歩み始めた青年
繁華街から少しはずれた街角に一軒のレトロで落ち着いた雰囲気の喫茶店があった。
落ち着いた雰囲気を気に入っていたり、マスターの腕前に惚れ込んでいる常連が少なくはない数いるので、休日にはそこそこ客が入るのだが、今日は平日ということもあり、店内の客の姿はまばらだった。
「ありがとうございましたー。またお越しくださいませー」
また一人店内から客が出て行った。
今の時間は18時42分、学校帰りや仕事帰りに立ち寄った客が帰ったり、
別の店に行ったりするので、ちょうど客が少なくなる時間帯だ。
もちろんこの喫茶店でも食事をしようと思えばできないことはないが、
基本、コーヒーや紅茶メインで、食事といっても、メニューとしてはサンドイッチやスコーンなどの軽食の類かケーキやシュークリームなどのスイーツしかないので、夕食には向かない。
それにそういう客はたいてい近くにある繁華街の方に流れていくので、夕食時の客入りはそれほどではない。
「ん?なんだシュウ、この後予定でもあるのか?」
自覚はなかったが、どうやら無意識にちらちら時計を見ていたので、早く帰りたいのだと思われたらしい。
確かに今日は19時までのシフトだったので、少し時計を気にしていたが、マスターから見ればバレバレだったのかもしれない。
「ち、違いますよ、マスター。そんなつもりじゃ」
「まあ今日は19時までだからな。客も少ないし、別にあがってもいいぞ」
「いえ、そういう訳にはいきません。たとえバイトでも仕事は仕事ですから。時間はちゃんと守らないと」
「早く舞ちゃんのところへ行きたくて仕方ないだろうに・・・」
「べ、別にそんなことは・・・・」
マスターの思わぬ口撃で
いくらか鷲一の形勢が不利になったところに、
ちょうど新しい客が入口のベルの音と共に入ってきた。
鷲一にとっては、図星をごまかすチャンスだったので、会話を中断して、素早く接客にまわった。
「いらっしゃいませー」
「どうもー、いらっしゃいましたー!」
その客は常連というわけではないが、
鷲一もマスターもよく知っている客だった。
「・・・・・お一人様ですか?」
「あれーシュウちゃん、冷たくなーい?」
こんなことならさっきのマスターの提案にのって、バイトをあがっておくべきだったかと思いながら、無駄にハイテンションで絡んでくるその客とは目を合わせずにあくまで冷静さを保ちつつ、接客を試みる。
「お一人様ですね、テーブル席の方へどうぞ」
「えー、あたしカウンターがいいー!」
「・・ちっ・・・ではカウンターの方へどうぞ。ご注文が決まりましたら、お申し付けください」
少し本音の部分が垣間見えてしまったが、許容範囲にしておこう・・・。
「じゃあ、とりあえず生でー!」
「・・・・秋穂さん、ここは居酒屋じゃないですよ・・・。それにお酒は置いてませんけど」
喫茶店でいきなりビールを注文する横暴に耐えられなくなり、少し語気を強めて、接客を試みたが、
「えーそんなことよりシュウちゃん、昔みたいに秋ねぇって呼んでよー」
どうやら無駄なあがきだったようだ・・・・。
この人は、本城秋穂。
近所に住んでいる俺の昔からの幼馴染で同級生の本城武志の四つ上の姉で、今は某国立大学の4回生だ。
実はこのバイトを鷲一に紹介してくれたのは、以前この喫茶店でバイトしていた秋穂であったりする。
「秋穂、それくらいにしとけ。シュウの言う通り、ここは居酒屋じゃないぞ」
「ちぇっ、マスターに怒られちゃった」
さすがに以前ここでバイトしていただけのことはあり、マスターの怖さは熟知しているのか、少し自粛したようだ。
「それより秋穂さん、こっちに帰ってきてたんですね。いつ帰ってきたんですか?」
「えー、なにー?聞こえませんよー!」
かなりわざとらしい秋穂を見て、鷲一はため息をつきたくなった。
まあ確かに毎回このくだりをやりたくなければ、素直に『秋ねぇ』と呼べばいいだけなのだが、
さすがに高校を卒業するような歳にもなって、友達の姉を姉さん呼ばわりするのは、恥ずかしいのだ。
だが、秋穂はかなり頑固なので、結局鷲一が折れるはめになるのだが・・・。
「・・・・・・・秋ねぇ、いつ帰ってきたんだ?」
「昨日帰ってきたんだよー。さっき舞ちゃんにも会ってきちゃった」
「そっか、ありがとな。あいつは秋ねぇのこと慕ってるから、話すだけでもかなり気が晴れただろう」
「まあ、あたしにとっても舞ちゃんは可愛い妹みたいなもんだからね。それくらい、どうってことないよ!それよりシュウちゃん、舞ちゃんに聞いたけど派学へ進学志望ってほんとなの?」
国立人材派遣学校、通称『派学』。
15年前に設立された学校で、修学年数は三年間。
専門分野に特化して育成された卒業生は日本や世界各国のあらゆる団体、組織に派遣され、
その卒業生たちの年収は数千万円から数十億円に上のぼると言われている。
しかし、その学校で何が行われているのかを知る者がいない上に、
卒業生にも守秘義務が課せられているため、いろいろな噂が流れていて、
修学内容については、ほとんど都市伝説となっている。
だが、その学校は確かに存在し、
その卒業生の家族が以前とは格段に裕福になっている様子が、
毎年決まった時期にメディアで取り上げられている―― あからさまなメディア戦略であるが、効果はあるらしい ――ので、派学へ入学志望する人は年々増加しているらしい。
しかし、その学校へ入学するのは並大抵の難しさではない。
まず、入学適性審査と呼ばれる一次審査があり、
次に履歴や戸籍などありとあらゆる個人情報を調べられる二次審査、
そして最終審査である体力・知能測定を通った2000人―― 特待生は二次・最終審査を免除されている ――が入学できる。
「まあな。一次と二次は何とか突破できたから、あとは最終審査に合格するだけだけど」
「よくそこまでたどり着けたねー、シュウちゃん。今年の一次受験者って、120万人超えてたんでしょー?」
年々、増加傾向にあった一次審査の受験者だが、ついに2年前に100万人を突破した。
これには理由があって、もちろんメディアの影響を受けてというのも要因の一つだとは思うが、一番の要因は一次審査の形式にある。
一次審査は4月~12月の間であれば、各県庁、また都心部では区役所などの役所で、日本人ならいつでも誰でも受けられ、その内容は担当官と一体一での2,3分の面接だけというお手軽なものなのだ。
これを考えると、120万人はまだ少ないのかもしれない。
ちなみに一次審査は面接後にその場で合否が発表される。
そして、合格者は氏名、現住所などを尋ねられ、一、二週間後には二次審査の合否が尋ねられた住所に送れれてくるというかなりスピーディな審査だったりする。
「らしいな。でも一次を受ける人には試しに受けてみたって人もかなりいるから、参考にならないと思うけどな。それにまだ最終審査には4万人も残ってるんだから油断できないし」
「相変わらずお堅いねぇ、シュウちゃんはー。あっそうだー、なんかうちのくそガキも最終まで残ってるらしいよー」
「はぁ!?タケも派学受けたのか!?」
「みたいだねー。なんか舞ちゃんは俺が救うみたいなこと言ってたよー」
武志も派学を受験し、なおかつ最終まで残っていたことには驚いたが、
言われてみれば確かにあいつは、昔から顔を合わせるたびに告白するほど、
舞のことを溺愛していたので、自分で舞が救えるのであれば、たとえ派学だろうと火の中だろうと喜んで飛び込んでいくだろう。
「ったく、あいつは相変わらずだな」
「おいシュウ、もう19時過ぎてるぞ」
「っげ、もうこんな時間か」
どうやら秋穂のペースに乗せれて、時間を忘れるくらい話し込んでしまっていたようだ。
「じゃあ、バイト上がりまーす。お疲れ様でしたー」
「シュウちゃん、お疲れさまー!」
「お疲れさん」
鷲一が店内から出て行くと、少し賑やかだった喫茶店にまたいつもの落ち着いた雰囲気が戻った。
その雰囲気のせいか、秋穂も先ほどとはうって変わって静かにつぶやく。
「・・・なんかシュウちゃん、ちょっと見ない間に雰囲気変わったよね」
「あの年頃はみんなそういうもんだ」
「そうかもねー。・・・・派学かぁ、よくない噂も聞くから、シュウちゃん心配だなぁ。無茶しなきゃいいけど」
鷲一のことばかり心配して、弟の武志のことは全く心配しない秋穂であった。
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◎主人公
名前:倉田鷲一
年齢:18歳(11月11日生)
◎(主人公の)妹
名前:倉田舞
年齢:16歳(7月16日生)
◎(主人公の)幼馴染
名前:本城武志
年齢:18歳(5月3日生)
◎(主人公の)幼馴染の姉
名前:本城秋穂
年齢:22歳(12月21日生)
◎(主人公の)バイト先の店長
名前:???
年齢:48歳(?月??日生)