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シリーズ 『LOVE AFFAIR』

古典的恋愛事情

作者: 美籐

古典的恋愛事情


音に聞く たかしの浜の あだ波は

かけじや袖の 濡れもこそすれ

《祐子内親王家紀伊》

噂に名高い高師の浜の波をうっかり袖にかけまい。あなたの浮気な言葉も気になんてかけませんよ。涙で袖を濡らすことになるのだから。




かくとだに えやはいぶきの さしも草

さしも知らじな もゆる思いを

《 藤原実方朝臣》

こんなに慕っているとさえ言えないのに、ましてや、あなたは知らないでしょう、私の心で伊吹山のさしも草のように燃えている火のことを。

どこの世界にもプレイボーイというのはいるもので、目の前で万人受けしそうなニコニコ笑顔で話すこの男もまたその一人。


名前を平仲ジュアン。日本人の母親とイタリア人の父親を両親にもつ彼は、6歳まではイタリアで暮らしていたとか。


そんなプロフィールもさることながら、彼の外見はどこかのファッション雑誌から飛び出してきたモデルではないかと思われるくらい、俗にいうイケメン。加えて陽気で明るい性格なので、彼の周囲にはいつも女の子たちが集まっている。


断っておくが私はこの男に興味があって、彼のプロフィールを記憶していたわけではない、誓ってもいい。

運悪く彼と同じ学科に在籍する私は、同期生の友人たちが話す会話で、毎日彼の名前を耳にする。それはもう、嫌でも覚えてしまうくらいに。


これが違う学部であったなら、まだましだったのかもしれない。

いや、うちの大学で平仲ジュアンを知らない人は居ないと言われるくらい有名らしいから、他の学部でも大して変わらなかったのかもしれないが。


同じ学科とは言っても、直接的な接点があるわけではない。厄介ごとは避けて通りたい私にとって、ただそれだけが救いだった。


がしかし、

「なぜここに座ったの?」

ついさっきまで何の関わりもなかった彼が目の前の席に座り、あろうことか動こうとしない。

「やっと僕に興味を示してくれた。理由、聞きたい?」

「いや、別に。」


最初この部屋に人が現れたときは驚いた。

しかし、この人も資料室に何か用があるのだろうと特に気にも留めなかったが、しばらくして本棚から戻るとなぜか私が使っている机の前に座っていた。そのときになって初めてその人物が誰であるかを思い出した。


目の前の彼は何か資料に目を通すわけでもなく、ただこちらを見ていた。話しかけてくださいといわんばかりの目で。

私から何か言ったら負けだと、第六感が警告していたので無視し続けていたが、さすがに限界だった


「全然こっちを見てくれないし、話しかけてもくれないから、僕のこと見えていないのかと思ってた。」

「ええ、見えないものなら、どんなによかったか。」

「ジェレミー教授が言ってたけど、伊勢谷さん、いつもこの資料室にいるんだってね。何しているの?」

あのオヤジ、余計なことをぺらぺらと喋りおって。教授にはお世話になっている分際だが、心の中で毒突く。



「ご覧のとおり、ここにある資料を読み漁っているだけですよ。あなたは何か探し物ですか?」

この資料室の本や論文集は、主に日本の文化や古典に関するものばかりだ。私や彼が所属する学科は英文学科なので、卒業研究で日英比較を研究する人を除けば、ここを使う学生はほとんどいないだろう。


実は私も教授のお手伝いでこの部屋に足を踏み入れるまで、存在すら知らなかった。

その後改めてこの部屋を見渡してみると、さすが無駄に長い歴史のある大学なだけあって、資料室の所蔵文献は、興味をそそられるものばかりだ。

私は講義が終わったあとこうしてこの部屋にこもって、個人的な興味のある古典作品やその研究書を読むのが日課になっていた。


まぁ探しものっていえばそうなんだけど、と前置きしてから彼は目的を話してくれた。探し物の手助けが出来ればと思い聞いてみたが、その内容は私の想像を超えるものだった。


「僕は資料室のpoindexter (本の虫) に会いに来たんだよ。」

「は?」

「君に会いに来たのさ。」

「はぁ」

「英文科の資料室にはpoindexterが現れるらしいって聞いてね、どんなガリ勉眼鏡かと思ったら、こんなに美人な方だったとは。あと教授が言っていたけど、伊勢谷さんってうちの学科の首席なんだってね。君のように美人でできる人をなんていうんだったかな…そう、才色兼備!」

よくもまぁ、ペラペラと回る口だこと。

呆れる私に構うことなく彼は「また来るね」なんて言ってどこかに消えてしまった。


次の日も、その次の日もやってきた。何をするわけでもなく、ただ時々話しかけてきたり、一人で喋って、笑って。私はうるさいのが気になって集中できないというほどデリケートではないので、ちょっとしたBGM代わりに耳を傾けていることもしばしばだった。


「伊勢谷さん」から「紫織ちゃん」に名前の呼び方が変わって、彼の話に適当に相槌を打てるほど会話にも慣れてきたとある日、いつものようにやってきた彼は妙に静かだった。


それまでのように「どこかに遊びに行こうよ」だとか、それをあしらった私に、「ツンなところもまたキュートだね」とかなんとか、言っていたよく動く口がその日は全く機能していなかった。


いつもと違うので調子が狂う。どうしたものかと考えていると、気づいてしまった。

いつの間にか私は彼のことを気にかけ、心配までしているではないかと。

気にならないとはいえ、静かなほうがいいに決まっているのに、何かが足りないというか、もの寂しいと感じる。


黙っておこうと思っていたのに、やっぱり気になって聞いてしまう

「なにかあったの?」

「ん〜ちょっと考え事かな。」

返ってきた反応は、彼らしくない歯切れの悪いものだった。

「あら意外。考えるより先に、本能のままに体が動きそうだけど。」

「前まではそれでもよかったんだけど、今回は違うんだ。」

それっきり黙ってしまったので私もそれ以上聞くことはしなかった。


「ぬわぁぁ~」

「なにごと!?」

突然叫んでどうしたかと思えば、先ほどまで部屋の隅で丸くなって考え込んでいた彼が、こちらに向かってきた。

「やっぱり、僕考えるのは苦手だよ。」

そう言って一歩ずつ近づく。なにか尋常じゃない雰囲気を感じて後ずさりするが時すでに遅し。

壁際に追い込まれてしまった。


この体勢は、いわゆる「壁ドン」か。

普通の女の子なら慌てたり、恥ずかしさに顔を赤らめたりするんだろうが、私はその例ではなかった。

たしかに今までにない近さに彼がいて、恥ずかしい体勢ではあったが頭の中はいたって冷静だった。


「これは一体何の真似?」

「ずっと考えていたのはね、どうして僕の好きな子は僕を見てくれないのかなぁって」

「こういうことをするからじゃないの?」

「僕の好きな子はね、何を言っても聞く耳を持たないどころか、こういうことをしても顔色一つ変えないんだ」

「は?」

「好きな子には僕のことをちゃんと知ってほしいんだ。ねぇ紫織…僕のこと、ちゃんと見てよ」


嫌な事も腹立たしい事もたいていは、寝れば忘れてすっきりするのに、このときの彼の言葉と悲しそうな目は次の日になっても頭から離れなかった。


そして考えてみた。私は彼を知ろうとしたことがあっただろうかと。

見かけや周りの話に騙されて、彼の話をきちんと聞いていなかったのではないかと。


それからしばらくは平気な顔をしていても頭と心は騒がしかったが、次第に平仲ジュアンという男がどんな人間なのか私なりに分析できるようになってきた。


ノリが軽くて誰とでも親しくしている。彼曰く「僕の強い好奇心は女の子みんなに向いている」という、なんともおめでたい奴だ。

でも注意深く見ていると、誰よりも周囲に気を配っていて、相手を不快にさせない程度をわかっている男だった。


事実、資料室にいる時も、私が集中しているときに話しかけてきたことはない。

私は彼のことをただの軽い男だとしか思っていなかったので、なんとなく申し訳なく思ったりもして。



そんなとある日、彼の好奇心が資料室にある文献や本に向いたようだった

「なんで古典はこんなに長いの?」

「長い?そうかなぁ」

「これってまだ一巻でしょ、まだ先に50いくつもあるなんて途中で飽きそう」

そういう平仲君が手にし、開いているのは「桐壺」と書かれた藤色の本。「源氏物語」か。

「巻数は10。50いくつもあるのは帖。章みたいなもので、正確には54帖。」

「ふ~ん」

「源氏物語は長いけど、だからといって古典の全てが長いというわけではないと思う。伊勢物語は比較的短めだし、和歌は5・7・5・7・7で計31字。」

「和歌って日本の古いポエムのことだね。あれは短いけど、僕にはちょっと読みづらいなぁ」

和歌をポエムといってしまうあたり、私とは違う感覚の持ち主なんだなぁ改めて思い、それもまた興味深いと感じる


「私が小学校の頃、学校の行事で百人一首大会があって、みんなで和歌を100首全部覚えたりもしたし、コツさえつかめれば読むことも覚えることも難しくはないよ」

「小学校の頃から?そんな小さい頃から好きだったの?」

「あのときは単純に誰よりも多く覚えて、たくさん札を取ることだけに夢中になっていたんだと思う。本当に意味を理解して好きになったのはもっと大人になってからだったし。でももし百人一首に出会っていなかったら、今私はこんなに楽しく生きていなかったかもしれないなぁ」

「え?」


高校の頃、両親のように医者を目指すか、それとも違う道を進むか迷った時があった。その頃には医者の仕事がどんなに偉大なことなのか分かってはいたが、その反面大変さも知っていた。

両親は私の好きにしたらいいと言ってくれた。でも医学の道へ進めたがる学校の先生や周りの大人に反抗していた時期でもあって医者にはなりたくなかった。だが、具体的にやりたいことがあったわけではない。


そんなすっきりしない毎日の中で、ふと学校の構内にある桜の木を見上げて、かつて覚えた和歌を思い出した。それから和歌の意味を再確認して、その面白さにはまっていった。


だから今の私がこの大学で好きなことを見つけて学んでいられるのは、百人一首との出会いのおかげかも知れない。



いまだかつて君がこんなにも饒舌だったことがあっただろうか。それも自分自身のことを話してくれている。

時々昔を思い出すような表情を見せる君が珍しくて、もっと見せて欲しくて、黙って聞いていたのだけれど、君の人生を変えたという和歌が気になって聞いてみたくなってしまった。

「その和歌って?」

「『ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ』」

意味は分からなくても、穏やかだけど儚いような彼女の声色からなんとなくその雰囲気はつかめた。


そのあとに照れながらも、きちんと意味や作者について説明してくれるところが君らしいなと思った。

それっきり君の口から自身のことを聞くことができなくなったのは残念だったが。



ついつい自分のことを一人で話していたことに気づいたのは、あの桜をみて思い出した一首を口ずさんだあとだった。

そんな私に何も言わない彼にますます恥ずかしくなって、それからは気恥ずかしさをごまかすように、早口に意訳や作者のことを説明した。


「短歌や源氏物語から影響をうけたり古典作品を題材にした現代美術は多いんだよ。」

そんなことを話した数週間後、平仲君はいつもよりうきうきした顔であわられた。


「この前源氏物語にインスパイアされたアートがあるって言っていたけど、これのことでしょ?」

手渡されたチラシは、大学から一駅離れた町にある美術館のお知らせだった。

「へぇ源氏絵の展覧会ね」

源氏絵とは、源氏物語を題材にした絵巻や屏風絵、蒔絵などのことをいう。


「僕と一緒に行かない?」

「そうだね、楽しそうだし行ってみようか」

「じゃあ明日、中央エントランスのところで待ち合わせね」

やがて平仲君がいなくなってから気づいた。

私と彼が?一緒に?っていうか二人っきり??

これは俗にデートというものでは…いや余計なことを考えるのはやめよう。

一駅先の美術館に行って、源氏絵を見てくる。それにオスのゴールデンレトリーバーがついてくるだけ、それだけ。


その日の朝に物干しにかかっている服をそのまま着てくることもしばしばの私が、前日の夜から何を着ていくか悩み、朝の支度にはいつもの倍の時間がかかった。

大学に来てからも、なにか落ち着きがなくて、友人たちの目には奇怪なものに見えただろう。

そうこうしているうちにも約束の時間は迫ってきていた。


中央エントランスには座って人を待つ場所があるため、待ち合わせの目印にする人が多く、授業終わりとあって、たくさん人がいた。平仲君は案外すぐ見つけることができた。

時計を見ると時間を少し過ぎていたので、早足で近づく。

こちらに背を向けているので、私には気づいていない。わ!ってやって驚かせてやろうか。


「ジュアン、どうしてリエと遊びに行ってくれないの?」

しかし甘えたような声が聞こえて、はっとした。彼に隠れて見えなかったが、そこには茶髪の女の子がいた。

「僕には今日、約束があるからね。」



「あら、私のことは気にしなくていいわよ、2人で行ってらして?」

昨日からあった熱のようなものが、引いていくのを感じた。

そうだった、すっかり忘れていた。

彼にとって私は好奇心の対象でしかないんだ。何を勘違いし、浮かれていたのか。

頭は冷静になって冷め切っているはずなのに、いまだに目の周りは熱を持ち続けていた。



「私のことは気にしなくていいわよ、2人で行ってらして?」

振り向くと君が立っていた。ずっとずっと待ち続けていた君が。

でもその言葉と冷たい声色で、自分が置かれている状況を理解した。

そして僕の足はすぐに動き出して、背中を追っていた。


「捕まえたよ」

「…離して」

追いついて腕を掴んだけど、まだ背を向けたままで、どんな顔をしているかは分からなかった。

「僕の話を、」

「『音に聞く たかしの浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ』」

「紫織ちゃん?」

少し弱々しい声で紡いだ言葉は百人一首の和歌だった。

「意味はね、」

「分かるよ、『あなたの浮気な言葉を気になんてかけるもんですか、涙で袖を濡らすことになるんだから。』みたいな意味だよね。」

そう言うと驚いた顔で君が振り向いた。


「僕の言葉が浮気な言葉だって言いたいの?失礼しちゃうなぁ」

「でも事実そうでしょ。私はあなたの興味の対象の一人でしかないんでしょ。私じゃなくてもあなたのことを見てくれる人はいる。」

私じゃなくても、か。

紫織ちゃん、君は大きな勘違いしているよ。


「『かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな もゆる思いを』」

「それって藤原実方の…」

好きな子が夢中になっていることを知りたいという不純な動機で開いた百人一首の本。

その中で見つけたあるひとつの和歌。



「その人は源氏物語の主人公のモデルの一人だといわれているんだってね。この人はたくさんの女性と付き合いがあったけど、たった一人、この人がいいという女性を見つけたんよ。

でもそれまでの噂や行いのせいで、その女性には自分の本気を信じてもらえない。

この歌はそんなときの気持ちを歌ったものなんじゃないかと僕は思うんだ。」


僕の解釈が合っているのかは別として、好きな人に自分の気持ちが伝わらない、伝えられない心情は痛いくらい分かる。


「僕もどんな風に伝えたら、この気持ちが伝わるのか悩んだ。でもよく分からなかった。だって今までこの人がいいと思えるような女性に出会ったこともなければ、こんなに好きだと伝えたいと思ったこともなかった。

紫織ちゃん、僕は君がいいんだ。むしろ君しか要らない」

「…よくもまぁそんな恥ずかしいことを言えたもんだこと」


少し俯いていたのでその表情は見えなかったけど、いつものように呆れたように君が言った。


「僕も少し恥ずかしいけど、好きな子に思いが伝わるなら何度でも言うよ。紫織ちゃん、」

「もう言わなくていい。…聞いているこっちが恥ずかしい」

「え?」

「分かったって言ってるの。ほら、行くんでしょ、美術館」

すると君は少し俯いて僕の横をすり抜けて、さっき来た道を行く。ちらりと見えた横顔が赤くなっていた。


それは思わず君を追いかけて抱きしめたくなるような可愛さだったけど、そんなことをしたらまた機嫌を損ねてしまうかもしれない。


それにまだちゃんと君の気持ちも聞いてないし。

だから今は思いが伝わった嬉しさに浸ることにしよう。


次はどんな言葉で伝えようか。



百人一首、私も大好きです。百人一首大会、私も小学校の頃にやりました。

…壁ドンされたい←

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