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第一話 グレハ ティグラント

 「よし、それまで!」


完全装備の上、大量の石塊が詰められた背嚢(バックパック)を背負い訓練場内で隊列を組み

延々と走り続けていた傭兵達がグレハの号令を耳にした瞬間、その場に崩れ落ちる。

彼らの中には崩れ落ちると同時に気絶してしまう者も多い。

朝方は雪化粧で覆われていた訓練場だったが、現在は傭兵達の熱気で茶色の地面が覗いていた。

彼らの先頭を走っていたグレハの姿も完全装備で傭兵達の物より重い背嚢を背負っている。

しかし、こちらは乱れた息を数度の深呼吸で整えていた。


号令をかけ、立ち止ったグレハは崩れ落ちた傭兵達の方へ振り返り


――――さすがに休憩は必要か。この調錬の想定としては負け戦の後の敗走時だが……日の出から休憩なし、飯抜きで走り続けてもうすぐ日の入り時刻。これが民兵達ならとっくに潰れていよう。


と虎眼を細め注意深く観察している。

観察する間に多少は息を回復させたのか


「……しゃ、洒落に……なら……ないッス。…………ウッぷ」

「…………は……話す……のも……きつ……い……」

「……ど……どん……だけ……走り……こませ……」


スキッパーをはじめ気を失わずにすんだ者達が蚊の鳴くような声でぼやく。

そのぼやきを拾ったグレハは彼特有の低い声音で静かに答える。


「我慢しろ……歩兵で走れぬ者、体力の無い者は戦場で真っ先に死ぬことになるぞ」


「イヤイヤイヤ、…………そいつは判るッスけどね。……日の出から日没まで休み無しの飯抜き

おまけにこんな重り付きで延々走り続けるってのは……」


声を出すのも辛いのだろう、傭兵達はそんなスキッパーのささやき声による抗議にウンウンと首を頷かせ同意を表している。が、グレハはそれらに構わず訓練場内に等間隔で設置されている松明へ【着火】による魔法で順に明かりを点けていく。


――――休憩時間としては全ての松明に火を灯す時間で充分か。こ奴等の文句も判らんではないが……実戦であれば死への心理的重圧等も加わり疲れなども今の比ではあるまい。この訓練の趣旨は生存率の上昇を目的とした物だからな……戦うにせよ逃げるにせよ、最後に物を言うのは体力とそれを支える不屈の精神力だ。ならば、やはり更に追い込みをかけ体力と必死の精神力を培って貰わねば、な。


などと傭兵達が聞いたならば本気で泣きそうな事を内心で呟いている間にグレハは明かりを点け終える。

冬の黄昏時、日が沈むのも早く辺りは夜闇に包まれはじめていたが松明の灯りで訓練場内はユラユラと照らし出されている。グレハは背負っていた背嚢を地面へ降ろすとへたり込む傭兵達の方へ振り返り


「いつまで休んでいる! 立て! 今すぐ手近の者と二人一組になって相対を始めよ!

未だ寝ている者達は水をぶっ掛けてでも叩き起こせっ!」


と雷鳴の如き怒声で号令をかけた。

心底、疲れ果てているのだろう……傭兵達は文句を言う気力も無く虚ろな瞳でノロノロと立ち上がり、石が大量に詰められた背嚢を地面に降ろし、場内に設置されている訓練用の木剣を掴み、手近の者と組み始める。尚、気を失っていた者達は手近にいた者に蹴り起こさる様子があちこちで見受けられる。

そのあと相対がはじまり各組で木剣を打ち合うが彼らの動きはどれも疲れ切った老人以下のものだ。


そのヘロヘロとした動きで木剣で打ち合う傭兵達の姿をグレハは琥珀色に輝く虎眼で見渡し


――――ふむ、想定としては敗走後……疲れ切った状態で敵軍の追撃を受け、それを迎え撃つ状況だが疲労で動けんか。所詮、命のかからん訓練だからな。必死になれんのも判るが如何したものか?

……………………効果の程は疑問だが、こうしてみるか。


「よし、貴様等に告ぐ! この相対で勝利を得た者は、飯を食って寝て休んで良し!

敗退した者は、飯抜き休憩無し! この後、徹夜で俺の乱取り相手を全員で務めて貰う!」


と訓練場内に轟き渡るグレハの号令。

束の間、静寂に包まれる場内。

…………号令の内容が傭兵達の脳内に程良く染み渡るや否や、激烈な反応が起こる。


「イヤァダァアアアアッ!? お……俺ッチの明日の為に死んでくれっス!」

「ふ……ふざけんな、テメっ! テメェが俺の為に死ねやァッ!」


喧々囂々、傭兵達は驚天動地の様を見せた後、死に物狂いで相手を倒しかかりはじめた。

その様子は揺れる松明の灯りによって踊る影の狂宴となって照らしだされ、

場内は一気に異様な空間で包まれる。

尋常でない気迫で打ち合う剣戟、拳撃、蹴撃等の打撃音、怒号、罵声、悲鳴等が狂騒となり、

絶え間なく場内に響き渡る。



阿鼻叫喚の場と化した場内を眺め、束の間だが軽く目を見張るグレハ。

しばらくしてから自らの虎髭を指先で弾きつつ満足気に頷き


――――駄目で元々の目論見だったが……結果良し、か。

それにしても飯抜き休憩無しがこれほど効果があるとはな……判らぬものだ。

疲れで飯など咽喉を通るまいと予想していたのだが。


などと述懐するグレハだが……傭兵達にしてみればこの際、飯や休憩の有無等どうでも良く

グレハの乱取り相手をさせられるのだけは死んでも御免だ、というのが真相である。



この擦れ違いの原因はグレハの自己評価の低さにある。

これまで、そしてこれからもグレハは現状の強さで満足する事などない。 

常により強く、より上の次元へと渇望し邁進し続けるため、自らを強いなどと思う暇がない。

そして彼にとって、より強くなるための道は他者との戦いには無く、常に己の弱さとの戦いにある。

それゆえ、他者から自分がどう見られているのか? の客観性が乏しい、というより関心がないからだ。


 それはさておき。


「ダァラッシャァアアッ! ……俺ッチは、俺ッチは明日を掴み獲ったッスよぉっ!」


涙ながらに木剣を天に翳し勝利の雄叫びをあげるスキッパー……彼の右足は対戦相手を踏んづけている。

彼方此方から似たような勝利の雄叫びがあがり、あるいは敗北の呻き声が漏れ始めていた。

勝敗の明暗がはっきりと分かれ、勝者達はその後、ホクホクした顔でお互いの勝利を称えあい、美味い飯にありつき、安らかなる気分で寝床へと向かったそうな。


反面、敗者達のその後は……背後の篝火によって影姿(シルエット)となる(グレハ)爛爛(ランラン)たる眼光を見ることになり、地獄の夜を迎えることになる。



◆◆◆◆◆◆



 そんな、週一で開催しているちょっとした砦内訓練(ブートキャンプ)より数週間前。



先のロードナウ地方で起きたブラウベール軍と王国側の対ブラウベール方面軍の遭遇戦(ロードナウの役、グレハがリッシュガルド史の表舞台に初めて出たことで有名になる)は対ブラウベール方面軍が劣勢に陥り態勢を整える為、一旦退く事になった。

が、この時、殿(しんがり)を任されたグレハ達の傭兵部隊が追撃してきたブラウベール軍を

逆に敗走に追い込むという手柄を立てる。

その功績を対ブラウベール方面軍司令部に認められ、同方面軍の預かる傭兵部隊の長へと任命されると

同時にグレハは傭兵部隊を率い【ライオネル砦】へ赴任するよう指令を受けていた。



ラブラドール大陸北方に位置する獣人達の国、リッシュガルド王国。

この国の地勢は火山帯であり、大半が山脈で覆われ平地は国土の凡そ三割弱。

冬の季節は大雪に見舞われる事が多い為、戦が起こる事はまず無い。

その理由としては領土間の道が雪で埋もれ兵站の確保が困難を極める事や、厳しい寒気に侵される為、陣幕を築いても夜間に凍死者が多発する等が挙げられる。

もっとも、それらを承知で軍を動かした例(冬は戦が起きないという常識を逆手に取り、相手側の隙を突く等)もあるが、知られる限りでは悲惨な結末を迎える事が多い。



故に、冬季になると軍の規模は治安維持や土木建築関連の最小限の人数に抑えるのが通例になっていた。

その中で真っ先に解散されるのが戦中にしか徴兵されない民兵隊や傭兵隊だ。

そもそも、大半の君主が憧れる国軍(常備軍)ではあるが軍とは非生産的な組織である為、維持するだけで莫大な出費を要する。これを維持するには相当な国力と経済力の発展が必要不可欠なのだが……リッシュガルドに限らずラブラドール大陸に存在する国々においては幸か不幸かそこまで経済が発展していない。



リッシュガルドの平和時における軍とは王や諸侯(爵位と領地を持つ領主であり正騎士達)が率いる従騎士達で構成される各騎士団のことであり、彼らが各領土の治安維持等にあたることになる。

一方、戦時における軍とは諸侯等が各自の領土で民兵を徴集し傭兵を雇うことで騎士団を中核とした軍を結成し王の下に集った後、目的に応じた軍団を編成することになる。



 これらの事情を鑑みるに、乱世の様相を醸し出すリッシュガルドとはいえグレハを始めとする傭兵部隊の冬季における契約続行というのは異例の出来事であり、破格の扱いと言って良い。

ここに傭兵隊を解散することによってグレハを野に放すという選択をしたくなかった対ブラウベール軍司令部の思惑が透けて見える。



実際、対ブラウベール軍司令であるバルバロッサ将軍は周囲に


「グレハなる者、このまま野に放つは愚である。とはいえ、味方とするには人物を見極めねばならん。

傭兵隊の長に据え、今後の行動をもって信を置ける者か否か、しばらく様子を窺うことにする」


と漏らしている。

無論、バルバロッサを始めとする対ブラウベール方面軍司令部としては、グレハという人物の裏を取るべく彼の経歴などを洗い上げている。が、傭兵となる以前は冒険者として行動していた程度のことしか掴めていなかった。王領内に存在する冒険者組合(ギルド)にグレハの経歴を問い合わせてもギルドに所属してはいるが、特定の街に拠点をもたず世界各地へ自由に流浪する(タイプ)の冒険者なのでグレハに限らずこういった(タイプ)の冒険者達は足取りを掴むのが非常に難しいからだ。



 余談ではあるが、冒険者組合(ギルド)の繋がりは基本的に国内のものでしか無く、他国の冒険者組合とは別組織になる。これの主な理由は魔物領域を超えて連絡、通信するのが困難であることが挙げられる。

拠点をもたずに転々と各地を巡る冒険者達は魔物領域を超えて他国まで赴くような達人級(マスタークラス)の者も多い為、一定の評価はされる。が、信用や名声等は街に拠点を持ち実績を積み上げる型の冒険者には及ばない。



 バルバロッサ将軍側からすれば優秀な人材は欲すれど、それが敵側に通じる間諜、或いは埋伏の毒の類では困る。将軍の思惑としては


――――グレハという豪の者、これまで無名の存在であった。故に信を置けるかどうかの判断が難しい。

なれど、野に放てば敵に囲われよう。その位ならば手許に置き、その人格、能力を見極めるが吉か。

冬季における契約続行となれば、対ブラウベール最前線に置くは無駄飯ぐらいになる。ならば季節に関わらずに被害の出やすい対魔物領域の最前線で働いてもらい信頼を置けるのか否かを見るとしよう。配属先は……そうだな、王領最西部にある【ライオネル砦】で良かろう。


と、いうものであり、その為の手段として【ライオネル砦】砦守備隊の隊長を務めるレナードへ


――――今冬、【ライオネル砦】へ傭兵隊を預ける。傭兵隊長グレハの能力、人柄を詳細に見分し、信頼を置けるか否か報告すべし。尚、傭兵隊の裁量はグレハに預け、指揮統率能力も確認せよ。


と、グレハの砦への着任に先駆け簡素な指令を下していた。

その指令書を受け取り目を通したレナードは


「随分と期待してますね、バルバロッサ司令。確か……このグレハなる御方、ロードナウの役で単独で一軍を追い払ったという噂に上っていましたか。 眉唾物と思っていましたけど、もしかして一片の真実はあるのかもしれませんね。いずれにしても我が目で確かめよ、という事ですか」


周囲に漏れない程度の小声で呟き、苦笑を浮かべていた。



◆◆◆◆◆◆



 【ライオネル砦】でレナードが苦笑を浮かべていた同時刻。


薄暗い領主の執務室。部屋の窓全てが分厚い(カーテン)で閉ざされている。


「たかだか二、三十人の小人数の部隊に我が精鋭たる威力偵察隊五百が将を討たれ追い散らされたと申しおる。何の笑い話か、それは? さらに話を良く聞いてみれば実質は一人に負けたようなもの……」


執務机に座る男がロードナウでの顛末を聞き終え、感情を窺わせない声色で呟く。

トン、トンと机を指先で叩く拍子(リズム)が唯一、彼の感情を表している。

(きた)る本格侵攻の為、侵攻路や地勢、敵軍の反応、装備や実力その他を測る為に派遣した精鋭中の精鋭だった威力偵察隊の敗退。最初に報告を受けた時は誤報であろうと受け取っていたのだが。


「ですな。彼の地で追い散らされ、我が軍に帰還した者達から集めた信頼出来そうな情報を纏めると

そうなりますな」


片膝を付き報告を終えた男が相槌を打つ。相手に対して礼をとりつつも、その姿から覇気があふれ出るこの男はリッシュガルドからの独立を謳い、反旗を翻したブラウベール候領の騎士団総長パン デ ブランタールである。内乱初期、凡そ二十年ほど前に新参騎士だった彼は個人武芸に秀で、王国を相手に度重なる武功を挙げるうちに出世を繰り返し、その結果として指揮を執る立場となり、統率、戦術眼、洞察力に優れていたので現在の地位に就く。



今でこそブラウベール騎士団総長として後方での指揮に徹しているが、かつては前線で戦士として活躍していた歴戦の風格を漂わせている。ブラウベール領に住む獣人達は熊を祖霊、守護神(トーテム)とする者が多く身体の一部に熊の耳や牙、爪や尻尾を持つ者達である。パンの場合は祖霊(トーテム)に愛されたのか、頭そのものが獣であった。



熊系の頭を持ち歴戦の風格を纏う戦士。怖がられそうな存在ではあるがパンはブラウベール領内の

幼い子供達に大人気だったりする。鮮やかな白と黒の毛並をもち瞳の周りは黒い毛でおおわれている為に

ぱっと見では大きな愛らしい瞳にも見え、これまた丸っこい黒い耳に丸っこいお顔。

騎士団総長パンは熊猫(パンダ)の頭をもつ武人だ。



そして、パンの眼の前に座る男こそリッシュガルドに真っ先に反旗を翻し、王国側から反逆侯と呼ばれる

ベアル ディス ブラウベールだ。こちらは初老にさしかかり獣人としての特徴といえば熊耳と尻尾くらいである。そのベアルが相変わらず感情を窺わせない氷の表情で口を開く。


「……で、その豪傑が我が軍にとってどの程度の脅威となりうる存在なのか? それと、その者がどういった素性の者であるかの調査の結果を聞こうか」


「ハッ、脅威の方に関しては、確かに恐るべき個人の武勇ではあります。が、逆に申せば個人の武どまりであるならば如何(どう)とでも対処できましょうな。我が参謀らの分析からすると、ロードナウでの惨劇はその豪傑が無名の者であった為に味方を犠牲にしてでも討つ、などのこちらが払う犠牲に対して首の価値が見合わなかったゆえ、思い切った手を打てなかった事などが要因のようですからな」


ベアルの問いに対してスラスラと答えるパン。答えつつ自らの主であるベアルを観察しながら

内心では別のことを考えていた。


――――我が君(マイ ロード)、この方も随分とお変わりになられた。かつてはあれほど豪放磊落を絵に描いた様なお方であったのに……。やはり奥方が亡くなられ、あの者が傍につくようになってから……か。


パンはベアルの影に佇むフードを被った人影をチラッと一瞥した後、続けて言葉を紡ぐ。


「素性の方ですが、名はグレハ ティグラント。特定の街に拠点を持たぬ流浪の冒険者であったようですな。傭兵として王国側に参戦し、先の軍功により傭兵隊の長として就任した模様」


報告を聞き終えたベアルはパンの瞳を見据え、口を開く。


「なるほどな。つまり、こういうことか? 個人の武に留まらず兵を率いる才があるならば我が軍にとって脅威であり……素性にいたっては何処の何者かもはっきりしない、と」


「悲観的な見かたで、ありていに申せばその通りですな」


ベアルの叱責に近い言に対し、軽く肩を竦める程度でいっそ堂々と言い放つパン。

その態度に対しことさら怒りも表さず、相も変わらず無感情な声音でベアルは問う。


「敵として我が軍に対し脅威となるのならば、味方としても有用ではあるな。傭兵ならば地位や金で調略は可能か?」


「恐れ入りますが、傭兵ならば金や地位などで容易に転ぶというのは一種の偏見ですな。

確かに質の悪い傭兵ならばそういう者もありましょうが……事は信用に及ぶので普通の傭兵ならば契約期間は転ばぬ者の方が多いものです」


ベアルの問いに対し素っ気ない態度で応えるパン。傭兵といえど信用を失えば次の雇い主がいなくなるのが当然なのでパンの言は間違ってはいない。裏切りというものはその者にとって後が無い状況で起こることが多く、単なる物欲などではそうそう起こらない。傭兵に節操の無い印象が浸透している理由は契約期間が終わった途端、敵方に立つなどというのは割と普通にあるからかもしれない。



それはさておき

パンの答えを聞き、沈思したベアルは更に問う。


「確かにそうだ。が、余の問いは傭兵全般のことではなくグレハなる者に関してのみ。

グレハなる者、我が軍に味方する意思の有無を本人に問うだけでかまわん。来る意思があるのならば何時でも歓迎する旨、伝えるだけで良い。ところで其の方(そのほう)の所感で良い、述べよ。グレハなる者、如何(いか)な人物と見る?」


「信に足る人物かと。敵としては厄介極まりなく、味方としては頼もしき人物と思われます」


ベアルの問いに対し即答するパン。

現状、パンが把握するグレハに関する情報は少ない。あるのはロードナウでの顛末と、ここ一週間で手下(てか)の者に集めさせた情報のみ。(諜報部隊のほとんどは隣接領や王国の動向を伺うなどで忙しく、グレハという個人に人材を割くほど余裕がない為、グレハに関してはパン個人の私的な人脈を使っている)が、ロードナウで殿(しんがり)を引き受け戦ったことだけでも人柄を推測する根拠としては充分であるとパンは判断を下していた。


「ならば尚更である。余の意向をグレハなる者に伝えよ。当面は断られてもかまわん、以上だ、下がれ」


「ハッ、それではこれで失礼を致します」


パンに信を置くベアルが指令を下すと熊猫(パンダ)の頭を持つ騎士団総長は颯爽と執務室から退出する。パンが扉から退出した後、ベアルの瞳が更に虚ろな力の無いものとなり、室内は静寂に包まれることになる。そして、ベアルの影に控えていた人物が薄い微笑みを浮かべていた。



◆◆◆◆◆◆



 グレハを始めとする傭兵隊が【ライオネル砦】に着任して二日目。

傭兵隊五十名の長になったグレハ。業務確認の為に呼び出されたので、砦守備隊の長であるレナードの執務室に訪れていた。


「貴方達には私達と同じ業務を担って頂きます。して貰いたい事は砦の見張り塔での魔物領域への周辺監視を始め、村々の警邏および防衛柵の設立、当砦周辺の村や町に害を及ぼしそうな魔物の退治を兼ねた狩りなどで他にもすることはあるのですが、当面はこれを五人一組で一班となし、順番(ローテーション)を組んで実行して下さい」


「了解した。して、軍目付は?」


グレハを通すなり、指令を下すレナードだがグレハの短い即答に思わず笑いが零れそうになり彼の豹耳がピクピクと震える。彼としてはグレハの反応を見る為に敢えてこういった指令を出したのだ。


――――不意打ちの指令に対し、即答で了解、及び目付(監視)の有無ですか。頭の回転が速すぎませんかね? 彼、こういった仕事は初めてのはずですよね? 私の部下で初任の者に同じ指令を出せば、間違い無く説明を求められるのですが。目付は仕事を引き継がせる為の指導者を要求するのと同時に傭兵を信じるのか? という彼なりの忠告でしょうし。


……買い被り過ぎである。目付に関してはレナードの考え通りなのだが、業務の方はそもそもレナードの指令が具体性に欠けるものであり、引き継ぎの指導者無しと言うのは考えられないので指導者任せで構わんか、と考えたグレハの要求にすぎない。グレハの台詞を意訳するのならば『わかったから、指導者をよこせ』である。ともあれ、軽い苦笑と共にレナードは答える。


「こちらも人手不足なので一週間だけ一班につき一人を目付に就けましょう。他に質問は?」


興味深そうな瞳で質問を促すレナードに対しグレハは


――――一週間で仕事を覚えろ、か。何処の職場も人手不足は変わらんな。更には一週間後、目付無しということは仕事中に傭兵達が村などで面倒を起こした場合、責任は長である俺にある。と言う訳だ。まぁ、これは組織の長となれば当たり前と言えば当たり前のことだが、な。


と軽い慨嘆を感じつつ確認をとる。ちなみにグレハの考える何処の職場も~というのは彼が肌で感じて来た経験に基づく感想ではあるが、何処の職場も予算が無限である訳が無いので、予算と人権費との兼ね合いから最少の人数で最良の効果を求められるのは何処も変わらないからかも知れない。


「では、契約にある通り食の配給は日に二回。砦の施設は時間が空けば自由に使っても良く、劣化した武具の補修などはここの鍛冶工房で自己管理であり、矢なども自己負担、と。これで間違いはないか?」


「ええ、契約書通りですね。それで間違いありません。他に質問は?」


契約書にあった事を確認するグレハに対してあっさり肯定し、更なる質問を促すレナード。


「傭兵隊の班の編成とやらは俺が決めるのか?」


「ええ、傭兵隊に関しての裁量は貴方に委ねるよう要請されていますので」


当然のような顔で答えるレナードにグレハは内心で


――――ロードナウで共に戦ったスキッパー達ならともかく、あの時逃げ散った傭兵達の代わりに編入した者三十名に関してはどんな奴等かも(ろく)にわからんぞ、俺は。


と、呟いた後、気を取り直して尋ねる。


「隊の編成となると隊員の適正を知らねばならん。が、新たに編入した傭兵達のことを俺は知らん。

なので奴らの適正を見る為、砦内の訓練場を借り受けるが構わんか?」


グレハの問いに対して、その率直な物言いがツボに嵌まったのか爽やかな笑みを浮かべ


「先ほどの契約で確認したように砦内の施設は自由に使って頂いて構いません。ただ、我々と使用時間が重なった時はこちらが優先させて頂く事になるので事前に連絡をして貰いますが」


と、答えるレナード。彼は美形といっても良い男なので、その笑みはよく似合っていると言って良い。

が、グレハにとって男の美醜など関係無い、というか興味が無い。

よって、必要な要請を述べるにとどまった。


「では、明日の朝に訓練場を使いたい」


「明日の朝ですか? ……ン。わかりました、構いませんよ。」


グレハの素早い要求に対し、明日の行動予定(スケジュール)を思い起こし問題が無いので許可するレナード。それに対しグレハは軽く頭を下げ謝意を示す。


「ありがたい」


「いえ、構いませんよ。ところで、これは私個人の興味本位で尋ねますが……その知らない彼等の適正をどういった手法で適正を計るのかを尋ねても?」


と、かるく身を乗り出してグレハに尋ねるレナード。彼の瞳はキラキラと輝いている。

それに対しグレハは


――――言葉通りに興味津津(しんしん)のようだ。ま、隠す理由も無い、答えても構わんか。


思わず内心で突っ込みを入れつつも口で答えることにした。


「奴等一人一人を相手に試合形式で俺が相対して確認をとる」


これが公の場で無く私的な場であったならばレナードは口笛を鳴らしたい心境を得た。

……無論、今は公の場なので、もっともらしい表情を保ってはいる。


「それは、面白そう……もとい、……ンンッ、興味深いですね。明日の朝は私も見学に向かいましょう」


だが、本心だだ漏れ、咳払いで誤魔化し言葉を修正するも、内心明白である。

とはいえ、知られて困る様な内心ではないので、こうもアッサリと漏らしているのだろう。

が、それもグレハにとっては気になることでは無かったので


「ん、そうか。わかった」


と答えるにとどまる。


「他には何か質問がありますか?」


「……いや、これといって無いようだ」


確認をとってきたレナードに対し、少しばかり考える素振りをし、否定するグレハ。


「ふむ、こちらから説明せねばならない事は既にお伝えしましたので下がって構いませんよ」


「ン、それではこれで失礼する」


退出の許可を出すレナードに対し軽く頭を下げ、颯爽と扉に向かうグレハの背中に


「ああ、これから冬の間だけかもしれませんが、よろしくお願いしますね」


というレナードの声が飛んで来たのでグレハは肩越しに振り返り


「こちらこそ、よろしく頼む」


と、再度頭を下げ、今度こそ扉から退出して行く。

そのグレハの退出して行った扉を見つめながらレナードは


――――見た目は理想的な戦士像をそのまま具現したかのようであり、口も上官におもねる様な媚びも無い。

愚鈍さも見受けられず……およそ、欠点らしい欠点が見つからず、ですか。一戦士としては悔しいですが……、今の段階では認めざるをえない。


と呟きつつ、グレハに対する第一印象が悪い物ではなかったことを確認していた。



◆◆◆◆◆◆



翌朝。

訓練場にてスキッパーを始めとするロードナウ以前から所属する古参の傭兵達二十名の一団と、それ以降に雇われた新参の傭兵達三十名とに分けて整列していた。その新参者三十名の一団に向けてグレハが


「これより、隊編成の為、貴様等一人一人(ひとりひとり)の能力適正を、俺が相対して計ることとする! 各々(おのおの)得意とするだろう、今持つ得物(ぶき)にて俺を斬り倒すつもりで掛ってもらう!」


と号令を掛ける。更に続けて


「尚、俺を斬り倒すことが出来た者には、俺の代わりに傭兵隊長の座へ就いて貰うことを約束しよう!」


と言いきる。グレハ自身は常日頃の黒い甲冑姿ではあるが、手にする得物が訓練場に用意されている木剣を所持するのみ。周囲の古参組の傭兵、新参組の傭兵に関わらず大きなどよめきが辺りに広がった。


「ハッ?」

「チョッ、グレハの大将ッ!??」

「何言ってんだ? あの虎頭?」 

「なめてんのか??」


と、反応は色々あるが、大きく分ければ古参組が普通に驚きの声、新参組は侮られた怒りを表す声に分かれる。新参組の怒りの声はこの場合、当然だろう。彼らは本来雇われるはずの無い冬の時期に雇われた傭兵であり、つまりそれだけ選りすぐりの実力を持ち、自らの武に誇りを持つ者達が雇われた訳だ。その彼らに木剣片手に大言を吐くグレハは、要するに真剣を持つ彼らへ『貴様等如きは木剣で充分』と言ったに等しいのだから。



先日に言っていた通り、見学に来ていたレナードはこれらを見ていて


――――はて、何の心算(つもり)でしょう? 挑発して彼らの冷静さを奪うといった心算でしょうかね??


と、内心で首を傾げていた。グレハの実力をよく知るスキッパーを始めとした古参組の傭兵達もグレハの真意には首を傾げざるを得なかった。何故ならば、強い者ほど相手が人間であれ、魔物であれ、初見の相手に対しては慎重にならなければいけない事を良く理解しているからである。相手の強さが見た目通りでは無いことを経験から学ばない者は長生き出来ないのだ。傭兵業や冒険者業というものは。



更に、彼らはグレハが慢心し油断する姿など有り得ないと知っている。よって彼らの予想はレナードのものとそう変わらないものに落ち着くことになった。


――――一人ずつ相手にしても三十回ッスからね。冷静さを奪っとけば少しは楽になるって考えたんスかね?今一つ、納得いかないッスけど。


栗鼠頭を傾げながら呟くスキッパー。



さて、それではグレハの真意は? といえば。

能力適正を計る為に相手の底を見なければならないのだが、新参の傭兵達は初見の者に等しい。

つまり、正確な実力はグレハにとって未知数なのだ。一応、外見からある程度の強さを推し量ることは可能であるが、自分を超える者が実力を隠している場合は見抜くことが困難である。



女、子供だろうが見た目通りの強さでは無いことが割と良くあるのだ。この世界では。

経験上それを良く知るグレハは初見の者を相手にする時、常に自分より格上であると想定している。

無論、グレハであっても格上の相手に勝つのは尋常でなく難しい。まして殺さず、となれば尚更に。

よってグレハは相手から戦いにおいて重要なものを一つ奪うことにした訳だ。



では、グレハが奪った重要なモノとは何か?

それは『恐怖』である。

挑発することで相手を怒らせ、なおかつ木剣で相手することを見せつけ、俺が貴様等を殺すことは無い。と安心させることによって奪った。


――――恐怖さえ奪っておけば格上の相手であれ、何とかなろう。恐怖とは即ち、生存本能に由来する。

それは戦いにおいて反射的な防衛本能に結び付く。つまりは反射神経で回避、防ぐというのは恐怖ゆえ。無論、恐怖は過ぎれば身を竦ませ脚を引っ張る感情だが、使いこなせば途轍もない力になる。それは死の間際の走馬灯に代表される……恐怖には体感する時間を濃縮する力がある。相手の動きがゆっくり見えるというアレだ。アレは恐怖から来る極度の集中力が要因だからな。


これがグレハの真意であり、更には自らを生死の狭間に立たせることも目的だった。

つまり、恐怖と言う名の緊張感を得るために、全力を尽くすために。

グレハとしては新参の傭兵達を侮るのとは正に真逆のことをしている。

しているのだが、それを新参の傭兵達に判れ、というのは流石に酷な話だったが。



無論、グレハより格上の者ならばこういった小賢しい思いを見破り、逆用される可能性も高いが

その時はその時で潔く果てる覚悟もグレハには当然出来ていた。



 ともあれ、グレハによる新参傭兵達の能力適正検査が始まった。


「では、先頭の者から順に始める。来い!」


と、グレハは新規組の先頭に立つ者へ声をかけ、自らの立つ場へと誘う。

声を掛けられた者は誘われるままグレハの前に進み出る。

その姿をみてグレハは改めて思わざるを得ない。


――――それにしても、この者……先ほどから気になっていたが、なんとも異国情緒溢れる(エキゾチックな)姿をしている。俺も随分と、この大陸にある様々な国へ赴いたものだが、初めて見るような鎧姿だぞ?


グレハの前に立った者の姿は……背はそう高くは無い。グレハと比べると小柄であると言って良い。

グレハが見たことも無い民族衣装の上から鎧具足を身につけ、その上から陣羽織を羽織っている。

兜も当然、なじみの無い顔が出る型(オープンフェイス形式)の物に角飾りがあり、顔の部分には鬼の様な形相を浮かべる頬当てをしているので顔が判らない。ちなみに獣人は耳の関係上で兜を被る者が少ない。なのでこの武者は獣人ではないと予想される。


その武者の持つ武器は大人が縦に三人並んでも届かない位に長く、そして良くしなる槍を持ち、腰には大小二本の細く長いそして軽く湾曲した……おそらくは刀を黒塗りの鞘に納め差している。

グレハの眼には、否、この場にいる全ての者にとって、その武者は何とも幻想的(ファンタスティック)な姿に見えていた。仮にソリッドがこの場にいたら一言でその武者を言い表していただろう。


グレハの前には(サムライ)がいた。



 さて、この侍、名はサクラで(かばね)をカンナギという。兜のせいで判り難いが、年が一八になる黒髪の美しい少女である。彼女の来歴を短く説明すると、実家の家宝を盗まれたので取り戻すべく旅に出て二年、路銀が尽きた現地で傭兵募集があり、腕には自信があるので之幸いと飛び付き現在に至る。

傭兵なので戦があるだろうと、故郷の戦で使われている槍を思い出し、それを自作してまで参加したのは良いが眼の前に鼻持ちならない虎頭野郎がいる。



つい、先ほどまでは理想的な武人だと思っていたのに、こっ酷く裏切られた気分である。


――――とにかく、先の暴言だけは許せんで御座る。拙者が修正せねば。


其方(そなた)、先の拙者らを見下した暴言を取り消すで御座るよ」


サクラは手にする槍の穂先をグレハに突き付け、キッパリと要求した。


――――どうでも良いけど、この槍、長すぎるで御座るよ? 周りの者も全然、似たような槍を持って御座らぬし。槍衾(やりぶすま)を知らぬで御座るかな? これ、一人だけだとあんまり意味が無いで御座るに。


要求を下しながら手にする槍を見つめ、若干しょんぼりとした風情でモノ思うサクラ。

そんなサクラの思いとは関係なくグレハは油断する事無く一言で答える。


「断る」


――――声からすると、女か? それも年若い。


女、子供であろうがグレハの覚悟は変わらない。格上と対峙している姿勢を保持していた。

無論、そんなグレハの内心など判る筈もないサクラは許せるものではない。

手にする槍は間合いという点で有利になる代物ではあるが、これの真価は集団でこそ発揮するものだ。

一対一では逆に扱い切れないと判断を下したサクラはあっさりと槍を手放した。



――――これ程の長槍では穂先をかいくぐられたら一気に懐へ潜り込まれてしまうで御座る。相手が貧弱な装備であれば棒の部分で叩きのめすことも可能かもしれぬで御座るが、眼の前の男は甲冑を纏っているので無理と判断するで御座る。それに元々、拙者の得手は腰に差した太刀で御座るからな。


サクラは腰だめに構え、鞘に収まる太刀の柄に手をかけた。居合の構えである。

短いグレハの拒否の答えに対しサクラも短く、そして鋭く宣言する。


「ならば、斬る」


その言葉と同時に、兜と鬼の面頬との合間から覗くサクラの眼光がグレハを鋭く射抜く。

対峙するグレハのみならず、二人の対峙を見守る新参、古参の傭兵達や見学(野次馬)に来ていたレナードを始めとする砦の守備隊員達にもサクラの発する清冽な威圧(プレッシャー)がビリビリと肌に伝わる程だった。が、そのサクラの発する威圧には凡そ怒りや恨みつらみ、或いは悪意といったような負の気配が無い。


――――拙者とて、あの程度の挑発で怒りに我を忘れるほどでは御座らん。

しかし、それほどの大言を口にする資格(つよさ)を持つのかは見極めさせてもらうで御座るっ!


冷静さを保つサクラだが、気付けなかった。己が恐怖を奪われていたことには。

刀の柄に手を添え、居合の構えに入ったサクラの様子は静かなること林の如く、動かざること山の如し。

グレハが己の間合いに入るのを待ち受ける。

そのサクラの居合の構えに対するグレハは、初めて見る構えではあるが観察から得た情報で居合の本質を推測していた。


――――フム、構えから推測すると鞘からの抜き打ち、か? 鞘の形状からすると三日月刀(シャムシール)の如く斬ることに長けた武具と見た。……あの鞘の形状ならば抜刀時に故意に負荷を掛ける事で摩擦を得、その力が抜き離れた瞬間に斬撃の加速となる……か。と、なると……あの戦術は後の先をとる返し技だな。己の間合いの圏内に攻撃してきた者に対する、それ以上の斬撃の速度でもって斬り伏せる構え。

成程な、理にかなっている。それに待ちの態勢を維持しながら身体操術で力を蓄えてもいるようだ。


と、グレハは見ている。ところでサクラの使う身体躁術とは一定以上の高みに登った戦士ならば誰でも使い始める技であり、当然グレハにも扱える。これは人によって闘気(オーラ)と言ったりチャクラと言ったり様々な呼び方がされているが、それを扱うことによって身体能力を向上させるなど、戦いを有利に運ぶ為の技術だ。


――――ソリッドに言わせると一種の無詠唱魔法らしいな。奴(いわ)く、誰にでも魔力はあり、魔法の根源は真言では無く、意志力と精神力に支えられた想像力(イメージ)で魔力を操ることにあるそうだ。真言詠唱のそれと比較すると効率に劣るとも言っていたが。逆に詠唱魔法より対戦相手に読まれにくい長所(メリット)もある……と言ってもいたな。


サクラの身体躁術を見て、ソリッド一行と共に行っていた訓練時に聞いたことを懐かしそうに思い出すグレハ。そういった思考とは別にサクラの間合いの圏内を模索する。サクラの体格、刀の長さを軸に自分以上の踏み込みと想定し、(おおよ)その間合いを割り出す。これは能力適正を計る為にしていることなので相手の底を見なければならない。つまり、その圏内に入り、その太刀筋を見る必要がある。



それはグレハにとっても、背筋がゾッとする行為だった。


――――あの構え(居合)に関する予測は恐らくは間違っていないと思う。が、絶対ではあるまい。

それに、予測した間合いに関しても体格や刀の長さに間違いはないが、踏み込みに関しては予測以上の可能性もある。それは斬撃の速度に関しても同様だろう。


 迷いだ。


かつてのグレハにとって『強くなる』ということは、身体能力の高さや技の精度など高める行為の事だと思っていた。そして自分以上の強さを持つ者を倒せばそれだけ自分も強くなるとも思っていた。

が、それを繰り返し、相手を倒してもそれで自分が強くなったと実感出来たことがなかった。

むしろ、今の様な迷い、すなわち自身の心の弱さを乗り越えた時こそ、以前より強くなれた、と言えるのではないか? 何時頃からかは判然としないが、そう考える様になっていた。



――――迷うな。自らの経験を、判断を信じろ。迷えば自らの弱さに殺されることになる。



そう静かに呟き、自身の予測するサクラの居合術の圏内に無造作に踏み込むグレハ。

グレハの目的はサクラの底を見る事であって、立ち会うことではない。これが仕合のような勝負事ならばグレハはスリ足で剣気を窺いながら圏内に入り、仕掛けたのだろう。しかし今回のこれは見る為なので回避を重視した自然体の趣きで踏み込む。


 刹那。


電光石火、グレハの首があった場所を正確に斬り払うサクラの斬撃が終わっていた。

レナードを始め、周りで見ていた者達にはサクラが踏み込み、その鞘から抜刀し、斬り払う一連の動作を視認出来た者は皆無。気付いたら斬り払い終わったサクラの姿を確認しただけだった。


――――拙者の居合(アレ)(かわ)すで御座るか!? 


驚愕とともに微かな賞賛の意を持ってグレハの方へ振り返るサクラ。彼女の視線の先には首の皮一枚裂け、そこから薄っすらと血を滲ませるグレハが立っていた。それを見てサクラは


――――確かに、拙者の刀は紙一重で躱されたで御座るが……極薄の刃先には練りに練った拙者の圧縮した闘気を乗せ、飛ばしたで御座るに? まさか、あの刹那の間にそれを防ぐ硬身術を!?


内心では、このように動揺しているがそれを外面(おもて)に出す筈も無く中段の構えに移行する。

移行するも、この時サクラの内心では新たな迷いが生じる。

それは、


――――拙者の奥の手の一つ、居合を躱したのは賞賛に値するで御座るし、それは良いで御座るが……

困ったで御座る。奥の手は他にも幾つかあるで御座るが、この場には野次馬が多過ぎで御座る。唯の野次馬ならばまだしも……ほとんどが傭兵、契約期間中は良いとして、その後、敵になるやもしれぬ連中に手の内を見せるのは(はなは)だ気が進まんで御座るよ。


というものである。この迷いはサクラの立場からすると至極妥当なモノではある。が、この迷いが出たこと自体がグレハの術中に陥っている証でもあった。グレハの持つ木剣を見て、無意識の内に死の危険は無いという思い込みに(おちい)り、恐怖に由来する緊張感に欠けている。もし、恐怖の感情があればこの温い発想には至らなかった筈だ。


 中段の構えに移行したサクラを見ながらグレハは


――――さすがに冷や汗が止まらんな。辛うじて間にあったが、首が飛ぶかと思ったぞ。それにこの中段の構えもまた見事なものだ。通常の立ち会いならば、隙を造る為に苦労したかもしれん。


と内心で呟いていた。先ほどの居合はグレハの予測以上で、刀は躱せたものの斬撃波までは躱せず、反射的に硬身術で防げたに過ぎない。恐怖に由来する緊張感がグレハを救った形になる。


隙の無い中段の構えから、今度はサクラがグレハへ鋭い中段突きを仕掛けるもあっさり躱されるが、サクラは止まらずに流れる様な動きで返す刀を斬り上げる。しかし、これまたグレハは半歩下がることによって紙一重の差でサクラの刀を避ける。さらに流水のような動きで躱された刀を上段から斬り下ろすサクラだが、グレハは半身で避ける。躱されたサクラは気合いの入った横薙ぎの一閃を繰り出した。



これらのサクラによる一連の連撃はどれもが高い技量を誇るものだったが、グレハがそれを全ての面で上回る形で捌いていく。サクラの横薙ぎの一閃を難なく躱したグレハは


――――フム。どうやら手を隠すことにしたようだな。底を見る面からすれば少々惜しいが振るう剣筋からどういった性格か掴め、適正の方も凡そだが判った。……ならばこれ以上は無駄か。


サクラが居合のような予測を超える技を今は出さないだろうと結論し、終わらせる決断をする。

木剣は元々使う気が無い。何故ならば殺さずの意志表示の為、手に取ってはいたが実際問題としてグレハが振るえば木剣でも相手を殺しかねないからだ。その場合、一撃で木剣の方が木端微塵になるかもしれないが。……突き技なら一度以上持つかもしれないけれど、どの道グレハはそれを試す気が無い。



グレハは一閃を躱し擦れ違うように踏み込んだ後、籠手に包まれた左の鉄拳をサクラの鎧の上から鳩尾に置き、軽く寸打を繰り出す。その衝撃をサクラの体内に留めるよう力を制御しながら。

悲鳴を上げる間や、苦痛を感じる暇も無く、その場に崩れ落ちるサクラ。

気を失ったサクラを肩に担ぎ、そっと立会の場から離れた場所へ横たえた後、グレハは


「では、次の者! 始めるぞ、来い!」


と列の二番目に待機していた傭兵に呼びかけた。



 蛇足ではあるが、その後の適性検査の展開を簡易に追記する。



 サクラの後の四、五人位までは傭兵達も自分たちの実力を信じ、グレハを倒す意気込みをもって威勢良く闘った。が、誰もが攻撃を五回ほど躱された後、サクラと同様に寸打で失神させられた。この辺りから若干、傭兵達の恐怖を呼び覚ますことになる。その後の展開もまったく同じ形でグレハは淡々と傭兵達を失神させ続け、残り十人を割る頃になると傭兵達の顔は青ざめたモノになり……最後の一人に至っては涙目で相対する事になった……ようだ。






お待ち頂いた読者の皆様、遅くなり申し訳ありません。なんとか一話完成したので更新します。 試行錯誤の結果、一話目から三人称の形にすることにしました。なるべく前作、プロローグと違和感を感じない様にしたつもりです。

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