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三本脚の椅子

掲載日:2011/08/18


 私が、死の床で思い出すことは、どんなことたろうか?もしそれが死の直前であるならば、本当に些細なことに違いない。

 校舎の上から見下ろす陸上部員の走り幅跳びの跳躍であったり。ディスコメロディで踊る女の子の、日本舞踊のような肘の角度であったり。また、数十年ぶりに、公園の砂場にたまった血を思い出すかもしれない。



 一時代を思い出すなら、私は高校卒業から大学入学までの1ヵ月を思い出すだろう。私の人生のなかで、それ以前にもそれ以後も、ああいう風に生きたことはなかった。

 実際、私の生きた人生なんて、人類共通の平凡で、楽しい、シンプルな毎日の積み重ねであったのただから。

 ああ、あの時の私は、まるで死んでるみたいに、自分を感じていたもの。



 高校3年生の秋に、私は推薦入試に合格し、京都にすむことが決まった。両親は出費のかかる息子の運命を嘆いたが。私は、ひどく満足していた。3人の子供を育てた両親は、生まれた時から、私たちに地元の大学に通うよう洗脳を続けた。まず、兄が大阪に行き、姉は東京へ行った。両親は、彼らの親不孝に怒ったが、憎むのはいつだって運命だった。

 私たちから言わせれば、その場所に住むことは、ひどく必然に感じられたのだ。合格してから始めたバイトの金で、車の免許を取りに行く私に。母曰く、あんたたちは、私たちの老後の楽しみを一つ一つ奪っていくわ!と今思えば、大女優みたいな嘆きかただった。この頃、兄は大学を卒業していて、大学に通うのは姉だけだったが。雀の涙みたいな金で生活していた兄に比べ、東京での女の一人暮らしには莫大な金がかかった。

 家計への打撃は深刻で、それは夕食にまで影響した。食卓で父曰く、あいつの生活費で家一軒たつでって。また、定期的に教科書代を振り込むように、電話を入れる姉のことを母曰く、あの子は、何一つでも、考えてないわ!私の子供ですものって。

1月も入ったころに家を売ることが決まった。子供の手が早々にかからなくなったというよりは、子供にもう帰ってくるなと言っているようだった。両親は2LDKのマンションに、終の住処を決め、私に、家の整理を命じた。売れるものを売ってしまい、私の下宿代へ充てられることが告げられた。


それからは、四半世紀の家族の思い出や、人生の苦々しい部分の消滅が、私の仕事となった。父と母の新婚時代からのテーブル、椅子、レコードなどは魂が憑いているようで気味が悪いし。兄や姉の部屋に残された本やCD 、成績表は時代を映していて、青春のように生々しい。自分の部屋の物も、もはや体の一部みたいで、処分するにも、気が重いのだ。しかし、末の息子には、卒業までに1000万円かかるのだから。つまり、家族の一時的な精算に私の責任も含まれているということだろう。

 高度経済成長期に建てられた、夢の一国一城のマイホームを、処分していくのは楽しい仕事じゃない。その仕事を、気の重たくないものにしたのが、車だった。取りたての免許を財布に入れ、本やCDを売りにいく。今でも、頭の中にあるんだ。あのときのハンドリングだとかエンジン音だとか、カーブを曲がる時の地球の風景だとか。その時は、その運動自体が愉快だったのだ。

 処分する本、漫画、CDはかなりの量になった。自分が、聞いたり、読んだりした物の場合は、特別だった。私は自分の体の一部が失われると思った。それは注射を恐がる子供のようだ。だが実際に一つ一つを処分していくと、それは私の人生に必要のないものだった。そう思うと、私の家にあるものすべてが、売ってしまっていいと感じた。実際、私はかなり献身的に働いたもの。私は残された自分の家にいて、今までの私を証明するものがなくなってしまったことに、正直に驚いたのだから。

 私が売った本、漫画、CD あとレコードもかなりあったのだけど、それらは、かなりの金額になった。我々は、そういったものに金をかけすぎていたと感心した。だって、それぞれコレクターみたいに持ってたのだから。それまでの商業主義的な消費生活が抜け落ちた本棚を、私は、随分、長い間、見ていた。

 家のなかに残った物は、リサイクルショプに買い取らせた。あまり、使用していない商品は、どの家庭にもあるものだ。いずれも2束3文だったが、数が多くなれば、それでも大分まとまった金になった。

私の家で、意外なほど金になったのは、家具類であった。家族がふえる たびに、母が買いたした家具類は、いずれも色、形が違うのに部屋は趣味よく落ち着いていた。父曰く、若い頃の母は、付き合う男に100%影響され、知識と才能を吸い取り、あっさりと捨て去る女だったと、小声で証言したことがあった。母のファッションやスポーツ、車の話は、いずれも専門的で、父の証言を、子供達に確信させた。

 私達は、プラッチックの派手な、ミッドセンチュリーだか、イタリアのデザイナーだかの近未来的な空間での生活が、やたらと恥ずかしく、嫌だったのだが。今こうやって、見てみると、家族が生活するのに十分な体裁を整えていたのだと思った。それどころか、水回りの弱い、カビ臭い、土色の一軒家で、じめじめとした気分にさせなかったのは、赤や黄色の明るい家具のおかげではなかったのか。私達が、ぐれなかったのは、この家の空間にヤンキーが似合わなかったことに、あるかもしれない。家具のバイヤーは信じられない金額で家具を買い取っていき、私にどれも、これも有名デザイナーの人気生産中止モデルですよという内容のことをいった。家具屋が帰ったあとで、私はこの家のデザインが消えていることに気付いた。

卒業をした日のことは、よく覚えている。その日は卒業式だったし、私のアルバイトの最終日だったし、おまけに18年間住んだ町を出る前日だったから。秋に大学の合格が決まった私と違って、クラスメイトは半分以上進路なんて決まっちゃいなかった。3月の最終日まで試験を受けて、どこへも行けなければ、フリーターか浪人生か、もしくは失業者だ。


男子校の行事ほど、あっさりしたものはない。女がいなければ、はしゃぐこともなく、口うるさいものや、のろのろした奴には、冷たい視線が刺さる。その日の卒業式は、恐ろしく早いスピードで進み、来賓の挨拶ですら、『早く帰って勉強しなきゃ、未来なんかない!』という静寂と気迫によって、切り上げられていく。予定を大幅に余らして、式は終わった。2月から事実上休みで、卒業式だけが3月に行われるため、気分的には、もう随分前に卒業した感じだった。中学の時と違い、全員が明るい未来に飛び立つのだという連帯はなく、あまりにドロドロした現実が、すぐそこに口を開いて待っているのだと思った。


卒業式を終え、バイト先のホテルへ向かった。チャペルの鐘が、私に絶望を与えた。人々にとっての幸福な結婚も、私にとっては、希望のない仕事に過ぎない。人生の最後の晴れ舞台に立つ男と女、司会者のつまらない冗談と、偽神父が、唱える誓いの言葉、どれも、これも安物の芝居や映画のようだ。結婚式が終わる2時間もの間、寒いぼを出した私がいる。アルコールなしの素面で、現実を見つめるのは、高校生には毒だ。県内最大のホテルは、毎日のように、宴会や結婚式が行われ。あまりに高い会場代に合わせた不器用なサービスと量と質と料金に比べ、小回りのきかない料理スタッフが、ばたばたと働いている。格式と緊張が、アルバイトスタッフを憂鬱にさせ、辞めさせていく。年中、慢性的なスタッフ不足は、サービス低下への社員の怒りとそれによる緊張への悪循環であった。


私はロッカー室で、髪中にびっちりとジェルを付け、オールバックで決めたスペイン野郎みたいだ。私は、ロッカー室を出て、B1地下駐車場の長い通路を、ゆっくりと、細い光を探して歩き、すれ違った配膳スタッフにペコリだ。私達は配膳会社に登録していて、ようは、派遣アルバイトだ。


ホテルの従業員とは別会社なので、立場的にも弱いものがある。

ホテルの大きな宴会場へ入ると、式の者が、私の所へ来て、チヤベルの方の仕事を頼むと言われた。チャペルの仕事というのは、結婚式の仕事で式のあとで、ドアを開けたり雑用をしたり、人を誘導する仕事だ。式の後に、披露宴がホテルであるのだが、チャペル係のアルバイトは、最終の掃除を二人で行うというという習慣になっていた。つまり、あの人間の良い面ばかりを集めた披露宴のサービス係をしなくていいのだ。アルバイト最終日に、私は、かなり幸福な仕事を拾ったようだった。

しかし、そんな日こそ、大きなトラブルがあるもので、私がチャペルの建物に着いた時、そこに異変が起きていた。すでに到着しているはずの偽神父が来ておらず、連絡がとれない。式まで、あと一時間しかなく、スタッフが、頭を抱えている。私は、社員のあわて方を見ながら、偽キリシタンと偽神父による偽教会での、偽結婚式だから、別にどうでもいいではないかと考えていた。私と一緒に、チャペルの仕事をするアルバイトが小声で私に話しかける。地元の大学生で、唯一私が、リラックスしてホテルの悪口をいえる男だった。

『偽神父の外人、来てないんかなあ?あいつらほら、商店街の角に外人バーあるの知ってる?あそこでしょっちゅう飲み潰れてるって話、聞いたよ。』


私はにやにや笑って。その外国人たちはどのように、この仕事をし。何をしこの国来たのか?と二人で意見を交換してみた。そんな努力も空しく、偽神父が来ないことは、決定的になり。ばれることを恐れた社員たちは、調理場で働く外国人コックのパスカル氏を神父に仕立て、この場をのりきることにしたのだ。

バスカル氏は、何も知らずにチャペルまで連れてこられて、長い間抵抗をしていたが。日本での滞在期間が長い彼は、しっかりとジャパニーズ義理人情と文化を理解していたので、無理だと諦めた。彼は、昔、大阪にいたことがあり、流暢な大阪弁をしゃべったが、中身は、生粋のフランス人だった。彼は、ブルーの目とブロンドの髪をもっていた。髪は短く、ひげははやしていなかった。私は、彼をF1レーサーの誰かに似た顔だと思った。今、彼はステージへ上がりながら、

『日本人は、言いだしたら、止めることをしらへん。ほんま、しつこいわ。』

とはっきり、マイクを通していった。英語も日本語も読めない彼は、大阪弁でなく、標準語で、誓いの言葉を言うことを、義務づけられる。慣れないアクセントを一つ一つ練習しながら、時間いっぱいまで、練習が行われた。まったく、失礼なやつらだ。彼に何回いわせるきだろうか?『あなたは、妻を愛し続けることを誓いますか?』だって。

壮大なテーマ音楽とともに、私と大学生は、チャペルの扉を開けた。ウェディングドレスの花嫁と、その父親がバージンロードを一歩、一歩進んでいく。カメラのフラッシュがたかれ、『わー綺麗』と言う声がした。その声は、わざとらしく、昔から準備されていたかのようだった。人々はさすがに笑顔で、アメリカの田舎紳士に見えた。緊張しきった父親は、大役を果たし、二人はパスカル氏の前に立った。

彼は、英語の聖書をもって、フランス語で何かを読み上げていた。私や人々は、それを聖書の一部だと感じた。私の見る限り、彼は暗記した何かを、音読していて、そのフランス語の響きはすばらしく、美しく聞こえた。会場の人々は、彼の声に聞き惚れていてこの時が、できる限り続けばいいと思った。やがて、彼は、誓いの言葉を、わざと外国人風に『アナタハ、ツマヲアイシツヅケルコトヲチカイマスカ?』とやっている。私たちは彼のユーモアセンスを感じたが、人々はまるで気付くわけもなかった。やがて、即席オーケストラのリズムがずれた音楽が流れた。私と大学生は扉を開けた。合唱隊のボリューム不足の讃美歌が流れ、人々は、いそいそ外に出て写真撮影やライスシャワーなどをした。

やがて、人々は披露宴会場へ、吸い込まれるように消えていった。私と大学生はライスシャワーの後片付けや、掃除機などをかけ始めた。20分もすると、舞台裏から、コック服に着替えたパスカル氏が出てきてタバコを吸った。表の階段を降りる私を見て彼は、

『ムッシュー、学校は休みか?』

と質問した。私は手を休めて、彼と会話をした。

『今日、卒業式でした、バイトは今日で最後なんです。明日から京都に住むんですよ。』

『あーええ町やなあ。京都は。』

『京都の大学へ行くんです。お世話になりました。』

『いやいや、こちらこそ。』

彼が恥ずかしそうに、かしこまったのは、おもしろかった。そこで、私は尋ねた。

『ところで、今日、フランス語で何をしゃべったんですか?』

パスカル氏は、その質問の答えを考えているようだった。そして、にやっと笑って

『くそったれって!ゆうたったんや。』

と冗談ぽく答えた。私と大学生は、その嘘に笑いながら、掃除を続けた。そして、どんどんと片付けていく中。私たちに聞こえるか聞こえないかぐらいの声で、ゆっくりと、いったんだ。

『ああ自分ら、日本人には、神様でさえ、人と人との間の、たった一人の人間にすぎへんのやなあ!』

私には、それが、バスカル氏自身に向けられたものなのか、私達に言われたことなのか分からなかった。やがて、タバコを吸い終わったパスカル氏は、披露宴会場に急ぎ足で去っていった。私は、その場で、高校生活最後のアルバイトを続けた。




京都で生きて、心震わしたものは多い。バスから見える教王護国寺東寺は、いつ、だれが見ても美しいだろう。角度の決まった窓越しの軸部から、私の脳天に存在する五重塔。夜、京都の象徴、少ない装飾に、七つにあたる重光なライトアップ。本瓦葺の屋根の一面一面が、台形にいがんでいく。私が京都に来た初めての夜は、今、クールにいがんでいる。私は、バスの中で想像している。このレッドダークに変色した五つの屋根を持つ50メートル以上の塔から、私を見おろしている奴は誰だ。私はこの町で生活を始める。

次の日から、京都の散策を始めた。京都の町のいい所は、普通生活道路の一歩入った所に、小さな寺や神社があることだ。何度も再建された建築が、法則性を持って並び、小宇宙を創っている。名も知らぬ寺だと油断して辺りを見ようものなら、よく手入れされた樹木の、完璧さに心盗まれる羽目になる。

私は、毎日のように、白紙の地図に、京都の風景を思い入れていった。どんな通りでも歴史と意味があると思った。私は、東と西を覚え、神社と寺を区別して、見たり、オフィス街やデパートの位置を気にしたりした。薄暗い喫茶店の名前をチェックしたり、イタリアレストランのメニューに気をとられたりするのも忘れなかった。私は、次第に目と脳が慣れてきて、地理がなんとなく理解できてきた。

しばらくすれば、地下鉄とバスの路線もわかったふりをするのだろう。何日か経つと、私は、自分が寺よりも神社が好きだと気付いた。それは実家の近くに寺がなかったせいだろうか?また、家に仏壇がなかったせいだろうか。拝観料やお布施の印象が強い寺に対し、賽銭箱が置いてあるだけの神社は、お神輿と初詣の時ぐらいだ。

私は神社までの一本道が好きだ。じめっとした土から、滑るように落ちる水滴。薄く透明感のある枝や。何より、冷たさを含んだ風も。好きでたまらない。神社の境内で悪の限りを尽くして遊ぶ子供たちと、それをゆっくり見守る自然神、私達は、彼とのそういう関係が好きだった。

だから、年に1回の御神輿の時には、神様が『神様、もう助けてください、一生のお願いです。』

って泣くまで、担ぎまくってやったんだ。私は、年に一度の馬鹿騒ぎも好きだったし、また、いつもの、薄い緑色の葉が、太陽から透かされた、率直で神聖な空間そのものにも愛を感じるもの。

また、京都という町は、歩いていて、すぐに気付いたことは、この町が屋根で、出来ているということだ。重く反り返った屋根は、互いに重なりあって、傘のように、盆地に広がっている土台の部分から数本の柱で、バランスをとっており、巨大な屋根を軽々と浮かしている。寺や屋敷が、縁側の襖を開け、長く垂れくだった軒から、太陽の光を取り入れていると。

その瞬間、隠されていた建築の、色っぽい骨があらわになり、いっそう、屋根の反りが鋭く、高く感じられる。

京都の空は低く広いと言われている。それは、一つに市が高い建築物を造らせないことにある。また、町の中心部を流れる鴨川が、浅い割に水流が多く、広さと変化に富んだ地形を生み出していて、町の中心部に自然公園が走っているようなものなのだ。また、別の一因もある。それは、京都の四方には、高い山があり、その眩しさが、空の低さと広さに、影の強弱をつけていると私は思う

少し、高くなった丘から、市内を一望するとびつちり灰色の屋根瓦を敷きつめた町並に、夕日が反射して、まるで、今にも飛びたちそうな鳥の群れに見える。左右に大きく反った、小規模の屋根の群れや、まったりとRを描いて、跳ね上がった三門の屋根。鋭く角度のついた巨大な屋根の御影堂と、その周りにあって、四角く広大につながっていく大方丈の屋根たち。私は、これらの屋根を、丘の上から、眺めながら、すっかり屋根の国の国王陛下の気分だ。曲がって、反り返った建築は、見下ろすためと見上げるためにある。

私は、京都に慣れてくるに従って、これらの建築と無意味な歴史とを、始終対比させながら。自分の京都を創りあげることを楽しみにしだした。歴史の中で、一つ一つの建築が何かしら連続したものだと、確信にいたる。そうした世界が頭の中に構築されていくことは、建築的に正しい。

私は、まだ友人が一人もいないこの町で、確かに生きている。来週からは、大学生活も始まる。私は、古くて高く、樹木の血が、肉々と流れる木々の下で、ガイドブックを開く。春の生温かさを感じながら、自分の都市を創造する。これは私の京都だ。私は目をつむった。

私は、今いる京都御苑から、東の方に、南禅寺を創造した。それは、二週間前に見た雪の南禅寺だ。まだ、日が上がったばかりで、三門から全体が暗い白色の雪で覆われていた。私は中央から、三門を見上げると雲と雲の間から、朝が顔を出した。光が平行に三門を照らしたかと思うと。三門前に植えられた数百本の木々の枝から、いっせいに銀色の光が、平行に流れ沈んだ。木々の枝には、大量の雪が積もっており、光は、それらに、吸収され、輝き、また反射をして、結晶を飛ばした。私は、こんな雪の木漏れ日を見たことがなかったから、なんて美しい朝なんだろうと思った。しばらくして、私が、思い出したように息を吐くと、太陽はたちまち雲で隠れてしまった。辺りは、ただの雪景色だったけど、これより美しい風景があるのだと考えるだけで、体が震えるほどだった。しばらくすると、また太陽が顔をだし、すばらしい光の芸術を生みだした。雲と太陽の微妙な角度により、一秒一秒、光は、平行な反射の変化を繰返し、空気中の霧のような水滴の姿に、スポットをあてた。空から来た光は、地面に積もった雪で反射し、木の枝の白のスクリーンに霧の映像をうつし出す。太陽は、その後出たり、入ったりを繰り返したが、やがて、うまく光があたらなくなった。私は、太陽が出ている間、息をするのを忘れてしまっていて、何だか苦しかったけど。私は、この時、なかなかに十分幸せだったんだと思う。

雪の南禅寺を創造したあと、私は、平安時代の京都を創造した。すると、辺りは下鴨神社を残して平地となり、現在の千本通りに、朱雀大路という名のメインストリートを描き出した。東に吉田山と鴨川が、鬼門を守り、西に双ケ丘、南に桂川の、豊富な緑地が、季節に踊った。やがて、般岡山の麓に大極殿が表れ、大内裏は出入りする貴族と、町の人々があふれ。その人々の影が、伸ばすようになった。東西に碁盤の目の、水平な通りを創った。町の中には、寝殿造の貴族住宅が並び、その間に小さな寺が、建立された。やがて、町屋が南に広がり洛外には、思いつく限りの禅寺を創造した。東山山麓に知恩院、金戒光明寺、東福寺、清水寺を創造すると、大北山の麓に、大徳寺、鹿苑寺、妙心寺が、自然と描かれる。秀吉の方広寺が、次元を超えた大きさで、復元され。私は、思いつく限りの建築で、町を埋めていく、二条城の周りに、城下町を創ったり、京大の敷地の上から、武家屋敷を並べたりした。鎌倉時代の三条通りに、明治のコンクリート建築をごちゃまぜにした。比叡山のボウズや京都の町衆をいたるところで、酒を飲ませ。あまりに、四六時中、祇園祭を行わせたりした。京都駅前には、今の本願寺の3倍規模の大本殿まで、創ってやろう。私は町のいたるところに疎水を引き、上水道と下水道の整備を進める。アーチの大きな水の橋を鴨川に架けてやるんだ。雅楽の音楽が、御所を中心に朝から晩まで、鳴り響く。そして私の創造は、暴走を始め、町には、江戸文化や、浮世絵、狂言、大相撲が行われ。大極殿の柱の大きさの規模は、私の中で、巨大化していく。世界で一番太くて、高い木で、門を造るのだ。


私は、この愉快な都に必要な人口のことを考え始めていた。戦前の京都の人口は60万人、1950年代に120万人になったんだよなあ。私は、失礼ながら、大変不謹慎な思いつきをする。広島の原爆で15万人、大平洋戦争で日本人300万人とアジア人2000万人、ユダヤ人虐殺は600万人。私は、歴史上の死者数と、自分の創造した町の人口を比べている。私の生まれた町は人口20万人の地方都市だった。甲子園は、5万5千人を収容できる。私は、歴史と人口について、また一歩真っ白に理解した。

その瞬間、私の周りの都市は、ぼろぼろと壊れていった。雅楽の音も、ずらずらと、ズレていって、ドライヤーの灰色みたいな外の景色がびかびかと割れて、いつも通りの京都御苑があらわれた。苑内の木々は、どれも、これも、私が生まれてから見たどの木よりも、優れていた。何百年も、ここに存在したような顔をしやがって、鈍く、深い外皮、見識の別格、私は、濃く濃く、土を支配するこの木々に酔っていたのか。この強烈な木の香りが、厄介なのだ。私は、体中についた香りを嫌っている。私は、そう思うと、かなりぐんなりしてきて、体がどんどん冷たくなるので、びびった。私は、喫茶店へ行こうと思った。喫茶店に入れば、これは観念上の問題に過ぎないと思った。歩いている間に、町はどんどん分刻みで暗くなった。私は、さっきのことは、私の魂の率直さとは、関係がないと思った。信号が青から赤に変わって、歩き始めると、さらに町は、深さを増した。私は、ここはもう、都でないと感じた。随分、前からそうだったんだし。ああ、いったい、ここはどこなんだ。そうだここは、京都市中京区丸田町通り烏丸下るじゃないか!


私は、この通りの喫茶店へ入っていく。店の奥に、赤い三本脚のシェルチェアを見つけた。私は、腰をかけ、じっと目を閉じていた。広く優美な曲線を持つ椅子の中間で、私は世界が分け合うべき、罪の一部を理解する。店員が私に寄ってくる気配があり、お客様、注文はいかがなされますかと聞く、私は、やはり目を閉じたまま、ホットココアをくださいと伝えた。私は、この時、コーヒーや紅茶に比べて、支配国が弱かった為、名誉ある地位を築けなかったココアを選択したことに満足を覚えた。しかし、すぐにそんな考えはつまらんことだと思った。やがて、スタスタと足音が聞こえ、店員は、ホットココアを置いた。唇をココアにつけた。いつもの、ココアを飲む時の、火傷に近い驚くべき熱さはなかった。私は、グッと喉に液体を流し込んだ。これは適温だなあと思った。やがて、ココアは、冷たかった手や足に染み込み、すぐに助けられたことを知った。


私は目を開けた。私はその高さに驚いてしまう。私は、今までこのような高さから、物事を見たことがなかった。私は、、世界を初めて正しく見た気がした。たった一本しかない後ろ脚の椅子で。私の前には、そう大きくはない通りがあり、あたり一面は、ありきたりの夜で、私は、じっと、この椅子に腰をかけておこう、と思った。(05、02、12)






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ihoujin63@gmail.com

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[一言] 語り部の心境が風景や時間とシンクロしているなかで、語り部からの視点をそれに合わせていない部分が深みを出してるように、感じます。 一読させて頂き、ありがとうございます。
[良い点] 「古い邦画のような仄暗い雰囲気」とでも称せば良いのでしょうか。味わいがあったと思います。 [気になる点]  僕が指摘するのもどうかは思いますが、全体を通じて、基本的な文章の書き方に、少々問…
[一言] 観念を描いたとあって、終始不思議な雰囲気に包まれていて引き込まれました。 京都の描写が非常に細かく豊かで、想像しながら読めました。 でもそこに皮肉めいた冷ややかさが入り込み、目を覚まさせる鋭…
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