師達はここで何が起こったのか察した。
レンジとその取り巻きが目の前で血を流している生徒に対して集団暴行を加えたことは明白であった。
現に、レンジは先端がぐにゃりと曲がったゴルフクラブを持っている。
どう見ても事件現場だ。
しかし、レンジは教職員たちに自分の正当性を主張した。
「先生、アカミネが突然俺を殴ってきたんです。それで俺たちは止めようとしたんですが…余りにも暴れて抵抗したので仕方なく押さえつけたら頭を強く打ってしまったみたいで…彼を連れていってください」
「えっと…本当にレンジ君が襲われたのかい?」
「勿論、ほら…俺の頬を見てください。紫色に腫れているでしょ?どう見ても俺が被害者でしょ?」
「あー…うん、そうだね。君も医務室で治療を受けてきなさい。アカミネ君は私達が見ておくから」
「ありがとう先生!それじゃあみんな、行くぞ!」
「はーい!」
「先生、あとはよろしくね!」
正当性が通ったとレンジは上機嫌で取り巻きと共にその場を去った。
その場を去ってから教職員は慌てふためく。
明らかに致命傷の傷をアカミネが負っているからだ。
頭部は血まみれであり、身体中には痣と暴力を受けた跡が山ほど残っている。
しかし、レンジを警察に引き渡すことはできない。
実の祖父であり、この学園の最高権力者である理事長が絶対に阻止するだろう。
そのうえ、この出来事を訴えたら逆に自分たちが学園を追放される。
いや、学園だけではない。
理事長は首都圏各所の企業にコネクションをもっている。
学園を追放されたら行く当てがないので貧困街に身を寄せて生き延びるしかなくなる。
自分たちの地位は涙ぐましい努力によって与えられたものだ。
それらをすべて投げうる勇気は教師達には無かった。
「…これどう見てもレンジ君が集団でリンチした跡ですよね…アカミネ君をどうするんですか?」
「どうするって…とりあえず回復魔法をかけておくしかないだろ?すぐに魔法科の先生を呼んできて治療しないと…ここで死んだら処理が余計に大変なことになるぞ…早く呼んでこい!」
「回復薬は実験室にも置いてある筈だから誰か取りに行ってこい!急がないとここで死んだら俺たちに責任押し付けられるぞ!」
教師達が行ったのは、まずアカミネを回復させることであった。
学園でも屈指の魔法使いの教師を連れてくる。
教師の名前はコテシ。
去年の冬にブリテンからやってきた外国人女性教師であり、学園には特別教師として赴任している。
そして亜人エルフ種でありながら、魔法学でも指折りの研究者でもある。
コテシは現場に到着するとアカミネを見て、その惨状に怒りを覚えた。
「これはっ…!一体何があったのですか!どうしてこんなに酷い怪我をしているのですか!」
「…レンジ君が友達と共にいたところ、突然アカミネ君が殴りかかってきたそうです。正当防衛として彼らがアカミネ君を取り押さえた際の怪我だそうですが…」
「こんなっ…頭から血を流しているし、身体中に痣が出来ているじゃないですか!どう見ても集団で痛めつけた跡じゃないですか!」
「落ち着いてくださいコテシ先生、レンジ君は理事長の孫なのです…」
「理事長の孫…それでこんな暴虐なことをしても許されると?」
「…たとえレンジ君、ましてや理事長に言っても逆効果ですよ。それをいったら良くてクビ…最悪殺されますよ…それに、ここでアカミネ君が死んでしまったら我々に責任がのしかかってしまうんです。病院に搬送するまででいいんです。アカミネ君を延命措置をすることはできますでしょうか?」
コテシはその言葉に、強く心の中で怒りが込みあがってきた。
自分たちの生徒がこれほどまでにひどい目に合わされているのに、自分たちの保身だけを考えている。
おまけにここで死なれては困るから、病院に搬送されるまで持つように言われた。
怒りで飛びかかりそうになるも、深呼吸をしてそれを抑える。
「…分かりました。では、これより治療を開始します。回復薬は持ってきましたか?」
「はい、実験室に置いてあった回復薬です。これで足りますでしょうか…?」
「そうですね…この薬で足りそうです。皆さんも準備のお手伝いをお願い致します」
回復薬のラベルをコテシは確認する。
回復魔法の類は魔法使いでも慎重に行わないと回復が強すぎて心臓に猛烈な負荷が掛かって死に至るケースがあるからだ。
回復薬と併用すれば劇的な回復をすることもあれば、体質などの要因により回復がゆっくり行われる場合もある。
必ず回復する方法だ。
まず最初にコテシはアカミネが着ていた上着を脱がして、その上に回復薬を垂らして塗りつける。
頭部も回復薬が口や鼻の部分に入らないように慎重に塗ってから呪文を唱える。
「命よ、命よ、命よ…汝の女神に祈り、汝を救う意志あれば身体を呼び起こせ…回復への礎!」
呪文に応じるようにアカミネの身体から白色の光が光りだしていく。
これは魔法の中でも上級魔法使いだけが使用できる回復魔法だ。
使用者の魔力を消費する代わりに相手の生命力を大きく回復する特別な魔法だ。
これを使用すれば怪我の傷んでいる部分が回復していく。
…はずだった。
白色の光はアカミネの身体を包み込むが、すぐに消えてしまう。
傷も癒えず、むしろ先程よりもアカミネの顔色が悪くなっていく。
その光景を見たコテシは驚く。
「なっ…!か、回復魔法が効かないですって…!どういうことなの!!!」
「それは本当ですかコテシ先生!」
「ええ…本来であればこれだけ良質な回復薬と回復魔法を併用すれば必ず治るはずです…それなのに…治らないだなんて…むしろ状態はもっとよろしくないわ…!」
遺伝で魔法があまり効かない人間でも、回復薬を併用すればその効き目は一目でわかる。
しかし、目の前で倒れているアカミネの身体が回復していく兆候はない。
むしろ回復魔法を使ったことで顔色がより真っ青になっているように感じる。
これはマズイ。
非常にマズイ状態だ。
回復魔法と回復薬を複合した治療法が効力を発揮せず、逆に対象者が急激に体調の悪化に至った事例は過去に世界でも5件しか症例がない。
『マジックショック症候群』
魔法や魔術といった治療法が効かない極めてレアケースな症状。
アレルギーのようなものといえば分かりやすいかもしれない。
どうやら今回は6例目のケースとなってしまったようだ。
コテシは再び深呼吸して他の教師に指示を出す。
「…外科医院に大至急救急搬送を手配していますか?」
「間もなくこちらに到着する予定です…おおよそ5分ぐらいかと!」
「では、すぐに追加の連絡を入れてください。アカミネ君には回復魔法と回復薬を併用した治療法は効果がない上に、症状を悪化させてしまう恐れのあるマジックショック症候群を患っている可能性が極めて高いと…!」
「わかりました!すぐに通信機で連絡を取ります!」
「魔法と回復薬がダメなら…せめて傷口だけでも抑えておきましょう…清潔なタオルはありますか?」
「はい!ここにあります!」
「タオルで出血を抑えて…あとは病院に任せるしかありませんわ…お願いアカミネ君…絶対に死なないで!」
魔法学を専門とするコテシにできることは、それぐらいしかない。
アカミネは意識がもうほとんど無い。
呼吸はしているものの、怪我の度合いから重傷なのは間違いない。
回復魔法で効果がない場合は、外科手術を行って回復する望みに託すしかない。
悔しい。
コテシは心の中で、自分が無力であることに悔しがった。
魔法学の研究者だが、回復魔法には詳しい。
故に、自分の得意分野である魔法と回復薬を併合した回復魔法が効果が出なかったことに、とてつもないほどのショックを受ける。
もしかしたらアカミネを救えないのかもしれない。
そんな絶望感が押し寄せようとした際に、ようやく救命士が学園に到着したのだ。
「コテシ先生!今救命士の方が到着しました!」
玄関前に到着した救急車から担架を持ってきてアカミネは運ばれる。
その光景は大勢の生徒に目撃された。
レンジに殴られている現場も。
コテシが懸命にアカミネを助けようとしていた事も。
運ばれていく際に、一瞬だけ意識を取り戻したアカミネはコテシに呟く。
「せ、先生…コテシ先生…」
「アカミネ君!」
「こ、これを…ズボンのポケットに…鍵が…部室の地下に彼女が…頼みます…」
震える手でアカミネはコテシに鍵を渡した。
部室の地下室のドアの鍵らしい。
力を振り絞ってコテシに渡す。
コテシに鍵を渡すと安堵したのかそのままアカミネは意識を再び失ってしまう。
鍵を受け取ったコテシは運ばれていくアカミネの無事を祈るも、渡された鍵に何の意味があるのか考えることになる。
その時はまだ思いもしなかった。
開けた扉に入っていたのはパンドラの箱であったと…。




