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友愛と恋愛のあいだで


 桜も咲いて散り、花見客の喧騒も落ち着いてきた頃。仕事帰りの瀬里香は、結衣奈と千沙の呼び出しに応じて、喫茶店に駆けつけた。




「…で。その後、坂下どうだった? あいつのことだから、石川さんのお店の悪口とか吹聴してたりしてるんじゃない?」


 瀬里香の危惧は、みずからのことよりまずそのことだった。坂下という人間は、おのれの非を認めるより先に、相手のことを非難する傾向があるのだ。思えば、高校の頃からそうだった。


「それがね……」


 言いづらそうに話し始めるかと思いきや、楽しそうにクスクス笑いを含みながら、結衣奈と千沙が話したことといえば。


 以下は、二人の主観からの話である。




「まーったく最悪な店なんだよ、あの石川って酒屋は!!」


 昼時の食堂で、坂下は周囲の目を気にすることなく、意気揚々とまくしたてる。もちろん、石川リカーショップの悪評をだ。


「客相手にすっ転ばして、ヤクザみてーにガンつけだぜ? ぜってーまっとうな店じゃねえって!」


「だからそれは、あんたが瀬里香に絡みまくったからでしょ!?」


「そうよ、あんたの態度のほうが、よっぽど世で言われてる悪質クレーマーみたいだったわよ!!」


 千沙と結衣奈が反論するが、坂下はまるで意に介さない。女相手だからなめているのだろう。


「おれはクレームなんかつけてないぜ? 態度が悪かったのは、加藤のが先じゃねえか。あれで店員だってんだから、あの店もこの先お先真っ暗じゃねえのー?」


 これには二人もいい加減怒り心頭に達して、いっそひっぱたいてやろうかと思ったその時。坂下の背後に突如立った影に気付いたそうだ。それも一人ではなく複数で、半数は馴染みがあり、半数はよく知らない相手だったらしい。


「いまさー、石川リカーショップがどうのって聞こえたけど、そこ俺んちなんだけど何かあった?」


 千沙と結衣奈は知らなかったが、率先して口を開いたのは恭太郎だったそうだ。いま二人に聞くまで、恭太郎が彼らと同じ大学だったことを、瀬里香はまったく知らなかった。


「あー? あんたあそこの息子かよ。あんたんとこじゃ従業員にどういう教育してんだよ、こっちゃ客だってのにえらい目に遭わされたんだぜ」


 坂下が恭太郎に告げている最中に、見覚えのあった相手────サークルの先輩である女性だったそうだ────に簡潔にことのあらましを伝えると、相手の女性は非常に楽しそうに笑って見せたそうだ。その人の性格のしたたかさを知っているふたりが、思わず戦慄に身を震わせてしまったほど、ほんとうにほんとうに楽しそうな笑みだったらしい。


「……て。あー、お前かあ!! 瀬里香ちゃんに惚れてるくせに、小学生並の愛情表現しかできなくて嫌がられまくって、最後は遼太郎に追い払われた奴って!」


 恭太郎もまったく声のボリュームを落とすことなく答えたために、食堂中の人間の視線が一斉に坂下と恭太郎に注がれたそうだ。


「な…っ 何言ってんだよ、俺は別に加藤のことなんて何とも…! 中学生みてーなツラして酒売ってるっていうから、法律的にヤバくねーのかよって言いに行っただけで…」


 口ではそんなことを言っているが、坂下の顔はもう真っ赤で、恭太郎の言葉が真実だということの何よりの証明であったらしい。


「んなツラで何言われたって、説得力が全然なーい」


 それまで黙っていた結衣奈たちの先輩が、実に楽しそうに口を挟んだのは、その瞬間のことだったそうだ。


「しかもさあ、遼太郎に負けたって? 知ってる? あの遼太郎って、この恭太郎の弟で今年高校三年なんだってよ」


 千沙と結衣奈はあの直後瀬里香から聞いていたので驚きはしなかったが、この時に初めてそれを知ったらしい坂下の顔は、それはそれは見ものだったらしい。瀬里香はその場にいなかったことを、この時初めて口惜しく思ったものだった。


「高校生に迫力負けして? しかも『ヤクザみたいだった』って? あんたどんだけ器小さいのよ、みっともなさ過ぎ!」


 情け容赦の欠片も見当たらない辛辣な言葉に、食堂中から失笑の声が漏れ始め。坂下の顔は、赤いのか青いのかわからないような奇妙な顔色になり、もはやぐうの音も出ない状態だったらしい。


「あたしさあ、あんたみたいな奴、結構好きなのよねー」


 突然言い出した言葉に、先輩の連れ以外の全員が目をみはって彼女に注目したそうだ。瀬里香も意味がわからなくて、思わずどんぐりまなこをさらに丸くする。


「あんたみたいな男を、いちからとこっとん鍛え上げることに、これ以上ないってぐらいの快感を覚えるのよ~っ」


 と言いながら、坂下の腕をひっ掴み。


「さ、行こっ たっぷり遊んであげるから~っ!!」


「えっ ええっ!?」


 坂下が反論する間もなく、そのまま連れ去ってしまったそうだ。


「だ、大丈夫なの?」


 思わず心配になってしまった瀬里香の心配の的は、坂下の安否ではない。その先輩のほうだ。


「大丈夫大丈夫。天城先輩にまかせとけば、何の心配もないって恭太郎先輩が」


「その天城先輩、あたしたちと一緒に入っているサークルは文科系だけど、柔剣道合気道空手合わせて十五段の猛者なんだって」


 そ、それはすさまじい。決して好意は持っていないが、坂下に思わず同情しそうになるほどの破壊力だ。


「天城先輩に鍛え上げられれば、あんたのほうに妙なちょっかい出す気力も体力ももう残らないだろうって、恭太郎先輩も他の先輩も口をそろえて言ってたわよ」


 それは安心なのだけど、二人ともいつのまに恭太郎とそこまで仲良くなったのだろう? そのことを突っ込んでみると、二人はあっけらかんとして答える。


「そのことが縁で、『瀬里香ちゃんの友達って君たち?』って訊かれて、そのまま遊びに行くのに加えてもらっちゃって」


「今度、もう一人の男の先輩と一緒に、四人で遊びに行くんだー♪」


 と実に楽しそうだ。祥太郎といい恭太郎といい、あのシャイな遼太郎の兄たちとは思えない、女性へのフットワークの軽さだ。とはいっても、恭太郎も軽いだけで決して悪人ではないから、二人とつきあうのも放っておいても大丈夫だろうが。


「そんなことよりさあ」


 アイスティーに差し込まれたストローをもてあそびながら、千沙が不意に話題を変える。


「なーに?」


 瀬里香もストローに口を付けながら答えると、結衣奈も一緒になって実に楽しそうな顔で身を乗り出してくる。


「あんたのほうはどうなのよ?」


「って何が?」


「何がって、例の遼太郎くんとよっ 少しは進展あったの?」


「!」


 飲もうとしていたところに爆弾発言を投げかけられてしまったので、ジュースが気管に入ってしまって、瀬里香は非常に苦しい思いをする羽目になってしまった。


「ちょっと、大丈夫~?」


「これくらいでむせないでよー」


「こっ これくらいって、遼太郎くんとは何もなってないわよっ いったい何を言い出すのよっっ」


 咳を交えながら反論すると、二人はけろりとして答えてきた。


「だってあんたたち、すっごいいい雰囲気だったじゃない。家族以外で遼太郎くんが普通に接することができる女の子はあんただけって、美葉子さんも言ってたし」


「恭太郎先輩も言ってたし」


 そういえば、最近周囲の皆の自分たちを見る目が意味深だと思っていたが、よもやまさかそんなことを考えていたとは、夢にも思っていなかった。


「遼太郎くんとは何もありませんっ よく考えてみなさいよ。あの子はまだ高校生よ? 未成年なのよ? そんな関係になりでもしたら、成人してるあたしのほうが捕まっちゃうじゃない」


 自分のほうが未成年みたいな顔してるくせに、という二人のツッコミは聞こえないふりをする。


「と・に・か・く! あたしたちは友達以外の何物でもありませんっ この話はこれでおしまいっ あたしそろそろ帰らなきゃだから、行くわね」


 自分の分の代金をテーブルに置いて、まだ何か言いたげな二人を残し、瀬里香はさっさと喫茶店を後にする。車を駐車してあるコインパーキングまで歩きながら、口内でぶつぶつと呟く。


 まったく。二人ったら、何を言い出すのよ。あたしと遼太郎くんが、なんて、ある訳ないじゃない。そ、そりゃあ、優しくてシャイで力持ちで背が高くて、老け顔のことはおいといて、彼氏にするなら理想的だと思うけどさ。あの子はまだ高校生なのよ? あたしみたいなおばさんになんて、可哀想じゃない。


 『おばさん』というには違和感のあり過ぎる自分の容姿については、瀬里香は気付かないふりをする。


 そりゃ確かに、最近は学校が始まっちゃって、夕方にしか会えないのがちょっと淋しかったりするけどさ。もっと一緒にいたいかな、なんて思っちゃったりもするけどさ。これは弟に対する気持ちみたいなものであって、べ、別に恋とかそんなんじゃないもんっっ


 他の人が聞いたら、ただの意地としか聞こえないセリフをひとりで呟きながら、瀬里香は歩き続けた。



少しずつ? 瀬里香の心にも変革が表れ始めた…のでしょうか。

そして坂下、哀れ……その上以降出番もなくなることが更に涙を誘います(笑)

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