プロローグ ~絶望から羽ばたかせるために~
親曰く、「あなたはお兄ちゃんなんだから、もっとしっかりしなさい」
先生曰く、「お前も少しは妹を見習ったらどうだ?」
友達曰く、「お前、ほんとにあの子の兄貴かよ!」
いつからだっただろうか、今ではもうはっきりとは思い出せないが、気づいた頃にはすでに俺は二つ年の離れた妹と比べられていた。
初めはそれなりに努力して、立派な兄貴として振舞おうといろいろ努力してみたが、
時間が経つにつれ、妹との差は開いていくという現実を実感していくばかりだった。
それほどまでに妹は昔から何もかもが完璧な子だった。
運動神経がよく、どんなスポーツでもこなし、
特に熱心に取り組んでいた陸上では、全国大会で何度も入賞していたし、
学校での成績も優秀で、先生からの信頼も厚かった。
さらに容姿も抜群で、
自校の生徒だけでなく他校の生徒から言い寄られるされることもあったとか・・・・。
それだけ優れていれば、周り、特に同性から妬まれるのが普通だが、
妹は持ち前の人当たりのよさで、周りから慕われ、誰からも愛されていた。
一方、兄である俺はというと、妹に張り合って、日々コツコツと頑張っていたこともあって、運動や勉強、その他習い事において、人並み以上の成果は出していたが、妹と比べるとどうしても見劣りしていた。
当然のように両親もそんな息子ではなく、優秀な娘の方に期待し、溺愛するようになっていった。
正直俺は、周りから比べられる毎日に嫌気が差し、妹に恨みを持つようになっていった。
もし他の人が自分と同じ立場だったら、きっと誰もが同じように妹を恨まずにはいられなかっただろう。
だが自分でもそんな感情はただの逆恨みでしかないことは分かっていた。
俺は妹への憎しみという醜い感情を持ちつつも、それとは別に尊敬もしていたのだ。
なぜなら妹の優秀さは、恵まれた才能によるところも大きかったが、
それ以上に日々の努力の末に勝ち取ってきたものでもあったからだ。
そして、それは誰よりも、舞を身近に見てきた俺が一番知っていることだった。
それはちょうど周りから比べられるのにもいい加減嫌気がさして耐えられなくなってきていた頃だった。
「なあ舞、なんでそんなに毎日頑張るんだ?」
「おにぃ、急にどうしたの?」
その日、普段、あまり話しかけてこない兄に珍しく話しかけられて、舞は戸惑っているようだった。
「いや、最近頑張りすぎじゃないかと思ってな。
そんなに頑張らなくても、誰もお前に文句は言わないんじゃないか?」
「そうかもしれないね・・・・」
「だったらもう少し手を抜いてもいいんじゃないか?」
この時の俺は傍から見れば、日頃の苛立ちを妹にぶつけているように見えただろう。そんな俺に舞はまるで諭さとすかのような口調で、逆に問いかけてきた。
「おにぃは私が何のために毎日頑張ってると思ってる?」
「えっそりゃ・・・・周りの期待に応えるためだろ?」
「んー・・・まあそれもなくはないけど、ちょい違うかなー」
毎日、周りからの評価ばかりを気にしてきた俺は、
舞も自分と同じように周りの評価のために努力しているのだと思い込んでいた。
だから、それを違うと答える妹にどこか自分を否定されたような気がして、
俺は声を荒らげて聞かずにはいられなかった。
「じゃあ何のためにやってるんだよっ!」
「・・・きっとおにぃの言う通り、少しくらい休んでも誰も文句は言わないかもしれない。でもみんなが許しても、きっと手を抜いた自分を許せないと思う。
だから妥協したくないんだ。それにそっちの方が楽しいしね!・・・だからおにぃ、私は頑張るんだよ」
『頑張る方が楽しい』から努力する、晴れやかな笑顔でそう答えた妹に、
俺は何か見たことのないような世界を垣間見た気がした。
「そっか・・・・・。でも、無理だけはするなよ」
そう返すことしか俺にはできなかった。
「うん、気遣ってくれてありがと。おにぃも頑張ってね!」
「ああ」
今思えば、完全にやつあたりだった。
情けない話だ。
周りからの態度に、なによりそれに不貞腐れている自分自身に嫌気が差し、
頑張ってる舞に不満をぶつけたのだから。
舞の笑顔と言葉に何か大切なものをもらった気がして、
俺はそれまで気になっていた周りの評価が急にちっぽけなものに思えてきて、あまり気にならなくなっていった。
舞には及ばないのだからといろいろ諦めていたことも
自分なりに精一杯頑張ることにした。
それからしばらくして舞にちょっとした異変が起こった。
いつも元気で、昔からあまり風邪もひいたことのなかった舞が突然倒れたのだ。
医者は貧血だろうと言っていたし、
目を覚ました舞も何事もなっかたようにいつも通りに振舞っていたので、
誰もあまり深刻には考えていなかった。
しかし、このささいな出来事から俺たち家族の日常は、破綻し始める・・・
初めて倒れてからひと月が経った頃、舞はまた突然倒れた。
それから度々倒れるようになり、だんだんその間隔が短くなってきて、
さすがに周りも何かおかしいと感じ始めていた。
倒れる度にかかりつけの病院で検査はしていたが、やはり貧血だと診断されるだけだった。
貧血とはいえ、頻度が異常になってきていたので、さすがに担当医も不信に思ったのだろう、十分に設備の整った近くの大学病院へ紹介状を書いてくれた。
ここからまるで坂を転がり落ちるように、事態は悪化していく・・・。
紹介された大学病院で、数日かかって精密検査した結果、
舞は数百万人に一人の確率でしか発症しない死に至る難病であることが発覚した。
本人以上に母親がショックを受け、医者から告知された瞬間、気を失いかけたが、最近になって効果のある薬が開発され、数例ではあるが、回復傾向にある患者もいるということを聞かされて、何とか持ち直した。
だが、薬を含め、その治療法が最先端の技術であり、
日本ではまだ認可されていないため、海外での療養になるそうだ。
そうなると、保険が適用されず、治療費は年間で数千万、完治までとなると数億円になるとのことだった。
だが治療をしないままでいると、舞はこのままベッドの上で生活することのほうが多くなっていき、
そのままだんだんと衰弱して、十数年後には死に至るらしい。
―― 上流階級であれば、話は別だっただろうが ――ごく一般的な中流階級である俺たち家族にとってそれは絶望的な状況だった。
言わば、死刑宣告に等しかった。
自分たちの最愛の娘がふいに死の淵へ追いやられたという状況に、両親は耐えられなかったのだろう。
難病が発覚してからというもの、
専業主婦だった母親は家事をほったらかして、
入院している娘に付きっきりで看病し、ろくに家にも帰ってこないようになっていき、
父親は入院費やその他の諸経費、またいずれ必要になる治療費のために仕事に明け暮れ、
たまの休日には娘の入院する病院に足を運び、帰宅後は酔いつぶれるまで呑んだくれるという日々が続くようになっていった。
みるみるうちに家族の日常は壊れていった・・・・。
舞が入院してから三ヶ月たった頃、
その日は珍しく両親が病院に行けないと聞いていたので、
俺は初めて一人で見舞いに行くことになった。
まあ実際は、何かと理由を付け、避けるようにしていた―― 現実問題、舞が入院している病院は、家から気軽に通える距離ではないというのもあったが ――ので、舞が入院している病院に来るのはその時が三回目だった。
前に訪れたのが二ヶ月前だったので、
久しぶりに舞の様子を見るのが少し怖かったが、
ノックして病室に入室すると、見た感じ入院前とは変わらず舞は元気そうだったので、俺は安心した。
心のどこかで、舞が病魔に蝕まれ変わり果てているのではないかと不安だったのだ。
「あっおにぃだー、やっと来てくれたー。
まったく二ヶ月も顔見せないなんて、おにぃは妹が可愛くないのかなー?」
「そんなことないって!ただ来るタイミングがなかっただけで・・・・。
でも、元気そうで安心したよ・・・」
その言葉を聞き、少し哀かなしげに笑った舞を見て、無神経な発言をした自分を呪った。
元気なわけがないのだ。
行く先の見えない今の状況に絶望していないわけがないのだ。
そんな素振りを見せないだけなのだ。
もしかしたらこれまでもそうやって振舞ってきたのかもしれない。
重すぎる期待につぶされそうな自分を隠して、
必死に元気な自分を装ってきたのかもしれない。
そう思うと、妹に嫉妬し、逆恨みしてきた以前の自分を殺したくなるくらい、どうしようもなく腹が立った。
「まあね、元気すぎて病院から飛び出したいくらいだよー。
ほんと・・・自分が病気だなんて・・嘘みたい・・・・」
その時の舞の言葉には切実な響きがあった。
もしかしたら、心の中では泣いていたのかもしれない。
そんな姿に俺は兄として情けなくも、かけてやる言葉が見つからなかった。
「・・・・・・・・」
「・・・いやぁごめんねおにぃ、せっかく来てくれたのに、なんか暗い話しちゃって!」
「いや、俺の方こそ無神経なこと言ってすまん・・・」
「何言ってんのー、おにぃの無神経さは昔からだから、もう慣れてるよー」
その口調は、病室の暗い雰囲気を振り払おうとしているようだった。
さすがに病人にばかり気を遣われては、お見舞いに来た意味がないので、
自分も暗い雰囲気を振り払うべく、普段はしないような行動に出ることにした。
「なにー!?妹の分際でっ!このっ!生意気なのは、この口かっ!!」
「きゃー!ちょっとー、やへておひぃ、いはいよー」
「・・・・・ぷっ、はっははは、変な顔っ!」
「もうっ、ひどいよおにぃ、自分で引っ張といて人の顔笑うなんてー!」
「っはっははは、いやぁ、ごめんごめん、ついな」
「もうー、おにぃってばまったくー、レディの顔になんてことするのよー」
どうやら今のやり取りで、少しいつもの調子を取り戻したようだ。
―― 妹を一方的に敵視していた以前の自分では考えられなかったことだ ――
それからしばらく舞と談笑していると、
徐々にいつもの調子を取り戻したようなので、少し本音を聞きだしてみることにした。
「舞は今、一番何がしたいんだ?」
「んーそうだなぁ・・・とりあえず自由になりたいかなー」
「自由?」
「そう、今の状況がいつまで続くかは分からないって、医者の先生が言ってたけど、いつか病気が治ったら、自由にいろんなことに挑戦したいんだー!それが昔からの私の夢だしね!」
その夢は、才能あふれる妹にぴったりだと思った。
しかし今のままではいつか妹は、理不尽な病魔によって、
その夢を果たせないまま、死んでしまうだろう。
誰かが妹を救わなければならない。
いや、今まで兄らしいことを何もできなかった、俺が救うべきだ。
「そっか・・・・。よし、任せとけっ!」
「えっ、急にどうしたの、おにぃ?」
「いや俺が舞をここから自由にしてやろうと思ってな!」
「えー、おにぃがー?大丈夫かなー?」
今までの頼りない俺を思い返してだろうか、舞は疑わしげな視線を向けてきた。
「な、なんだよ、その目は!?大丈夫だって、本気出すからっ!!」
「おにぃの本気なんて見たことないけど・・・・。まあ期待せずに待っとくねー!」
「ああ、自慢じゃないが、期待されるのには慣れてないからなっ!そうと決めたら、さっそく行動しないとな!じゃあまた来るわ!」
「はーい、次は差し入れ持ってきてねー!」
俺は舞の返事を背に聞きながら、病室を飛び出していた。
兄が慌ただしく飛び出していった後の病室で妹は一人不安げに呟つぶやいた。
「おにぃが本気出すなんて、大丈夫かなぁ・・・。無茶しなきゃいいけど・・・・」
こうして誰からも期待されない兄貴が妹のために動き出した・・・・。
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