第30話 MUKAI MORNING
翌朝、テントの開いた隙間から差し込む朝陽が眩しくて、私は目が覚めた。
目をこすりながら体を起こすと、私の隣のベンチで眠っていたアリが身じろぎしてぼんやりと目を開く。けれどすぐに目を閉じて、また眠ってしまった。
時間はまだ早朝らしく、辺りは鳥の声以外は聞こえず静かで、空気は冷たく張りつめている。
私も二度寝してしまおうかとぼんやり考えていると、突然、誰かの気配を感じた。
「?」
私はゆっくりと振り向く。
「お目覚めか?」
後ろの方のベンチに、トキが相変わらずの仏頂面で、座っていた。
「トキ!?」
私は驚いて一気に目が覚めた。
また誘拐されるのだけは嫌だ!!
そう思いながら、アリを背中に身構える。
昨日縛られたのは大分苦しかったんだからね!
けれど、何故だかその時のトキからは、昨日のような敵意は感じられなかった。
「…警戒するな。話し辛い。もうあんなことはしねぇよ」
無表情のままそう言うと、トキはゆっくり近づいてきて、私の隣に座った。
「でも、やっぱりあいつらは仲間には勧めないな。お前、ベガーズ・バンケットが人身売買で生計をたてていること、知ってたか?」
「うん」
私がすぐに頷くと、トキは驚いた顔で勢いよくこちらを見た。
「知ってた?…それでお前はそんな仕事をしているあいつらが仲間で、本当に良いのか?」
その言葉に私はムッとして、眉をひそめてトキを見た。
「失礼なこといわないでよ。アマデウスの言っていたことが本当なら、あなただって盗賊なんでしょ?」
「俺たちは人身売買はしない。金持ちから金目のものをちょっと拝借して、本当に必要としている人に渡すだけだ。表向きはボランティア団体で通ってるしな。健全だろ」
トキは真面目な顔でそう言った。アマデウスが言っていた、義賊ってそういうことか…と私は納得する。
「…でも、ユリアン達はもう人身売買を辞めるんだよ」
私がそう言うと、トキは目を丸くした。
トキは無表情だ無表情だと思っていたけど、話していると気にならなくなった。ほとんど変わらないトキの表情の、ほんの少しの変化が分かるようになったからかもしれない。
「辞めるだと?」
トキはすごく驚いて、大きな声をあげた。
「何故!何かあったのか?俺が何度辞めろと言ってもヴァンは聞かなかったのに…」
戸惑っているトキに、私は正直に言った。
「…うん…実は、取引きしたんだよ。私を売って大金を手に入れたら、もう人身売買を辞めるって」
「はぁ!?」
トキは今度は顔色が悪くなる程驚いている。いや、呆れてるって言った方が合ってるかも。
「お前はそれで良いのか!?」
トキは私の腕を掴んでゆすりながら、憤慨して言った。
トキは朝から元気だなぁ…
興奮しているトキの激しいリアクションに、私は的外れなことを考えてしまう。
でも、こんなに他人を心配してくれるなら、やっぱり悪い人ではないのかもしれない。
…心配とはちょっと違う気もするけど。
「大丈夫だよ!私を売るけど、その後私を逃がしてくれるんだから」
私はトキを安心させようと笑いながら、胸を張って言った。
すると、トキは頭を抱えてうめいた。
「そういう問題か!?…何なんだお前は!全く理解できない!自分が売られるっていうのに!そんな楽天的にかまえていられるなんて!それに、そんな怪しい取り引きを簡単に信頼するのか?」
うわっ
なんかすごい怒ってる!
ちょっと意外。こんなに感情を露わにする人だったんだ…。
「お、落ち着いて…」
私はビクビクしながら言った。
トキは私をじろりと睨む。
「これが落ち着いていられるか!……お前はこの世界に来て日が浅すぎる。それにまだ何にも知らないガキだ。だから悪人にそんなうまい条件を持ちかけられて、信用してしまうんだ」
私はユリアン達を悪人だなんて言われて、カチンときた。
しかも私、ガキとか言われてる!
抗議しようと口を開いたけれど、トキの言葉に遮られてしまった。
「よし、俺が世間知らずなお前に、この世界のことを教えてやる。この世界が元の世界と変わらない…残酷な世界だってことも」
トキはそう言って、一瞬、悲しげな表情を浮かべた。
トキは私がユリアンやヴァンに騙されていると誤解しているみたいだ。誤解をとかなきゃと思ったけれど、トキの悲しげな表情のことが気になって、私は黙ってトキの話を聞き続けることにした。
「そういえば、自己紹介がまだだったな。俺のフルネームは、向井時生。…アマミヤってのは名字か?」
「うん。フルネームは雨宮香子」
少し落ち着いたトキと私は向かい合って、改めて名乗り合った。
「じゃあ、アマミヤ、この世界について最初から説明してやる…」
トキが話し始めたけれど、我慢できずに私は言った。
「その前に、一個だけ質問させてくれない?昨日気になってしょうがなかったことがあるんだけど」
「…なんだよ」
トキは話を遮られて、少し不満げに言った。
「昨日はどうして、まっさきにサーカスに向かってたの?魔法が無効になる場所は他にもたくさんあるって聞いたよ。なのに、どうしてわざわざ『相容れない』とか言ってたサーカスを選んだの?」
「…そんなことか。いいか?魔法の効果の強さや作用時間は様々だ。まぁ、工業製品にかけられた魔法は一定だったりする様な例外もあるけど。魔法禁止区域にも強力だったり弱かったり、ランクがあるわけ。その中でもサーカスは、非常に強力な禁止区域になるんだ。まぁ、他にも強力な場所はあるけど入るのが難しいし、ユリアンの魔法は…信頼できるからな」
「…このテントに魔法をかけてるのって、ユリアンなんだ?」
ちょっと驚いて私は言った。
「もちろん。ユリアンは魔術師の中でも、若手にも関わらず凄腕で有名なんだぞ」
「そうなの?」
知らなかった…ちょっと見直したよユリアン!てゆーかトキ、ユリアンのことは認めてるんだ。なのにどうしてサーカスが嫌いなんだろう?
私がそう言うと、トキは言った。
「俺はヴァンもユリアンも認めてる。ヴァンは馬鹿みたいに真面目だし、ユリアンは、まぁ、本心が読めない食えない奴だけど、魔法の腕は一流だ。…なのに二人ともあんな仕事をしているのが許せん!」
人としては、認めてる。でも、仕事は気にくわない。
ということらしい。トキはサーカスのみんなが嫌いな訳じゃないんだ。
私はちょっとほっとした。
「まずはそもそも、この世界のことを話そうか。この世界の名前は『コール』。これはこの惑星の呼び名だ。たくさんの想像上の生き物、幻獣が住んでいて、人口的には普通の人間の方が少ない世界だ」
惑星って…
ここは違う星なの!?
「……」
驚いて何も言えないでいる私に気づかず、トキは続ける。
「科学と魔法が共存していて、不思議なバランスが成り立っている。科学は俺たちの元の世界と同じかそれ以上に発達したテクノロジーもあるが…かと思えば、そうだな…街灯に電球が無いのに気づいたか?」
「あ、そういえば…」
マグニフィセント・セブンに始めて行った時に見て、気になってたんだ。でも、夜にはちゃんと灯りがついていたけど…
「あれは、魔法で灯りがつく街灯なんだ。そもそもこの世界には、電気がない。だから電球が存在しないんだ。灯りからコンピューターから全て、光の魔法でまかなっているからだ。そんな風に、魔法に頼りきっている部分がある」
私は目を丸くした。思わず声をあげる。
「ふぅん…おもしろいね!」
「そうだな。全ての人が魔術師なわけではないが、機械を動かしているのは全て魔法だ。この世界のほとんど全てに魔法のエネルギーが関わっている。この世界で言う魔法ってのは、『魔法』と呼ばれる『科学物質』であると考えてもいいかもしれない…」
うん?なんか難しい話になったような。
「トキ…ちょっと話がずれてない…?あの、トキの話は面白いんだけどね」
ハッとしてそうだった、と呟いて、トキは話を戻す。
「とにかく、魔法がとても重要なんだ。この世界では…魔法と言うと、できないことはないんじゃないかと思わないか?」
「うん。だって、魔法でしょ?ハ○ー・ポッターでしょ?なんでもできそうな楽しいイメージだよ」
「その通りなら、どんなにいいか…」
トキはため息をついた。
「魔法というものがあるせいで、この世界は格差が激しい」
「魔法が使えればそれなりに暮らせる。しかし、使えなければ働き口さえない酷い地域だってある。そのせいか、未だに身分階級の残る国がたくさんあるんだ。人身売買やら、犯罪でももちろん魔法を利用している」
トキは苦々しく言った。
「元の世界と何も変わらないだろ?魔法は便利なものだが、使う人間が最低なら、最低な結果しか生み出さないんだ」
返す言葉が見つからない私に、トキは続けた。
「…ここは夢の世界じゃない。俺達の元の世界と同じように…いや、それ以上に、悪夢みたいな世界だ」
トキはそう言うと、沈黙した。相変わらず無表情だけど、彼は、これから言うことをためらっているようだった。
その顔を見ながら私は、何故この人は、この世界をそんなに嫌うのだろう?
何故、こんなに悲しそうなんだろう?
ずっとそれを考えていて、この世界についてのいろんな疑問よりも、トキの気持ちの方が気になってしまっていた。
彼はずっと、悲しそうだ…。
トキはしばらく視線をさまよわせてから、やっと口を開いた。
「お前は、何故この世界に来たんだ?」
「…それは…」
予想外の質問に私が口ごもると、トキは焦って言った。
「いや、いい!言いたくなければ言わなくていい。あー…俺の仲間にはなれないと、昨日お前は言ったな」
「うん」
「それでもいい。俺達の盗賊団の仲間にはならなくても。必ずしも同じものに属さなくとも、手を組むことはできる」
トキはまっすぐに私を見つめて言った。
「俺の願いは一つ。無くした物を見つけること…。そのためには、お前の力が必要なんだ。俺を、助けてくれないか?昨日あんなことをしておいて、むしが良い話なのは承知の上だ。代わりにでき得る限りお前の手助けもしよう。頼む。黒い狼なんて、お前の他にはいないんだよ」
トキの必死で悲痛な願いに、私は胸を打たれてしまった。彼の無表情もほんの少し崩れて、すごく悲しげな表情を浮かべている。
こんなに必死で、こんなに悲しげな人の願いを断れるわけないと、私は思った。




