第20話 lost thing
気付くと、目の前にハルカが立っていた。
私の大切な男の子。
ちょっとだけ首を傾げて、目をすがめて、優しく笑っている。
あぁ、ハルカがいなんて、悪い夢だったんだ。
そう思って、私は安心する。
ハルカは言った。
『香子、お前は分かったふりをしてる』
『思ってるだろ?』
『絶対の何かなんて存在しないって』
『絶対の悪も、絶対の正義も…』
『でもね、一個だけは信じていいよ』
『絶対の愛を』
「ハルカ…」
自分の声に目を覚ますと、私は見知らぬ部屋のベッドにいた。
「夢か…」
何て残酷な夢だったんだろう。
そして、なんて救われる夢。
私は目元の涙をぬぐいながら、部屋をぐるりと見回した。
そこはペリの二人が居た部屋と似ていた。
大型トラックの中の、こぢんまりとした一室。
木製の、アールヌーヴォー調の小さなチェストとベッド、それだけで部屋はいっぱいで、壁には額に入った写真がたくさん飾ってあった。
なんだか、懐かしい感じがした。古い木造の建物みたいな匂いがするからだろうか。他にも、ムスクのような香水の匂いがした。
この匂い、ヴァン…?
そう思いながらベッドから出ると、空いたドアの横にユリアンが立っていることに気づいた。
うぉ!?
いつからいたの!?
ちょっとー!怖いじゃん!
「…ここって、ヴァンの部屋?」
何故か目が合っても無言のユリアンに、私の方から話しかける。
「…ああ。ヴィマラさん達の部屋のすぐ隣だったから、ここに君を運んだんだ。体の調子はどう?」
あれ、運ぶって…私、どうしたんだっけ?
あんまり覚えてないけど…ヴィマラさん達がベガーズ・バンケットに入ることになって…その後の記憶がない。
考えこむ私に、ユリアンは言った。
「君がいきなり倒れるから、びっくりしたよ…一応医者に見てもらったけど、貧血だってさ。今から昼飯だから、食べて今日は寝てれば?」
ユリアンはぶっきらぼうに言うけど、気遣ってくれていると分かる。
そういえば私、まる一日くらい何にも食べてないんだった…。
空腹過ぎて倒れちゃったのかな。
…それってすごいまぬけじゃん!
「ありがとう。ごめん、迷惑かけちゃったね」
申し訳なくてしょんぼりと頭を下げる。
私が倒れるなんて、珍しいことだ。
健康だけが取り柄なのに…!
「僕の方が迷惑かけてるし、いいよ」
ユリアンはちょっと決まり悪そうにしている。
「じゃあ、お互いさま」
私は言った。ユリアンはちょっとホッとした表情になる。
今、ユリアンはTシャツにジーンズのすごくラフな格好で、出会ったときのマフィアか警察官かのような、トゲトゲしい近寄りがたい雰囲気はしなかった。そういう格好だと、髪を下ろしているのもあって、さらに幼く見えた。
「…ねぇ、そういえばさ、ユリアンっていくつなの?」
私は話を変えようと聞いてみる。
ちょっと気になってたんだよね。
外見の印象でいうと、予想では私と同い年くらいなんだけど…。
「僕は…はっきりとは分かんないけど、大体21くらいかな」
意外にも、ユリアンは年上だった!
ドSで甘えんぼでいじけむしのくせに、私より四才も年上だったとは…
「アマミヤは?」
ユリアンに聞かれて、私はにっこり笑って言った。
「いくつに見える?」
これって、一度は言ってみたいセリフだよね!
ユリアンは真顔で即答する。
「12才くらい」
えぇぇえぇ!?
待て待て待て!!
そんなに若いと思われてたの!?
「違うよ!私はもう17だよ!」
ピチピチの女子高生だっつーの!
ショックを隠しきれずに慌てて訂正すると、ユリアンはちょっと笑って言う。
「嘘だって。最初からその位だと思ってた」
なんだ…ホッとする私に、ユリアンはすかさず続けた。
「…でも、ヴァンは最初は本気で10才位だと思ってたみたいだけど」
「うそ!」
私の衝撃を受けた顔に吹き出して、ユリアンは声をあげて笑った。
私はちょっとショックだったけど、同時に安心した。
何故だかさっきからユリアンはぼんやりして、ちょっと元気がなかったから。笑顔が見れて、嬉しくなる。
「行こうアマミヤ。早くしないと、食いっぱぐれることになるよ」
ユリアンに促されてトラックを出ると、すぐ前の広場に、祭りの屋台みたいなカラフルなテントが張ってあり、大勢の人がその周りに集まっていた。
その光景に、私は唖然としてしまった。
そこには、完全に人間と同じ様な容姿を持つ人は見当たらなかった。
ユリアンのように頭に獣の耳のある人なんて序の口で、人間の要素が皆無な、幻獣そのままの姿もちらほら見える。
下半身がライオンで上半身が鷲のグリフォン。
半人半馬のケンタウロス。
頭に山羊のようにくるんと曲がった角を持つ女の子。
確実に私の二倍は大きい人。
猫耳なのに、背中にコウモリのような翼を持ち、おしりにサソリの毒針の尾がついている…何だかよくわかんない人。
もうとにかく、ありとあらゆる不思議な生き物から、ギリギリ普通の人が仮装しただけみたいに見える人まで、老若男女、わんさか。
ベガーズ・バンケットの仲間は今70人とか言っていたけど、確実にそれ以上の人が広場にひしめいていて、それは圧倒される光景だった。
ユリアンは、せわしなくキョロキョロする私を引っ張って屋台までたどり着くと、私を屋台の脇の日陰に残し、果敢に屋台に群がる人ごみに飛び込んでいった。
私が屋台の脇で手持ち無沙汰に突っ立っている間、周りから痛いくらいの視線を感じた。
横を通る人にジロジロ見られ、大胆な人にはしげしげと顔をのぞき込まれた。
大半の人は、恐々と遠巻きに、けれど興味津々と言った様子で私を見てくる。
一瞬不思議に思ったけれど、私はヴァンの話を思い出した。
黒い毛皮を持つ生き物は、めちゃくちゃ珍しいんだったっけ。
そう考えて周りを見ると、人々は全体的に…色が薄かった。
髪が黒い人は本当に全くいない。
色が濃くても、しっかりした赤や茶色くらいが限界で、殆どの人の髪色が金髪や薄茶色、シルバーや栗色、亜麻色、白。
肌の色もホワイトからゴールドスキンまで様々だけど、黒や褐色の肌の人はいない。
でも顔の造形やなんかを見ると、人種も種族もいろいろのようだ。
この世界の人たちは基本、色素が薄いのかも。洋服の色も、濃い色や、ビビッドカラーは少ない。
視界は、意図的にペールトーンに統一されているのかと思えるほど明るい色合いだった。
そのとき、ユリアンがカレー(っぽいもの)が入った器を2つと、座布団並みに大きなナン(っぽいもの)を一つ、四角いビニール袋にストローを刺した(…袋がコップ代わりらしい)ジュースを2つ手に持って、屋台の人ごみから出てきた。
「ヴェジタリアン向けの、大豆肉の野菜カレーにしといたから」
そう言いながらユリアンはカレーを寄越す。
ユリアン、いまだに私がヴェジタリアンだと勘違いしてる…まぁ、それでも別に困らないし、良いか。
…この世界にも大豆あるの?
私はお礼を言いながら器を受け取り、その場に座り込んだ。
ナンをユリアンと半分こして、カレーを食べ始める。
香辛料の良い香りがした。カレーの色は、薄ーい茶色。
以外と普通だ。
食文化は、私の居た世界と変わらないのかな…?
口に入れる寸前にちょっと躊躇したけれど、空腹には勝てず、私はナンにカレーをつけてほおばった。
口いっぱいに、カレーの香りが広がる。味は本格的なカレーだ。めちゃくちゃおいしい。あんまり辛くないけど。
受け取ったジュースは真っ青で、恐々飲んでみると、甘くて酸っぱい、レモネードみたいな味がした。ジャスミンみたいな、花の香りもする。
食べ物がおいしくて、気分が大分良くなる。
食べ終わってから一息ついて、私は聞いた。
「ねぇ、ここにいる人たち、みんなベガーズ・バンケットのひとなの?」
ユリアンは首を横に振る。
「いや、屋台やってるのはデリバリーの仕事の人だし、飯のときは勝手に近所の人も買いに来るから、いつもこんな感じで人数多くて騒がしく…」
その話はそこで、知らない人の声に遮られた。
「ユリアン!」
ユリアンと私が声のした方を見ると、さっきの、猫耳にコウモリの翼にサソリの尾の、何の幻獣かよくわからない人が立っていた。
燃えるような赤い髪はちょっと長めで、グシャグシャで、目にかかっている。筋肉質な体に黒いヨレヨレのシャツを、首元をボタン3つくらい開けて着ている。でもそれがだらしないって言うより、ワイルドな感じで、似合ってる。
タバコの煙の匂いと火の匂い、それと不思議な甘い匂いがした。
なんだか色気のある人だ。
一体なんの幻獣だろう…
「紹介しろよ、ユリアン!…こちらの可愛いお嬢さんが、お前に子守歌を聞かせてくれたっていう…噂のブラックウルフちゃんだろ?」
ルーと呼ばれた彼は、そう言うとにこにこ笑って私を見た。
…なんだか人懐っこい…悪く言えば軽い人だな。せっかく大人っぽいと思ったのに。
まぁ、憎めない感じだけど。
「子守歌って何だよ!?昨日は、アマミヤと話してたらそのまま寝ちゃっただけで…」
「照れんなよ、いい大人が。このロリコン!」
「…やんのかコラ」
ルーは何だかすごく嬉しそうににやにやしてユリアンをからかっている。ユリアンは苦々しくルーを睨みつける。
…仲の良ろしいことで。
ルーはユリアンをからかうのをやめると、私の方に向き直った。
「一座の技術士をやってる、マンティコアのルー・アブラハム・ロードだ。よろしくね。今度俺にも、子守歌聴かせてよ」
…この人チャラいよ!
「雨宮香子です。よろしく…」
マンティコアかあ。納得。ライオンの体に人面、サソリの毒針があって、コウモリの翼を持っているという…。インドの怪物だったかな。
…あれ?
そのとき、
『聴かせてくれない?』
この言葉で、私は大変なことを思い出した。
青ざめて動きが止まってしまった私を、ルーは「あれ?怒った?」と言ってオロオロしてる。ちょっとかわいい。でも今は無視。
「アマミヤ?」
心配顔のユリアンに顔をのぞき込まれた。
その途端、私はすごい勢いでユリアンに詰め寄った。
「ユリアン!」
「な、なに?」
ユリアンはちょっと私の剣幕にひいてるけど、そんなん気にしている場合じゃない!
ヤバい!
大変だー!
「私のヴァイオリン、知らない!?」




