魔探し
ほどほどに豊かで小さな町に、一際目立つ建物があった。白塗りの壁が、朱色に塗られた屋根を映えさせる。きらびやかなステンドグラスがいっそう神々しさを醸していた。その大きな建物を、一組の男女が見上げている。
「ここがディライト教とかいう奴らの神殿、か」
男の方が低い声で呟く。その顔は感慨深いとは言いがたい、神妙なものだった。男はちらりと傍らの女性を見やる。
「ディライト様とやらが奇跡を起こしてくれるそうだが――サルバ、お前はどう思う?」
「事実であるか否かに関わらず、私達のすべきことは変わらぬと存じますが」
薄い笑みをたたえ、サルバと呼ばれた女性は返答する。男はそうじゃないだろと言わんばかりに彼女を睨み付けた。睨まれ、サルバは肩をすくめる。
「ほとんど黒とみて差し支えはないかと」
おどけたように答えれば、男はそうか、と短くため息をついた。表情を引き締め、建物に向かって歩き出す。
「ついてこい、サルバ」
「かしこまりました、ヨツゼ様」
ヨツゼと呼ぶ男の後を追って、サルバも建物の中に入っていった。
建物の入り口は数段高くなっていた。その階段を上り中に入ると、何人もの大人達が這いつくばるように頭を下げているのが目に入る。彼らが向いている方向には、顔立ちの整った金髪の男性が立っている。その人物は腕を広げ、何事か説いていた。二人が見ていると、金髪の男性の傍らにいた男が二人に気付いた。上品な服を着たその男は厳かに彼らの元に歩み寄る。ヨツゼはへらりと人のいい笑みを浮かべた。
「すみません、ここに奇跡を起こせるというディライト様がいらっしゃると聞いて来たんですが」
ヨツゼがそういうと、上品な服を着た男は破顔した。
「おや、誰かからのご紹介で?」
「いえ、噂になっているものでして」
ヨツゼが笑顔のまま答える。男はそうですかと笑みを深くした。
「あちらでありがたい説教をなさっているのがディライト様になります」
男は金髪の男性を手で指し示した。その説教の内容は二人には聞き取れなかったが、ヨツゼはへえ、と嗤った。それをどう受け取ったか、男はまるで自分のことのように胸を張って続ける。
「ディライト様は本当に素晴らしいお方です。日々人々に生き方を説き、その奇跡の力で怪我を瞬時に癒やすことも、何もないところから金を生み出すこともできるのです」
話を聞きながら、ヨツゼはディライトという男を眺めていた。やがて挑戦的な笑みを浮かべる。
「しかし、最近は奇跡だとか言ってても、ただのインチキであることも多いですし。この目でそれを見ないことには信じられません」
さも当然だというように、ヨツゼは嗤ってみせる。男は寸の間目を見開いて、しかしすぐに笑みを濃くした。
「わかりました。では特別に、奇跡の力をご覧に入れてみせましょう」
そう言って、男はディライトの元へ歩み寄る。説教が終わったタイミングを見計らって、なにやらディライトと話し込んでいた。ディライトという男は頷き、新参の二人に向けて微笑む。
「そちらのお二方、どうやら私の力を信じていないようですね。ならば今から、無より有を生み出してみせましょう」
そう言って、ディライトは一つ、乾いた拍手をした。そしてなにやら呪文めいた言葉を呟き、足を踏みならす。と、不意に建物内に轟音が響き渡った。見れば、神官とおぼしき人々が太鼓を鳴らし、金管楽器を吹き鳴らしている。明るくも厳かな重低音が、人々の体全体をびりびりと揺らす。騒音に二人が思わず耳を塞ぐと、ディライトの足下にきらりと光るものが現れた。それも一つだけではなく、あちこちから湧いてくるように見える。やがて音は収まり、痛くなる鼓膜に人々のどよめき声が届いた。
「なるほど、金を生み出した、か」
ヨツゼは歩み寄り、現れた光を拾い上げる。それは黄金色に光る金属の塊であった。だが歓喜する大人達とは対照的に、ヨツゼの顔から疑いの色は消えていない。
「しかし、ディライト様は怪我人も癒やせるのでしょう? なら、そちらも是非見てみたいですね」
挑発するようにディライトに笑いかける。ディライトはもちろん、と頷いた。
「誰か、剣を!」
ディライトが神官に命じる。程なくして、鈍い光を放つ剣が運ばれてきた。ディライトはそれを受け取り、おもむろに運んできた男に切っ先を突きつけた。短い悲鳴を上げ、男は仰向けに倒れ込む。切りつけたとおぼしき箇所には、赤黒いシミが広がっている。悲鳴に似た声が建物の中に響いた。
「ご心配なく。今からこの男を癒やしてみせましょう」
そう言って、ディライトは倒れた男の傍に膝をついた。またも呪文らしき言葉を発する。手をかざし意味ありげに動かしていると、倒れていた男は目を開いた。そして上体を起こし、不思議そうに体を見つめている。服にシミは残っていたが、そこに傷はなかった。どうですか、とディライトは微笑んだ。それを見たヨツゼの顔は――嗤っていた。
「黒」
それまで静観を決め込んでいたサルバが静かにそう宣言する。ヨツゼはだろうなと呟いて、懐から小刀を取り出した。素速い動きで近くにいた男性の腕を掴み、小刀で切りつける。騒然とする周りを余所に、ヨツゼは笑ってみせた。
「治せるんだろ? なら、この傷も治してやれよ」
挑発するように、切りつけた男性を乱暴に前へ転がす。ディライトの顔は凍りついていた。何か言おうと口を動かしていたが、言葉になっていない。そこへ、神官の一人が前に出てきた。
「新参の分際で何を言うか! ディライト様は力をお使いになってお疲れなのだ!」
今にも殴りかかりそうな勢いでヨツゼに詰め寄る。だが、ヨツゼはただつまらなさそうな顔をするだけだった。
「ふん、たった二回、力を使っただけでお疲れか。ずいぶんとだらしのない救世主もいたもんだ」
呆れ声で息を吐き、詰め寄った男の手を振り払う。そして傍にいた女性に視線を向けた。
「――サルバ」
「かしこまりました、ヨツゼ様」
名を呼ばれ、サルバは軽く頭を下げる。前に進み出て、手を前にかざした。刹那、光が現れ、男性の体を包み込む。その光が消える頃には、男性の腕の傷はすっかり消えていた。誰もが信じられないといった顔でその光景を見つめていた。その場の空気がしーんと凍りついている。人々の顔には不信の色が浮かび始めていた。
と、神官の一人が妙に甲高い声を上げた。
「き、貴様、魔女か! 聖の道に反し、人々をたぶらかすつもりだな!?」
その声をきっかけに、神官達から非難の声が次々に飛び出す。ヨツゼはうんざりしたように息を吐き出した。
「サルバ、奴らを黙らせろ。手段は問わん」
「御意」
命令を受け、サルバは一歩前に進み出る。それを見た神官の男が悲鳴のような叫び声を上げた。
「ひいっ、ま、魔女め!」
「魔女?」
男の言葉に、サルバは可笑しそうに眉をつり上げる。彼女の顔には薄い笑みが浮かんでいた。
「魔女だなんて、なよなよしい名で呼ばないでよ。どうせ呼ぶなら――」
バサリ、と風を切る音が建物内に響き渡った。
「悪魔、って呼んで」
そう嗤う彼女の姿は、既に人のものではなかった。背中からは蝙蝠のような翼が生え、トカゲのように鱗のある尻尾がお尻から突き出て揺れている。足は外骨格で覆われ、腕にもきらりと鋭い爪が光る。目は瞳孔が縦に裂けてぎらりと輝いていた。異形。まさしく悪魔と呼ぶべき姿だ。その恐ろしげな出で立ちに、辺りはパニックになった。
「奇跡の力があるんでしょう? なら、悪魔だって祓えてもいいんじゃない?」
腰を抜かしたディライトの前に、サルバは悠然と進み出る。そうだそうだと周りの人々がはやし立てた。信じているのかいないのか定かではないが、誰かどうにかしてくれとわめいている。しかし、ディライトは動かなかった。
「あ、あれは嘘だ! こいつらに言われて奇跡の人を演じてただけなんだ!」
整ったはずの顔を歪め、ディライトは喚く。その情けない姿に、ヨツゼは呆れた視線を投げかけた。そしてサルバを見やる。
「サルバ、手加減は無用だ」
「はい、ヨツゼ様」
サルバは頷き、右手を素速く横に振った。と、直線上に光が現れる。光が現れたところに見えない壁ができ、男達は閉じ込められてしまう。サルバは背中の翼を羽ばたかせ、ふわりと空中に浮き上がった。
「魔の力を甘く見たこと、後悔しなさい」
ぎらりと瞳を輝かせ、サルバは手をかざした。空間が裂け、そこから闇のような何かがぞろぞろと這い出てくる。それらは逃げ場を失った罪人達に群がり、襲いかかった。奇声が上がる。悲鳴がこだまする。一人は物言わぬ石像と化し、一人は骨まで残らず食い尽くされる。やがて辺りが静まりかえる頃には、教団の人間は誰一人として動ける状態ではなかった。
「今回も収穫は無し、か」
つまらなさそうに男達の無残な最期を見下ろし、ヨツゼは吐き捨てるように言う。対して、サルバはどこか楽しそうに微笑んだ。
「魔とは畏れられ疎まるるもの。崇められた時点で疑わしきかな」
歌うように紡がれる彼女の言葉を、ヨツゼは黙って聞いていた。そして踵を返し、建物を出る。
「なら、そのはぐれ者を探しに行くか」
振り向くことなく低い声でいう。サルバははいと返事して、彼の後についていった。
たまにこういうダークファンタジーが書きたくなるんですよね
悪魔とか契約とか、憧れるけどなかなか手をつけられない……
この後続くのかどうかは……ちょっと未定です;
感想などありましたらどうぞ。