表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/37

第10話 ユリアン・フローゲの物語1

僕がアマミヤを初めて見たとき。



強い風が吹いて、美しい黒髪が舞うのを、僕はただ見ていた。


声をかけられず、僕は息をのんで見つめていた。漆黒の毛皮を持つ、生き物。

これは…

頭の上の耳の形を確認する。

ピンと立った耳は三角形で、尖っている。

短い服の裾から覗く、艶やかな長くて太い尾。


後ろ姿でも僕には分かる。間違いない。

それは、狼だった。


黒い狼なんて初めて見た。

黒い生き物は、カラスと猫類、それ以外には存在しないと言われているくらい珍しいのに。


狼は人食いで知られている、呪われた、忌み嫌われた動物だ。

僕の友人を食い殺した、憎むべき悪の種族。


危険だ、こんなに狼の近くにいるなんて…


そのとき、狼がこちらを振り向いた。


背筋が凍り、身がすくむ。

瞬間、僕は自分の死を予感した。


狼に襲われた友人の死体が思い浮かんでくる。全身を噛み千切られて貪り尽くされ、ただの肉塊になった彼の姿。

僕は、あんなふうに死ぬのか?


漆黒の闇色の瞳をきらめかせ、力強いまなざしが僕を射抜いた。


狼は女性…いや、少女だった。


僕は圧倒された。

先ほどの恐怖を忘れて、目を見張る。


…なんて、美しい生き物なんだろう。


流れる艶やかな黒い髪、対比するように、白く輝く陶器のような肌。


小さな体をして、堂々と、悠々と立っている。


何より、迷い無く僕を真っ直ぐに見つめてくる、黒い瞳。


黒い狼…彼女は、活き活きと輝いて美しく、圧倒されてしまうような力強さに溢れていた。



ふと僕は、


こんなに美しいものになら、殺されても良いかな。


少しだけ、そう思ったのだった。




「聞かせて」

「……わかった」


僕はアマミヤの迫力に気圧されるかたちで、重い口を開いた。


何故彼女は、そんなに僕の話を聞きたがるんだろうか。


自分が商品として、僕らに売り飛ばされるのだと知って、それなのにどうして、いまだに僕の話なんか聞きたがるんだ?


他に聞くべきことがあるんじゃないのか?

助かりたいとは思わないのだろうか?

僕に腹が立っているんじゃないのか?

恐ろしくはないのか?


まるで自分のことなんか、少しも気にしていないように。


彼女に話そう。話してしまおう。僕に起こったこと。


不思議な気持ちになっていた。


彼女に、全て話してしまいたい。

話を聞いて欲しい。そう思った。


彼女にはそう思わせる雰囲気がある。


僕は檻のガラス扉を開けて中に入り、アマミヤの隣に座った。


嘘をついても、さっき僕の態度が偽りだと気付いたように、彼女にはわかってしまう。

だから僕は偽り無く、自分に起こった本当のことを、語り始めた。




「僕は―」


僕は自分が、どこの誰なのか、どんな街で生まれたのか、何一つ知らなかった。


気付いたら、妹と二人で生きていた。


いちばん古い記憶は、貧民街の裏通りで、まだ生まれて間もない赤ん坊だった幼い妹を抱きかかえて、抱きしめて暖めていたこと。

妹のかじかんで冷えきった小さな小さな手に、熱い息を吹きかけてやっていた。

僕より二つか三つ年下の小さな妹は、僕と同じように茶色い毛皮のヴォルパーティンガーで、物心ついたころには二人で、家もなく路上で暮らしていた。

僕達兄妹は、僕が3歳くらいの時に揃って捨てられたのだ。

けれど不幸中の幸いで、僕達は同じように路上に生きる老人や、年上の少年達に助けられ、辛うじて生き延びた。僕も、まだ生まれたばかりだった妹も、彼等の助けがなかったなら、すぐに野垂れ死んでいただろう。


W・ライオット。それが僕等のいた国の名前だ。

世界一大きな国で、世界一発展していて、世界一不公平な国。

しかし、その国さえも手に負えず、政治が関与できない状態にある広大なスラム地区、ガレージランド。

それが僕達の育った街だった。

この21世紀の現代にあって、毎日戦争みたいな野蛮な街。商店の掃除用具入れには必ずライフルが置いてあり、レジの下には魔法で強化されたピストルが常備されている。

そんな腐った街。それがガレージランドだ。


この街で、仕事もできない小さな子供が、自分の力で生きていくためにできることは、盗むことだけだった。

僕は、仲間と一緒に、盗んで、逃げて、捕まって、殴られて、また逃げて…その繰り返しの毎日だった。

夢も希望も何にもない生活だったけれど、僕には、守るべき妹が居た。

妹だけが僕の光で、ただ一人、自分よりも大切な存在だった。妹がいたから僕は、こんな腐った街でも、生きてこられたのだ。

ガレージランドには時々、僕達のような路上暮らしの子供を施設に収容するために、政府の役人がやってくることがあった。しかし広すぎるガレージランドの中では、路上暮らしの子供の数は、施設に入れるには多すぎる。それでも、政府は役割を果たしていると思わせなきゃならない。だから役人達は、子供を選んで連れて行くのだ。健康そうで綺麗な顔の子供や、珍しい種族の子供、それと、魔法が使える子供なんかを。

僕と妹は、魔法が使える。

けれど、魔法の力を持つのは、基本的には人間だけだ。僕達みたいな、幻獣種族にはちょっと珍しい。

魔法は使えるだけで雇ってくれる所も増えるし、それだけで金になる。しかし、魔法が使えると知られてしまえば、こんな無法地帯では、捕まってすぐに売り飛ばされてしまう。だから僕達兄妹は、魔法の力を隠して暮らしていた。

もっと成長してからこの街を出て、魔法をちゃんと習いに行こうと、二人で決めていたから。

施設に送られるのは、一見路上暮らしよりは良いような気がするが、政府は捕まえた身寄りの無い子供を、商人に売り払ったり、国のために死ぬまで無理やり働かす、という話だった。

だからほとんどの子供は、政府の車が来ると逃げ出していた。

僕等も、政府の役人は毛嫌いしていた。


けれども僕の妹は現在、その政府に組している。


今から5年前、僕は魔法薬になる植物やドラッグなんかを栽培している、もちろん非合法な農場の仕事についていた。

僕達の面倒を見てくれていた年上の少年達の一人、ルーディ・シェンカーが飲食店を始めて、その商店の二階のボロい空き部屋を一つ、僕と妹にあてがってくれた。もちろん家賃は払うが、食うには困らない生活が送れていた。


貧しいが、悪くはない日々だった。

そんなある日のことだ。


「お兄ちゃん、さっき黒いスーツの人が、この家を覗いてたよ」


買い物から帰って来るなり、しかめつらで、僕の妹、アイリスは言った。


「お前そいつを見て、何にもせずに帰ってきたのか?」


アイリスには、護身用に自動拳銃を持たせていた。


「せっかくルーディに新しいヴァルサーもらったのに。使わなきゃ意味ないだろ」


「やだよ。怖いもん」


アイリスはむくれて言った。

まだ12才だが、大きな茶色い目、茶色い巻き毛、兄の欲目かもしれないが、悪くない容姿をしている。そのぶん、尚更心配なのだ。


「お前が死んだら、俺も死ぬ」


「やだ。お兄ちゃんが死ぬなんて」


「だったら、絶対死ぬなよ」


アイリスは笑う。


「死なないよ。この街で、毎日死ぬような目に合ってるのに、死んでないでしょ?」


毎日どこかの通りで銃声がする。

毎日どこかの通りで人が野垂れ死ぬ。


こんな街を、早く出て行こうと、

いつも思っていた。

それはアイリスも同じだった。いや、僕以上に、あの街、ガレージランドを、アイリスは憎んでいたのかもしれない。


その数日後。

アイリスは街を去った。


僕の仕事中に、ルーディが大慌てで知らせにきた。見ていた仲間が言うには、アイリスは、政府の役人と思しき車に、自分から乗り込んだと言うのだ。

僕は信じられなかった。

とにかく仕事を抜け出して、アイリスが乗り込んだというトラックを、僕はルーディのバイクの後ろに乗り込んで追いかけた。

猛スピードでトラックに並ぶと、僕は、ヴォルパーティンガー特有の脚力で、バイクの後部座席を蹴り上げ、トラックの屋根に飛び乗った。

「アイリスを返せ!」


そう叫んだ僕は、トラックの後ろの、格子のはまった窓から、アイリスの小さな顔が覗くのを見た。


「アイリス!」


僕は叫んだ。


「お兄ちゃん、来ちゃ駄目だよ!」


アイリスは青ざめた顔で言った。


「アイリス、大丈夫か?帰るよ」


僕がそう言うと、アイリスは首を振る。


「私は大丈夫。ごめん。お兄ちゃん、許してくれる…?」


「何を言ってるんだ?行こう、アイリス…」

窓の格子に手をかけ、力を込める。

けれど、窓の格子には魔法がかかっているようで、普通の鉄なら曲げる自信はあったのに、びくともしなかった。


僕は泣き出した。アイリスも泣いていた。

「お前が居なきゃ、生きていけないよ」


僕が言うと、アイリスは泣きながら笑った。


「お兄ちゃんが死んだら、私も死ぬ」


「だから、生きていて」


格子の隙間から指を出し、僕の手に触れ、アイリスはそう言った。


そして、魔法で出した自分の精霊に、いきなり僕の足元をすくわせた。


「うわっ」


僕はそんな叫び声をあげながら、道路に落下した。


…殺す気か!!


そう思いながらも、しっかりと道路に着地して、トラックに向かって僕は叫んだ。


「アイリス!!」

「この馬鹿―――!!」



それから数ヶ月、アイリスの行方を探し回ったが、全く掴むことができなかった。アイリスが何故自分からトラックに乗ったのか、何故僕の元を離れていってしまったのか、全くわからなかった。僕達は、今まで一度も離れたことがなかったのだ。だから僕にとっては、片腕をもがれたようなものだった。


この頃の僕は、政府の車を見ると片っ端から喧嘩を売った。

アイリスの居る場所に行けるかと思って、トラックや車を追いかけたことも幾度かあったが、銃で狙撃されて命からがら逃げ帰った。

ヤケになって暴れまわっていた僕は、政府相手に武器や違法商品を売っている、新参者のマフィアの一味アン・ディ・フロイデ、通称「フロイデ」に疎まれ、捕まって売り飛ばされた。


僕が売られた場所から逃げ延びて、生き倒れているところを、この一座、ベガーズ・バンケットのリングマスター、ヴァンに拾われたのだった。


ルーディ・シェンカーは、白いヴォルパーティンガーで、僕たち兄妹のほとんど親代わりみたいなものだった。

僕達を最初に見つけたのが自分だと言って、何かと目をかけてくれていた。見かけは二十代くらいだが、誰も、彼自身も本当の年齢や名前は知らない。彼も捨て子だったからだ。

ヴァンに助けられてから、僕はいったんガレージランドに戻った。ルーディに会って、自分は無事だと報告したかったから。僕を目の敵にしていたフロイデは、もうガレージランドにはいないと思ったのだ。さほど大きくない新しい組織だったし、無法地帯であるガレージランドの中では、政府相手の仕事は更に危険で、やりにくいものになると考えたのだ。

今考えれば、僕は大馬鹿だった。

無法地帯だからこそ、政府の要人ですら違法商品の売買ができる。そのために政府がフロイデを立ち上げたのだ。

言ってみればフロイデは、国営の犯罪組織。

フロイデは、短期間のうちにガレージランドで幅を利かせる一味になっていた。

そしてルーディは、僕と親しい者として目をつけられていた。


「久しぶり、ルーディ」


「ユリアン!?」


僕は夕方頃、ルーディのバーに顔を出した。ルーディは驚いて大声をあげたが、すぐに声を潜めた。


「馬鹿かお前!よりによってここに来るやつがあるか」


ルーディはそう言ったが、僕の無事を喜んでくれた。その日はルーディの家に泊まって、次の日一座に戻るつもりだった。


このとき既に、フロイデの一味は、僕がのこのこ街に戻ってきたことに気付いていたのだ。…この夜、どうしてすぐに街を出なかったのか。


今でもそれが悔やまれる。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ