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1:安楽死

 ◇


 重苦しい空気。

 それは何処にだってある。

 ここでは慣れてしまった陰湿な空気。

 できれば入れ替えをするべきだが、頭でっかちな老人どものせいで若者は新鮮な空気を吸えない。

 このまま窒息死してしまいそうだ。

 いや、死にかけている奴ならこの場所にいる。

 丁度看護師さんと医者が他の看護師や患者に聞こえないようにひそひそと話している。


「…これが201号室に新しく入った患者のプロフィールか…」


「はい、夕方に搬送されて緊急手術が行われたそうです。現在は心拍数こそ安定していますが、頭部を損傷しているらしいので容態急変しないようにバイタルチェックを随時行うようにとのことです…それと…」


「それと…?」


「…上からの指示で、記憶があるようならできる限り()()として扱うようにとのことです」


「ああ………そういう案件なのか…わかった。見ておこう…」


 朝礼を終えてから病棟を管理する初老を迎えたベテランの医者と看護師との会話。

 4日前に心不全で亡くなった高齢者の部屋に新しい患者が入院することになったのだ。

 それ自体はいつもの事だ。

 病棟ではありふれた日常会話に過ぎない。

 しかし、この患者は特殊な事情を抱えているらしい。

 会話からして既に不穏ワードが入っている。

 昨日の夕方に運ばれてきた患者の診療録カルテに目を通すと、医者は思わず息を飲んだ。

 まず目にしたのは患者の名前と年齢、そして所属先などの情報だ。


『…本名アカミネ・ジロー…年齢18歳、…所属…ローデリックサウス学園普通科3年6組…学園から怪我人がいるとの通報を受けて本病院に昨日の午後4時25分に搬送される…午後4時40分、緊急の外科手術を行う…。』


 ローデリックサウス学園。

 この病院のある地域では有名な進学校だ。

 エリートや貴族、そして勉学やスポーツができる若者しか入ることが出来ないという名のある学園だ。

 ここまでならエリートたちの通う学園で怪我をして病院に運ばれたという事が分かる。


 だが、問題はその次であった。

 概要覧の後半にびっしりと敷き詰められた文字。

 カルテは本来であれば書き手の癖が強い波打ったような字なのだが…。

 後半はだれが閲覧しても読めるような綺麗で整った字で書かれている。


『患者の症状は全身に複数の打撲痕と脳の一部を損傷したことによる脳内出血…学園の教師による回復魔法でも効果が見られず…やむなく病院に搬送された。意識を取り戻した際に、怪我を負った状態のことを覚えているようであれば()()()による処置をすること』


 そう、患者は暴行されていたのだ。

 それも脳の一部を損傷するほどの大けがを負った。

 学園内でも権力を有している生徒が患者をイジメた際に負わせた傷なのだ。

 患者が負ったその傷はあまりにも大きい。


 しかし、保護者である権力者からしてみれば事が公になってしまうほうがマズイようだ。

 意識を取り戻した際に虐められた際に出来た傷だと言われた場合には、患者を安楽死して怪我が元による外傷ショック死を装うように医者は命令された。


 これはあまりにもひどい。

 もしインターネットがあれば即座に特定作業が始まるだろう。

 隠蔽工作のためには手段を選ばないようだ。

 医者としても工作に加わった見返りに権力者の後ろ盾と娼婦よりも夜の営みを楽しませてくれる女と大金を贈ってくれる貴重なスポンサーでもある。

 スポンサーの意志に背く真似をすれば、すぐに別の医者がやってくるだろう。


「…厄介な案件だな…」


 所詮は彼も飼い犬なのだ。

 権力者に不利益を被る者。

 その要因となる者を()()()()()()で排除する。

 もしくは事故死に見せかけて排除するのが鉄板だ。

 あからさまな殺人事件では警察が介入してくる。

 警察が介入できないように、協力者の看護師や医者で内々に処理をする。


「でもやるしかない。やらなければ今の地位を失ってしまう」


 医者はそう呟くと安楽死用の薬を調合し始める。

 まず戸棚から瓶を二つ取り出す。

 瓶には取り扱い規制を示す警告ラベルが張られている。

 計量スプーンで瓶から白色のザラザラした粉を取り出す。

 机の上に置かれた薬包紙に粉を落とすと、もう一つの瓶からねっとりとした青色のジュエルを注射器の中に垂らす。

 注射器に10ml程度ほど入れてから薬包紙に置いた粉を注射器に加える。

 すると注射器の中はみるみるうちに赤色に変色した。


死の眠り(デス・スリープ)』と呼ばれる安楽死薬がこれで完成した。

 本来は末期がんや鎮痛剤すら効き目の無くなった病気の患者に投与される薬だ。

 家族がいれば同意を得てから注射されるもので、薬の投与から5分以内に体中の血流が止まり、患者は眠るように息を引き取ることができる。

 この薬の名前にもなった。

 赤く染まった注射器を巡回健診の際に使う鞄の中に入れて医者は立ち上がる。


「もし記憶が無いようならやらなくていい、それが一番良いのだが…」


 医者は意識不明の患者の元にいく。

 もし記憶があれば殺すしかない。

 だが、記憶が無ければ殺さずに済む。

 念には念を入れて完全に記憶が無くなっているか調べる必要もある。

 嘘を言っていれば鼻が赤くなる魔法を念じておけばいい。

 鼻が赤くなればその時点で嘘つきだ。

 治療薬と称して注射器を打てば何の問題もない。

 医者はそう自分に言い聞かせて病室の前に着いた。

 コンコンとドアをノックする。


「アカミネさん、巡診の時間ですので入りますよー」


 …返事が無い。

 そりゃそうだろう。

 なんたって意識不明の重体で運ばれてきた患者だ。

 まだ容態が安定していないのもあるだろうし、もしかしたら寝ているのかもしれない。

 自然に死んでいれば手間が省けるので万々歳だと医者は思っている。


 -ガチャッ…。

 ドアを開けると、そこにいるはずのアカミネはいなかった。

 ベッドはしわくちゃのまま乱れている上に、病室の窓は全開であった。

 おかげで外で振り出していた雨が病室の中に入ってきて床が濡れている。

 最悪の展開だ。

 医者が最も嫌がる案件である「患者の脱走」が起こったのだ。


「い、いなくなっているだと?!」


 慌ててベッドのほうに医者は駆け寄る。

 ベッドのシーツは乱れており、所々血が付着している。

 安静にしていなければならないのに、無理に身体を動かしたせいで傷口から血が出たのだろう。

 血は窓に向かって点々と続いており、血で拭った手で窓を開けた跡がある。

 記憶が戻って自分が消されると感じ取ったのかもしれない。


「くそっ、これでは私に責任が負わされてしまう…!ただでさえスポンサーは失敗に厳しい…安楽死させるべきアカミネが脱走したと知られたら…いや、巡回をサボった看護師がいるに違いない!そうでなければ患者の脱走なんぞ起きるはずがない!」


 …。


「そうだ、朝礼の時にいたサミーが悪いんだ。彼女はこのアカミネのバイタルチェックなどを行っていた看護師だ。彼女に責任を擦り付けて一刻も早くスポンサーに連絡しなければ…そして、一刻も早く殺さないと…」


 …ポタ、ポタ…。


「…ん?水滴か?」


 医者の頭に落ちてきたのは水滴では無かった。

 手で触れると、それは血であった。

 咄嗟に上を見てみる。

 そこには顔の目の部分が髪の毛で隠れており、何一つ衣類を身に着けていない傷だらけの女が天井に張り付いていた。


「うがぁっ!!!」


 医者と目線があった瞬間、女は医者に飛びかかって身体を動かせないように首元と頭を強く締め付ける。

 医者は視界を遮られて、頭と首に強い握力が加えられる。

 あまりにも突然すぎる出来事にかすれた声で悲鳴をあげた。


「ひぃぃぃぃぃ!!!だれか!たすけてくれ!!」


「…許さない…殺そうとしているお前は許さない…」


 -ミシミシ…ミシミシ…ゴギッ、ゴギッ…

 頭蓋骨が徐々に砕けていく。

 骨に負荷が掛かってもうじき頭蓋骨が割れてしまうだろう。

 それと同時に、首も物凄い握力によって折れ曲がっていく音が病室に響わたる。

 医者は命乞いをしようと思ったが、それをするにはもう遅かった。

 -バギィン!バギバギバギ…!!!


「…ぐぎゃがががぁぁぁががが!!!!」


 首と頭から血が噴き出した。

 破裂し、窓と壁一面には真っ赤に染まる。

 鮮血によって塗られた病室。

 血で濡れた女は呆然とした表情で死体となった医者を見つめている。

 そしてベッドの下からゴソゴソと音がする。

 はい出てきたのはアカミネであった。

 病衣ではなく無地の長袖Tシャツの上に茶色のカーディガンを羽織っている。

 既にズボンの着替えもすませており、血で赤く染まっている女にタオルを渡す。


「…このままボーっとしていたらグズグズしていると看護師さんに見つかってしまう。でも、その前に身体についた血はふき取ったほうがいい」


 女はアカミネから受け取ったタオルで身体についた血を拭き取る。

 その間にアカミネは医者の鞄を物色し、役立ちそうな書類や財布、薬品などを取り出す。

 もう死んだ医者にとっては使う機会のないものだ。

 これがアカミネにとって役立つならとってもいい事だろう。

 木製で出来た自分用のスーツケースの中にしまい込んだ。

 その間に血を拭き終えた女がアカミネの傍に座り込む。

 アカミネは木製スーツケースから女に服と運動靴を渡した。


「せめてこれだけでもいいから着てほしい、じゃないと流石に全裸で街中を歩くのは危険だ」


「…分かった」


 アカミネの指示に従って女は服を着る。

 信頼しているようで、アカミネの言われた通りに着替えを済ませる。

 アカミネよりも一回り大きい女にとって服のサイズがやや小さいものになってしまうのは忍びないが今はアカミネにとっても時間が無い。

 この格好で一先ず病院から逃げ出すことが先決だ。


「よし、行こう…しっかりついてきてね」


「…うん」


 アカミネはスーツケースを左手で持って血まみれの病室を出る。

 アカミネに続くように、女も後に続く。

 出来るだけ看護師とすれ違わないように慎重に進み、一階の階段付近に設置された換気用の窓を開けて、正面からではなく裏側から病院を抜け出した。

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