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ふたりでひとり?



 ある平日の夕刻。シュン…!と自動ドアが開く音に反応して、瀬里香は声を上げる。


「いらっしゃいませーっ!」


「あ、ごめん、俺。ただいまー」


 学生服をきっちり着込んだ遼太郎だった。初めは違和感を覚えたものだったが、いまとなってはすっかり慣れてしまって、とてもよく似合っているとさえ思ってしまうとは、人間とは順応するものなのだなと瀬里香はしみじみと思う。


「おかえり、遼太郎くん。今日も学校お疲れさま」


「早く卒業して、一日店を手伝いたいんだけどねー」


「あら、学生でいられる時間なんてあっという間なんだから、いまのうちに満喫しとかなきゃダメよー」


「そうなのかなー。美葉子義姉さんにも同じこと言われたけど。…そういえば、美葉子義姉さんは?」


「何だか気分がよくないみたいで、いま奥で横になってもらってるの。最近多いのよ、心配だわ」


「俺は事務とかはあんまできないから、瀬里香さんどうか支えてやってくれな」


「うん、そのためにあたしがいるんだもん、頑張るわ」


 ほわ~んと癒し系な空気を自分たちが出していることに、本人たちだけが気付いていない。


 このままでいいと。瀬里香は思う。恋とか愛とか考えることなく、いつまでも遼太郎とこんな風に過ごしていけたらいいなあと思っていたのだけど、それではダメなのだろうか。やっぱりいつかは変わらなければいけないのだろうか。いや。先のことなど、誰にもわからないのだ。自分は自分らしくあればよいと、瀬里香は結論づけて思考を打ち切った。



 そんな瀬里香を、翌朝夢の世界から唐突に引っ張り出したのは、携帯の着信音だった。


「…はい~」


 半分寝ぼけた声で受けたとたん、慌てふためいた石川夫人の声が耳に飛び込んできた。


『瀬里香ちゃんっ!? こんな朝っぱらからホントに申し訳ないんだけど、いますぐお店に来てくれないかしら!?』


 時計を見ると、いつもの出勤時刻より二時間も前だった。いったい何事だろうか。


「何かあったんですか?」


『み、美葉子ちゃんが…っ!』


「美葉子さんがどうかしたんですか?」


『明け方、「お腹が痛い」って言って苦しみ出して、祥太郎があわててお医者さんに連れてったのよ!!』


「!!」


 もう一瞬で目が覚めた。


「いますぐ行きますっ!!」


 瀬里香が店に到着した時には、店内では石川夫妻と恭太郎と遼太郎が深刻な顔で円陣を組んでいるところだった。


「それで美葉子さんはっ!? 赤ちゃんは大丈夫なんですかっ!?」


「瀬里香ちゃんが着く直前に祥太郎から電話があって、切迫流産だからしばらく入院が必要だって」


「りゅ…流産!?」


 瀬里香は目の前が真っ暗になるような気がした。


「あ、違うの。切迫流産っていうのは普通の流産と違って、赤ちゃんがそうなるもんかってお腹で頑張っている状態なのよ。だから、病院で安静にしていれば、ひとまず大丈夫なの」


「よ…よかったあああ……」


 思わずへたり込みそうになった瀬里香を、遼太郎が支えてくれる。


「問題は、店のほうなんだ」


 石川が重々しく口を開く。


「え?」


「そういう状態なんで、美葉ちゃんはともかく祥太郎の奴まで腑抜けになっちまってな。とてもじゃねえが、役に立たねえ状態なんだ。しかも車も乗ってっちまったんで、配達の車も一台足りねえ。今日は土曜だから、遼太郎も二輪でなら配達できるが、それだって量がたかが知れてる。人手もアシも足りねえ状態なんだ」


 確かに、遼太郎はまだ17歳なので、四輪の免許は取得していない。二輪と四輪では、運べる量も段違いだろう。しかも今日は土曜日…配達の量も普段とは段違いだ。


「瀬里香ちゃんは事務員兼店員だから、早めに来てもらわなくてもよかったんだけど、こういう状態だから慌てちゃってね……ホントごめんね、こんな早く来させちゃって」


 自分たちのほうがよっぽど困った状態でありながら、瀬里香のことをこそ気遣ってくれる一家に、瀬里香の胸の奥が熱くなる。この優しい人たちのために、自分にできることはないだろうか? 考えるのだ。きっと何かあるはずだ。


 懸命に懸命に考えた瀬里香は、ふとひとつの方法を思いつく。


「あのー…」


「え?」


「配達、あたしの車使えないでしょうか?」


 瀬里香の車は母のお下がりの軽自動車とはいえ、一応乗用の5ナンバーでなく貨物用の4ナンバーで、後部座席は狭いがその分荷物が多く積めるようになっている。中古とはいえ、整備もちゃんと整っており、まだまだ現役で働ける代物だ。


「でも保険の問題とかあるから、たとえばあたしとかが乗って何かあったら大変だろう?」


「だから、あたしが運転します。道なら地図もあるし、そんなに複雑なところでなければ何とかなると思うんです」


「でも瀬里香ちゃんの細腕じゃ、酒瓶なんか運ぶのは無理だよ!」


 ほんとうに心配そうな顔と声で言うのは恭太郎。真剣に心配してくれているのはわかるが、そう断言されてしまうと瀬里香の自尊心がちくちくと痛む。


「じゃあ、俺がついていく」


 そこで声を上げたのは、それまで沈黙を守っていた遼太郎だった。


「俺なら運転できない代わりに力もあり余ってるし、取引先への道もよく知ってる。店のほうはおふくろに見ててもらって、俺と瀬里香さんが組めばいいんじゃねえ? 半人前同士でも、ふたりで組めば一人前になれるぜ」


 これは予想外のセリフだったが、瀬里香にとっては何よりも嬉しい援護射撃だった。そうだ。足りない者同士がいるのなら、ふたりで組めば補い合えるのだ。


「それは……いい考えかも知れねえな」


 まんざらでもない顔で石川が呟く。


「お願いします、おじさま! あたしにも、何か手伝わせてください!!」


「親父、俺からも頼む!」


 遼太郎とふたり、深く深く頭を下げて頼み込むと、石川は「よし!」と右手の拳を左手のひらに打ちつけた。


「母ちゃん、店のほうと祥太郎たちとの連絡係は頼む。俺と恭太郎は、いつも通り…いや、遠いところを優先で配達な。瀬里香ちゃん、何軒もの配達は慣れないと大変だと思うが…遼太郎と一緒になら何とか大丈夫か?」


 いつもの明るい表情と違い真剣な瞳の石川に、瀬里香も真剣な表情と声で応えてみせる。


「────はい!!」


「よく言った! 遼太郎、フォローはまかせたぞ、瀬里香ちゃんをよく助けてやってくれな!」


「おう!!」


 その後は、ほんとうに忙しかった。石川や夫人にレクチャーを受けたり、遼太郎のナビの元、いつもより段違いに重量が変わってしまった車の運転をして、ともすればすぐに言うことをきかなくなりそうになるハンドルを力の限り制御したり、配達先に着いたら着いたで遼太郎を手伝って自分に持てるものは運んで────遼太郎はそんなことはしないでいいと言ったのだが、遼太郎が頑張っている時に自分だけのんびりしている気分にはなれなかったのだ────夕刻になる頃には、瀬里香はヘトヘトになってしまっていた。


「瀬里香さん…大丈夫?」


「大丈夫、大丈夫♪」


 心配そうな遼太郎の声に、虚勢をはってみせた瀬里香だったが。瀬里香はすっかり忘れていた。いまが、ゴールデンウィークの真っただ中だということを…。そしてそれに気付いた時は、既に時遅しだったのだが。


 その翌々日からは、さすがに美葉子に活を入れられた祥太郎が復帰してきたため、少しは配達のノルマも減ったのだが、それでも慣れない長時間の運転と配達はキツかった。ゴールデンウィーク最終日にはさすがに限界を越えてしまい、石川リカーショップの駐車場に帰り着いた時には運転席から立つことさえできなくなってしまっていた。


「瀬里香さん、大丈夫か!?」


 遼太郎の声も、さすがに真剣極まりない。


「だいじょぶだいじょぶ……少し休憩すれば、復活できるから………少しだけ、ここで休んでても、いい…かな?」


 力なく微笑んで告げると、遼太郎はその大きな手のひらで瀬里香の頭をぐりぐりと撫でくり回してから、いままでで一番優しい微笑みを見せた。


「いいよ。あとは俺がやるから、瀬里香さんはゆっくり休んでて。あ、でもここであんまり長いこと寝てるとちょっと危ないから、少しの間だけな」


 遼太郎の言う通り、この駐車場は通りに面しているので、気をつけないと通りすがりの人々から丸見えなのだ。


「うん、わかったー。ちょっとだけ、ね…」


 運転席のシートを思いきり倒して、通行人からは何とか見えないようにして────小柄な瀬里香だからできることであって、遼太郎あたりがやったらまるで意味のないことであっただろう────瀬里香はそっと目を閉じた。遼太郎が助手席のドアからそっと出て行く気配を感じながら、「ああそうだ、ドアのロックをしなきゃ…」と考えながら、瀬里香の意識はそこで途切れた。


 ああ。夕方といっても、春の陽射しは気持ちいいなあ……存分に働いた後だから、ぬくもりも格別な気がするー。


 夕刻といっても、日照時間が長くなった春の紫外線たっぷりの陽射しの中でのんびり寝られるのは、さすが二十代になりたての年頃の特権といったところか。これが二十代の半ば以上だったなら、とてもではないが恐ろしくてそんなことはしていられなかっただろうが。


 そんな陽射しの中で、瀬里香はのんびりまったりと夢を見ていた。


 あ。誰かがあたしの髪を撫でてくれてるー。何か気持ちいいな~。


 その容姿のせいで、頭をかいぐりかいぐりされることの多い瀬里香だが、この手はそういうものとはまるで違う。瀬里香を包み込むように、慈しむように……大切に大切にされているのがわかる、優しい大きな手だった。


 髪を撫で、頬を撫で、頬に手を添えて。顔に当たっていた陽射しが、何かに遮られる気配。まるでそよ風が優しく撫でるように、目を閉じたままの瀬里香の唇にあたたかな何かが触れた。温かく…やわらかい何か。温もりや感触だけでなく、まるで違う何かが伝わってくるような──────優しい何か。


「…………………」


 それが離れると同時に、瀬里香の意識も再びまどろみへと沈んでいく。みずからの意思とは無関係に、あたたかなまどろみの海へと沈んでいく……………。





「───────」


 次に瀬里香が瞳を開けた時、そこには自分以外誰もいなかった。暖かかった陽射しも先ほどよりわずかに傾き始め、もうじき沈み始めるであろうことは安易に見てとれた。


「あたし……どんぐらい寝ちゃったんだろ」


 腕時計を見ると、先刻ここに戻ってきた時間より三十分ほど経っている。よほど疲れたのか、ずいぶんしっかり寝てしまったようだ。『少しの間だけな』という遼太郎の声が脳裏によみがえる。


「やだ、少しどころじゃないじゃないっ」


 あわててシートごと身体を起こして、車から駆け降りる。伝票や受け取ってきた売上などは遼太郎が持って行ってくれたからいいが、瀬里香の仕事はそれだけではないのだ、こんなところでのんびりしている場合ではない。


「ごめんなさい、おばさまっ つい寝ちゃいましたっっ」


 慌てふためいて店内に入ると、笑顔の石川夫人が出迎えてくれた。


「いいんだよ、瀬里香ちゃん。瀬里香ちゃんはこの連休ホント頑張ってくれたんだから。遼太郎も『しばらくそっとしておいてやってくれ』って言ってたしね」


 他意の欠片もない優しい笑顔で言われてホッとした反面、今度は別のことに気付いてしまう。


「それで…その遼太郎くんは?」


 店内には姿が見えないようなので、できるだけ何気なさを装って問うてみる。


「さっき、学校の友達が何人か来てねえ、部屋で話してるよ。配達ももうほとんど終わったし、この連休は遼太郎にも全然友達と遊びに行かせてあげられなかったからね、可哀想なことをしちゃったよ」


 確かに、平日は学校に通い、店の手伝いのために部活もやっていないというから、友達との時間もとりにくいのだろう。


 では、さっきのは…遼太郎ではなかったのか? それ以前に、現実であった自信すらあやふやだけど。この唇に触れたあれは、誰かの唇ではなかっただろうか。そっと、みずからの唇に触れてみる。あの体温もやわらかさも、こんなにもハッキリと覚えているのに。あれは、夢だったというのだろうか?



「遼太郎くんだったら……よかったのに」



 ほとんど無意識に口をついて出た言葉に、瀬里香はハッとする。いったい、何を言っているのだ、自分は!? 遼太郎のことをそんな風に見ていないと言ったのは、誰でもない自分自身であったではないか。


 みずからの意思とは関係なく混乱していく自分自身を、瀬里香は止めることができなかった…………………。



互いに足りないものを補い合って、ついにタッグ結成?

そして瀬里香に触れた彼のひとは…夢か現か幻か……。

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