五話、異世界通貨なんて持っているわけないだろ、常識的に考えて
奴隷屋の店主と歩きながら、俺は焦っていた。金がない。それは酷く滑稽だった。例を挙げるとするならば、トライアスロンを走りきった後、お祝いにちょっと奮発しようと、イタリアンレストランに行ったら、財布を忘れたような気持ちだ。焦った俺を見かねたのか、
「どうかいたしましたか?」
奴隷屋の店主が聞いてくる。俺は非常に困った。
「すいません……ちょっと家にお金を忘れてしまいまして……」
家に忘れたのはお金だけじゃないけどな。家族も思いでも、すべてを元の世界の家に置いた。
「大丈夫ですよ。今回は下見だけで、次回に買っていただくということでも、当店は全く問題ありません」
優しい店主だな、と思ったが、ここで帰しても店の信用問題だろう。一瞬で店主に対する態度を手のひら返ししながら、俺たちは歩いた。
ついた部屋の奴隷は、先ほどの部屋より、幾分か劣るような感じがした。顔だけ見るとなんら遜色がないように見える。なにが違うのだろうか。それは……空気、言い換えると、雰囲気だった。
顔にあきらめの色がある。売り出し中ではないことを自覚し、売れ残りとして生活しているのだろう。売れ残りの行き先などろくなものではあるまい。
刹那、俺は何かが頭に入ってきた。それは、一人の少女だった。顔は売り出し中の奴隷たちに勝るとも劣らない端整な顔立ちだった。元の世界にいれば、男の百人に九十七人が注目しただろう。そして、なんとも捨てがたいのが、この世界では思ったよりも少ない、貧乳……だった。
いや、俺が注目したのはそこではない。いや、貧乳とか、顔がいいとかそういう要素ももちろん大切だ。重要だ。必要だ。だが、その目に移っている色は、諦めを超越した……絶望だった。
「その娘が気に入ったのですか?」
店主が商売用の笑顔を浮かべながら聞いてくる。
「あぁ、まぁな」
俺は曖昧な返事をする。
「その娘は上玉ですので、2万ギルですよ」
店主が言う。だが俺はこの世界に来てから一日も経っていない。寝床も探さないとだし、腹も減ってきた。
「そうか、明日にでも金を持ってきて買うとするよ」
金なんて強盗でもすればいいだろう。別に早く死ぬか遅く死ぬかの違いでしかない。だが、俺の言葉を聞いて絶望の目をしていた少女はこちらへ敵意を向けているようだ。睨んでいる。丁度いい。絶望している方が俺の計画への賛同は得られやすいだろう。そう思いながら、
「じゃぁ、ありがとうございます店主さん。明日また伺いますね」
そう俺は言って、店を出た。
店を出たとき、俺はどうするか考えていた。なにより金がない。そうだ、魔法が使えるなら、試してみたいことがある。そう考えると、いともたやすく頭の中で文字が踊った。
「《物質創造<イリコズィミウルギア>》」
頭の中を踊った文字を、俺は詠唱した。そうすると、
「おぉぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉ!!!!!!」
なにもない空間から続々と一万円札が降ってきた。一万円? この世界の通貨って円なの? さっき奴隷屋の店主がギルとか言っていたよね。
俺は重要なことに気づいた。元の世界とこの異世界では、通貨が違う。そんなことにも気づけないとか、俺は相当のバカか。激しく自己嫌悪。まぁ、仕方がない。とりあえずこの世界の通貨を探すか。