第18話 アマミヤ・ジャスティス
ヴァンは私を売る気がなくなったと言う。
えっ何ゆえ?
「…何で?」
私は首を傾げて聞いた。いきなりどうしたんだろう?さっきまで私を売る気満々だったじゃないか。
「…お前が気に入ったから」
ヴァンは言った。
…いや、意味わかんないよ!?
私、ヴァンとは口論しかしてない気がするんだけど。
さらに首を傾げて私は尋ねる。
「…それじゃ、今捕まえてるクー・シーやペリの人たちも、売るのを辞める?」
「…」
ヴァンは無言で渋い顔をする。
「私だけを売って、それでこの商売を引退するって約束してほしい。この商売は、私で最後にしてよ、ヴァン。そうじゃなきゃ、意味がないの」
本当は最初から、私に選択の余地なんてない。ヴァン達は私を捕まえたのだから、本当なら私の了承なんてとらずに、さっさと競売にかけてしまえば良いことなのだ。
それを、売る気は無くなったとヴァンは言ってくれたけど…。
けれど私にとっては、自分だけが免れても意味がないから。
ヴァンは困った顔で、考え込んでいる。
「ヴァン…お願い」
「…分かった」
ヴァンはとうとう頷いた。
ユリアンがギョッとしてヴァンを見た。
「ヴァン…」
「シルク・ド・ノワールを廃止するだけだ。ベガーズ・バンケットがただのサーカスになるだけのことだよ。アマミヤ、その代わりお前を高値で買いたたく。そして解放する…さっきのお前の言葉で思いついたんだが、一つだけ、俺達にも可能な方法がある」
「だが、もちろんリスクは高いし、お前が完全に無事でいられる保証はできない。少し…だいぶ運任せだ。ただ、お前も、お前を売った俺達をも守れるのは、その方法しかない。それでもいいか?」
私はヴァンに策があることに安心しながら頷いた。
…完全に無事でいられる保証は…のあたりは聞かなかったことにする!
「うん!ありがとう!…どんな方法なの?」
しかし良かった!
どうなることかと思ったよ…。
「俺達には、頼れるお友達がいるんだ」
ヴァンはユリアンに、含み笑いを向けた。ユリアンもそれに気付くと、ニヤリと笑った。
「つい最近、恩を売ったばかりだしな。あのプライドの高いライオン、嫌な顔するぜ」
「楽しみだな」
ユリアンとヴァンはそう言うと、いたずらっこみたいに笑った。
ヴァンの言っていた「私を高値で売ってそのあと逃がして金は持ち逃げだキャッホー!大作戦」は、すぐには実行できないらしい。
あ、キャッホーとは言ってませんでした。すいません。
1ヶ月程準備期間が欲しいと言われてしまった。
ハルカに会うのはいつになることやら…。
まぁ、私自身ノープランだったわけだから、文句は言えない。
私は、ヴァンとユリアンと話した後、捕まえていたペリとクー・シーが解放されるのを見届けることになり、ガラスの檻から出してもらえた。
ヴァンはどうも、決めたことはすぐ行動に移して約束もキッチリ守ってくれる、非常に生真面目な性質の人だと分かった。
…顔とか、怖いけど。
私に対して警戒心がありすぎたのも、アマデウスという銀色の狼へのトラウマのせいだったようだ。
全く、ユリアンの敵でもあるし、アマデウスというのは、なんて恐ろしい奴なんだろう。
でも、狼の種族がみんなそんな感じだったらどうしよう。絶対仲良くなれない。
まぁ、とりあえずヴァンとユリアンを説得できて、良かった。ホッとして私は胸をなで下ろす。
ペリの男女は六十代位の老齢の女性と五歳位の少年だった。背中に翼はなかったので、おそらく人型に変身しているのだと思われる。
少年は女性に懐いていて、ヴァンが部屋に入ると、女性の後ろに縮こまった。
「あなた方を売ることは出来なくなりました。今からお二人は自由です。この街で仕事を紹介できますが、私達と二度と関わりたくないと仰るなら、お金をお渡ししますのでお好きな所へ行って下さい。残念ですがご家族の元へはお送りしません。私達はあなた方を、あなた方のご家族から買い取りましたから。…手荒な真似をして、申し訳ありませんでした」
ヴァンはビジネスマンのような口調で喋った。けれど、最後の謝罪だけは心がこもっていた。
「…そう。それはこの子の為に、良かったこと」
女性は、影のある表情だけど、若い頃はさぞ美しい人だったろう、と私は思った。彼女は動揺もせず、怒りもしないで、ヴァンに言った。
「わたくしとこの子にはもう、本当の家族は居なかったのよ。あなたに連れてこられてからの方が、この子と一緒にいられて、ここ数年間よりもずっと楽しい日々でしたわ…」
私はその話にゾッとした。
彼女にとってヴァンに売られたことは、良いことだったと言うの?
じゃあ、私がヴァン達に人身売買を辞めさせたいのは、ただの自分の思い込みと下らないエゴで、それこそ、逆効果なのだろうか?
青ざめている私に気を使って、ユリアンが言った。
「彼女が売られたら、買うのは多分奴隷として扱う奴だ。もしアマミヤに助けられなかったら、死ぬまでただ働きさせられていたよ。ペリは長生きだし、食べ物は『香り』だけだから安上がりだって、使用人として人気なんだ」
ユリアンのフォローで少し気を取り直したものの、私は考えなしだったかと悩む。
「マダム、どうなさいますか?」
ヴァンは聞いた。
女性は男の子と一瞬目を合わせて言った。
「わたくし達二人を、こちらで雇っていただけないかしら?」
「…ええ、それは助かります」
ヴァンは微笑んだ。最初からそれを予想していたようだ。
「サーカスというのは、人手がいくらあっても足りないものですから」
女性はヴィマラ・ビスミラという名で、遠い国のお金持ちさんだったそうだ。夫と一人娘を亡くしてから、親切心と寂しさで世話を引き受けた遠縁の親戚の子供(といっても四十代だそうだが)の兄弟が好き勝手してヴィマラさんの財産を食い潰し、おまけに売り飛ばしたと言う。なんて恩知らずな…
と内心怒り心頭だった私達だったが、女性は柔らかい微笑みを浮かべる。
「良いのよ。もう…」
何だかもう、全て許してしまっているみたいだった。
少し憧れる。
私もいつかこんな風に…許せるようになるのだろうか。
一緒に居た少年は、ポール・ヴェラという名前で、両親に売られてしまったという。
体のいたるところに痛々しい痣があり…多分、虐待されていたんだろう。
彼はずっと怯えていて、話を全くしない。けれど、ヴィマラさんには心を開いているらしく、言葉は発しないものの、ヴィマラさんにだけは笑顔を見せる。
この子も、ヴァンにここに連れてこられて良かったのだろうか?
私は早くも、自分の選んだ道に自信がなくなってきた。
何通りもの正義があって。
それが、ある位置から見れば悪であるということ。
そうだ。私の人身売買を辞めさせる、という行為も、誰かから見れば…悪になるのだ。
それならもう、自分の信じたものを信じるしかないじゃない?
『あなたは、自分は悪くないと思っているの?』
『自分のやっていることが誰かにとっての悪行で、誰かにとっては自分は悪なのだと、ちゃんと認めなさい』
私自身でさっきヴァンに言ったことを思い出す。
あんな言葉、私がヴァンに言える立場だっただろうか。
私も、私の罪を意識していなかったのだ。
ああ、でも、ならば、どうしたら良かった?
この人たちが売られるのを見ていれば良かったの?
どうしたら…?
どうしたらいい…
頭がクラクラしてきた。
私は部屋の入り口から一歩、後ずさる。
ユリアンとヴァンは私の前に立っていて、部屋の中でヴィマラさんと話していた。
ハルカなら、どうしたかな…
…助けて…
ハルカ…
ハルカ、ハルカ、会いたいよ。
話がしたい。
私は大丈夫って、言って…
突然、視界が真っ白になり、私は意識を手離した。