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第1話 夢のさき

夢を見た。


月夜を駆ける「あの子」を。


瞳の色は、見慣れない鮮やかなグリーン。

頭には猫や犬のような、ピンと立った毛皮の耳。


背中にはカラスのように、真っ黒で大きな翼。


それらは、月の光を浴びて銀色に輝いている。


それは不思議な、異形の姿。


…けれど、それは確かに、ずっとずっと会いたかった「あの子」だった。


森の中を、跳躍を繰り返して木々の間を軽やかに飛び回る。


その姿は、ともすれば楽しんでいるようにも見えるけれど…。


泣いている。

「あの子」は、泣いている…。


何かを求めて、何かを探して、何かを叫んでいる。


悲しみに支配されて、絶望にあえいでいる。


木から降り立つと、地に伏して、「あの子」は頭を抱えて泣き叫ぶ。


大声で、全身で慟哭する。


体を大きく震わせて、「あの子」はむせび泣いている。


痛々しい程に。


どうして泣いているの?

何があったの?


「あの子」を、助けてやりたい。


慰めてやりたい。


声をかけて、話を聞きたい。


側に居てあげたいのに。


どんなに手を伸ばしても、私の手は「あの子」に届かない。

どんなに声を張り上げても、「あの子」が私に気付くことはない。



どんなに願っても、この夢の中では、私の願いは何一つ叶わないのだ。


私は泣いている「あの子」をただ、見つめることしかできなかった。

もどかしい思いで私は立ち尽くす。


すると、いつの間にか、泣いている「あの子」の隣に誰かがやって来る。

その人は「あの子」を抱き締め、「あの子」の涙で濡れた頬を優しく拭う。

そしてその人は、「あの子」の手を握る。

私はほっとしてため息をついた。

これで「あの子」は大丈夫…。


そのとき、私のため息が聞こえてしまったようで、突然その「誰か」がこちらを振り返る。



…振り返る…




私、雨宮アマミヤ 香子コウコは目を覚ました。

まだ夜が明けきっていない時間で、部屋の中を青い光が照らしていた。

壁に掛けてある時計を見ると、午前4時。

起きるにはまだ早すぎる時間帯だったが、何だか目が冴えてしまった私は、ベッドの中でぼんやりと先ほど見た夢について考えていた。

最近いつも見る夢。同じ夢を何度も見るという経験は初めてだったので、気になってしまう。

しかも必ず同じところで目が覚める。あの「誰か」が振り返って、私の方に顔を向ける、その寸前で必ず夢から覚めてしまうのだった。

あれはいったい誰なんだろう。

「あの子」と一緒にいたのは。

知りたい。


…あれは、ただの夢だというのに。


悲しい夢だ。

決して良い夢じゃない。

それでも、夜眠るたびに必ず見るこの夢を、私は楽しみにしていた。

ただの夢でも、「あの子」に会えるから。




話すことができなくても、私は「あの子」の姿が見られるだけで嬉しかった。


本当なら、もう二度と会えない。

「あの子」はもう、この世界のどこにもいないのだから。



しかし、夢の中で「あの子」は何故あんな異様な姿をしているのだろうか?


そして、そんな姿の「あの子」を見て、絶対に「あの子」だと確信できるのは、自分でも不思議だった。


私はそうやって「あの子」を思い出していたけれど、だんだん涙が溢れ、こらえきれない嗚咽が漏れた。

悲しみの一番の薬は時間だなんて言うけれど、本当だろうか。あれからもう3ヶ月も経つのに、わたしの悲しみは少しも薄れない。

けれど、それでいいと思った。

私は苦しみ続けたかった。

私にとって、時が過ぎていつか自分が「あの子」の不在を受け入れ、「あの子」を忘れてしまうことが、一番恐ろしかった。



…………………………………………………


その日の夕方、小さな頃から続けているヴァイオリンのレッスンを終えて、私は電車を待っていた。

いつもなら学校帰りの学生や、仕事帰りの会社員が大勢いるはずの時間帯だけど、夕暮れ時の駅のホームには、私以外誰もいない。不思議に思ったけれど、特に気にはしなかった。

一人でバス停のベンチに座って、ヴァイオリンケースに貼られたステッカーを撫でながら、私はまた「あの子」のことを思い出していた。


このステッカーは、「あの子」が作ってくれたものだ。


三角形にくり抜かれた銀色を背景に、絶滅した日本狼を写実的に意匠化したイラストが、黒一色で描いてある。

何故狼なのか聞くと、夢の中で見たんだ。と、何故か恥ずかしそうな顔をして、彼は笑っていた。


「あの子」…駿河遥スルガハルカは3ヵ月前に、死んでしまった。


ハルカは心臓に病気を持っていて、生まれてからずっと病院に通っていた。


その病が、ハルカを連れて行ってしまった。


ハルカは私と同い年の男の子で、絵を描くことが得意で、画家になるのが夢だった。

次から次へと絵を描いて、その情熱も創作意欲も、止まることを知らなかった。


そんなハルカは私の幼なじみで、一番身近な憧れの存在でもあった。


いつだって強気で、優しくて、愛情深い。

ちょっとだけとんがった耳が特徴の、可愛い笑顔の男の子だった。


今居る駅のホームで、よく二人で電車を待った。

ハルカは絵画教室の帰りに、私はヴァイオリンのレッスンの帰りに。


ハルカは物知りで、色々なことを教えてくれた。下品な言葉の意味を教えてくれたり、様々な悪口を教えてくれたのもハルカだし…ぶっちゃけ、私の口が悪いのは、ハルカのせいだ。

ファ○クからイホデプータ(スペイン語でサノバビ○チ的な悪口)まで、海外の悪口まで網羅して教えてくれたな…

…しかしくだらないことばっかり教えてくれたもんだ。


…そういえば、話すことの半分以上がそういう話だった気がする。


「おい香子、男のア○ルには、性感帯があるらしいよ。でも女にはないんだって。それってつまりは…」


「ハルカ、それ以上言ったら殴るよ」


毎日のようにこんなやり取りをしてた…


…あれ?最低じゃね?



私は思い出して苦笑いする。

バカなことばかり言っていた男の子だった。

でも、ハルカがいつも人を笑わせるようなことばかり言っていたのは、周りに気を使わせないためだったって、私は知っていた。


俺は病気を持ってはいるけど、人と違うかもしれないけど、気を使わないで。重荷だなんて思わないで、俺は大丈夫だから、離れていかないで。


ハルカは、そんなふうに思っていたみたいだった。


最後の一週間、ハルカの態度はちょっとおかしかった。

いつもはそんなことないのに、ボーっとして上の空のことが多かった。

それに、いつもよりよく喋った。少し浮かれているように見えた。

そのくせ、ふと真面目な顔をして、友人に「いつもありがとう」なんて、わざとらしいセリフを言ったりしていた。


今思えば、自分の死が近いことを、知っているような態度だった気がする。


私とハルカの両親と一緒に、ハルカを看取るのに間に合った私達の共通の友人、坂木宗護サカキシュウゴは、ハルカが最近、何かで悩んでいたと言っていた。


四六時中一緒にいた宗護にさえ、ハルカはその悩みを最後まで明かさなかったという。


いつも笑って、弱音を吐かないハルカ。

何を考えていたのか、何を感じていたのか、本当は、なんにも知らないのではないか。

いつも一緒にいたのに、あの子のことを、私はなんにも知らない。


ハルカを思い出しているうちに、また、涙が出てきた。

駅のホームには相変わらず誰もいない。だから、私は泣くのを我慢しなかった。

届かないことを知りながら、頭のなかで、ハルカヘ語りかけた。


誰にも本音を言わないままで死んでしまったら、誰がその気持ちを知れるの?

あんたを心配する私のこの気持ちも、もうどこにも行き場がないのに。

誰もあんたの気持ちを知らないままでいる。

私にも言わないままで。最後にあなたが悩んでいたことは、何だったの?


「バカ…ハルカ…!」


つい口をついてこぼれ出た言葉と共に、やり場のない憤りは、溢れ出した悲しみに飲み込まれてしまって、涙が零れた。

ヴァイオリンケースに額をくっつけて、私は嗚咽を漏らす。


本当に馬鹿なのは、私。


ハルカのことを考えると、いまだに気持ちを抑えられなくなる。こんなふうに、涙を拭うこともしないでただ嗚咽を漏らすことがある。



こんな気持ちを抱えて、このまま生きていくなんて。

そんなの無理だ。


どうしたら良い?

私はどうしたら良いの?


助けて、ハルカ…


いつも、私を助けてくれたのに。

こんなに辛くてどうしようもないときに、そばにいないなんて。


ねぇ、ハルカがいないなんて、耐えられないよ。


もう一度だけ…


会いたいよ、ハルカ。





「人が悲しむ姿は、祈る姿に似ている」





いきなり、私の背後から見知らぬ人の声がした。

歌うような話し方だった。


驚いた私は勢いよく振り返った。


人がいた?いつから?全く気付かなかった。


私の座るベンチの背後に、真っ白な肌に真っ白な髪の毛、真珠のような色のサテンのスーツを着て、プラチナのように輝く白い瞳を持つ少年が立っていた。

年は10才くらいの、小さな、けれどゾッとする程、美しい少年だった。


「香子、君を迎えにきたんだ。会いたい人がいるだろう?」


その大人びた口調は小さな少年にはミスマッチだけど、声は歌っているような、子供らしいボーイソプラノだ。


私は突然現れた少年に驚いていて、何も言えなかった。


白い少年は、そんな私に手をさしのべる。


「僕とおいで。君の願いを叶えよう」


「代わりに君は、僕達の願いを叶えるんだ」


私は差し出された彼の手と彼の顔を交互に見るだけで、どうしたらよいのか分からず、動けなかった。

必死に理解しようと、考える。


この状況は何?


この少年の言っていることは…どういうこと?


そのときは、小さな子にからかわれているだけだとか、その言葉に意味はないかもしれないとか、何故か少しも思えなかった。

少年はただまっすぐに、私を見ていた。


私は、思ったことをそのまま口に出した。

「私の願いを知っているの?」


間髪入れずに続ける。


「あなたに、叶えられるの?」



白い少年は、ゆっくりと頷いた。


「知っているよ。同時にあの子も願っている。だからこそ、君の願いは叶う」


あの子…


「ハルカが?」


私の問いに、少年はまたもや、ゆっくりと頷いた。


「君を待っているよ」



「…連れて行って」



私は「あの子」に、ハルカに、言っていないことがあった。


もう一度逢えるのなら、どんな事でも出来ると思ったから。


私は、白い少年の小さな手をとった。

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