第29話 ミッドナイト・クラクション・ベイブ
私は放心してへたりこんでいたけれど、しばらくして突然ルーに抱き起こされた。
「アマミヤ、大丈夫かい?手を噛まれていたな…見せてごらん」
私はぼうっとしたままルーにされるがままになっていたけれど、ユリアンが真っ青になって立ち尽くしているのに気づくと、心配してくれているルーに構わず咄嗟に駆け寄った。
私が近づくと、彼は放心状態で口を開いた。
「殺意を持って攻撃すれば、それが僕に跳ね返る…だって?あいつ、『エコー』の魔法を使っていたのか…?」
ルーがユリアンの言葉に驚いて声をあげた。
「そんな馬鹿な!自分の命を削る魔法だぞ!?口先だけに決まってる!」
「…でももし本当だったとしたら、アマデウスを殺そうとしていたら僕は死んでいたんだ。アマミヤ…」
私はユリアンに、力強く抱き締められる。その体はこころなしか震えていた。
「危なかった…君のおかげだ…」
私はよく理解できず言った。
「どういうことなの?」
「あいつがさっき言っていたこと。アマデウスに殺意を持って攻撃すれば、全て僕に跳ね返るところだったんだ」
「それも魔法?」
「そう。禁じられている魔法だ。魔法であっても武器であっても、自分が受けた攻撃を敵に返す魔法なんだよ。しかも、何倍もの威力で。これを受けたら確実に死んでいた」
ユリアンがアマデウスを殺そうとしていたら、逆にユリアンが死んでいた…っていうことらしい。
「そうだったの…それは…良かった!!」
さっきは、思った以上に危ないところだったんだ。でも、ユリアンが無事で良かった。
私はホッとして笑った。
ユリアンは私の反応を見て目を丸くしたけれど、すぐに目を細めて微笑んだ。
「…うん。良かった。殺さなくて」
でも、とまじめな顔に戻ってユリアンは付け加える。
「この魔法は両刃の剣でもあるんだ。数百年前の大戦で使われたもので、魔法で守られる筈の本人も、長時間解かないままでいると魔法に精神を食い尽くされて、死に至る。すぐに魔法を解いたとしても、確実に体は蝕まれる。…ほとんど自殺行為だよ。アマデウスはそんな魔法を自分にかけてまで、何をしようとしていたんだろう?まさか僕を殺す為なわけはないだろう。僕達がここに来る保証なんてなかったはずだから…」
ユリアンはそう言いながら目を細めて、まるでそこにアマデウスが居るかのように、虚空を睨みつけた。
そのあと、私達は大急ぎで、走ってサーカスのテントに戻った。
その時にやっと気づいたけれど、トキはいつの間にやらいなくなっていた。
もう会えないのかな…?
私は少しがっかりした。
この世界のことを聞いてみたかった。
まぁ、誘拐とかはナシで…。
テントに向かいながら、急いで帰るのには訳があると、ルーが走りながら説明してくれた。
「アマミヤ、トラッカー・ドラゴンに追いかけられてたんだって?よく無事だったねぇ」
ルーはそう言いながら街灯をスレスレのところでよける。
そういう私も道端の花壇を踏みそうになって、とっさに跳び越えながら応えた。
「…トラッカー・ドラゴン?…警察っぽい人のこと?」
このビジネス街、マグニフィセント・セブンに来てすぐの頃に追いかけてきた緑色の細身のドラゴンを思い出す。私の二倍はあったな。あれは怖かった…と思い返しながら、私は言った。
「…そうか、君はすっごく、すっっっごく世間知らずだって、ユリアンが言ってたっけ」
……その通りなんだけどさ。
なにそのしつこい強調。
馬鹿にしてるのかな!?
眉を寄せて苦々しい表情の私を見て苦笑しながら、ルーは詳しく説明をしてくれた。
「トラッカー・ドラゴンってのは、警察のドラゴン特殊部隊の呼び名だよ。この部隊は、危険な幻獣が街に出て来たりなんかした時に捕まえるのが専門なんだ」
「へぇー!」
そんなのがあるんだ…ドラゴン部隊だなんて、この世界ならではの部隊だなぁ。
私は感心しながらルーの話を聞いていた。「今日君が街で獣姿のまま走り回っているのを見て、誰かがトラッカー・ドラゴンを呼んだんだろうね」
私は首を傾げて聞いた。
「ねぇ、呼ぶってどうやって?そういう道具があるの?ドラゴン達、近くに居たのかってくらいすぐに現れたよ?」
そう言いながら、携帯電話ってあるのだろうかと内心疑問に思った。インターネットみたいなものがあるんだから、ありそうだけどな。
ルーはちょっと戸惑って言った。
「『遠距離会話』の魔法道具のことか?そんなもの使わなくても、警察を呼ぶには、呪文を口にするだけでいい…それも知らないの?本当に世間知らずだなぁ」
ええ!世間知らずですいませんね…
しかしなんて便利な魔法があるんだろう!
誰にでもセコムがついてるようなものじゃないか!
これなら犯罪なんてなくなっちゃいそうなのにな…
「けど、この『警察召還』の呪文は、大体どこの国でも、小さな頃から、学校や家で教え込まれてるはずなのになぁ…」
ルーは首を傾げる。
ちょっと怪しまれているみたい。
この世界の住人なら常識なことでも、違う世界からやってきた私にとっては、知らないことばかりだ。
ユリアン達は私を遠い国からやってきたとずっと思ってる。違う世界からやって来たと正直に言うことも考えたけど、何だか信じてもらえないような気がする。それで通していたから、今さら言っても更に信じてもらえないと思うし…。
何となく、思ったんだよね。
本当のことを言わない方が良い。そんな気がした。
何故かはよく分からないけど…
とりあえず話を変えるべく、私はルーに質問した。
「そ、そういえばさ、トキが、私がドラゴンたちに『目』をつけられたって言ってたんだけど…」
「ああ、うん」
ルーは私の思惑に特に気づく様子もなく、素直に頷いた。
「『目』って何なの?」
私がそう言った瞬間、ルーは人にぶつかりそうになり、すんでのところでよけて悪態をついていた。
「…ああ、びっくりした。こんな夜中に女の子が1人で歩いてちゃ危ないよなぁ」
ルーは体勢を整えて私に追いつくと、話を再開してくれる。
「…『目』をつけられるとちょっと厄介なんだよね。ドラゴン達は警察にしか扱えない魔法道具を持っていて、それが通称『目』って呼ばれているものなんだ。詳しくは分からないけど、魔法と科学を複雑に融合させた作りになってるらしい。発動させると、その使用者の半径3〜4メートル以内にいる人全員に、探索魔法をかけられる。この道具で魔法にかけられてしまうことを、『目』をつけられるって言うのさ」
ルーは何かのお店の前の巨大な犬の置物を飛び越えながら付け加える。
「本当なら探索魔法は1人の魔術師が1人の被魔法者しかつくれないはずだけど…」
ルーが何を言っているのか全然分からん!
私は走ってきた車をジャンプで飛び越えると、思わず言った。
「ごめん、探索魔法って何?それと、被魔法者って?」
「そうだな…すごく簡単に言うと、探索魔法はその名の通り、魔法をかけられた人が今どこにいるのか、調べられる魔法のこと。被魔法者ってのはまあ単純に、魔法をかけられた人のことだね」
うーん…何か変な感じ。
「まぁとにかく、『目』は、高等魔法である探索魔法を簡単に大勢にかけられてしまう、厄介な道具なんだ。『目』は持ち物や服なんかにかかる魔法だから、その相手が幻獣だろうが既に魔法にかかっていようがおかまいなしで効果が発揮されるわけ」
「で、今すぐにサーカスのテントに行かなきゃならないのは、その『目』を避けるためだね。サーカスのショーの為のテントの中では魔法は使えない。魔法の道具の効力もテントの中では無効になってしまう。だから、警察に筒抜けの君の動向を知らせないために、サーカスのテントで『目』の魔法がとけるまで待機しようってわけ」
「そういうことだったんだ…」
私はさらに感心して何度も頷いた。
あれ?でもちょっとまてよ?
「それって、そのテントの前で警察が張っていたら、おしまいじゃない?」
私は言った。
テントの中が魔法を使えないのは、そういう決まりになっているとユリアンは言っていた。だとしたら、警察がそれを知らないわけはないじゃないか。
私は焦っているのに、ルーは朗らかに笑った。
「そうだね!そうすれば簡単だもんねぇ。でもいいかい?実はあまり知られていないけど、魔法禁止の場所って結構たくさんあるんだよ。サーカスのテントくらい大きな範囲の魔法禁止区域はそう無いけど、一部の病院や工場、警察や学校なんかでは、魔法禁止区域は大体あるんだ。たくさんあるそれを警察が全部探して、君を見つけるのは至難の技だよ。ついでに言うと、今は君にかけられた『目』に簡単な『混乱』の魔法…かけられた魔法が正常に作用しない魔法をかけてある。まぁ、その場しのぎで効果が短いから、急がなきゃ解けちゃうんだけどね。とにかく、警察は君の行く先がサーカスだなんて分からないよ。だから安心していい。サーカスに黒い狼が居るってことは、一応極秘になってるし」
「そうなんだ…」
やっと納得し…あれ?
なら何故、トキはサーカスに行こうとした?そういう場所が他にもたくさんあるなら、「相容れない」って言ってたサーカスをわざわざ選ぶだろうか。
前から走ってきたバイクを2台連続でうまく飛び越えながら、私は考え込んだ。
ルーに聞こうと思って顔を上げると、ルーは前を走っていたユリアンに追いついて、話をしている。
質問をするタイミングを失って、私はずっとそのことを悩みながら2人を追いかけた。
サーカスのテントに着くと、魔法がまだ解けていない私はテントの中で一晩過ごさなければいけないと言われた。
まぁ、今朝の牢屋よりは大分ましだ。
「2人とも、助けに来てくれてありがとう」
落ち着いた所で私はお礼を言う。
「無事で良かったよ」
ルーは笑ってそう言うと、「おやすみ」と言って、自分の部屋に戻って行った。
そういえばもう真夜中だ。
ユリアンは毛布とクッションを持って来てくれて、観客席のベンチの隅っこに、簡単な寝床を作ってくれた。
「ユリアン、アリはちゃんと帰って来た?」
ずっと気になっていたことを私は口にする。
ユリアンが口を開こうとしたちょうどその時、アリがどこからか駆け寄ってきた。
「アリ!良かった!無事だったんだ!」
アリは私の膝に抱きつくと、小さな声で言った。
「アマミヤ、ごめんなさい…」
「アリがサーカスまで来て、君が危ないって教えてくれたんだよ」
ルーが言う。
「そうだったんだ!ありがとう、アリ」
私はアリの頭を撫でてお礼を言う。けれど、見上げてくるアリの表情は、少し曇っていた。
また元気がないみたいだ。
疲れちゃったんだろう。今日は色んなことがあったから…
そういえば、なぜあの街に入ったんだろう?
「アリ、なんでマグニフィセント・セブンに行ったの?家に帰ろうとしてたの?」
「うーん…ちょっと、行ってみたかったんだ」
アリはその会話には興味がないみたいで、ちゃんと答えてはくれなかった。ユリアン達にこってり叱られたから、もうその話はしたくないらしい。
まぁ、無事だったからいいか。
背中に登ってきたアリと話していると、テントに『守護』の魔法をかけてくれていた(この魔法があれば、明日の朝までテントに誰も、ドラゴンも入ってこれないそうだ)ユリアンがつかつかと歩み寄って来た。
「そういえばアマミヤ…?」
「あの街に獣姿で入ったら危険だって、僕は言ったよな?」
ユリアンは先ほどまでとは打って変わって、冷たい声を出した。
その硬い笑顔からも、トゲトゲしい雰囲気からも、ユリアンが静かにではあるけれど、確実に激怒しているのが分かった。
「話はアリと一緒に明日、たっぷり聞かせてもらうからね」
そう言ってユリアンは、自分の部屋に戻って行った。
「…怒られちゃったね」アリがポツリと言った。
私は引きつった笑顔で返した。
「多分、明日はもっと怒られるんじゃないかな…」